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教祖を身近に
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泉東分教会発行「躍動の泉」連載 村上道昭 むらかみ みちあき あちらへ廻り、日々の処、三十日と言えば、五十日向うの守護をして居る事を知らん。これ分からんような事ではどうもならん」(M・22・11・7) このお言葉は教祖存命の理を明示されたもので、「存命の理」とは教祖が現身をかくされた後も、存命のまま元のやしきにとどまり、日々世界だすけの上にお働き下されている、と説かれている。従って教祖存命とは「たすけ一条の心定めをした人の心の中に教祖がいつも居られる」というような主観的、感傷的なものではなく、「日々の道を見て思やんしてくれねばならん」(M・23・3・17)「日々働いている。案じる事要らんで。勇んで掛かれば十分働く」(M・40・5・17)といわれるように具体的現実的なものである。 そのお働きとは、証拠守り、ご供(「をびや許し」を含む)、「さづけ」を通して示されるのであるが、忘れてはならないのが、このお言葉に教示されている、先回りの守護ともいえるお働きである。 このお働きは教祖御在世当時の次のような逸話にも拝察されると思われる。 『教祖伝逸話篇』一六二、「親が代わりに」 教祖は平素外出されないのに、「足がねまる」、「しんどい」と仰せになる事があった。そんな時は必ず道の子供が少しの疲れも感じず、帰ってくるのが常であった。「教祖は、親として、その身代わりをして、お疲れ下されたのである」 この逸話については「身代わり」という言葉から、教祖が我々人間の何代にもわたって積んできた心の埃を我々に代って払って下さる、天借を肩代わりして下さる、という見方もあるが、親が親を慕って帰ってくる子供の手を引いて共々に苦しまれる、それによって子供の苦しみが軽くなると解釈できるのではないか。 『教祖伝逸話篇』八八、「危いところを」 教祖は、お居間の北向きの障子を開けられ、おつとめの扇を開いてお立ちになり、北の方に向かって、しばらく「オーイ、オーイ」と誰かをお招きになっていた。 この逸話も「危ないところを、連れて帰ったで」との教祖のお言葉からわかるように、教祖が先回りされて、救いの手をさしのべられ、救助されたと解せられる。 このお働きは御在世のときと同様に、現身をかくされてからは、より広範囲にたすけ一条の上に及ぼされている。 にをいがけ、おたすけは真柱様の『諭達第二号』に示されている「人をたすける心の涵養と実践で、「果てしない親心にお応えする道」であるが、にをいがけについて次のようなおさしづが残されている。 多くの中に澄んでく早く汲みに来んかいなと、水を澄まして待って居る……わしがにをい掛けた、これは俺が弘めたのや、と言う。これも一つの理なれど、待って居るから一つの理も伝わる(M25・6・4) にをいがかかるのは、用木の話の巧拙、信仰年限の長短によるのではなく、あくまで存命の教祖が先回りしてお待ち下さっているからであることを忘れず、日々そのお働きを頂くべく、たすけ一条の旬の理の御用を親の声を素直にうけて、つとめさせて頂くことが大切である。 次に「これまで子供にやりたいものもあった。なれども、ようやらなんだ。又々これから先だんだんに理が渡そう。」(M20・2・18) といわれる「さづけ」についてみてみよう。 「さづけ」を通しての不思議だすけこそ、存命の教祖の具体的なお働きであるが、この「さづけ」の目的とは何であろうか。 前真柱様は「さづけ」について次のように説明されている。「私は、おさづけの取り次ぎは病だすけのみが目的ではないのであって、人間に親神様のご守護を教え、人々に御守護を御守護と感得させ、そうしたところにお心があって、さづけの理をお許し下されたものと悟るのであります」(『みちのとも』立教百五十四年三月号) 山本利雄氏は『続人間創造』の中で、「さづけ」によって病気を治すのではなく、病人に親神の守護、「元初まりの理」をわかってもらうことが目的で、「さづけ」によって「新たな価値観」を確立させる、と述べている。病気が治ることに焦点をおくと、病気をしたことは単なる損失にしかならないが、「さづけ」によって心の入れかえ、胸の掃除をすることによって、病気以前のただ健康な時には体験しえなかった素晴しい陽気ぐらしの世界を体験することができる、それによって病気は新たな価値の創造という積極的な意味をもつ、と説明している。 このようにみてくると、「さづけ」の目的とは「すっきり救かる」ことではなく、「真実たすかる」こと(『教祖伝逸話篇』一四七、「本当のたすかり」)であり、「さづけ」の取次ぎによって、「さづけ」をうける者も取次ぐ者も心の埃が払われ、親神の守護をより大きくうけとれ、それへの報恩の心が定まる、その結果として不思議だすけを見せて頂けるのではないだろうか。 又「さづけ」の手振りと歌が「みかぐらうた」第一節とほぼ同じであるのは、「さづけ」はつとめと独立してあるのではなく、「かぐらづとめ」の理をうけて取次ぐものであること、「さづけ」はつとめを前提して、つとめの徹底によって親神の十全の守護がより大きくなり、「さづけ」がより充実して「存命の理」のお働きが活性化する。「さづけ」の徹底がつとめの成就、親神の十全の守護の働きをより鼓舞し、その働きがより広範囲に広がっていくという関係にあることを意味しているのではないか。泉東分教会発行「躍動の泉」連載 村上道昭 むらかみ みちあき 次に「さづけ」による不思議だすけの根拠について考えてみよう。 山本利雄氏は「存命の理」について次のように述べている。「教祖存命という信仰は、死んでも来世があるなどという幻想的な慰めごとを言っているのでは談じてない。?いのちの舞台?の永遠性、絶対性を言っているのである」(『いのち』) この存命論では親神の働きと教祖存命のお働きとの区別があいまいになってしまうであろう。ではどのように区別されるのか。 ぢきもつをたれにあたへる事ならば このよはじめたをやにわたする(九・61) 月日にハこれをハだしてをいたなら あとハをやより心したいに(九・64) このお歌のをやは親神ではなく、教祖のことであり、『親神は教祖の心に、「天の与え」を分配することに関しては自由に裁量することをお許しになっている」(芹澤茂著 『おふでさき通訳』)と解釈するとき、両者ははっきり区別することができる。つまり我々は親神によって救けられることは言うまでもないが教祖の御手引きにより、教祖を通して救けて頂けるということである。 又教祖を通してということは、教祖五十年のひながたにおいて、立教以来道のために御苦労下された伏せこみを台として、我々子供の捧げるささやかな誠真実が親神に届けられ不思議だすけをみせて頂けるということである。 教祖五十年のひながたとは、その道中の生き方、通り方、考え方をただ単にまねるサンプルであるだけではなく、「口に言われん、筆に書き尽せん道を通りて来た」(M22・11・7)道中それ自体が、我々の救済の根拠であり、それに我々のささやかな日々尽し運んだ理が加えられて、教祖の存命のお働き、先回りの守護、さづけによる救済にあずかることができるのである。 「おさづけの理には、だれの頂いたおさづけの理が重いとか軽いとかというような区別はなく、老若男女、みんな頂いた理は同じ一つの理で……日々尽くした理、日々に運んだ理が鍵であって、真実変わらぬ誠を尽くし、生涯変わらぬ心で教祖の道を通ることが肝心なのであります」(全真柱、前掲書) 「さづけ」には理の軽重はなく、親神、「存命の理」のお働きは昔も今も変わらない。「存命の理」のお働きを頂くのに必要なことはどうでもたすかってもらいたいという「真実変わらぬ誠」の心と「日々尽くした理、日々運んだ理」だけである。「さづけ」はつとめと同じく教祖二十五年の定命のこめられたものであることを肝に銘じ、「たすける理がたすかる」という年祭のこの旬に、「さづけ」の取次ぎを課題として通らせて頂きたいものである。 最後に次のおさしづを紹介させて頂く。 「このくらい運び、これくらい尽して居るのに掃除々々何でやろうと思う。よそのほこりは見えて、内々のほこりが見えん。遠くは明らか。近くはうっとしい。これ元が濁る。身の内かりものくと聞いた時だけ。一日経ち十日経ち言うて居る間に、二十日経ち遂には忘れる。一寸箒を持って掃除するようなもの。初めは少しの埃でも掃除する。なれども、もう箒は要らんと言う。さあ積もる〜〜。」(M24・11・15)いやはや親神は我々の心を見ぬき見通しておられる。「さづけ」の取次ぎによる掃除が親神・存命の教祖によって求められる所以である。 |