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泉東分教会発行「躍動の泉」連載 村上道昭 むらかみ みちあき 「こかんや秀司が来てくれるから、少しも寂しいことはないで。」、「秀司やこかんが、遠方から帰って来たので、こんなに足がねまった。一つ、揉んでんか。」、「正善、玉姫も、一しょに飲んでいるのや。」(『逸話篇』一一〇、魂は生き通し) 「正善、玉姫」とは山本利雄氏の『続人間創造』の中で、二代真柱正善様が秀司さんの生まれかわりで、玉姫とは初代真柱様の長女玉千代様のことで、こかん様の生まれかわりであると説明されています。秀司さんは明治十四年六十一才で、こかん様は明治八年三十九才でそれぞれ出直されていますが、魂は生き通しで、現身をもたれている教祖と会話、飲酒をされていたということになります。これをどのように受け取ればいいのでしょうか。 まず魂とは何かみてみましょう。 魂は原典においては、「高山にくらしているもたにそこに くらしているもをなしたまひい」(十三、45)「一寸の虫にも五分の魂」(M29.3.24)の二ヶ所にしかでてきません。おさしづの方は常識的なことわざで、おふでさきに一ヶ所しかありませんので、原典に基づいて論じることは極めて困難であります。 哲学者カントは魂は形而上学的な存在で、理論理性によっては、認識、証明が不可能であり、実践理性(道徳)によってその存在が要請される、と考えています。道徳的に完全無欠な人間になることは、この世では不可能で、その実現はこの世をこえて無限の前進においてのみ可能で、そのことから必然的に、理性は道徳的主体としての人格、すなわち魂の存在、不死を要請することになります。従ってカントにとっては魂は経験界にじかに見出され、科学的に探知され、検証されるようなものではなく、あくまで信仰の対象とされるものであります。 さて人間存在は一般に三つの次元、側面から成り立っているとみなされています。第一は身体的、第二は心的、第三は霊的次元で、第三の霊的次元については、これまで古今東西において様々な見方が示され、百家争鳴の観を呈しています。 代表的な見方を紹介しますと、ユングの自我(Ego)に対する自己(Self)、これは無意識に潜在するもう一つの自分で、この自己の働きを知り、その声に耳を傾ける、こうした自我と自己、意識次元と無意識次元が生き生きと交流し、結びつくようになることが自己実現とみなされます。 仏教の唯識思想では、眼識、耳識、鼻識,舌識、身識、意識の六識の根底に思考活動を本質とする末那(マナ)識、さらに深層にある阿頼耶識が存在すると考え、このアラヤ識こそが、たとえ表層の心が働かない場合でも、常に働き続けて身体を生理的にも維持している、とみなされています。また身、口、意による三業(行為)は、なされた瞬間に種子となって、アラヤ識にたくわえられ(現行薫種子)、それが再び次の行為の原因となってくる(種子生現行)と考えられています。 本教においては深谷忠政氏は、魂とは、心づかいの起点である我れの抽象形態で、魂が展開して心となり、その現実形態が心づかいである。魂の現実存在ともいうべきものが我れなる主体である。魂はいんねんの担い手で、心の可能性、心の自覚性、心の原性とも言われる。魂は等価値で、心の原性には区別はないが、何回かの生まれかわりの中に、個人差がでてくる、との見解を示しています。(『天理教教義学序説』一四六、一四七頁) 魂と心と身体は互いに密接な相関、因果関係をもち、心と身体は魂のいんねんに相応しいものを借りていて、心の働きはその本質である魂に規定され、心の働きは逆に魂に影響を与え、それが原因となって身体のあり方、心のあり方を変えていく、と考えられます。 また魂としての作用、すなわち心は身体をもつ生命の誕生に始まり、身体の生命が終わるとともに停止すると考えられます。 では「魂の生き通し」の逸話はどのように考えればいいのでしょうか。 初代真柱様が明治二十年一月十三日教祖に尋ねられた三箇条の根本教理の第一に、「この屋敷に道具雛型の魂生れてあるとの仰せ」とあります。また『こふきの研究』和歌体十四年本に「29 くにさつちのかみさまハ親さまのたいないこもりだきしめござる 30ことしから三十年たちたなら なあハたまひめもとのやしきへ」、「32 つきよみハしやちほこなりこれなるハ にんげんほねのしゆこふのかみ 33 このかみハとふねん巳の六十と いゝ才にてぞあらハれござる」と示され、こかん様、秀司さんが、くにさづち、つきよみのみことの魂をもたれている、と教えられています。教祖はいざなみのみことの御魂で、ともに人間創造の時の道具衆の魂であるため、私たち人間の魂と異なり、魂だけで、心の働きも持たれているからではないでしょうか。 では人間の魂は、出直して次にこの世に生まれかわってくるまでの間、どのように存在しているのでしょうか。 「このものを四ねんいせんにむかいとり 神がだきしめこれがしよこや」(三、109)「それからハいまゝて月日しいかりと だきしめていたはやくみせたい」(七、68) この二つのお歌は『おふでさき註釈』によりますとともに明治三年陰暦三月十五日に出直された秀司さんの庶子お秀様のことで、明治十年たまえ様として出生されますが、ここにはっきりと魂は親神によって抱きしめられていると示されています。これは魂とはあくまで信仰の対象で、その存在は科学的に検証されないもの、時間空間をこえていて客観的に実在するといえないもの、従って魂はいつ、どこに、どのように存在するかいうことのできないもの、この意味ではあるともないともいえるものであり、逆にどこにでもあるともいえるものであることを教えられているのではないでしょうか。 山本利雄氏は魂はモノ(客観的物体)ではなく、モノとモノとの関係、コト(客観的現象)である、と説明しています(『続人間創造』)が、このコトという見方も実体視されるおそれがあり、魂の個別性については考慮されないという問題があるように思います。 教祖は慶応元年おはる様懐妊のとき、「今度、おはるには、前川の父の魂を宿し込んだ。しんばしらの真之亮やで」と述べられていますが、魂の宿しこみとは粒子のようなものを入れるように考えられやすいのですが、魂から生命が誕生すると考えますと、その魂に刻印を打つようなものではないでしょうか。 「人間ノタマヒ(魂)ナルハドジョウナリ」(説話体十四年本)、「親神は、どろ海中のどぢよを皆食べてその心根を味わい、これを人間のたねとされた」(『教典』二七頁)ということは魂とは、受胎後何ヶ月が経って宿しこまれるものではなく、魂が生命の母胎ということではないでしょうか。 村田幸右衛門さん(明治十九年六十六才出直)の次のような話があります。幸右衛門さんが晩年になって三才の子供でもしないような仕草をするので、教祖にお伺いすると、教祖は「魂はもう先方へ宿っておるがな」と仰せられたそうです。(『おさしづ語り草』)これも魂を実体として考えると分らない話ですが、魂の宿し込みを魂への刻印と考えると、理解できると思われます。 このよふにかまいつきものばけものも かならすあるとさらにをもうな(十四、16) 「憑きもの化けもの、心の理が化けるで。(中略)憑きもの化けもの一つ心理を障る神は無い。心の理後へ〜〜戻る」(M25,4,19) 人間の魂は出直してから生まれかわってくるまで神に抱かれていますが、その間に悪霊や怨霊、化け物、死霊となって生きている人々を苦しめたりすることはないと明確に教えられています。「心の理が化ける」ということは一見憑き物、化け物の実在が肯定されているように思えますが、それらはあくまでも「心の理」つまりいんねんが外化、自己疎外されたもので、いんねんのある当人にとってしか存在しないもの(例えば殺人者に被害者の幽霊がでるというような)と考えられます。 松本滋氏は『神へ近づく道』の中で、次のように説明しています。 人間は出直すと「新しい着物」を着て、「あの世」、霊的次元の世界に行き、それまでとは全く異なった新しい生き方の次元に入る。「あの世」には様々の次元があり、魂のレベルの等しい者同志が集まる。美しい魂の人は、善良な魂に囲まれ、強欲の魂の人は同じ魂の人々を呼ぶとみなされていますが、人間の魂の場合、身体がない限り心が生じない、従って当然会話もできないのであれば、「あの世」での新しい生き方というのは、具体的に何を意味し、救済とどのようにつながるのでしょうか。 松本氏はさらに人間は親なる神の「分身」、そういう意味での「神の子」と考えていますが、「分身」を神の「分け霊」としますとすこし問題があるように思われます。 昭和五年版の『天理教綱要』に次のように記されています。「人間の身上が借物であるならば、借主は誰かといふに、人間の霊であります。霊とは神の分け霊であって、人間が霊に生き、霊によって身上を使うならば、身は自由用の理をいただくのであります」 この「分け霊」説は、神道における神人関係を連想させ、神人の連続性が強調され、様々な誤解が生じてきます。 「分け霊」説の根拠は、親神がどろ海中のどぢよを皆食べてこれを人間の「たね」とされた、親神に食べられ同化されたから、神人は同質で連続しているということですが、このどぢよも親神によって人間創造に先立って創造されているわけですから、神人関係には断絶、非連続性があると考えられます。神に近づくという考え方は誤解を受けやすく、あくまで神の思いに近づくと考えなければならないと思われます。 増野鼓雪氏は「人間は神様の子だから神様にならねばならん」、「神様から啓示を受け、黙示を受けて進んで行くと、神秘の世界にはいることができる」、「人間と神が合一する事によって、神秘の世界にはいることができる」(『増野鼓雪選集』第三巻)と述べ、神秘主義的神人合一を説いています。 教祖五十年祭(昭和十一年)頃までは霊救という言葉がおたすけに使われていたようです。用木のたすけ一条の精神を高揚させるために、その時代の影響を受けて、必要であったかもしれませんが、神人合一の視点からの霊救となると本来の教え、神人和楽、「神が連れて通る陽気」(M30,12,11)から少し それるように思われます。 また心と魂、霊と魂を分けて、心の埃をとりのぞくことによって、神的本来性をもつ魂が働き出して、何事でも思っただけで、それが時空をこえて現実化するという思いの自由自在がかなう、神に等しき働きができるようになるという見方や、霊とは外から神秘的な力を発揮し、魂は人間存在を内から支えて神秘的な力を発する。魂は霊のように空間的ではなく、時間的な次元で永遠の次元にまで及んでいく普遍性をもっている。祖霊殿にまつっているのは魂ではなく霊であるので、魂の次元の信仰、全人類を射程に入れた信仰に立脚すべきであるというような見方もありますが、心と魂、霊と魂を分けて考える二元論的見方は、人間の身体を無視して人間を問題にするようなもので、非現実的で一面的なものになってしまうと思われます。 心と身体と全く無関係で、それから独立した霊や魂そのものは考えられず、もしあったとしても、神によって抱きしめられている、つまり時空をこえた非活性状態のもの、具体的な働きのないものではないでしょうか。 では本教では「みたま」、祖霊殿はどのような意味をもつのでしょうか。 最近スピリチュアルブームが続いています。「オーラの泉」や「天国からの手紙」といった人気テレビ番組を通じて、スピリチュアルカウンセラーと称する人が、前世と守護霊をキーワードにして生き方を示し、現世利益を求める若者を引き付けています。前世については根拠もなく中世の貴族の生まれかわり等と教え、うさんくささが感じられ、信憑性がないと思われますが、守護霊については、本教の「みたま」、祖霊と同じように考えることができるでしょうか。「みたま」のおかげとよく聞きますが、守護霊という意味ではないと思います。 おさづけの取次ぎのときに、親神、教祖にご守護をお願いしても、祖霊様にはお願いをしません。ということはおさづけのご守護に祖霊様は関与していないということ、つまり祖霊は守護霊ではないと考えられます。では祖霊様の働きというのはないのでしょうか。 祖霊殿は出直した人の魂が生まれかわってくるまでの休息所という見方がありますが、魂がすべて生まれかわっていれば、もぬけの殻になってしまいます。 諸井慶一郎氏は次のように説明しています。「祖霊殿の霊舎に祖霊がおわすのではもとよりないし、祭文で霊の加護を願うようなことを奏上しても、働く霊の存在を信じているのではなく、先祖先人の遺徳を讃え,遺徳に守られることを報謝祈念する意味であります」(『天理教教理大要』四一六頁) ということは祖霊様の働きというのはなく、祖霊様の遺徳を台にして親神、教祖が実質的に働かれるということになります。つまり祖霊様のおかげということによって、間接的に親神、教祖に御礼をすることになると考えられます。 作家で僧侶の玄侑宗久氏は「日本人はお地蔵様、観音様、薬師様などが、本当はいないということを知っているにもかかわらず、ひとつのシンボルとして拝んでいる。こういう文化のあり方、ゆとりのある見方が必要です」(『週刊文春』平成十九年二月十五日号)と述べています。祖霊様を実在する霊としてではなく、人格化されたシンボルとして考え、私たち子孫を見守って下さっていると受け取る、これが本教の祖霊観ではないでしょうか。 最後にスピリチュアルブームの問題点に触れておきます。宗教学者の島薗進氏は、いじめを受けた子供の自殺が相次ぐ中、若者の多くが死んでも生き返ることができると思っているというアンケート結果に危惧を示し、「命をリセットできるゲームが普及するなど、命の重さを勘違いする世界となった。元々、日本人には死を美化する武士の文化、心中の文化があり、それが悪い形で現代のスピリチュアリテイに入ってきている」と警鐘を鳴らしています。作者不詳の「千の風になって」(「私のお墓の前で泣かないで下さい、そこに私はいません、眠ってなんかいません、千の風になって、あの大きな空を吹き渡っています」)が歌われ、反響を呼び、多くの人に感動を与えています。死者が風や星や鳥に姿をかえ、生者にメッセージを送るという発想は、あらゆる存在に霊魂が宿ると考えるアニミズムの現代版ですが、生命がスピリチュアル化するということによって、かえって生命が軽く扱われるという危険性をはらんでいるように思われます。スピリチュアルブームが教えることは、かけがえのない生命の重み、生かされているという厳粛な事実を今一度見直すことではないでしょうか。 『教祖は、平素あまり外へは、お出ましにならなかったから、足がお疲れになるような事はないはずであるのに、時々、「足がねまる」とか、「しんどい」とか、仰せになる事があった。ところが、かよう仰せられた日は必ず、道の子供の誰彼が、意気揚々として帰って来るのが、常であった』(『逸話篇』一六二) この逸話については、「教祖が、お屋敷で、子供に代わって」、「親として、その身代わりをして」、「お疲れ下された賜物だった」と説明されています。 この「身代わり」は救済の観点から考えますと、どのような意味をもつのでしょうか。 イエスの十字架による磔刑についてみてみましょう。一般にイエスの死は贖罪死といわれています。罪なきイエスが十字架にかけられ死ぬことによって、「創世記」にでてきますアダムとイブが犯した原罪と人々の罪があがなわれると考えられていますが、贖罪とは一体何を意味するのでしょうか。 「あがなう」とは『広辞苑』では、購うとも書き、これは買い求める、という意味ですが、贖うは「金品を代償として出して罪をまぬかれる。転じてつぐないをする。罪ほろぼしをする」と説明されています。また「罪ほろぼし」(罪滅)は「善事を行って過去の罪をつぐない、滅ぼすこと。罪の消えるような功徳を行うこと。贖罪」となっています。本来善事を行ない、功徳をつむことによってしか消えないはずの罪が、イエスの十字架を信じることによってゆるされる、なくなるということはどういうことなのでしょう。 この世での救済を考えますと、極めて抽象的なものであるように思われます。 キリスト教では、神は人の罪を赦す方法として、罪なきイエスにすべての人の罪を負わせ、人に代わって彼を十字架の上に死なせることによって、人の支払うべき罪の価を、人に代わって負担したのであると考えられています。人がイエスの十字架の死の中に自分の罪を認め、イエスが死んだのは、自分の罪のために、自分に代わって死んだと信じるならば、神はイエスの神への従順のゆえに、かく信じる人の罪を赦す(具体的には洗礼をうけ、司祭への罪の告白や悔い改めによって)と説かれますが、罪のゆるしとは具体的に何を意味するのかはっきりしません。 矢内原忠雄氏は『キリスト教入門』(角川選書)の中で、次のように説明しています。私たちは自由によいことをすることを妨害し、よい人間になろうとする自分の心を弱め、努力をむだにするような罪の奴隷になっていて、奴隷の身代金を払って奴隷を買い戻すことが罪のあがないである、又私たちが払うべき身代金とは死で、罪に対して身代金を払うことは、罪の奴隷として死んでしまうこと、つまり魂が自由になることで、その身代金をイエスが死ぬことによって、身代わりとして払ってくださる、これが十字架の福音である。 しかし問題はここからで、魂は罪のあがないによって自由になっても、この世の身体、心の働きはもとのままという二重生活にあることです。つまり魂は救われても、身体、心は救われていないということです。 救済は従いましてこの世においてではなく、あの世に繰り延べされます。病気もせず、死にもしない、心の働きが健全になるのは、イエスが死後三日目に復活したように、私たちも死後復活することによってですが、この復活も、この世への生まれかわりではなく、霊魂の宿る新たな体が与えられ、これによって救われた魂は救われた体を器として、新たな生命と平安をえて、永遠に生きるようになる、つまり救済が成就されると説明されています。(キリスト教の救済観にはもう一つキリスト再臨がありますが、ここでは割愛します) つまり魂の自由、救いがあるだけで、この世での身体、心の働きの具体的な救いはないということになります。このような「身代わり」の救済観は、私たちの心を真に満たすものでしょうか。 十六世紀初頭にルターの宗教改革があります。教皇庁、ローマ教会の免罪符販売に反対して起こされたものですが、この免罪符もこの世における救いが抽象的であるために、人々が安直に救いを手に入れたいという心理を悪利用したものではないでしょうか。 本論から少しはずれますが、ルターの宗教改革の骨子(現代の私たちの信仰に対する問題提起になっているように思われます)を紹介しておきます。 一、 救済は律法を基準としないで、ただ信仰 によって認められる、信仰の義認 二、信仰の根拠は神の言葉である聖書に基づくもので、教会や教皇により制約されるものではない、聖書中心主義 三、そのため聖俗の区別は意義を失い、世俗的職業を肯定する信徒皆司祭主義の三点であります。ルターは改革を精神上の問題にとどめて、現実世界の改革は要求しなかったといわれています。 では本教の「身代わり」はキリスト教のそれと同じでしょうか。 松本滋氏は『人間の元なるもの』の中で次のように述べています。少し長くなりますが引用します。『われわれ人間が誠心でつとめた徳と、知らず知らずに積んでいるほこり、いんねんとを、プラス、マイナス差引勘定したならば、大抵の人はマイナスの方が遥かに多いのではないでしょうか。今生だけでもそうですから、まして前生、前々生のことまで考えるとしたら、どれだけマイナス、天借を背負っているかわからないでありましょう。もし天の親神が、「天の定規」にあてて、一尾一厘の狂いもなく、人間一人一人を裁くとしたら、とてもわれわれはこの世に満足な姿で生きておられぬと言ってよいでありましょう。それを結構にたすけられて、しかもめいめいの、いんねんの割には、本当に恵まれた生き方を日々営みえているのは、とりも直さず、みな教祖のお陰なのであります。教祖が、天の理の分らぬ、ほこりだらけの人間子供のために、いわば「身代わり」になって苦難の道を五十年も歩まれた、その賜物だ、と私は申したいのであります。』(一四〇、一四一頁) ということは教祖の五十年のひながたの道中は、私たち人間が何代にもわたって負ってきた天借を、永久に返す事の出来ない私たちに代わって、私たちの「身代わり」となって返済して下さった道中であるということになります。 氏は次のようにも述べています。 『この「たすけたいとの一条ばかり」という親心は教祖ひながたの道のいたるところに満ちあふれているのですが、中でも最も深く、最高の形で表されているのは、人間子供の苦しみ、痛み、悩みを、みな親が代わりに引き受けてやろうという、そういう教祖の姿であります。』(一三七、一三八頁) 「難しい道はをやが皆通りたで。をやの理思えば、通るに陽気遊びの理を思え。」(M21.10.12) 松本滋氏は『逸話篇』十六「子供が親のために」の逸話を次のように解釈しています。 桝井伊三郎さんは危篤の母のために、教祖から「救からん」と言われますが、三度たすけて下さるようお願いし、「救からんものを、なんでもと言うて、子供が、親のために運ぶ心、これ真実やがな。真実なら神が受け取る」とのお言葉を頂いて、たすからない命を救けて頂き、八十八までの長命を与えて頂きます。 この逸話は一般に母を思う誠真実を神に受け取って頂けた、と理解されていますが、氏は伊三郎さんの母の天借は余りにも大きく、今生では返しきれないほどになっていたにもかかわらず、教祖が無理な願いを天に届くようにされるために、「人間としてのわれとわが身を削ることによって」、「言うに言えん、切ない親の痛み」(一五二頁)を伴わせて、ということは天借を肩代わりされることによって救けられた、と説明しています。従って『これはある意味では大変な「借り」を天に対してしたことになる』(一五二頁)「救けられた人の天借は一向に減らないどころか、かえって身上を救けられたことによって、ますます増えている」(一四八頁)とも述べています。 氏は教祖は月日のやしろであっても、同時に生身の人間であった、ということを人は忘れがちで、教祖の理をより深く胸に治め、教祖により身近に近づくための絶対不可欠の要点は、教祖がその身に受けたと思われる「痛み」であり、それが教祖が百十五才の定命を二十五年も縮めた、もう一つの理由である、との見解を示しています。 『逸話篇』十六は、伊三郎さんが三度も真実のお願いをしたから、というより真実のたすけ一条の心定めをし、それを生涯実行されたから、その真実の心を親神がうけとり、その後の通り方を見続けて、ご守護を下されたのではないでしょうか。 氏の言うように、私たちには誰でもいくら返しても返しきれない天借があると思います。天借とは、いんねん、積もり重なった心の埃のことで、埃を払わない限り、救けに浴せないことは言うまでもありませんが、救けを頂くときに天借がそのつど全て返され、埃が全部払われているわけではありません。 おふでさきには「たすけでもあしきなをするまてやない めづらしたすけをもているから」(十七、52)「このたすけどふゆう事にをもうかな やますしなすによハりなきよに」(十七、53)と示されますように、ふしぎだすけとめづらしたすけがはっきり区別されて教えられています。また「たん〜〜と神の心とゆうものわ ふしぎあらハしたすけせきこむ」(三、104)と示されますように、ふしぎだすけはめづらしたすけに向かう一過程にすぎないとも教えられています。 めづらしたすけは心の埃が全て払われて、天借が返済されたときにはじめて実現されるものであるのに対して、ふしぎだすけは天借や心の埃をたくさん残していても、親神、教祖のお慈悲のおかげで、今生における通り方によっていただけるものである、と考えられますが、その時に教祖の五十年のひながたの道中が、たすけの台となっている、と悟らせて頂けるのではないでしょうか。 「ひながたの道を通らねばひながた要らん」、「ひながたの道より道ないで」(M22.11.7)「道の上の土台据えたる事分らんか。長い間の艱難の道を忘れて了うようではならん」(M34.2.4) このおさしづは、ひながたは教祖が私たち人間に陽気ぐらしの手本を示されただけではなく、教祖の五十年のひながたの道中、「口に言われん、筆に書き尽せん道を通りて来た」(M22.11.7)ことが、「道の上の土台」、たすけの台であることを教えられていると思われます。 私たちが救けに浴せますのは、親神の働きと、この土台を前提として、教祖が御身を台として、五十年のご苦労を通して教えられました、つとめとさづけを中心とするたすけ一条の心を定め、実行することによってであり、それによって何代も生まれかわりする中に、天借が少しづつ返済され、心の埃も払われていくことによってであると考えられます。 ところで『逸話篇』一六二の「足がねまる」、「しんどい」は、「存命の理」の観点から考えることもできると思われます。 「存命の理」とは、教祖が現身をかくされてからではなく、現身をもたれているときにも、現身をはなれて魂だけが抜け出て働かれていると考えますと、教祖の魂は人間の魂と異なり、心も伴っておられますので、遠路はるばるぢばに帰ってきたり、お屋敷でひのきしんをする道の子供とともにご苦労下されておられる、これが「おまえさんのねまりが、皆わしのところへ来ていたのやで」の意味ではないかと考えられます。 松本滋氏は教祖が定命を二十五年縮められ、現身をかくされた理由は、私たち人間の成人を促すためですが、その成人を次のように説明しています。 私たちは今生だけではなく、前生、前々生も生きてきて、霊の世界にも生きているので、これまでどれだけ教祖にご苦労をおかけし、教祖のたすけにあずかってきたかわからない、そのことがわかるようになること。又教祖にご苦労をおかけし、教祖が定命を縮められることになったのは、他人ではなく自分のためであるとわかるようになることであり、存命の教祖は人間一人一人が知らず知らずに、ぢばに持ち帰っている心の埃を今も全部受けている、と述べています。 このような見方は、私たちの心の埃の多さ、いんねんの深さを反省させ、教祖へのおわびの念や天借を肩代わりして頂いている申し訳ない気持ちを生み出させ、大切であるかもしれませんが、「存命の理」として教祖が今も「三十日と言えば、五十日向うの守護をして居る事を知らん」(M22.11.7),「多くの中に澄んで〜〜早く汲みに来んかいなと、水を澄まして待って居る。(中略)待って居るから一つの理も伝わる」(M25.6.4)から分りますように、先回りされ、たすけ一条の道の先頭に立たれ、私たちを導かれている、一日も早くたすけ一条の心になることを促しておられるという側面を見失わせるか、軽視させることになるのではないでしょうか。 また親神の十全の守護によって生かされている大恩への報恩としてのたすけ一条が今求められていると思いますが、そのようなたすけ一条は「身代わり」という見方からは出てこないように思われます。 いまゝでハせかいぢううハ一れつに めゑ〜〜しやんをしてわいれども(十二,89) なさけないとのよにしやんしたとても 人をたすける心ないので(十二,90) 「無理な願では御座いますが、預り子の疱瘡難かしき処、お救け下さいませ。その代りに、男子一人を残し、娘二人の命を身代りにさし出し申します。それでも不足で御座いますれば、願満ちたその上は私の命をも差上げ申します。」(『教祖伝』二十一頁) これは教祖が三十一才の頃、隣家の乳不足で発育が悪くなっている二才の子供を預かられ、世話しておられるときに、不治の黒疱瘡となり、その平癒を祈願されたときの内容です。教祖は幼少の頃、浄土に憧れ、尼になりたいと思われ、十九才の時、勾田村の善福寺で浄土宗の秘伝である五重相伝を受けられましたが、その祈願は阿弥陀仏ではなく、氏神、八百万の神々に向けられ、奈良の二月堂、三月堂の観世音、また不動さま、薬師さま」(『正文遺韻抄』三十二頁)等に百日のはだし参り等をされます。 この点については中山慶一氏は次のように説明しています。 「浄土宗の信仰も、五重の秘儀も、教祖の幼少時代から、解決を求めて止まれなかった課題に対して何等の解決を与えては呉れなかったという事である。教祖が幼少時代から解決をもとめて止まれなかった課題とは、此の世に住むあらゆる人間が共に睦び、共に楽しく生活する明るい世の中の現成である」(『私の教祖』一二五頁) 祈願の内容は『正文遺韻抄』では「己が子三人ありますゆゑ、世取り子ひとり、誰なりともお残し置き下され、あと二人の寿命をもって、この預り子のない寿命と切り代へ下さるよう」、「八十迄の寿命をお授けなされて下さるよう」、「この願をかなへてくだされて、子供をすみやかに、さきさまへかへしとどけたそのうへにて、私の命をもさし上げます」(三三頁)となっていますが、いずれにしましても、瀕死の子一人を救けるために、我が子二人と御自身の命を身代わりにされいるわけですが、このようなおたすけは私たちのおたすけのひながたになるのでしょうか。教祖はまだ月日のやしろとなられていないので、ひながたにはならないのでしょうか。 このおたすけについては後年おさしづで次のように教示されています。 「人間我が子までも寿命差し上げ、人を救けたは第一深きの理」、「我が子いとい無くして救けて貰いたい、救けにゃならん。これは世界にもう一人もあるか。これは話さにゃならん」(M32.2.2) これは私たちにとってのひながたであるという意味でしょうか。 救けられた子供は七十二才まで長生きしたと言われています。ということは七十年の寿命を授けられたということになりますが、これは三人分の寿命を七十年縮めることによってでしょうか。 「後日のお話によると、願通り二人の生命を同時に受け取っては気の毒ゆえ、一人迎い取って、更にその魂を生まれ出させ、又迎い取って二人分に受け取った」(『教祖伝』二十二頁)とあります。これは具体的には次女おやすを二年後の天保元年四才で迎い取り、同四年四女おつねとして生まれさせ、同六年迎い取ったということで、その魂は同八年こかん様として誕生することになります。つまり魂から考えますと、こかん様が二度迎い取られ、身代わりとなられたということになります。(山本利雄氏『続人間創造』) ということは、私たちのおたすけにおいて自分の寿命を例えば十年縮めて、相手の人の寿命を十年延ばして頂くというような願い、相手の身代わりになるような願いはする必要はない、たとえしても、その真実のたすけ一条の心だけを受け取って頂くということではないでしょうか。 又次のようにも明示されています。 「我が子までの寿命まで差し上げて救けて貰た理は、すっきり知らん。何ぞ道のために盡した事があるか」、「ほんの救け損のようなもの」(M32.2.2) これは教祖のおたすけは「救け損」であったことを意味しているのでしょうか。 「たすけ一条の台という、こら諭さにゃならん」、「救けて貰た恩を知らんような者を、話の台にしてはならん」(M32.2.2) これは私たちに、人だすけのために自分を忘れ、我が身どうなってもという真実の心になって、苦労させて頂くことが第一義で、それがたすけ一条の台となり、相手が救かるか否か、救けられてから道のために尽くすか否かは第二義的なことであり、そのことに執着してはいけないことを教えられているのではないでしょうか。 このように考えますと、教祖が月日のやしろとなられる前のおたすけも私たちにとってのひながたになると思われます。 中山慶一氏は「当時の教祖の心境は、人間の修行において至り得る最高の境地であったと申し上げても、決して過言ではないと思う」(『私の教祖』一六七頁)と述べていますが、この境地に私たちは絶対に到達することはできません。 教祖は十年後に月日のやしろとなられてから、つとめとさづけによるたすけ一条の道を教えられます。さづけについては、教祖が現身をかくされた直後のおさしづにおいて「子供可愛い故、をやの命を二十五年先の命を縮めて、今からたすけするのやで」、「これまで子供にやりたいものもあった。なれども、ようやらなんだ。又々これから先だん〜〜に理が渡そう」と教示されています。 「ようやらなんだ」理由については、さづけを渡す準備ができていないこと、「存命の理」の信仰が確立されていないこと、子供が教祖に甘え依存する信仰から成人していなこと等が考えられますが、それとともに教祖の二十五年縮められた定命がさづけには込められていること、つまり教祖が二十五年の命を身代わりとして、さづけによって私たちを救けて下さり、寿命をのばして下されることが考えられないでしょうか。 イエスの十字架の死は、贖罪死であると述べましたが、罪のあがないについては具体的には何か明確に示されていません。しかし教祖が二十五年定命を縮められ現身をかくされたことは、このように考えることができますと、教祖が身代わりとなられ、さづけによって私たちの身上を具体的に救けて頂き、寿命をのばして頂くことであり、この点にキリスト教の救済との根本的な相違があると思われます。 「いまなるの月日のをもう事なるわ くちわにんけん心月日や」(十二、67) 「しかときけくちハ月日がみなかりて 心ハ月日みなかしている」(十二、68) このお歌は本教教義の根本を教示されたもので、親神の御心は教祖のお口を通して伝えられる、つまり親神が教祖のお身体に入りこんでおられる、教祖は「月日のやしろ」であることを明示されているわけですが、「月日のやしろ」とはどのような意味をもつのでしょうか。 教祖は他宗の宗祖,開祖のように悟りを開いたり、霊感をうけた、神の霊がのり移ったり、宿ったり、単に啓示によって神の声を聞き伝えたのではなく、親神が直接的にこの世の表に現われるための仲立ちをされたお方であり、親神が仮の姿をとってこの世に現われているわけではありません。 教祖は立教以来一貫して「月日のやしろ」として、人間心はなく、月日親神の心で五十年のひながたの道を通られます。それでは教祖のお心と親神の心とは全く同一で、教祖は親神の単なるロボットであられたのでしょうか。 本席さんは「席に入り込んだら神やで。なれど、入り込まん時は人間やで。」(M40.4.12)と示されますように、親神が入り込まないときは人間ですが、教祖は地上の月日で、いつも神ということになります。では教祖の神的主体性(人間心ではない)は認められないのでしょうか。 一般に「やしろ」は社で、神のおわす場所、降臨する場所と理解されています。本席さんが元治元年奥さんの身上をたすけられた御礼に社の献納を申し出たとき、教祖は「社はいらぬ」と即座に仰せられています。教祖は「月日のやしろ」であられるからですが、これは「やしろ」とは教祖の御身体という意味でしょうか。 荒川善廣氏は「やしろ」とは教祖の身体ではなく、魂であり、身体は「やしろの扉」であると解釈しています。この解釈では教祖は明治二十年現身をかくされて後も、「月日のやしろ」として存続され、教祖の魂が「月日のやしろ」として今も現実に人間救済のために働かれているということが「存命の理」として理解されることになります。(『「元の理」の探究』) では親神と教祖はたすけ一条のお働きにおいて違いはないのでしょうか。深谷忠政氏は『親神と教祖の関係はA三Bで示される「全等」ではないが、A=Bで示される「等しい」のである』(『天理教教義学序説』二百四十二頁)とのべていますが、その微妙な差異はどこにあるのでしょうか。 『逸話篇』二十二で、親神はおふでさき御執筆に際して教祖に「書いたものは、豆腐屋の通い見てもいかんで」、「心鎮めて、これを読んでみて、分らんこと尋ねよ」と仰せられています。また他にも宮池の「短気出すのやない」、をびやためしの「今日は、何処へも行く事ならぬ」、『逸話篇』二十五の「駕籠に乗るのやないで。歩け。」等の教祖に対する指図、命令の言葉を発せられています。これは「月日のやしろ」を理解できない人々に御自分の心を親神と御自分の心に分けられ、あたかも親神の指図であるかのようになされたとのうがった見方もできますが、「これは「月日のやしろ」であられても、教祖は親神とは異なった神としての主体性をもたれておられたということではないでしょうか。「心ハ月日みなかしている」とは教祖のお立場からは「かりている」ということで、借りるということは、そこに教祖の親神とは異なる神的主体性がみとめられるのではないでしょうか。(これは教祖に人間心があるということでは決してありません) ぢきもつをたれにあたへる事ならば このよはじめたをやにわたする(九、61) 月日にハこれをハたしてをいたなら あとハをやより心したいに (九、64) このお歌の「をや」は教祖で、「親神からこのぢきもつを教祖に渡してさえ置いたならば、それから先は、教祖から心委せに、渡してやるがよい」(『おふでさき註釈』)と解しますと、ここにはっきりと教祖の「月日のやしろ」としての独自の主体性をみることができます。 どのよふなたすけするのもしんちつの をやがいるからみなひきうける(七、101) この「をや」は親神、教祖のどちらをさすのか解釈がわかれるかもしれませんが、先の(九、64)のお歌の解釈から考えますと、私たちは教祖を通して(御在世中も、現身をかくされてからも)救済に浴せますので、教祖であるとともに親神でもある、といえます。親神と教祖とは、月日と「月日のやしろ」として理においては一つですが、お働きにおいては二つの、といっても、二つ一つの区別があるように思われます。 「月日のやしろ」としての具体的なお働きが「存命の理」で、「存命の理」としてのお働きは主としてさづけをとおしてのお働きで、親神のお働きは十全の守護として万一切に及び、人間創造をはじめとするそのお働きの様式が、かぐらづとめによって教えられていると考えますと、両者はさづけとつとめを通してのお働きとみなすことができます。ではつとめとさづけはどのようにつながるのでしょうか。 つとめとさづけは、たすけ一条の道として教祖から教えられたものですが、どちらが大切か優劣のつけられるものではなく、さづけの地歌が、かぐらづとめの第一節(慶応二年に教えられた)と全く同じことから分りますように、さづけはつとめを前提とし、つとめはさづけによって補われ、より完全なものになるといえるのではないでしょうか。 有機体(例えば生命)における個(各器官)と全体(生命)を考えますと、個は全体を前提として成立し、全体は個の歪み、バランスの乱れが正されることによって、より充実、完成したものとなります。 このことから考えますと、さづけによる身上だすけは親神の十全の守護を前提として成立し、そのたすけによって、全体の働きのバランスが回復し、その働きがより活性化するようになる、或いはその働きがより完全なものになっていくと悟れるのではないでしょうか。このように考えることが許されますと、「月日のやしろ」としての教祖は、「存命の理」による不思議だすけを通して、私たちを親神の十全の守護に目覚めさせることによって、つとめの完成に心を向けさせ、つとめの充実によって、親神による真のたすけ、めづらしたすけが実現するように昼夜を分かたずお働き下さっている、この意味で、「月日のやしろ」、「存命の理」としての教祖と親神のお働きは、たすけ一条の一なるお働きの二つの側面であると悟ることができるのではないでしょうか。 |