〜世界勇ませ・世界へ飛び出せ〜 おたすけ隊ネット

      

スリランカおたすけ隊

立教167年12月26日スマトラ沖地震発生その被害は津波となってインド洋沿岸に大きな被害を!〜よふぼくとしてどうしたら良いのか?思案の最中に、スリランカの教友から「助けて!」と電話が入る!〜

スリランカ津波被害地支援募金目標八千五百万円
一家一灯募金開始 One_famiry One_light「灯りに灯油を使うため喉や肺を患う人が多いのを解消したい」
一家一灯募金 世界へ広げよう!
募 金 受 付
Eバンク銀行 支店番号204  口座番号1363382
郵便振替 口座番号00110−0−52438 口座名義AAAきふ
通信欄に「津波スリランカ」又は「一家一灯」と記して下さい。

津波ショックは「おさづけ」で回復 第2次第6次出動 第7次/第3回 おたすけ隊出動
第8次スリランカ出動!各地でメモリアルセレモニーを12月21日〜12月27日津波被害1周年食糧贈呈も

スリランカ救援隊の活動

スリランカおたすけ隊出動 スリランカ現地から! 

第8次 第4回おたすけ隊12月21日〜12月27日出動!各地で慰霊祭執行!
第7次 第3回おたすけ隊11月29日〜12月6日出動 国土大臣を表敬訪問
第6次 第2回おたすけ隊9月13日〜23日出動 活動報告 お助け実施写真
第5次 (社)日本青年会議所「2005国境なき奉仕支援委員会・チームガーラ」本隊 チームガーラ活動写真
第4次(社)日本青年会議所「2005国境なき奉仕支援委員会・チームガーラ」視察準備隊
第3次 第1回おたすけ隊帰国!写真をアップ! スリランカ津波被害地支援募金と改称、継続決定!
第2次 古藤一彦氏単独スリランカ出動!現地の人々の求めに応じておさづけを写真をアップ!
第1次 スリランカ視察調査 山崎毅史事業部長
スガッス氏から緊急電話が

第8次スリランカ出動!「各地でメモリアルセレモニー」
12月19日〜12月27日津波被害地
亡くなった方々の慰霊祭、残された家族の激励祭、「一家に一灯」運動の提唱各地を回る。

12月26日(月)モロトワにて慰霊祭を執行。一家に一灯ソーラー電灯を灯す。26日に因み大臣夫人提案の充電式一灯を26世帯対象に贈呈。

12月25日(日)ガーラ(8,000人の御霊)、世界遺産オランダ要塞の突端にて慰霊祭執行。参加者におさづけの取り次ぎ。

12月24日(土)ハンバントータの港(12,000人の御霊)で慰霊祭を執行。参加者におさづけの取り次ぎ。
         タンガンラの仮設住宅民に砂糖と紅茶を贈呈する。住民でいた人におさづけの取り次ぎ。

12月23日(金)ヒッカドゥにて慰霊祭を執行。村民100世帯に砂糖と紅茶を贈呈。参加された村民におさづけの取り次ぎ。

12月22日(木) 昼食後大臣表敬訪問、大臣夫人と26日のセレモニー、「一家一灯」運動打ち合わせ、ソーラーシステムを大臣室で試点灯、感嘆の声が上がる! 夕方障害者施設慰問、入院患者におさづけの取り次ぎ。

第7次/第3回スリランカお助け隊緊急出動!

期 間:立教168年11月29日(火)〜12月6日(火)
交 通:シンガポール航空
行き先:スリランカ民主社会主義人民共和国
参加者:4名 山崎毅史、山崎城之、渡辺 茂、榎本和人
国土大臣を表敬訪問  「一家に一灯」運動の始まり!

12月26日亡くなった40,000の人々の追悼慰霊祭と残された家族の激励祭を執行を決定!
 今回は今年第7次目となるおさづけ隊でしたが、教祖120年祭三年千日仕上げの旬にとにかくおさづけということで、いつでもおさづけできるようにゆとりある日程調整が功を奏したのか、実に順調におさづけトリップできたと思います。参加者の年齢層も20代・40代・50代・60代と分かれ、各人の経験話や思い出や仕事の話、教理の話などが幅広く実に有意義な思考の幅を生みました。そして大臣ご夫妻初め、下町の住人、路上生活者、津波被災者、知的障ガイ者施設、漁師など上流階級から貧のどん底の人まで、これも大きな幅がありました。また、先月海外部の翻訳課でシンハラ語の「天理教教典講義」と「教祖伝逸話編」をみつけ、ご本部から下付していただき、今回の渡航で現地人に読んでもらうことができ、現地のサマンティ(スガッス夫人)さん曰く「教祖が女だって初めて知った。」ということで、いままで英語や日本語で伝えて来たことがほとんど通じていなかったことに反省すると共に、一番慣れ親しんだ言語での布教活動の大切さをしみじみと実感致しました。また、少数言語を研究されていた飾東の今谷先生に大変心から感謝を申し上げます。『有り難うございました』
 結果的に、のんびりしていたようで最後の最後までおさづけで旅を終えることができたことは大成功であったのではないかと思います。大臣の表敬訪問した際に、津波1周年を迎える12月26日には現地にて津波被災一周年記念慰霊祭と遺族のための激励祭を執り行うことを約束して、戻って参りました。次は慰霊祭に向けて再び準備にかかりたいと思います。

第2回スリランカおたすけ隊出動!

期 間:立教168年9月13日(火)〜23日(金)
交 通:スリランカ航空
行き先:スリランカ民主社会主義人民共和国
参加費:2名

◎山崎毅史 今回の第五次スリランカおたすけ隊は、私自身三度目の渡航となり何か一つでも前進したいという思いからシンハラ語の指差し会話帳という本を持って行きました。一回目二回目と、とにかくおさづけを取り次がせてもらうためにまわっておりましたが、別席でも修養科でも本人の一番理解できる言語で受けさせて頂くというように、やはりスリランカの人々にはシンハラ語で親神様の思し召しをお伝えさせて頂きたいと思いまして、まずは簡単な会話帳からではありますがいずれこれが私たちの子供や孫の世代にはしっかりとシンハラ語で伝える事のできるように一歩踏み出してみたところです。さて今回は、9月の13日から23日の10日間という日程でしたが、津波被害地のガーラを始めコロンボ近郊のスラム街、内陸の山岳地帯キャンディなどスリランカ全土に親神様の思し召しをお伝えすべく、着実に広がりを見せています。ガーラという町はスリランカでも三番目に大きな町でスマトラ沖とは反対側の海岸ではありますが一番被害の大きかった町です。復興状況は着々と進んでおり世界各国のNGO、NPO、や各企業が住宅や学校を建設しておりますが、幹線道路より一歩中に入りますとそれらの団体の目に留まらず未だに壊れた家で生活をしている人達が大勢いました。本当に支援を受けれるか受けれないかは運次第と行った感じでした。そんな中おさづけにまわらせて頂いておりましたところ、その様子を見ていたホテルの従業員がおさづけの取り次ぎを願い出てきました。おさづけを取り次がせて頂きましたら、その従業員から伝わってホテルのマネージャーはじめ殆どの従業員におさづけを取り次がせて頂きました。それから夕食のチームガーラの皆さんとの懇親会では数名ではありますが日本人の方に親神様の説明やかしものかりものの話等じっくりとお話しさせて頂く事ができました。また、ヒッカドゥワという津波で電車が飲み込まれ2000人近い方が亡くなられた町へ単身電車に乗り行かせて頂きました。ここでは多くの人が家族を亡くされ一人取り残されてしまった人ばかりで、神様も信じれないと言う人達でした。今まで普通に暮らしていたのに、今では満足な支援も受けれず乞食のようにお金や物をねだり生き甲斐をなくして、本当に可愛そうな人達でした。ここでも夕方に着いてから日が暮れるまでの数時間おさづけさせて頂いきました。その後駅に行ったら戻り列車は既になくなっており駅で野宿する事にしましたが、ベンチで寝ていると駅員さんが蚊取り線香を持って来てくれたりメンソレータムを持ってきてくれたりとスリランカ人の温かな国民性を見せて頂く事ができました。また、キャンディという山岳地帯へも行かせて頂きました。スリランカの山岳地帯は一面に広がる紅茶畑で、セイロンティーをご存知の方も多いと思います。その紅茶畑で働く人達の集落が点々とあり、診療所等への移動が難しいことからたくさんの病気の方が各集落にいました。その山岳地帯の帰り道、数年前に訪問したことのあるビヤガマ村というコロンボ郊外の町のホテルのオーナーを訪れてみると、後日また来てほしいと言う要望を受け、帰国前日に改めて訪問したところ、ホテルの従業員全員の他ホテル近くの家々をまわりおよそ100名ほどおさづけをさせて頂きました。今回は私と前会長様合せて332名・478回でした。結果的に費用はNPO法人国境なき奉仕団チームガーラ様からと渕和分教会から頂いたスリランカ布教費とで私と前会長様2名分お与え頂きました。ありがとうございました。

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第1回スリランカおたすけ隊帰国!写真を見て!

期 間:1週間/2005年3月31日(13:20成田発)〜4月7日(11:50成田着)

3/31:深夜到着
4/01:スガッス氏所有の5000坪の土地(コロンボ県ハンワラ市コスダマ 村)視察(EM農園計画立案)。
    近所の人におさづけ取り次ぎ、行列ができる。健康な人には健康感謝のおさづけを取り次ぐ。
/02:EM活用に必要な道具の購入、午後ミーペ村にておさづけの予定だっ たが予定に遅れ集まった人は帰る。
    エルディ氏(スガッス友人)の長男の結婚披露パーティーに参列。
/03:津波被災地(カルタル県アルッガマ村)視察、被災支援についての話 し合い、おさづけの取次行列ができる。
/04:コテラアーワラ村にておさづけ、病状の酷いおばあさんの家を訪問、 同村の高校にておさづけ
    サルボダヤ(スリランカのEM製造元)のコロンボ、コッテ支部にて EM1の購入の手配
/05:コッテ支部にてEM1購入。ミーペ村に再度訪問おさづけ行列ができる。スガッス 氏の農場予定地にてEMセミナー開催。
    夕食はハンハラ市長(サンダラスリー氏38歳)と共に。
   ※ハンハラ 市は人口12万人(市長は選挙にて)
/06:帰国準備

◎今回の旅で最大の目的である津波被災支援については、先ず、地元の漁師さ ん達が非常に被害を受けているとのこと
確かに海沿いで港の周辺は漁師さん達が居るのである。家が流され、商売道具 である船も大きなダメージを受け、手のつけようがないとのこと。そのような中で次の話し合いがなされました。
1、近海漁業の村の800人の仮設住宅やテントで生活する難民支援要請
2、遠洋漁業の村
 (1)船の修理(特にエンジン)の支援要請
 (2)漁の道具(網やマグロ用のロープ)が流されてしまったので支援要請

私達がどこまで出来るか分からないが、現地の要請に応えられるように支援す ることを約束する。

スマトラ沖地震救援募金はスリランカ津波被害地支援募金として続ける。写真を見て!

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12月30日 12月に出荷したコンテナ引き取りをかねて、自ら送ったコンテナチェックに6人で港で作業をしていたが、いつもなら終わるまで続けるのだがその日に限って、現場を離れて休憩。現場に戻ったら、跡形も無く流された後だった。

1月2日 乗客を乗せたままの電車とバスが津波でさらわれ、それはインドの港に上がった。何もなす術が無い!
 港まで送ってもらったコンテナは引き取る費用がでなくなった。1月位は食べられるがその先は暮らす事すら出来なくなった。

1月7日 日本から送ってもらった衣類のコンテナを引き上げる費用が無くなった!・・・・

スリランカ AAAースリランカ ダイレクタースガッス氏より電話が

1月2日 スガッスさんは基本的に普段は日本にいるんです。別席は六席運んでいます。お道の教えはまだまだ、分かった様な分かってない様な。でもたまーに教会に参拝に来るんです。娘のシャーニカちゃんは日本の学校に通っています。

 12月23日にみんなでスリランカに帰りました。奥さんのお父さんが脳梗塞で倒れ、その面倒を見る為にです。新学期には日本に帰ってくる予定でした。向こうからかけているんじゃ料金も大変だろうから、すぐにかけ直しました。

改めて電話をかけて、
「どう?みんなは?大丈夫?」
「えいじさん。どうしたら良いの?今、この電話友達の家から。私の家も大丈夫だけど、ひどいよ。すごいよ。たいへんよ。私はコンテナ全部流されちゃったよ。ユンボ2台とトラック2台。800万円ぐらい無くなっちゃタヨ。これからどうしたら良いの?一昨日くらいから私風邪引いた。でも寝るに寝れない。これからどうやって生きていったら良いのか?

家族いるじゃない。どうやって食べていくの?」
「んーーー。こっちからニュースばっかり見て心配してるけど、何とか支援したい。すぐ行くと言うこともなかなか出来ないけど、どうしたら良いだろう?国連なんかが随分支援金集めたみたいだけど、まだまだそんな個人的なところまで手が回らないだろうね。保険もダメだろうし。」

「国連のお金だめよ。ああ言うのは全部政府に行くのね。政府の人半分は持って行くじゃない。そんなこと当たり前の国なんだから。私達のとこまで来ないね。」

「日本にはいつ頃帰ってくるの?」

「今はどうやって帰るかも分からないね。シャーニカちゃん学校も始まるけど、今はそんなこと考えてられないね。そこまで考えること出来ないじゃない。」

「お父さんはどう?入院してるの?」

「お父さんは家で寝たっきり。サラマンディさん(奥さん)が面倒見てるね。」

「スガッスさん、取りあえず、生きてるんだから。いっぱい人が死んだんでしょう。」

「皆死んじゃったよ。電車とかバスがインドの岸辺で見つかった。あっちまで流されちゃった。大勢人乗ったまま。軍もどうしたら良いか分からない。そんな状態よ。避難してる人もたくさんね。食べ物も着る物も家も何も無くなっちゃった。」

「スガッスさん。あなたには僕達がいるんだから。教祖がいるんだから。何とか生きてよ。生きてるんだから。大勢死んじゃった中でスガッスさんと家族は生きてるんだから。何とか踏ん張ってよ。僕も何が出来るか一生懸命支援するから。大丈夫だよ。教祖のお話しにね、、、。」

と、教祖伝逸話編21番山中忠七先生の『結構や結構や』の話しをし、また、

「続いて水も落ちきれば後は上がるだけなんだよ。スガッスさんも今が人生最大のピンチ。どん底かも分からないけど、下がりきったら後は上がるだけなんだ。後は上がるだけなんだよ!一緒に頑張ろう。生きてるんだ。ありがたいんだよ!とにかく、心だけは強く持って、ダメだなんて思っちゃダメだよ。スガッスさんがしっかりするんだよ。心倒したらダメだよ。生きよう。絶対生きるんだよ。」

僕もどうして良いか分からないけど、今にも一家心中しちゃいそうな、か細い声の電話についつい力が入りました。と共に何とかしなければ!と心に強く思うのです。彼は最後は泣きながら、言葉にならない

「ありがとう」

を言って電話を切りました。

僕に何が出来るか分からないけど、中越とは違って発展途上国での災害は最悪なんです。仮設住宅?そんなのあり得ません。雪が無いのがせめてもの救い。だけど、暑い国はこんな時、本当に臭いはずです。病気もどんどん流行るはずです。先程のラジオでは、このままだと、今回の地震の被害者と同じぐらいの子供達が下痢で死ぬでしょう。と言ってました。何が出来るのでしょう?どうしたら良いのでしょう?僕はよふぼくとしてこの度重なる神様の<ざねん、りいふく>を真剣に受け止め本気で行動しなければならないと、肝に銘じるんです。

 信仰してない人でも、もし僕達が埼玉や日本で同様に被災したら一生懸命救援活動してくれるはずです。そんな人に負けないぐらいお道の信仰者はおたすけに目覚めなければならないと思うんです。大した行動できなくとも、心をそちらに向ける。神様の方にチャンネルを合わす。そんなことを促して下さっている様な気がしてならないのです。この年末年始、厳しいお仕込みを頂きました。彼らが生きる為にこちらも精一杯の心を定め神様に働いて頂けるよう努力できるようになりたいと思います

緊急!2月スリランカ調査隊派遣

提  言:皆様へ どうぞ、ご自身が無理でも周囲の人にお伝え下さい。
アフリカおたすけ隊の時期ですが、なんだかんだ言っててもしょうがない。
取りあえず、弟、毅史が調査隊で2月中旬にスリランカに行きます。
スガッスさん(渕和信者別席6席運び中)より要請がありました。
現地の宿泊やら何やらの手配は任せてくれとのことです。
病人がたくさんいる。おさづけを取次いで頂きたい。とのことです。
スリランカおたすけ隊緊急出動です。
僕は3月に何とか緊急!第1回スリランカおたすけ隊として出動しようと思います。
有志を募りたいと思います。どうか我こそと言う方。お声がけ下さい。
又周囲の方にお誘い下さい。

夕づとめのまなびで稿本天理教教祖伝逸話編を拝読してます。
本日(1月16日)は28番「道は下から」でした。
参考までに

山中忠七が、道を思う上から、ある時、教祖に、
「道も高山につけば、一段と結構になりましょう。」と、申し上げた。
すると、教祖は、
「上から道をつけては、下の者が寄りつけるか。下から道をつけたら、上の者も下の者も
皆つきよいやろう。」
と、お説き聞かせになった。

どうぞご思案下さい。日本は今経済大国となっております。教祖の時代とは違うんです。
池田香代子著 『世界がもし100人の村だったら』によれば

20人は栄養がじゅうぶんではなく 1人は死にそうなほどです

でも15人は太り過ぎです

すべての富のうち6人が59%をもっていてみんなアメリカ合衆国の人です

74人が39%を

20人が、たったの2%を分けあっています

すべてのエネルギーのうち20人が80%を使い

80人が20%を分けあっています

この報告から言えば60億人類の世界を見渡してみますと、6千万人が餓死してます。
12億人は栄養が不十分で9億人が太り過ぎ
その中でエアコン完備、家電製品が揃っていて、便利の良い生活をしている人はほんの一握り。
世界中で日本人はそのほんの一握りのうちに入っているんです。
 僕もよく講演で話しするんです。
「色々世界を回らせて頂いて、AAAの関係で、色々と途上国の偉い人の家にも招待されたりするんです。その中で、大臣さんの家は水道があって、電気があって、お風呂があって、、、。普通の民家には決してあり得ない。
そこで気づいたんです。
おや?日本の民家はこれがたいがい揃ってる。一般の家庭で揃ってる。
そうか!日本人はうちは貧乏だと言う人でさえ、途上国の大臣さんと同様の生活をしてるんだ!!

60億人類を見渡して、これほどの高山生活。世界の最高峰。山で言えばチョモランマですね。

下からのお助けに焦点を当ずに、国内で高山布教させて頂きます。
と、教祖が聞いたら心からガッカリされるのではないでしょうか?
高山布教が不必要でないとは決して言いません。
ただ、今のお道でどんだけの人が世界に向っているのでしょうか?
ほとんどの人が日本国内、高山布教をしてると言っても過言ではないのでは?
本来は逆だと思うんです。ほんの一部の人が高山布教をさせて頂いて、
その他大勢は逸話編のように下から道をつける為の努力が必要なのでは!!

もう国内に留まっていては教祖に申し訳ない。そんな気がしてならないのです。
親神様は世界に我々よふぼくの活動場所をお与え下さいました。
国内の中越地震災害は行きます。海外のスマトラ地震災害は行きません。
そんな不公平で!はたして、世界だすけの天理教が一れつ兄弟姉妹を謳えるのでしょうか?

よふぼくの出番です!どうか、お声がけ下さい。切実にそう思いました。
ご関係の方が被災地にいる方はどうぞそちらも精一杯思いを寄せてあげて下さい。

皆様のご参加をお待ちしています。          渕和分教会 山崎栄慈

今回のスリランカ視察調査で感じたこと 

 和南布教所 山崎毅史 2005.2.21

 首都「コロンボ」から車で約120km南下した「ゴラ」という被害の大きな都市までを視察して参りました。そこは被害範囲の約4〜5分の1の地点で被害状況はコロンボから約10km南下して行くとすでに津波の被害が出ており海岸側の家屋はほとんどが倒壊するか、形は残っていても使用不能な建物ばかりでした。
 今回の視察の合間に私がおさづけのお取次をさせて頂いた人数は約100名、回数は128回です。
 この数字は1月末からの12日間でウガンダ共和国での数字とほぼ同じ(ウガンダでは103名134回)になります。しかも親神様・教祖様には大変申し訳ないことですがおさづけを求める人を残して日程の都合上途中で引き上げ移動してしまっている状態での数字です。
 今回の視察は被害地のほんの一部に過ぎず「ゴラ」から先の残り4分の3〜5分の4の範囲で被害の大きな「ゴラ」と同じ状況かそれ以上であることを考えると用木数人でおたすけ隊とかだんだんとなんて言っている場合ではないと感じます。そして日本人が行っておさづけの取次ぎをというだけでなく、現地人用木を誕生させ現地の人もおさづけの取次ぎをして行かなければ治まらない状況であると感じました。アジアの国々は本当に今助けを求めている人が直ぐ手の届くところで待っているのです。

 多くの被災国の中でインドネシアはまだ民間人の入れる状況ではありません。
なぜここでスリランカなのかと言うと、ちょうど知り合いがいる。信者さんがいるというだけでなく第二次世界大戦後のアジア諸国への損害賠償の件で、スリランカは唯一損害賠償を受けずに許してくれた国であるということです。ここで本気でスリランカの救援にあたることはそういった御恩に報いることの出来る活動であると思いました。

スリランカ単独おたすけ!写真をアップ!

泉浜分教会後継者 古藤一彦

 なぜ私がスリランカへおさづけを取り次ぎに行くことになったかというと、昨年の12月25日に遡る。修養科中の私は詰所で山崎毅史さんと彼の父であるシンバさんとの何気ない会話の中で
「スリランカではおたすけを待っている人がいる。」
と聞いたことが頭の片隅に残っていて、修養科も修了間際の2月某日、再び毅史さんと詰所で遭遇し、そこで彼は津波で大きな被害を受けたスリランカにおさづけに行こう、と私に持ちかけてきた。私はその場では返事は後日すると、濁した状態で別れたが、気持ちはすでに決まっていた。修了間際の2月26日布教の家の面接が本部であった。その場で父である会長にスリランカへのおたすけに誘われているので行きたいという旨を伝えると、「うん」とやや微妙にOKのように言ってくれた。2月末日に修養科を無事修了した私は、スリランカへ行こうと彼に告げた。しかし、まさか一人で行くことになるとはこのときは夢にも思っていなかった。山崎毅史さんは布教所長であるが、その布教所唯一の信者さんが出直しという節と相立て合った。最後まで日程の調整をしてくれた(と思う)のだが、葬儀のため、彼は行けなくなった。そして実は私は3月初旬から実は帯状疱疹(ヘルペス)にかかっていたのであった。初めて行く国に一人で行くという不安とヘルペスが治らないという現実に私は正直、行くのを止めようかと迷った。しかし、延期するにも私にはもう残された日がない。泉濱の月次祭と上級泉東の月次祭の間のこの16日〜20日を逃すともう行けない状態だった。チケットもみすみすキャンセル料を払うのはもったいないし、布教の家に入る前に勇んだ気持ちになりたいという思いもあったので、私は一人、体調の良くない中であったがスリランカへ発った。「なんとかなるやろう」と、英語もろくにしゃべれないのに、よう無事行って帰ってこれたなあと、今は思う。
毅史さんから言われていたことは、
1、とにかくおさづけをたくさんの人に取り次ぐこと。
2、おさづけという言葉を何度も発して覚えてもらうこと。
3、おつとめをスガッスさんと一緒にすること。
4、おつとめ第二節第三節をスガッスさんに教えること。
5、はっぴをいつも着用すること。
大きくは以上だった。3、4は達成できなかった。
 前向きな私は初めてでこれだけできれば満点だと思った。2日間で122人のスリランカ人に142回のおさづけのお取り次ぎをさせていただくことができた。短期間にこんなに多くのおさづけを取り次ぐことは今まで一度もなかった。汗だくになって、夢中で取り次がせてもらった。
「教祖よろしくおねがいします。教祖働いてください。」
心の中でそう言いながら。正直私のおさづけが効く自信はない、教祖のお働きを願うほかなかったが、そんな気持ちにならせてもらえて取り次いでる途中熱いものがこみ上げてきた。きてよかった。日本でのほほんとしていてはできなかった。言葉ができない私は英語版天理教リーフレットを渡すのみだった。御守護があったのかどうかも分からなかった。私が取り次がせてもらった人の中には重症の人はあまりいなかったと思う。スガッスさんの右手が腫れ上がっていたのがおさづけを取り次いだ翌日には指が少し動くようになった。肩が痛いといっていた男性が痛みが取れたといってくれた。この男性は自分もおさづけを取り次げるようになりたいと言ってくれた。これは日本語が分かるスガッスさんや、ダルさんから聞いたから分かったのであるが、それを聞いたときは本当に嬉しかった。
 今回スリランカへ行かせてもらって、私はおさづけを取り次ぐことができたが、現地の人達との会話、コミュニケーションが足りなかったように思う。おさづけとは何か、天理教とは何か、天理王命とは… そういったことがあまり伝えられなかったように思う。それは期間の短かったことや言葉が話せなかったことがそのおおきな原因だと思う。だからこそ継続することが大切なんだと思う。それを分かっているから毅史さんは私を誘ってくれたのだと思う。天理教のまったく広まっていない未開のスリランカ。そこへ切り拓いて教えを広めるのがまさに「あらきとうりよう」の使命ではないか。

スマトラ沖地震と津波
古藤一彦氏単独お助け出動! 現地の写真集!

第1回スリランカおたすけ隊 困窮の津波現場写真