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立教167年12月26日スマトラ沖地震発生その被害は津波となってインド洋沿岸に大きな被害を!〜よふぼくとしてどうしたら良いのか?思案の最中に、スリランカの教友から「助けて!」と電話が入る!〜
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スリランカ救援隊の活動
スリランカおたすけ隊出動 スリランカ現地から! |
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第8次 第4回おたすけ隊12月21日〜12月27日出動!各地で慰霊祭執行!
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| 第7次 第3回おたすけ隊11月29日〜12月6日出動 国土大臣を表敬訪問 |
| 第6次 第2回おたすけ隊9月13日〜23日出動 活動報告 お助け実施写真 |
| 第5次 (社)日本青年会議所「2005国境なき奉仕支援委員会・チームガーラ」本隊 チームガーラ活動写真 |
| 第4次(社)日本青年会議所「2005国境なき奉仕支援委員会・チームガーラ」視察準備隊 |
| 第3次 第1回おたすけ隊帰国!写真をアップ! スリランカ津波被害地支援募金と改称、継続決定! |
| 第2次 古藤一彦氏単独スリランカ出動!現地の人々の求めに応じておさづけを写真をアップ! |
| 第1次 スリランカ視察調査 山崎毅史事業部長 スガッス氏から緊急電話が |
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第8次スリランカ出動!「各地でメモリアルセレモニー」 12月26日(月)モロトワにて慰霊祭を執行。一家に一灯ソーラー電灯を灯す。26日に因み大臣夫人提案の充電式一灯を26世帯対象に贈呈。 12月25日(日)ガーラ(8,000人の御霊)、世界遺産オランダ要塞の突端にて慰霊祭執行。参加者におさづけの取り次ぎ。 12月24日(土)ハンバントータの港(12,000人の御霊)で慰霊祭を執行。参加者におさづけの取り次ぎ。 12月23日(金)ヒッカドゥにて慰霊祭を執行。村民100世帯に砂糖と紅茶を贈呈。参加された村民におさづけの取り次ぎ。 12月22日(木) 昼食後大臣表敬訪問、大臣夫人と26日のセレモニー、「一家一灯」運動打ち合わせ、ソーラーシステムを大臣室で試点灯、感嘆の声が上がる! 夕方障害者施設慰問、入院患者におさづけの取り次ぎ。 期 間:立教168年11月29日(火)〜12月6日(火) 12月26日亡くなった40,000の人々の追悼慰霊祭と残された家族の激励祭を執行を決定! 期 間:立教168年9月13日(火)〜23日(金) ◎山崎毅史 今回の第五次スリランカおたすけ隊は、私自身三度目の渡航となり何か一つでも前進したいという思いからシンハラ語の指差し会話帳という本を持って行きました。一回目二回目と、とにかくおさづけを取り次がせてもらうためにまわっておりましたが、別席でも修養科でも本人の一番理解できる言語で受けさせて頂くというように、やはりスリランカの人々にはシンハラ語で親神様の思し召しをお伝えさせて頂きたいと思いまして、まずは簡単な会話帳からではありますがいずれこれが私たちの子供や孫の世代にはしっかりとシンハラ語で伝える事のできるように一歩踏み出してみたところです。さて今回は、9月の13日から23日の10日間という日程でしたが、津波被害地のガーラを始めコロンボ近郊のスラム街、内陸の山岳地帯キャンディなどスリランカ全土に親神様の思し召しをお伝えすべく、着実に広がりを見せています。ガーラという町はスリランカでも三番目に大きな町でスマトラ沖とは反対側の海岸ではありますが一番被害の大きかった町です。復興状況は着々と進んでおり世界各国のNGO、NPO、や各企業が住宅や学校を建設しておりますが、幹線道路より一歩中に入りますとそれらの団体の目に留まらず未だに壊れた家で生活をしている人達が大勢いました。本当に支援を受けれるか受けれないかは運次第と行った感じでした。そんな中おさづけにまわらせて頂いておりましたところ、その様子を見ていたホテルの従業員がおさづけの取り次ぎを願い出てきました。おさづけを取り次がせて頂きましたら、その従業員から伝わってホテルのマネージャーはじめ殆どの従業員におさづけを取り次がせて頂きました。それから夕食のチームガーラの皆さんとの懇親会では数名ではありますが日本人の方に親神様の説明やかしものかりものの話等じっくりとお話しさせて頂く事ができました。また、ヒッカドゥワという津波で電車が飲み込まれ2000人近い方が亡くなられた町へ単身電車に乗り行かせて頂きました。ここでは多くの人が家族を亡くされ一人取り残されてしまった人ばかりで、神様も信じれないと言う人達でした。今まで普通に暮らしていたのに、今では満足な支援も受けれず乞食のようにお金や物をねだり生き甲斐をなくして、本当に可愛そうな人達でした。ここでも夕方に着いてから日が暮れるまでの数時間おさづけさせて頂いきました。その後駅に行ったら戻り列車は既になくなっており駅で野宿する事にしましたが、ベンチで寝ていると駅員さんが蚊取り線香を持って来てくれたりメンソレータムを持ってきてくれたりとスリランカ人の温かな国民性を見せて頂く事ができました。また、キャンディという山岳地帯へも行かせて頂きました。スリランカの山岳地帯は一面に広がる紅茶畑で、セイロンティーをご存知の方も多いと思います。その紅茶畑で働く人達の集落が点々とあり、診療所等への移動が難しいことからたくさんの病気の方が各集落にいました。その山岳地帯の帰り道、数年前に訪問したことのあるビヤガマ村というコロンボ郊外の町のホテルのオーナーを訪れてみると、後日また来てほしいと言う要望を受け、帰国前日に改めて訪問したところ、ホテルの従業員全員の他ホテル近くの家々をまわりおよそ100名ほどおさづけをさせて頂きました。今回は私と前会長様合せて332名・478回でした。結果的に費用はNPO法人国境なき奉仕団チームガーラ様からと渕和分教会から頂いたスリランカ布教費とで私と前会長様2名分お与え頂きました。ありがとうございました。 第1回スリランカおたすけ隊帰国!写真を見て! 期 間:1週間/2005年3月31日(13:20成田発)〜4月7日(11:50成田着) 3/31:深夜到着 私達がどこまで出来るか分からないが、現地の要請に応えられるように支援す ることを約束する。 スマトラ沖地震救援募金はスリランカ津波被害地支援募金として続ける。写真を見て! 12月30日 12月に出荷したコンテナ引き取りをかねて、自ら送ったコンテナチェックに6人で港で作業をしていたが、いつもなら終わるまで続けるのだがその日に限って、現場を離れて休憩。現場に戻ったら、跡形も無く流された後だった。 1月2日 乗客を乗せたままの電車とバスが津波でさらわれ、それはインドの港に上がった。何もなす術が無い! 1月7日 日本から送ってもらった衣類のコンテナを引き上げる費用が無くなった!・・・・ スリランカ AAAースリランカ ダイレクタースガッス氏より電話が 1月2日 スガッスさんは基本的に普段は日本にいるんです。別席は六席運んでいます。お道の教えはまだまだ、分かった様な分かってない様な。でもたまーに教会に参拝に来るんです。娘のシャーニカちゃんは日本の学校に通っています。 12月23日にみんなでスリランカに帰りました。奥さんのお父さんが脳梗塞で倒れ、その面倒を見る為にです。新学期には日本に帰ってくる予定でした。向こうからかけているんじゃ料金も大変だろうから、すぐにかけ直しました。 改めて電話をかけて、 家族いるじゃない。どうやって食べていくの?」 「国連のお金だめよ。ああ言うのは全部政府に行くのね。政府の人半分は持って行くじゃない。そんなこと当たり前の国なんだから。私達のとこまで来ないね。」 「日本にはいつ頃帰ってくるの?」 「今はどうやって帰るかも分からないね。シャーニカちゃん学校も始まるけど、今はそんなこと考えてられないね。そこまで考えること出来ないじゃない。」 「お父さんはどう?入院してるの?」 「お父さんは家で寝たっきり。サラマンディさん(奥さん)が面倒見てるね。」 「スガッスさん、取りあえず、生きてるんだから。いっぱい人が死んだんでしょう。」 「皆死んじゃったよ。電車とかバスがインドの岸辺で見つかった。あっちまで流されちゃった。大勢人乗ったまま。軍もどうしたら良いか分からない。そんな状態よ。避難してる人もたくさんね。食べ物も着る物も家も何も無くなっちゃった。」 「スガッスさん。あなたには僕達がいるんだから。教祖がいるんだから。何とか生きてよ。生きてるんだから。大勢死んじゃった中でスガッスさんと家族は生きてるんだから。何とか踏ん張ってよ。僕も何が出来るか一生懸命支援するから。大丈夫だよ。教祖のお話しにね、、、。」 と、教祖伝逸話編21番山中忠七先生の『結構や結構や』の話しをし、また、 「続いて水も落ちきれば後は上がるだけなんだよ。スガッスさんも今が人生最大のピンチ。どん底かも分からないけど、下がりきったら後は上がるだけなんだ。後は上がるだけなんだよ!一緒に頑張ろう。生きてるんだ。ありがたいんだよ!とにかく、心だけは強く持って、ダメだなんて思っちゃダメだよ。スガッスさんがしっかりするんだよ。心倒したらダメだよ。生きよう。絶対生きるんだよ。」 僕もどうして良いか分からないけど、今にも一家心中しちゃいそうな、か細い声の電話についつい力が入りました。と共に何とかしなければ!と心に強く思うのです。彼は最後は泣きながら、言葉にならない 「ありがとう」 を言って電話を切りました。 僕に何が出来るか分からないけど、中越とは違って発展途上国での災害は最悪なんです。仮設住宅?そんなのあり得ません。雪が無いのがせめてもの救い。だけど、暑い国はこんな時、本当に臭いはずです。病気もどんどん流行るはずです。先程のラジオでは、このままだと、今回の地震の被害者と同じぐらいの子供達が下痢で死ぬでしょう。と言ってました。何が出来るのでしょう?どうしたら良いのでしょう?僕はよふぼくとしてこの度重なる神様の<ざねん、りいふく>を真剣に受け止め本気で行動しなければならないと、肝に銘じるんです。 信仰してない人でも、もし僕達が埼玉や日本で同様に被災したら一生懸命救援活動してくれるはずです。そんな人に負けないぐらいお道の信仰者はおたすけに目覚めなければならないと思うんです。大した行動できなくとも、心をそちらに向ける。神様の方にチャンネルを合わす。そんなことを促して下さっている様な気がしてならないのです。この年末年始、厳しいお仕込みを頂きました。彼らが生きる為にこちらも精一杯の心を定め神様に働いて頂けるよう努力できるようになりたいと思います 提 言:皆様へ どうぞ、ご自身が無理でも周囲の人にお伝え下さい。 夕づとめのまなびで稿本天理教教祖伝逸話編を拝読してます。 山中忠七が、道を思う上から、ある時、教祖に、 どうぞご思案下さい。日本は今経済大国となっております。教祖の時代とは違うんです。 20人は栄養がじゅうぶんではなく 1人は死にそうなほどです でも15人は太り過ぎです すべての富のうち6人が59%をもっていてみんなアメリカ合衆国の人です 74人が39%を 20人が、たったの2%を分けあっています すべてのエネルギーのうち20人が80%を使い 80人が20%を分けあっています この報告から言えば60億人類の世界を見渡してみますと、6千万人が餓死してます。 60億人類を見渡して、これほどの高山生活。世界の最高峰。山で言えばチョモランマですね。 下からのお助けに焦点を当ずに、国内で高山布教させて頂きます。 もう国内に留まっていては教祖に申し訳ない。そんな気がしてならないのです。 よふぼくの出番です!どうか、お声がけ下さい。切実にそう思いました。 皆様のご参加をお待ちしています。 渕和分教会 山崎栄慈 和南布教所 山崎毅史 2005.2.21 首都「コロンボ」から車で約120km南下した「ゴラ」という被害の大きな都市までを視察して参りました。そこは被害範囲の約4〜5分の1の地点で被害状況はコロンボから約10km南下して行くとすでに津波の被害が出ており海岸側の家屋はほとんどが倒壊するか、形は残っていても使用不能な建物ばかりでした。 多くの被災国の中でインドネシアはまだ民間人の入れる状況ではありません。 スリランカ単独おたすけ!写真をアップ! 泉浜分教会後継者 古藤一彦 なぜ私がスリランカへおさづけを取り次ぎに行くことになったかというと、昨年の12月25日に遡る。修養科中の私は詰所で山崎毅史さんと彼の父であるシンバさんとの何気ない会話の中で |
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スマトラ沖地震と津波
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| 古藤一彦氏単独お助け出動! 現地の写真集!
第1回スリランカおたすけ隊 困窮の津波現場写真 |