泉東の親会長様(三代会長村上領一先生)が和南布教所にお入り込み下されました。私が39歳のときでした7歳になる長男の突然の出直し、このショックからは、なかなか立ち直れないでいたのです。なんとか成人をと思いましたがそのすべが分からず、とにかく「形だけでも成人を」ということで講社祭りから公認布教所へと手続きさせていただきました。それを知った親会長様がわざわざ大阪堺市から埼玉浦和の当布教所を訪ねて下さいました。

 私どもの系統は おぢばー高安(大)ー泉東ー柳島ー島渕ー渕和和南(布)です。

 こんな末端にまでお入り込み下さったことで感激でしました。で、布教所の宝にさしていただくために、特別にお願いをしたのです。 色紙には「喜びの生活」そして掛け軸用紙には「須く機関車の石炭となれ」と御揮毫下さいました。

茲に慎んで私の「喜びの生活」をアップします。

159.9 三代会長任命

 立教159年9月26日渕和分教会教会長任命願い並びに就任奉告祭願いのお運び

   =天理教渕和分教会教会長山崎城之 ねがひどうりすみやかゆるす=

   =就任奉告祭十一月三日 ねがひどうりすみやかゆるす=

 9月26日眞柱様を通して理のお許しを戴きました。三代会長就任奉告祭は11月3日でお許しいただきました。
 届きません者でございますが、精一杯つとめさせていただきますので、ご指導ご鞭撻の程伏してお願い申し上げます。
 9月10日〜14日まで本部講習課のご指導で教会長任命講習を受けさせていただきました。特におつとめについては祭儀式・鳴り物・地方・てをどりなどの扱い方、基本の手振り、音程などを具体的にご指導いただきました。
 自分が大分違っているところがあり深く反省させていただき、更に練習、訓練を続けさせていただく心を定めてまいりました。忘れない内にできるだけ早い機会に皆様にお伝えし、共に勉強させていただきたいと存じます。
 ご多忙のこととは存じますが、日程が決まりましたらお知らせいたしますので万障繰り合わせてご参加下さい。尚、当日止むおえずご参加いただけない方には随時お伝えさせていただきますので、ご都合をご連絡下さい。
 この「つとめ」について教祖は、「これは、理の歌や。理に合わせて踊るのやで。ただ踊るのではない、理を振るのや。」と、仰せられ、また、「つとめに、手がぐにゃぐにゃするのは、心がぐにゃぐにゃしているからや。一つ手の振り方間違うても、よろしくない。このつとめで命の切換えするのや。大切なつとめやで。」と、理を諭されています。おつとめの完修に真実でつとめさせていただきましょう。                        合 掌

159.10 死の宣告をうける(私の入信の動機)

 「我は元の神・実の神である。この屋敷にいんねんあり。このたび、世界一れつをたすけるために天降った。みきを神のやしろに貰い受けたい。」

 立教の元一日については教典の第1章を拝読してください。これは私が会長になって、始めての皆様への宿題です。

 元一日をたずねる。元を知った時に本真実にふれることが出来るわけです。お互い様に立教の元をしっかりと心に治めて通らせていただきましょう。

 今日は私自身の信仰の元一日について、体験をお話しいたします。
 親々の信仰からこの道につかせていただきました。幼い頃にひどい霜焼けで、布団に入ると足が暖まって、痒くなり、布団の中で口惜しくて泣いていました。こんな時に渕和の初代であるおばあちゃんが足もとの布団をめくっておさづけを取り次いでくれました。目が覚める何時の時でも朝でした。おさづけの終わったことは記憶にありません。そのくらいに鮮やかなご守護を戴いていたのです。
 左の耳が痛くて、このときはおばあちゃんに柳島へ連れられて、三代会長様(坂口冨作先生)がおさづけを取り次いでくださいまして、ぴたっと痛みが治まったのを覚えています。このように、おさづけを通して、神様を身体で感じては居りました。が、自分自身がお道の信心を自覚させて頂きましたのは、私が27歳の時であります。以下の重大人身事故を機に、井口光枝二代会長様がお願いづとめをして下さり、更に心定めとして修養科行きを勧めて下さいました。
 私の信心はこの修養科へ行かしていただいたところから始まります。二代会長様のご恩は生涯忘れず私の信心の元始まりとして、末代に語り続けさせていただきます。 昭和44年12月10日浦和市内の六間道路を走行中に一人の少年をはねてしまいました。定速走行中に10メートル程先に少年が飛び込んできました。とっさにブレーキをかけましたが、間に合わず、その少年は車のボンネットの真ん中の角に当たって、宙を飛び、5メートル先の方へ落ち、転がって、道路と塀の角に当たってうずくまり動かなくなりました。
 ブレーキをかけたのに、車が止まらず、少年をはねていたのです。はっと我に返り、車を飛び降りて、少年の安否を確かめました。少年は生きていたのです。
 「ごめんなさい。」大丈夫でないことが分かりながらも私は「大丈夫か!」と声をかけました。「大丈夫です。」力ない声が返ってきました。
 私は、大声で「おかあさんはいませんか!」と叫びながら、赤電話に飛びつき、救急車をそして警察に、会社に電話をしました。 
 現場にはお母さんが「いつも言っているでしょ!なぜとびだしたの!」と狂ったように子供をしかりつけていました。
子供を思う純真な母心だったと思います。「お母さん近くの病院へ行きましょう」と、長島外科病院へお母さんも車に乗せてかけ込みました。 緊急治療室には、私は入れませんでしたので、警察には、直接病院へ来たことを連絡しました。
 医師は私に死の宣告をしました。レントゲンの結果、腰骨骨折、恥骨ひび割れ、レントゲンでは内臓は見えないが、これだけの骨折からして99%は破裂していると言う以外にないだろう。手の打ちようがない。と言うことでした。
「但し、奇跡が起これば、助かるかもしれない。何れにしてもこんばんが峠」とのことです。

 私は教会に走り会長様に「子供を助けてください」とお願いしました。
「私が助けることは出来ないけれど、神様にお願いさせていただきましょう。城之さん修養科を心定めてください」
「何でもしますから、助けてください」
と言うことで、会長様はお願いつとめを勤めてくださいました。 当時の私は、本当に助かるのだろうか?と医者の言葉を信じて疑わず、その晩は一睡もできませんでした。
 翌朝病院の開くのを待って駆けつけました。
 夜中に血のおしっこがまじって出たけれど内臓破裂はしていなかったようで死を免れた。と言うのです。内臓に損傷がなければ、骨折とヒビの治療で、半年くらいで退院できるとの見通しでした。本当に良かったと安心しました。と同時に
「偶然、助かったのだ」
と、まさか神様が働いたとは思えなかった私でした。

 いよいよ運転者としての賠償問題に入るわけですが、実は任意保険が3日前の7日で切れていたのです。大変なことになりました。

 私は再度教会を訪ね、神前に額ずいて、神様のおはたらきを疑った事をお詫びしました。そして、今度こそ神様の話を信じきることを心から約束して、更に任意保険の日取りを変えてくれように頼みました。
 しかし、保険証の日取りを変えてくれと言う無理な願は聞いてはくれませんでした。が、警察の調べがあって、行政処分が下りました。前方不注意による人身事故ということで、飛び出した少年の方に7割、3割が運転者の責任という、実に私にとっては有り難い行政処分が言い渡されました。罰金は確か4万円だったと思います。

 一方私は毎日病院へお見舞いに行かせていただきました。病院内を駆け走るほどに日に日に良くなっていくのが分かりました。不思議に回復は早く1カ月で退院できるようになったのです。

 保険証の数字は変えてくれませんでしたが、子供の回復、裁判の判定などの結果が良く出て、結局強制保険の範囲内で双方円満に示談まですっきりとかたずいたのです。
 保険証の日付は変えてくれませんでしたが、私の誠の心である願いは聞いて下さったのです。

 その後、3〜5月の修養科時期は会社の方で新たに始めた新規事業が漸く実を結び、成果が上がり始め、忙しくなってきましたので、会長様に
「会社が忙しくなるのも神様のご守護ですから、修養科はちょっと待ってください」
と、お願いしました。
「私はいいけど、神様が許してくれるかどうかは保証できませんよ」
「そんな脅かすようなこと言わないでください」
と、会長様の声に耳も貸さずに、毎日の忙しさにまみれて、人身事故があったことさえ忘れて商売に励んだのでした。
 実はそのころの私は、
「事業活動をして、利益を出し、その利益を世の中に還元すれば、それが人助けにつながる立派な男の信仰生活である」
と自負しているような考えを持っておりましたので、なおさらのことでした。
 半年後の6月10日、25kmオーバーでねずみ捕りにかかってしまいスピード違反で行政処分、前回の人身事故と併せて3カ月!。その時、修養科の心定めを思い出したのです。
 営業活動を主にした仕事で、お得意先が遠いところばかりでしたから、車の免許がないということは仕事は出来ないことだったのです。しかも9〜10月の高安としてはちょうど修養科時期に、免許停止が来たのです。

 私は修養科に行かせていただいて神様の不思議のおはたらきを目の当たりにしました。おやさとぢばで元を教えていただき感動したのでした。 私自身の信仰の元一日は以上のようなわけであります。会長様のご指導があったからこその今日の私があるのです さて、本来人間の最も深い元一日のいんねんは親神様の思し召しである
「人間のよふきぐらしを見て神も共に楽しみたいとの思し召し」
から私たち人間をお造り下された。と聞かせていただきますように、その元は“よふきぐらし”が最も深いいんねんであります。そのために身上、事上にしるしをつけて、私たちをお引き寄せくださって、その元をお教え下されているのであります。
 “事上身上は道の花神の道教え手引きなるぞや”
 私は死の宣告を受けるような重大人身事故から素晴らしい教祖の御教えに直接ふれる事が出来たのです。
しかし、この後10年後に長男の出直しと言う大きな節に出会うことになるのです。

 成人次第に神様が見えてきます。そして、それぞれの成人の程度を見て、神様が寸分狂わぬお仕込みをして下さいます。それがその人の節です。

 節から芽が出るようにしっかりとした信仰信念を基に日々を暮らさせていただきましょう。親神様の思し召し通りに歩みましょう。教祖のひながたをまっ正直に歩ましていただきましょう。教祖ひながたの三信条はつとめ一条、助け一条、喜び一条の実行であります。それが親神様の思し召しを覚らせていただく一番の近道です。         

長男の出直し 昭和55年西暦1980年9月24日

「部長アッ君が救急車で、奥さんも乗って行かれました。中央病院です。直ぐに行ってください!」
部下からの緊急電話だった。
「有り難う!家内が行ったのなら大丈夫、今仕事中だから」
「そんなこと言わずにすぐ行ってください!」
「大丈夫だよ」
心を落ち着けて、いかにも落ち着いた言葉を選んでお礼を言って電話を切った。
社長室長の義姉が
顔色を変えて
「城之さんすぐに病院へ行って!今細淵さんから、電話があったの!」
「大丈夫ですよ」
「何言ってるの!直ぐに行って!」
悲鳴を上げるように義姉が言った。
私の態度に業を煮やした細淵君が義姉に電話をして緊急を伝えてくれたのだ。
そして義姉の真剣な進め、否、哀願するような叫びに追われるように会社を後にした。
緊急治療室についたとたんに医師がでて来た。
「お父さんですか?やれることは全てさせていただきました。後は奇蹟しかありません」
「その奇蹟は私が!」
医師を追い越すような勢いで集中治療室に入った。
息子の目は瞳孔が開いていた。しかし、無我夢中でおさづけを取り次いだ。
「お父さん人工呼吸を」
医師の指示に従って、人工呼吸を始めた。腕が痛くなる程続けた・・・・。
長男は二度と息をしなかった。
ご臨終です。
20人近い医師や看護婦、そして緊急で駆けつけてくれた私の兄弟たちに囲まれて淳仁は逝った。
昭和55(西暦1980)年9月24日
何故!何故?
ちょうど10年前交通事故から修養科を修了、教えを事業に活かして、精一杯に通っていた毎日だった。
     つづく 以下工事中

159.11 初代の信仰とご恩奉じ

 11月11日は初代会長の祥月命日と立て合う月次祭です。その様な意味から渕和の初代のお話しをさせていただきます。

 泉東の親会長様(村上領一先生)お言葉によれば

「私が今日まで生きている間で、泉東部内で知っているたんのうの人という方は、二人います。その一人が渕和の初代さんです。今一人は日置荘の初代さんです。」

と、前置きしてお話下されたのは、北野田の駅から歩いて泉東に来る頃のことです。その頃には、門を入ると井戸があって、やれやれと言いながら、

「こんな遠い大変な中を会長さんは東京までお話に来て下さる本当に有り難い勿体ない」

と、つぶやきながら井戸水を美味しそうに飲んでいたそうです。自分が苦しい思いをしたときに、人の苦労に感謝できる精神こそたんのうの極意ではないでしょうか。

 このように物事の受け取り方の素晴らしい方でした。私たちは初代と共に生活させていただいておりましたが、夕食時にお下がりのお神酒をコップに一杯ちびりちびりと飲みながら半分ぐらいになると話が始まりました。「おれは胃弱で食べ物屋をしているのに食べることも出来なかった。着る物はしょっちゅう質屋に入って、店の家賃だってなかなか思うようには払えなかった。今は本当に有り難い、こうして女だてらに毎晩晩酌が出来るようになった。有り難いことだ。それからおれは先案じが強くて何時でも先のことを心配ばかりしていたが、今は度胸が良くなった。教祖のお供をしているのでなんの心配もいらなくなった。本当に有り難い。神様は本当に有り難いんだぞ。」そして、話はきまっておぢばがえりの事や上級参拝のことでした。が、特に次のお話が記憶に残っています。増井おりん先生が教祖から柿をいただいて食べたお話です。「口でもぐもぐした柿を掌に載せて『さあ、お食べ』と手を差し出したそうです。皆さんはていよく断ったのですが、おりん先生の前に教祖が手を出されると、おりん先生は『はい』と言って頂いたそうです。その時におりん先生は息のさづけを戴いた」と言う話です。たんのう、そのもの、受ける心の真実、神様にもたれ切っていればこそ、理を素直に受け取る事が出来たのだと思います。 秋の大祭の団参では、必ず大和柿をお土産に買ってきてくれました。私は柿を見る度食べる度に初代を思いださせて頂いております。 初代の信仰の始まりは布教師岡部と言うお婆さんに「胃弱で困っているようだけど、天理教を信仰したら必ず助かるよ。近くの教会へ行ってお話を聞いてごらん」と教えられ、初代は近くの島渕分教会を尋ね、かしものかりもの、つくし、はこび、ひのきしん、の話を聞かしていただき、日参するようになったそうです。そして、お初お供えと盃一杯のお米のお供えが始まったのです。 関東大震災、大東亜戦争、東京空襲。頼りの婿殿(私の父、城之助)が戦病死、嫁入り前の娘愛子は銃後の守りに就いていたが肺結核で出直し、と次から次へと大きな節にぶち当たり、その節を生き節として、その都度成人を重ねてまいったのです。 詳細が「創立百周年記念出版泉東分教会史 第29章280頁」、「柳島百年史 第7章145頁」に掲載されておりますので是非お読みください。 初代が助かるまでにおぢばからの理が流れてきているわけです。 高安の初代はおぢばへの血肉の信仰、命懸真剣を心に誠真実で尽くされました。10月の高安の大祭で大教会長様は初代の信仰に返り「程ほどでなく、程を越すはたらき」を提唱されました。 泉東の大祭には世話人の上野主税先生が自分の信仰の元一日を見直すことを説かれました。 泉東の初代が教祖直々に「たすかるで、たすかるで、たすかる身やもの」と不治の病、座骨神経痛を半年で全治のご守護を戴き、ご恩返しの方法をお伺いしたら、教祖は「金や物でないで、救けてもらい嬉しいと思うなら、その喜びで、救けて欲しいと願う人を救けに行くことが、一番の御恩返しやから、しっかりおたすけするように。」と、仰せられた。 このお話は稿本天理教教祖伝逸話篇72、125頁に掲載されています。柳島の三代冨作会長様は、「小学校五年生の頃に学校から帰ってくるときまって教祖伝を読んでいた」「教祖伝から伝わる教祖を慕って天理教が好きになった」とおっしゃっておられました。三代会長様は、いみじくも教祖と同じ日の2月18日に出直されました。おつとめを大切にし、おつとめに厳しいつとめ一条の会長様でした。 渕和分教会の元一日は40年前の今日です。今日は教会設立40周年になります。10年毎に、おぢばの理と立てあって前進しています。その110年祭もあと1カ月、来年は立教160年、再来年は教祖200歳の誕生日と、有り難いことに、旬の御用が次々と吹き出るように続きます。旬に種をまき根に肥をやれば、必ず収穫を得ることが出来ます。教祖120年祭までにはおぢばから打ち出して下さる。旬が続きます。種を蒔くチャンスが多いということは実りも多いということです。教祖120年祭は、渕和の50周年です。旬の御用を精一杯勤めさせていただいて、成人させていただきましょう。現在布教所の所は新設の教会をご守護いただけるように、集団所の所は布教所に、講社を祭っている所は集団所にと、成人に拍車を懸けましょう。渕和は50周年に向けて3回の三年千日を打ち出させていただきます。3回の三年千日を仕切って、おやさま120年祭前年の1年は、おやさま120年祭三年千日の仕上げであり、渕和の50周年の仕上げでもあります。教会になると言うことは神様のご守護ですから、ご守護を戴くためのはたらきが必要です。そのはたらきを心定めするのが大切です。心次第のご守護があるわけですから。誠真実で御恩報じを実践させていただかなければなりませんが、これは、非常に難しいと言えば難しい、易しいと言えば易しいと思いますが、それぞれの悟り方ということになると思います。そこで、私なりに思いますことをお話しさせていただきます。 数字が全てではありませんが、参考まで新設教会になるための数字的な基準を調べてみました。 新設教会の最低条件は  教人5名、よふぼく15名、信者若干名
   内[会長(代表役員)1名、教人(責任役員)2名。]  敷地50坪以上で自己所有であること(借地借家はだめです。)建物はおつとめの出来ること。 となっています。これらのご守護をいただくためには、心定めと、その実行が肝心です。実行が決め手になります。数字で表せることを記してみますと、おぢばへの伏せ込み、教会への伏せ込み、おつとめ回数、おさづけ取り次ぎ回数、にをいがけ人数又は訪問軒数だと思います。ではどのくらいの数字を実行したらよいかのでしょう。大変参考になる資料があります。この数字は埼玉布教の家の寮生の10年間の数字です。
 埼玉布教の家10年間の累計
 卒寮生                   50名
 初席者総数                135名
 中席者総数                123名
 帰参者総数                609名
    内(子供おぢばがえり帰参者   274名)
    内(お節会帰参者8、9期のみ   32名) 修養科生                   5名
 おさづけの理拝戴者              5名
 総訪問件数            208,998軒
 おさづけの理取り次ぎ総数      41,434回
 一人当たりのそれぞれの訪問数を出してみました
   初席者1人当たり         1,548軒
   中席者1人当たり         1,699軒
   帰参者1人当たり           343軒
   修養科生一人当たり       41,800軒
   おさづけの理拝戴者       41,800軒
 一人当たりのおさづけ取次回数 
   初席者             307回で1人
   中席者             337回で1人
   帰参者              68回で1人
   修養科生          8,286回で1人
   おさづけの理拝戴者     8,286回で1人
 教人・よふぼくが合わせて20名は必要なわけですから
 836,000軒の訪問=41,800軒×20名
 165,720回のおさづけのお取り次ぎです。=8,286回×20名
 因みに訪問件数を10年で割ってみると
  1年に83、600軒
  1カ月6、970軒、
  1日232軒です。
  五人家族なら1人1日六60軒。 おさづけ回数を計算してみます。 10年で割れば
  1年16,572回
  1カ月に1,381回
  1日46回
  五人家族なら1人9、2回となります。参考にしてみてください。 次のようなお話もあります。 新潟県に教会のある会長さんの話ですが東京にある上級に10年間日参したら、神殿ふしんが出来た。と言います。 渕和の二代会長様(井口光枝先生)は30年間全上級の月次祭を毎月欠かさずつとめられて、縦の伝道のご守護を戴いています。就任当初おつとめの手が全く揃わなかった頃と比べて素晴らしいご守護の現在です。 神様は伏せ込んだ理は、末代の理として全て受け取って下さると申します。 教会をご守護戴けるような心を定めて、渕和設立50周年の記念の11月11日には成人の姿を見ていただきましょう。 さて、どの様ににをいがけ、お助けをしたらよいのかと申しますと、教祖のお教え下さいました通りです。自分が助けられたことを真剣に伝えさせていただくことなのです。「金や物でないで、救けてもらい嬉しいと思うなら、その喜びで、救けて欲しいと願う人を救けに行くことが、一番の御恩返しやから、しっかりおたすけするように。」 五つ いついつまでもこのことは はなしのたねになるほどに とみかぐら歌でも教えていただいております通りです。 ここで今月も宿題を出させていただきます。110年祭の終わりまでに、と言うことは12月31日までに皆様の信仰の元一日を記して提出してください。お話しで聞かしていただいても結構です。よろしくお願い致します。

164.4 どうしようもない時!

誠真実の願いをお受けくだされて教祖は必ずお働き下さいます!     

  ウガンダ共和国チャートー村の事。

 昨年秋から心定めしていた山崎敬充さんの修養科は2月末の入学で3、4、5月末修了、その間は智恵さんにいてもらう予定にしていましたが、突然ケニアの阪本明さんとの結婚話しが浮上して来たのです。阪本さんは、イジャラ未開発地域で病院建設が急かされています。敬充さんも神様とお約束した修養科を遅らせる訳には行きません、智恵さんの結婚も早いとは言えない、否、遅いくらいです。そうした中で立て合って来た事情(エボラ出血熱発生)でした。しかも、ウガンダ/マサカ地区の近くで患者が発見されるというショッキングなニュースが流れました。 合図立て合い。これはとても不思議なタイミングです。神様の思し召しと、受け取らせて頂いてチャートー村からの一時避難を決意したのです。 立教164年2月3日、第一回お助け隊有志の皆様をウガンダエンテベ空港でお見送りして、私と和南布教所の山崎栄慈所長は一時避難の後始末の為に残りました。 ウガンダチャートーにある機械などは、ケニアのガリッサに預けることにしました。国内のことでしたら移動だけで済むのですが、ウガンダ共和国からケニア共和国へ国境を越えるには、税関を通ることになります。ユニック車、ハイラックス、コンプレッサー、溶接器機、そしてコンテナ等輸出入と言うことになれば課税の対象になる物資が沢山あり500万円位が予想されます。両国の大蔵省に申し出て免税処置を申請しても早くて半年はかかってしまいます。しかし一時避難の為の移動ですから、輸出入ではないのです。言い換えれば一時的にウガンダからケニアに出稼ぎに行くようなものです。そこを税関の係に理解してもらえるか否かが今回の移動のポイントなのです。そこで、現地人であるオキディさんとヘンリーさんに頼みました。アフリカで使える運転免許証は私たちにはないのですから阪本さんにもお願いしました。 ケニア側が一番問題なので、オキディーさんの知り合いにも頼んでもらいました。彼の言うには、「大丈夫とは思うが係官の気持一つで、事態は変わる。コンテナさえ開けないで通過出来れば、ベスト、もしコンテナを開けられるようになったら、係にあげるものを手前に積んでおいて、没収覚悟でかかろう、但しコンテナの中身を全部出すようなことになれば課税は免れないと思う。」と言うのです。 私は「なんとしても神様によろこんで頂こう」との思いから、病気らしい人を見つけてはおさづけをお取り次ぎ致しました。 象皮病の婦人が私に物乞いをします。地べたに跪いておさづけをお取り次ぎ致しました。 耳に紙を詰めた子供がいましたので、しかし子供は逃げてしまうのです。静かに追い掛けました。すばやい子供をとらえる事は出来なかったのですが、それを見ていた青年が何をしているかと声をかけて来ました。手まねでおさづけの事を言うと、彼は「だったら俺の友達にしてくれ」と言うのです。その彼は、マラリアで高熱の為苦しんでいました。三度の手ぶりが終わらない内に青年は元気が出始めました神様は鮮やかな効能をお見せ下さいました。青年は私の手をしっかりと握って、「有り難う、有り難う」と言って離しませんでした。 一方、コンテナを積んだユニックを見て、ウガンダ側の国境税関担当者は、どうしても開けろと言うことになったようです。数人の係官たちが、コンテナを開け荷物を出し始めました。次から次へと荷物は運びだされていきます。私は遠目で見て手を拱いているだけ、どうしようもありません。結果は神様が決めて下さる、そう思うといても立っても居られない気持でしたが、少し落ち着きました。自然な気持でよろづよ八首を勤め始めました。ボーダにいた人達が物珍しそうに一斉に私の方を見ています。南無天理王命よーしよーしー、ふとコンテナの方を見ますと、何と!運び出している荷物を逆にしまい始めたのです。あげる予定にしていた物資も全部中に入りました。教祖ありがとうございます。 このことで一番感動してくれたのはオキディ兄弟でした。「何故荷物を戻し始めたか分からない、不思議なことだ」としきりに言うものですから、今おつとめを勤めさせて頂いたから教祖が働いてくれたんだよ。おつとめの不思議さ素晴らしさに一同大感激。無事国境を通過したのでした。「つとめ」と「さづけ」 実働の旬!教祖は間違いなく、世界中隈無くお働きくだされていることを実感しました。体感しました。 一れつにはやくたすけをいそぐから せかいのこゝろもいさめかけ   (よろづよ 8)とのお急き込みに応え、逡巡を去り胸を張って、をやの声を伝え、自らも勇み、世界を勇ませて、神人和楽の陽気世界の建設に力を尽そう。

164.5 なにしてんです!

 つい先日3月30日の事です。アフリカケニアに送ります旋盤の機械を船積みに行った時の事です。相模原の職業能力開発大学から横浜の昭和船舶資材と言う梱包会社迄、その間は、立中央分教会(萩原工務店)の会長様にお願いして、ユニックトラックを手配して頂きましたので車の助手席に便乗させていただきました。京王線橋本駅迄は電車を利用したのです。

 朝6時に教会を出て、埼京線で新宿について降りようとしたら乗客が騒いでいます。若い女性が真っ青になって、椅子の上に倒れていました。ほとんどの乗客は、忙しそうに降りて行きました。 私はおさづけを取り次がして頂きました。三度三度三度、ポンポンと終わりの柏手を打ちました。頬にかすかな赤みがさして来て、そこへ公安が来ました。「なにしてんです!」まるで痴漢扱いでした。間違えるのも無理はありません。ジーンズを着て、はいて、髭だらけのおやじが女性を摩っているのですから…。 彼女、最初の一歩はふらついていましたが、公安の方や駅員に支えられて歩いて駅員室へ…。ラッシュ時の新宿は電車もホームも人々々々…、何事もなかったように大勢の人々が、それぞれの目的に向かって歩いていました。 そんな中私一人が「教祖ありがとうございます」と大声で叫び、感動の!お礼の!おつとめを唱えながら、京王線に向かったのでした……。四下り目のお歌がことのほか私の心に響き、残りました。1ツ ひとがなにごといはうとも かみがみているきをしずめ10ド このたびむねのうち すみきりましたがありがたい 何も気にかけないで、助けたいとの一条で、実動できた喜びは私のかけがいのないお道人生をより確かなものにしたのでした。教祖有り難うございございます。   合 掌

164.6 激突!車のドアーが開かない! 

 先ずは、交通事故を起こしましたことに、深くお詫びを致します。回りの人の申しますには「会長の運転は恐い」との思いがあったようでございまして、誠に申し訳なく深く反省を致します。今後は更に安全運転する事を心からお誓いしてお詫び致します。

 5月21日泉東分教会の月次祭、毎月は恒例ボランティアを終了して、午後出発なのですが、当日は「埼玉県里親会浦和支部」総会と親子懇談会、「さいたま国際青年を育てる会」総会が重なり、前者は初めての事なので夫婦で出席を頼まれ、又、後者は理事と言う立場から欠席することも出来ず、そして、今月は日曜日と重なって恒例ボランティア日は終日実施(31名の方が参加して下さった)と言う事で、あちこちとやりくり、出席をさせて頂いたのでした。 そのような訳で翌21日午前4時出発と決めて、東名阪は集中工事との事でしたので、名神を使って吹田ジャンクションー近畿道ー西名阪ー松原から泉東へ向かう予定でしたが、1時間遅れ(寝坊)の出発になりました。吹田ジャンクションを入る時点は11時30分頃でした。 突然1台の車が割り込んで来て3台の玉突き事故が発生しました。最後の3台目が私です。急ブレーキをかけましたが間に合わず、ドン!ドアーは開かない前の方から蒸気が吹き出している、繭ちゃん(委託の里子)は椅子の下に転げ落ちて吃驚して泣き出す、「大丈夫」妻の声にほっとして、ドアーをこじ開けて、表にでる。急ブレーキをかけたので車が沈んで前車の後ろバンバーに当たった為にこちらの車は惨めにも、使い物になら無くなった。割り込み車の運転手さんが、真っ青な顔して降りてくる、真ん中の運転手さんは首を押さえながら降りてくる。 よかった!お互いに怪我はなかった。それが先ず良かった割込みの運転手さんの言うには新婚旅行へ送って行く為にレンタカーを借りて岐阜からやって来た、空港へ行く時間がないので今警察には連絡したが、事故処理が終わったら、早く行きたいと言う、私は、それは大変だ、皆怪我がないのだから、行っても良いけど、最後の車は一番悲劇ですよ!あなたが割り込んだ事をきちんと警察や保険屋さんに言って下さい。そんなお願いをしたら快く引き受けてくれた。 真ん中の車を覗いてみたら若い奥さんが大きなお腹をしている。「大丈夫ですか」「大丈夫です」「よかった、本当に大丈夫?だったら大当たり、必ず良い子が産まれますよ」「有り難うございます」 そして一番前の車の中で顔色変えている人々を覗き込んで「新婚さんはどなたですか?」二人が手をあげた「御芽出度うございます、大当たり素晴らしい結婚です先行き幸せになりますよ、新婚旅行も楽しく行って来て下さい!」 車の中のみんなが「有り難うございます!」と嬉しそうでした。 取り調べにあたった警察官は与野高校出身の与野市に住んでいた方、なんと和やかな交通事故現場でした。 皆で笑って別れて、私達だけが動けなくて、ジャフの来るのをぽつんと待っていました。吹田から天理市の天理興業までレッカーで牽引してもらう事になりました。後で聞いた話ですが7、8万円はかかる所だったそうですが、3万円におまけしてくれたのでした。それからこちらがもしバンバーに当たっていたら前車は大きなショックできっと産婦は大変な事になったと思う。物損は大きかったが、それが人身事故から救われている事を知った時、「教祖有り難うございます」と合掌した私でした。割り込みした運転者さんやレンタカー屋さんから、喜びとお詫びの電話が次々と入って来ました。後日戴いたお礼のお手紙『先日は高速道路での暖かい対応に心からお礼申しあげます。おかげさまで、新郎新婦も無事に関西空港から新婚旅行に飛び立つ事が出来ました。ほんとうにありがとうございました。つまらないものですがお礼のしるしです。かさねがさねありがとうございました。ありがとうございました。岐阜県大垣市林町三の一三八 井上秀夫』 御心配をお掛けしましたが、警察官、道路パトロール、JAF、天理興業、保険の調査員等々皆様良い人に恵まれて、お陰で全てが解決しました。車も元気に活躍しております。

164.10 はい!喜んで!

=「我は元の神・実の神である。この屋敷にいんねんあり。このたび、世界一れつをたすけるために天降った。みきを神の社に貰い受けたい。」とは、親神天理王命が、教祖中山みきの口を通して仰せになった最初の言葉である。 家人は、この思いがけぬお啓示にうち驚き、再三言葉を尽くして辞退したが、親神は厳として退かれぬにより、遂に、あらゆる人間思案を断ち、一家の都合を捨てて、仰せのままに順う旨を対した。 時に、天保9年10月26日、天理教は、ここに始まる。= 私達の信仰は、教祖のひながたに添って神様の思し召し通り、順々と成ってまいります。誰でもが身上、事情からお手引きをいただき、本真実を知り、真の道を歩ましていただけるようになって来た訳であります。「何も別段大層の事は要らん。もとにひながた通り/\、変わったことは要らん。……一手ひながた道あれば一手ひながた、振り変えばひながたと言わん。あちらこちら心のひながた出して、ひながた/\変えて、いかなる理も治まりあろうまい。……これまでふあ/\というもので心という。この道一つ変わったことすればひながたとは言わん。」  (明治24年1月7日) 信仰している一人一人の心通りに成って来ます。天保9年以前から生き続けた魂に使った心遣い、心のホコリが払い足りないことから、神様の思し召しがわかっていながら、行動にうつせないのが、実情であるように思います。 しっかりと心を決めてかからないと、なかなか実働が出来ないのであります。教典の最初にお示し下さっております通り、なかなか人間思案を断ち切ることは、並み大抵ではないのです。が、それを思い切ってやらないといつまでも運命を立て替えることが出来ません。私は、形の上からでもとの思いから、御教えを実行し始めてみました。先ず、一、朝夕のおつとめは必ずさせて頂く一、教会の月次祭は必ず勤めさせて頂く一、「有難い」この言葉を一日何回も言わせて頂く一、成ってくる事を素直にハイと受けさせて頂く 朝目覚めた時から、自分を無くして、起こってくる事を神様の御用と悟らしていただいて成るがままに合わせて日々を通っております。我が身の事は何一つやらない、否、やれる間がない程次から次へと事が起きて来ます。 修養科を出させていただいて28年、道一条通らせていただいて18年。 神様のお言葉通り「20年30年経ったらなるほどと言う日がある程に」 毎日が「なるほど」「なるほど」と喜べるようになりました。心通りに成ってくるのです。 その一つですが、この度、里親制度に登録しました。申し込むと浦和市役所から調査の方が見えました。その書類に基づいて、県管轄の児童相談所の方が調査に見えました。そして、連絡が入りました。収入が少ない事が理由で断られました。 教会は蜂の巣を突いたような忙しさですからちょうどよいと思って感謝していました。 この事を埼玉教区の厚生部長さんに報告しますと、「私から話してみます」とのこと、一度断ったものが復活するとも思いませんでしたが、暫くすると、電話があり、そして、登録になった書類が郵送されて来ました。登録者の研修会に出さして頂きました。色々難しい事もあるようです。又、専門家の方々のご苦労に感銘致しました。養子として貰い受けるものと、委託養子と言う一時預かるものと色々あるようです。特筆すべき事は全国何所の児童相談所でも、親の虐待による被虐待児が昨年の倍以上に膨れ上がっていると言う事でした。 浦和児童相談所から連絡が入ります。「今日夕方にお願いしたい」とのことです。「はい、お待ちしています」教会内は受け入れられるような状態でない時でも、私は必ず「はい」と受けさせていただくのです。「会長さん受けられる訳ないでしょ」奥さんの言う通りです。しかしその電話に丁度私が出たのですから「はい」と受けるのです。 夕方再度電話が入ります「今朝の事ですが、親のほうが見る事になりました。申し訳ありません」と、来ない連絡が入るのです。良く考えてみれば受けられる状態でないのですから、ホッとします。神様は決して悪いようになさらず、丁度良いように成ってくるのです。神様見抜き見通しです。こんな事が何回も繰り替えされるうちに、誰でも受けた者が「はい」と受けるようになって来ました。現在17才の少年?を預かっています。児童相談所の方のお話では長期になりそうです。そこで「初席のお誓い」の特訓が始まりました。丁度1ヵ月、ものを覚えるのは得意でないようです。気長に丹精さしていただく覚悟です。       合掌

164.11 初代様の信仰に溶込んで

泉東分教会創立110周年成人目標

一、おつとめを充実させて頂こう。

一、にをいがけに励み、用木一人一人がおさづけの取り次ぎをさせて頂こう。

一、たすけの実をお見せ頂こう。(別席者、おさづけ拝戴、修養科生、おつくし)

一、信仰の喜びを子供や孫に伝え、家族ぐるみの信仰をさせて頂こう。

 10月の大祭の理を受けて迎える11月の月次祭は、初代山崎タメ会長様の祥月命日にあたる月次祭です。
 立教の元一日をしっかりと聞かしていただいて我が身我が家の都合を捨てて、心新たに出発した訳でありますが、この月は、渕和につながる私達が初代様の信仰の元一日をしっかりと心に治めさせていただく旬であると思います。私が思うに渕和の初代様は泉東の成人目標を通られた方!と言っても過言ではないと思うのであります。

 幼い頃、朝夕のおつとめは初代様から数取りの仕方、チャンポン、スリ鉦、太鼓を教えていただきました。霜焼けで泣いている時おさづけで助けて下さいました。栃木県の真岡ににをいがけに連れられて行った事、島渕や柳島に連れて行ってくれました。
 数ある初代様の思い出の中で、私が一番心させていただいておりますのは、ご恩報じを実践された「たんのう、つくし」の人であったと言うことであります。この事は泉東の前会長様ご夫妻が揃って、語り種としてお話頂いておりました。30周年の記念誌にも載せさせていただきました。泉東の親奥様からいただいたお手紙を再度ご紹介致します。

自筆の手紙はこちら

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お手紙頂きまして有難う御座います。

 過日 会長様のお陰によりまして親会長様にお会いさして頂き、本当に嬉しく思いました。未だに写真に向かってはお話をしています。永い間の夫婦でしたが、今つくづくと思いますと短いように思います。毎日お粥を食べて頂いております。
 渕和分教会の初代様のお年祭との由、ご参拝さして頂きたく思いますが、なんだか身体がだるくて未だに何も手につかづに毎日をブラブラしております。実は50日祭が24日に勤めていただきますので、済まして間がないので、今少し身体の調子をつけましてから参拝さして頂きたいと思っております。悪しからずお許し下さいませ。
 初代様はとてもやさしい人でした。私は今でも思い出します。泉東へご参拝に来ていただいたとき教会へ着くなり「ああ、やれやれ着いた」と言われ、まっすぐに「会長さん奥さん申し訳ありません」の言葉にびっくりした私は「何故と思う瞬間に初代様は「この遠い所をわざわざ東京まで来ていただくことがもったいなくてもったいなくてとても嬉ことや」と、申されました。その言葉を聞かしていただいた時に、なんと思いやりの深い人やなとつくづく感心致しました。人間は暖かみと優しさ、思いやりを深くせねばいけないと教祖より教えて頂いています。初代様はその通りの人でした。教会にならない内は毎日お魚を売りに歩いていたそうです。村の氏神様をお祭りするのに金持ちの人が3000円の寄付をなされたそうです。初代様は、私は5000円さして頂きますと、云われたそうです。皆がびっくりしてあの貧乏な人が出来るのかと皆で云われたそうです。それが皆と同じように3000円出来た時に上の人からもう結構です。と喜ばれたそうです。又一つには、朝づとめが終わると梅干茶を皆に出して下さいました。一つ一つその時の事を思いますと優しいおばあちゃんやなと感無量に思います。初代様のお顔ほんとうに可愛らしい優しいお顔目の前に浮かんできます。
 どうぞいつまでもいつまでも渕和の教会をお見守りくださいますようお願いいたします。
                                               菊枝

渕和会長様

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 親奥様のお手紙を拝させていただきますと、
 優しい心になりなされや、 癖性分を取りなされや、 人さん助けさしてもらいなされやと仰せられました教祖のお話が、初代様の人柄とオーバーラップしてくるのです。そして我が身に置き換えて、立て替えなければならない事を痛感するのです。 自分の今までの通り方を今一度振返り、反省して、初代様の信仰をしっかりと思い起こして、我が事に置き換えて、この旬を活かして生き節とさせていただくよう、共々に生きながらの出直しさせていただきましょう! 有難うございました。合掌

身近なところから その1 その2 その3

 真柱様は諭達第一号で、前略…その日常は巧まずして傍々を照らし、土地所になるほどの理を映す。…後略更に諭達第2号で、前略…身近な人たちに信仰の喜びを伝える事が肝要である。…後略と仰せられています。

 164.12 教区の女子青年会主催の焼肉パーティーに部内の青年会員、女子青年をマイクロバスで送らせていただいてご相伴させていただいた時のことです。
 彼の有名な布教の家埼玉寮出身のある若者に
「第二回アフリカお助け隊に参加しませんか?」
と問うと
「私は教会後継者なので、土地所の近くのお助けを通して教会を守らなければならないから遠いアフリカへ行っている間がありません」
と返ってきました。
私は
「教会の近くというのは、何処から何処迄ですか?例えば何丁目から何丁目ですか、もし近くに別の教会があったら、その境界線は何処で区分するのですか?」
と問うと
彼「………」
しばし沈黙しました。
更に私は
「電車の中で隣り合わせた人ににをいがけする時に、教会の近くかどうかを確認してからにをいがけしますか?」

「いいえ、だれかれかまわず声をかけさせていただきます」
そして更に私
「新幹線の中で隣り合わせた人が急病でその方におさづけを取次ぎ、鮮やかなご守護をいただいて…、もし、その方があなたの言う教会の近くの人でなかったら丹精しないのですか?」

「いや丹精します。」
そんな問答があって、私は彼に土地所の成るほどの人になると言う真柱様のお言葉の意味を深く悟らせていただくことの大切さなど色々とお話しさせていただきました。近くの人といえば、距離が近いも一つの理、血縁関係が近いのも一つの理、いんねんが近いのも一つの理、このいんねんの理によって全てのことがなってくるのです。成って来る理は順序の理であります。見るもいんねん、聞くもいんねん、成ってくる理をしっかりと見つめる事が大切だと思います。成って来る理は親神様の思し召しによって成って来るのですから、この成ってきた順序に実践する、実動していく事が神一条に通ずる事だと思うのです。
君が私の話を聞いたと言うことも神様の深い思惑があって君との出会いをつくって下さったとも考えられませんか?「成ってくる理」その人のいんねんにあった通り、神様がつくって下さった人と人との出会いを、我が身思案で、私は縁が無いなどと断ったり、我が身思案の垣根で囲ってふさいだり、我が身思案で止めたり、隔てたりしてはせっかくの神様の思し召しを、理を跳ね返してしまうようなものです。誠に申し訳ないことだと思うのです。 それから、最近は海外の人たちが日本国内の国々所々に住んでいます。こうした人々をお助けするのもよふぼくの使命ではないでしょうか?それが「身近なところから」に繋がるお助けでもあると思います。その一人の海外の方へのお助けが、その家族の方々のお助けへと繋がり、その家族の方々のお助けのためには自らも海外へ出かけて行く。
そうすることがお助けした人が助けられた喜びを知り、その人自身が、人を助ける喜びを味わえる。そこまで丹精させていただく事こそが国々所々になるほどの理を映すことになるのだと思うのです。
 おやさまは「谷底せり上げ」と仰せになりました。そして「世界だすけ」と仰せになりました。世界だすけこそようぼくの使命なのであります。 みな世界から 一般社会でも、
「世界」を地球とかグローバルと表現して。
「せかいじゅういちれつはみなきょうだいや」を地球市民、あるいは国境無き奉仕団(医師団)と表現して色々な活動を展開しています。
一例ですが、11月18日(日曜日)埼玉中央青年会議所の社会開発委員会で地球市民運動推進の一貫として「地域に先生をつくろう」という試みを実施しました。
 7地域でそれぞれの講師を依頼して、同時開催を、各地域毎に班編成して、講師を探したり、参加者動員に奔走したそうです。
 私はさいたま市大宮別所地区での講師を頼まれました。
《アフリカからライオン先生がやって来る「アフリカの現状を知り、物の大切さを学ぼう」》
とのタイトルでした。
 私が顧問をしている民間国際ボランティア団体【AAAアジア&アフリカ】の活動現場でのドキュメンタリービデオ[緊急救援1『水と食料の供給活動』]を20分上映して、それに伴ったお話を…命は命を食べて生きている事、命は出世してだんだんと人間になる事、だから地球上の世界中の人間はみんな兄弟姉妹である事。
 限りある資源と言うけど本当は資源は無限にある事、人間の限り無い欲望が資源を有限にしてしまう事、大切なのは、必要な物を必要なだけ慎ましく使う事、そして資源を未来に残していく事が人間としての大切な心遣いである事、世界中の人間が親心の愛で助け合って生きる事などを話しました。
 質疑応答の際に、
「アフリカの人々の大変な事は分かるが、何故そんな遠くのことに私たちが関わらなければならないのか?」
「こんなよい話をもっと沢山の方に聞いてもらいたいと思う」
「すばらしい活動をしているのに知らなかった。どうしたら教えてもらえるのか?」
「お話は良かったけれど、ライオン先生が来ると言うので、もっと動物のことを話してくれるかと思った」
「これからは美味しい美味しいと言って食べます」
「いままで好き嫌いがあって、良く残していたけど、これからは好き嫌いを言わないで残さないで食べるようにします」
「安い物を見ると買っていたけど、これからは必要な物だけを買うようにします」
「家にも勿体無いと思って仕舞ってある衣類があるのですが、どうしたら良いですか?」
「使い捨てする事が美徳のように思っていたけれど間違いだと思った」
「もっと水を大切に使う事にします」
「またやってほしい」等々
 主催した委員の方々は、大感激でした。こうしたみなさんの反響をその場で聞かしていただいて、私も本当に嬉しく有り難く、聞いて下さった方が本当に素直に受け入れてくれた事が更に喜びでした。今の時旬、実動を通しておやさまがお働き下さっている事、そしてそれが更なる実動へと繋がり、国々所々になるほどの理を映す事になる事を体感させていただきました。

 感動のおさづけ拝戴

 ジャクリン・ドロシー・アジャンボさん(女)23才、ケニア共和国カニケラー村出身、ヘンリー・オミール・オジュワンさんの妹、ヘンリーさんは修養科修了後、おやさまのひながたを体して、ケニアと日本の掛け橋となるために日本語を学びたい。と、天理教語学院入学を志し、渡航費、学費等の費用獲得のために帰国後ケニアを訪れる日本人観光客ガイドとして、東奔西走していた。願書を提出はしたものの忙しさの為に、一枚の書類を期日まで送る事が適わず、天理教語学院不合格と言う結果に終わった。
 この事情から彼は一層奮起し、親族、友人、知人へとにをいがけの傍ら、自らの日本語の未熟さからくる行き違いや間違いを痛感し、カイ日本語スクール(東京新宿)受験に取り組み合格。二年間の日本滞在学生ビザを取得、私の所へのホームステイを依頼してきた。
 私は彼の熱意に感動し二つ返事で了承した。
 この話は、2001年1月27日からの「第1回アフリカお助け隊」でケニアを訪問した時に、ヘンリーさんのナイロビ講での大祭の際に聞かしてもらったのである。
 私たちは、ヘンリーさんの出所である、カニケラー村も視察。
 村について、ヘンリーさんの母親が身上である所から、おさづけを取り次がしていただいた。鮮やかなご守護に感激。半年後の8月第16回東アフリカ視察団も再度訪問、庭に出て私たちを出迎えてくれた。
 5人の方々が今年4月からの修養科入学を目指して、観光ビザで日本入国を試みたが、在ケニア日本大使館で審査の結果却下された。航空チケットまで購入しての手続きであったので、そのショックは以下ばかりであったか、日本側としても多くの方に特別のご真実を寄せていただいたのでした。誌上をお借りして厚く深くお礼を申し上げます。私自身は結果的に理を軽くしてしまった事を神様にお詫び致しました
 ヘンリーさんのお母さん、奥さんと子供、妹(ドロシー)さん、トゥフェンさんのお父さんの4人が今年は海外部アフリカ課のお世話で6ヶ月ビザの手続きを申請中。これが通れば、来年4月から修養科、講習(英語コース)と受講する事ができるので、祈るような気持ちで書類を作成しました。
 ヘンリーさんは、日本語の全く分からない4人のために、せめて妹(ドロシー)にはおさづけをいただいて、他の人の世話取りをしてもらおうとの思いから、この度、短期で日本語学校を学ぶ為に妹を日本に招聘して、その間におさづけの理を拝戴する事になったのでした。連休を利用して別席を毎日2度づつ運んで明日が9席目と言う11月24日の夕勤め後、詰所にて、彼女は突然頭が痛いと騒ぎだした。この月は大教会世話人先生のお入り込み特別団参できて下さっていた役員さん布教所長さんの添い願いのもとに、団体責任者、山崎敬充さんがおさづけをお取り次ぎしのです。終わったと同時に彼女が手まねで頭に手をやって頭が飛んでいくような仕種をする。そこへ手引きの親であるヘンリーさんが戻って来る。通訳してもらうと、「もうすっかり痛く無い」と言っている。一同揃って大喜び感激させていただいた。神様の有り難いご守護を団参参加者全員が感受したのです。
 自らおさづけの効能を体感してから受けた9席目は本当に素晴らしいお話として彼女の心を捉えた様でした。
 私は彼女のおさづけ拝戴までの経緯を、理の子が出て来るのを回廊で待つ方々に話し続けました。喜び心で待つ身に寒さは吹っ飛びました。
 11月26日おさづけ拝戴!
感激!感動!感謝!よふぼくの使命達成感であり、今後の丹精を自覚する瞬間!
 私は、同じ思いの手引きの親や関わった方々に次々と電話を繋いであげました。電話口で頭を下げ感動している彼女を見て陽気ぐらしの神髄に触れ、共に感動する自分をずしっと感じるのでした。おやさま有難うございます。           合掌

165.1 母の出直し

「『カラスの子』『ぞうさん』『もしもし亀よ』三曲歌って気持ちよく眠りはじめました。お湯を投げに行って戻ると息づかいがおかしかったので、とても慌てました。」と介護の方が語ってくれました。
 13日は上級の月次祭で夫婦揃って留守になるので、介護の方にお願いして出かけた後、午前10時55分眠るがごとくの出直しでした。

 発葬祭にケニアから弔辞が届きました。

「『大好きなおばあちゃんへ』
私が、若い頃の思い出をおばあちゃんに聞く度、最後に
「とにかく働いたったらなかったねー。働くだけ働いたよ。だけど、自分が働いた事で、自分の知らぬ間に人を働かせすぎたんだねー」
と、寂しげに言っていたおばあちゃん、長い間本当にご喜労様でした。
 おばあちゃんが出直されたと聞いたのはイジャラの家でした。なぜか普通にそうですかと言っていました。それはきっとその報をケニアに来てどこかで聞くと予想していたからだと思います。ガリッサに戻り、父に電話を入れ、出直された時の様子を聞いて、苦しまずに良かったと思いました。そして今、この最後の手紙をおばあちゃんに書きながら涙が一滴二滴と落ちてきています。
 私がおばあちゃんと向き合って過ごした日々、おばあちゃんの人生にとっては非常に短期間だったのだと今にして感じています。
一緒に仲良くお茶した事、ご飯を食べたこと、雑巾を縫った事、洗濯を干した事、おぢばに行った事、車椅子を押した事、褒められた事、怒られた事、喧嘩した事。
 笑っていたおばあちゃん、歌っていたおばあちゃん、怒っていたおばあちゃん、寂しそうなおばあちゃん。いろいろなおばあちゃんを思い出す時、いろいろな事があって、離れていてもいつも気にかかり、どうしているかと思う時があって、私は今、はっきりと自分はおばあちゃんの事がとても好きだったという事を改めて自覚しています。
 おばあちゃんだったから、自分の感情を素直に出し、喜び、笑い、怒り、哀しみ、泣き。
おばあちゃんだったからこそ、真正面から向き合いました。それに答えてくれたおばあちゃんも、きっと真正面から私に向き合ってくれていたんだと感じています。
 その日々の中で自分が一番感じた事、今いつでも心に思っている事は、私はおばあちゃんに似ている所があり、それはいつも私がおばあちゃんにひっかっかって、つっかっかっていた部分だという事、そしてその部分は他の人と共に生きていく上で非常に重要な部分であった事、おばあちゃんと離れて生活を始めて、じわじわとそれに気がつき、気がついた事でおばあちゃんと過ごした日々は、私の人生にとって非常に重要な時間であり、無くてはならなかった時間であった事を日がたつごとにひしひしと感じると共に、ふと心が緩んだ時に、思い出し、心を入れ替えて、また、やり直しています。
苦悩の顔でよく言ってましたね
『いんねんならば通らにゃならん、通り返してはたさにゃならん』
このお言葉を私も心においてこれからも通っていきたいと思います。
 私がアフリカから帰る度『久しぶり!』と声をかけると、おばあちゃんはいつも『なんだよ久し振りって、いつも会ってるじゃないか』と言う言葉で、迎えてくれました。その度、もう忘れられただろうと思い、帰って来て、おばあちゃんのこの言葉はいつでもうれしかった。
 この10月に会った時には、もうその言葉は出ませんでした。寂しかった。でもその事でアフリカに戻ってくる踏ん切りをつけてもらったと思っています。
 最後まで生きる意欲たっぷりのおばあちゃんの人生に、心からのお労いと心からの感謝をケニアの空の下から届けさせて頂きます。ご喜労様、そして本当にありがとう!これからも私の事を、皆の事を見守ってください。
                      2001年12月16日
        阪本 智恵 Sakamoto Akira & Chie C/O Mikono International, P.O.BOX 753, Garissa, Kenya.
 12月10日に、伊東美恵子さん御夫妻が、前会長さんを連れて来られました。母と前会長さんとが椅子にかけて久しぶりの御対面と成りました。異口同音
「おばあちゃんずいぶん長生きしているね、私はもうこんなになっちゃったよ」
と言うのです。
「おばあちゃんて誰の事?名前は?」
「タメさんだよ。おばあちゃん」
ご両人ともそう言うのです。二人で向かい合って、自分の母親だと思って、母と叔母、姉妹が話していたのです。
 翌11日は年の納めの月次祭、大勢の方々が参拝に来て下さって、いつものように、おばあちゃんにご挨拶して下さいました。
 すべてが済んで、母にご挨拶に行きました。
「おばあちゃん『喜びの生活』読みますか?」 
「何処を読んだらいいんだい」
「私が読ましてもらうから、聞いててね」
12月号を読みはじめました。聞きながら
「そうだ」
「その通り」
と声を出して相槌をうってくれるのです。
「おばあちゃんそんなに感動してくれて、うれしいね」
「全くその通りだものねえ」
心嬉しく読み続けました。読み終わると手が赤くなるほど拍手をしてくれるのです。
「おばあちゃん手が痛いでしょうに」
「全く良く書けているよ!その通りだよ」
親に喜んでもらえた子の喜びで、足をさすらしていただく事にしました。時にはむくみの有る事もあったのですが、足のむくみは有りませんでした。大体息子の私が肌に触れる事はとても嫌うのです。それが素直にやらしてくれるのですから、とても気分が良かったのだと思います。
「気持ち好い?」
「ああ、気持ち好いよ」
「そう、それなら身体も」
と言って私は体中を静かにマッサージさせていただきました。その間
「気持ち好いよ」
を連発するのです。こんなに喜んでもらった事は今まで無かった事でした。
 毎日朝の食事を、日参している姉(日佐子)がしてくれていました。
13日の朝は、
「あまり食べたく無いみたい、咳がひどいので、花梨のエキスを飲んでもらったから」
との事で、帰りました。その後妻が食事をさせていたのですが、もう上級へ行く時間が間に合いそうも無い所から、その事を告げると
「それじゃ会長さん私準備するから、フルーツ食べてもらって」
「よっしゃ」
大きな三日月型のメロンをスプーンで口にはこびました。
「美味しい?」
口に入れる度に聞くと
「美味しいよ」
といって本当に良く食べました。普段ですと、私の食べさせ方は早すぎて口をふさいで止めてしまうのです。この日は私を喜ばしてくれました。
「おばあちゃんおさづけ取り次がしていただくね」
心を込めてお取り次ぎ致しました。
「すまないねー」
「上級のおつとめに行かしていただくから、おばあちゃんは寝ながらでいいからおつとめしていてね」
小声で
「あしきをはろうて、、、、」と歌い出しました。
 「入り日良ければ日の出良し」泉東の前会長様が良くおっしゃっていました。母は素晴らしい出直しでした。 おやさま有り難うございます。             合掌  続く

167.2母の出直し その2

「おばあちゃんおさづけ取り次がしていただくね」
心を込めてお取り次ぎ致しました。
「すまないねー」
「上級のおつとめに行かしていただくから、おばあちゃんは寝ながらでいいからおつとめしていてね」
小声で
「あしきをはろうて、、、、」
と歌い出しました。
「入り日良ければ日の出良し」泉東の前会長様が良くおっしゃっていました。母は素晴らしい出直しでした。

 上級島渕の月次祭の着付けが終わったところへ智子さんから電話が入りました。「おばあちゃんの息が…」後は涙声で詰まっていました。
会長様に報告して
「うんと悪いの?」
「はいダメかも?帰らしていただいてよろしいですか?」
「すぐに!」
会長様の微妙なお顔でした。
納めの大事な月次祭、一瞬戸惑いましたが、お許しを素直に受けたと言う事にして、自分の心を納得させて、
「すみません!」
おつとめ着のまま教会を飛び出しました。
「すぐに携帯を」
焦る心を押さえて、しかし、興奮したままの運転でした。携帯からもれ聞こえる家内の声に
「救急車!?どうして?なぜ!?」
「ちょっと静かにして」
 実は私たちは主治医である金子医院の院長先生と綿密な打ち合わせをしていました。肺がんである事が診断された時、本当の子供達が集まって母の入院を止める事に決議していたのです。惚けているとはいえその場その場の自分の意志はきちんと解っている状態でした。入院や検査や注射を極端に嫌がり、結構しっかりした意志を持っている母への思いやりとしての決断でした。毎日毎日、朝は日佐子姉が、食事の世話をしてくれました。着替えも洗濯してくれました。日参して下さっている皆さんが毎日顔を出して下さって、元気のない時には歌を歌い、疲れていそうな時は静かに、本当に周りの者が真心を尽くさせていただいていたのです。
 金子先生からは、
「息が苦しくなったら酸素を、痛がったら注射を、いつでも用意していますから」
と何度となくご親切に言っていただいておりました。一二月六日頃に敬充の介添えで妻が金子先生に連れて行ってくれました。
「結構進んでいるね。相当痛いし苦しいと思うけれど、酸素も注射もいつでも準備してあるから言って下さいよ駆け付けますから、十四日過ぎたらこちらも落ち着くので一度往診します」
とのことでした。
 と言う訳でしたから、まさか救急車を手配したとは思いも寄らず、私たちは金子医院に向けて走る。携帯電話で逐次連絡を取りながら、息子からは救急隊員から入院を迫られている旨が入り、
「その必要は無い、すぐに金子先生が」
と繰り返す、間無しに携帯が鳴る。、だったら救急車が先生を迎えに行くと言う、もう出たと言う。何処で落ち合えばいいのか?落ち着きながらも焦る勢いで金子医院に到着、おつとめ着のまま飛び込む、待ち合い室の患者さんが
「お葬式中に又?」
「いやこの着物は天理教の尊い月次祭を勤める着物です。」
「あら失礼」
こんな会話をしながら大慌てで着替える私でした。
 着替えが終わったところへ、先生と看護婦さんが往診準備ができて慌ただしく診察室から出てきました。と同時に、救急車のサイレンが医院の前で止まりました。私は先生を先導しながら、救急車へ、家内は私の着物を受け取って、おつとめ着のままで車を運転して、救急車の後を追って、教会へ向かったのです。
 救急車の中で先生が、
「どのような状態でしたか」
「ハイこの二、三日は咳がよく出るので大丈夫と聞くのですが『これ位大丈夫だよ、心配入らないよ』というんですよ」
「痛がりませんでしたか?」
「ハイ痛いとは一度も言いませんでした。」
「信仰のお陰ですね。相当痛がり、苦しむものなのですが、不思議ですね。私は酸素と注射を今か今かと思って用意して毎日待っていたんです。これが信仰のお陰と言うんでしょうね」
先生はしきりにおっしゃっていました。
 教会に着いて、人工呼吸を続けてくれていた救急隊員が金子先生に状況報告、書いたものを静かに見ながら報告を聞いていました、そして、金子先生から
「御臨終です」
と母の最後が、居合わせた人たちに宣言されました。
 金子先生と五、六人の救急隊員と居合わせた人たちに介護の方が泣いてお詫びを言うのです。
「申し訳ございません。私はこの方とは今日で二度目なのです。私の介護に違いがあったのでしょうか!?」
救急隊員に、そして先生に、必死の思いだったのだと思います。
「救急車を!」
彼女の声に押されるように救急車を呼んだと息子栄慈は後から言ってました。日佐子姉が直ぐに来てくれて、救急病院へ連れて行こうとする救急隊員に連れて行かないように必死で頼んだそうです。
 すべてを知っている私は、救急の方にも、介護の方にも御礼を言いました。事の次第を静かに伝えました。ホッと心から安心してくれました。わたしはもう一言
「私の母は信仰心の篤い人で、本当に人様に尽くし切った人なのです。我が身は勿論、わが子、我が家の都合を捨てて神様のご恩報じに尽し切り、人様のタメにお金を使い切った方です。この教会も一部は母の全財産が尽くされて建ったものなのですよ。インネンも深かったのですが、それを自覚してよく信仰を続けて下さったのです。私たちに物では僅かしか残してくれませんでしたが、しかし、私たちにとっては、母の信仰信念こそが、神様に尽し切ったお徳が、それが、火にも焼けない水にも流されない大きな心の財産として残されているのです。
 あなたはお徳の有る方です。こんな素晴らしい母を看取る事ができたのは、たった一人あなただけなのですから…。
 母がいつでも歌う歌は、戦友、銀座の柳、最近では息子の栄慈の結婚のために練習して覚えた、めでためでたの若松様。出直し直前は貴女と二人だけの童謡でした。これも珍しい事です。貴女の介護が素晴らしかった証拠です。心から嬉しかったのですよ。こんな徳の高い母を看取ったのですから、貴女のような介護こそ最高の介護だと私は信じます。どうぞ元気を出して下さい。介護の仕事を止める等と言わずに続けて下さいね。本当に素晴らしい事ですよ。これから貴女の人生は素晴らしい人生になりますよ。」
そして天理教の出直しの教理を伝えさせていただきました。
 彼女は心から喜んで下さいました。葬儀の終わった数日後に素敵なお花を持って参拝に来てくれたのでした。
 思いもよらぬ救急車の介在、しかし、これも又、成ってきた理、そしてそこに又不思議な話の種が残り、新たな方々に、にをいがかかったのです。 エピソード 渕和からの救急車の手配で先ず来たのは消防車でした。何故か、きっとあの火災以来からの事なのでしょうか?その後に再度消防車騒ぎが有りました。『電子レンジ事件』これは湿気たお煎餅を乾燥させるために、母が電子レンジで…、後で分かった事は、タイマーのやり方が解らず、目一杯時間をまわしてしまったのが、その理由なのですが、お勝手付近から立ち上る黒煙、消防車手配となったのです。それ以来、母は火を使う事を躊躇しはじめました。きっと消防署では渕和はブラックリストにきちんと入っていたのだと思います。だから救急隊が来たのは普通よりは遅れているはずです。それがすべてのタイミングをうまく調整してくれたとも言えるのです。
おやさま有難うございます。 合掌ページトップへ 

165.3 ものだねを蒔き続けよう!

にち/\に心つくしたものだねを 神がたしかにうけとりている

しんぢつに神のうけとるものだねわ いつになりてもくさるめわなし

たん/\とこのものだねがはへたなら これまつだいのこふきなるそや

 しんぢつにをもてゞよふとをもうなら 心しづめてしんをたづねよ     四号 84

 おふでさきでお示し下されております「しんをたづねよ」の「しん」は「真実」で尽しきる事で、その心に神様からいただける「ものだね」であると悟らしていただくのです。そしてその「ものだね」は、「おつとめとおさづけ」の実動であると思うのです。 教祖伝逸話遍7真心の御供え、15この物種、29三つの宝、30一粒万倍、74神の理を立てる、171宝の山、174そっちで力をゆるめたら、186結構なものを、189夫婦の心、190この道は、197働く手は  などなど色々な場面で教えていただいております。 「ものだねとは要る時に要るだけ与わる事」とおっしゃった先生がいらっしゃいましたが、全くその通りであると思います。そして、「要る時」とは「神様の御用に」使う事であると思うのです。泉東の親会長様は、実に分かりやすく「須らく機関車の石炭となれ」と教えて下さいました。我が身我が家の事を忘れて人様に助かっていただく、その極意を教えて下さったのです。神様が受け取って下さった誠真実は、物種として末代生え続けてくれるのです。悟り違いの無いように、しんから外れないように、我が身の都合を入れずに、共々に日々に真実の種をまかしていただきましょう!
 そして、成って来た理をしっかりと見つめておやさまのひながたに照らして、人様から笑われ謗られても続ける所は続けて、反省する所は反省し、しっかりと心の立て替えさせていただき、おやさまひながたの道をまっしぐらに歩みましょう!
 おやさま有難うございます。         合掌ページトップへ

165.4神一条の精神とは

天然の理と言う。心に理を治め。成る道ならん道、成らん中の道が天然の道である。案じた分にゃいかんで。??これから天然の道と言う、長い道である。どんな事も積み、天然の理である。こうなったらどうと、小さき心を捨てゝ了い、大きく咲く花の理と心を治め。(明治33年4月8日)

 どんな事も成って来た事を見て、喜び勇んで通る事の大切さをお教え頂いているので、成る中の道こそ天然の道ではないかと思いやすいが、ならんなかの道が天然である、とおっしゃった。
 成って来た理をしっかりと見つめ、深く悟る事、と同時に、日々の心遣い行いを心鎮めて芯をたずねる事の大切さをお教えられたものと悟らせて頂くのです。
 朝起きて寝るまでが私たちが人間として意識出来る訳でありますが、その意識、心の持ち方をどんな細かな事でも、心鎮めて芯をたずねる事、おやさまのひながたに照らして、意識決定していけば、成って来た理を深く悟る事ができ、神様がお喜びになる、なるほどに人なれると思うのです。
 そう心して、実行している中に、考えもしなかった事がおきて来ます。笑われたり、謗られたり、困難や反対があったりする事があります。こういう時こそ、日々の信仰のあり方が、問われる時であり、日々に神の受け取るものだねが蒔かれてあれば、素晴らしい理の芽がふく、理が働くのです。
さあ!勇んでかかればホコリちる。我が身の都合を捨てて、神一条に通りましょう!

165.5 ドミニカ共和国との出会い

 第一回ドミニカ共和国視察団出発!
 期 間:5月14日〜23日(成田発着)
 行き先:ニューヨーク経由サント・ドミンゴ
 内 容:昨年20フィートコンテナを一本贈った。その贈呈式と配付作業を実施。
 参加者:5名 AAA代表、事務局長、中里睦子、石原藤彦、相京美津夫の各氏。

 ドミニカ共和国との出会いは白石サキ子さんがAAAスタジオに来られたこと、彼女の話は手紙で紹介された通りですが、熱い国ドミニカ共和国で使えるような衣服の仕分けをして欲しいと彼女は言うのです。そして自分がするからと…、私たちは、全国各地から来る物資をそこまで仕分けしている時間が無いことを伝え、その作業に共に付き合っている間が無い為に、お断りもしたのですが、一人でもさして欲しい、と、彼女は、毎日東京から通ってきて、衣類の仕分け作業、箱詰めをはじめました。その熱心さにほだされて、ついに他の仕事を止めて、白石さんの「ドミニカ衣料仕分け作業」を追われている仕事を後回しにして手伝うことになりました。その作業の間に色々と白石さんのお話を聞いたり、又、私たちの話を聞いてもらったりと、お互いの考えや、思いが伝わりはじめました。白石さん自身が感動してくれたのは、ボランティアとして応援している多くの人たちの姿を見て、また、私たち家族が揃って世界だすけを推進実動している事に感動したのです。そして、その行動の芯にお道の教えのあったことを知り、自らもその教えを学ぶことを申し出てくれました。彼女の熱い思いは次の手紙に記されています。 白石さんの手紙、「私は二〇〇〇年一二月三日の国際身体障害者デーに大統領の機関である、ドミニカ共和国身体障害者国家審議委員会の国際顧問に任命された方ました。ドミニカ共和国は中米に有り、われわれ日本人にとっては距離的にもっとも遠い地域ですが、古くから日本人の移住が行われ、多くの日系人、在留邦人が存在し伝統的に友好関係にあります。この国の経済は一次産品の輸出に依存しており、その基盤は弱く、社会資本不足、税制の不備等による所得格差からくる貧困問題は深刻です。 加えて麻薬、環境等の問題も山積みし、依然として経済社会開発、社会福祉の遅れ等のため先進国の資金的、人的援助を必要としています。 ドミニカ共和国では、日本車(トヨタ、日産、ホンダ、ダイハツ、スズキ、マツダ)が九〇%のシェアーを占めており、日本のバイク、日本の家電も車と同じように高いシェアーを占め、日本製を高く評価しているのがドミニカの人たちです。 また、移民して行かれた日本人の皆さんも多く苦労されながらも、今ではドミニカ共和国の経済界においてリーダー的役割を果たし、日本とドミニカ共和国の経済に大きく貢献して橋渡しをしております。 ドミニカ共和国は、身体障害者が多く経済的にも困窮をしています。道路には松葉杖をつきながら、車椅子に座って、両手のない人は首から缶をたらして車や、また人に向かってお金を要求しています。この様な光景は日常茶飯事です。まるで肢体の不自由さを売っているかのようにさえ感じることも有りますが、貧しさゆえの捨て身の策でしょう。この様な方と共に働くことができる身体障害者の施設をつくり、また身体障害者のための基金をつくり、身体障害者に経済的助援ができる資金を必要としております。 この資金を生み出すために、チャリティーバザーを企画しました。この企画に対し、日本の皆様のご支援をお願い致したく来日しました。共存、共栄しながら地球規模的視野に立ちご支援をお願い致します。 チャリティーバザーをすることにより資金づくりをするという大きな目的は勿論、このバザーにより貧しい人たちを安くて良い日本の商品を提供することにより「うるおい」を感じていただけると思います。 ドミニカ共和国身体障害者国家審議委員会 国際顧問 白石サキ子 白石さんは、別席(初席)を運んで下さいました。今はドミニカに住まいしていますが、おさづけを戴くのを楽しみにしてくれています。

渕和4代会長の座右の詩

匂いが掛からんだら掛からんでよろしい
お助けがあがらんだらあがらんでよろしい
食えなんだら食わんでよろしい
そんなこと神様のなさることや
あんたはただ歩いたらええのや
雨の日も風の日も毎日な
歩けんようになったら座ったらええ
人間の領分と神様の領分と
はっきり分けることが肝心や
賢うなったら道は通れん
喜びは湧いてこん
この道は実行
ひながたの道通るより他に道はない

3年この通り通ったら 
よふき遊山に変わる
次から次へと忙しくなる
一刻一刻毎日毎日毎月毎月毎年毎年
嬉しい有り難い結構なことばかりになる
20年30年経ったら・・・
お言葉通りである

徳積みの実践

関根豊松先生のお言葉

徳とは人の前にあるのではない人の見てない陰にある。
人の見てない陰こそ誠をしておけ、
すると人の出来ない働きをする。
人の見てないところこそ自分がよく知っている。
自分の知っていることこそ神が知っている。
お蔭様という言葉をよく聞く、その通りである。
陰が正しく通ってあれば、
人間は何一つ困ると言うことが起きてこない。
陰でお金を大事にしている人には、お金が集まってくる。
陰で物を大事にしている人には、物が集まってくる。
陰で人を助けた人は、大事なとき思わぬ人の援助を受ける。
陰で天理を全うしている人の言うことはこわい、
ものごとが言うとおりになってくる。
だから言うとおりに守らないと、理が出てくる。
人間は陰と共に歩き、陰はどこまでもその人について働く。
人間はどういう道を通ってきたか、
日々人の見てないところでどういう通り方をしているか、
それがその人の財産だ。
だからお道は、陰で天理を全うすることを、教えるのだ。
徳と呼ぶものはその人の陰の力のことである。

「おやさまひながた」の三信条

 神様はそれぞれの成人の程度を見て、時に応じ、旬に応じて、寸分狂わぬお仕込みをして下さいます。それがその人の節です。成ってくる理をしっかりと見つめて思案させていただき、節から芽が出るようにしっかりとした信仰信念を基盤に日々を暮らさせていただく事を決意しました。

 日々教祖のひながたをまっ正直に歩ましていただきましょう。教祖ひながたの三信条はつとめ一条、たすけ一条、喜び一条の実行であります。それが親神様の思し召しを覚らせていただく一番の近道であり、人間の幸福への近道であると私は信じます。

つとめ一条
 朝夕のおつとめは心の掃除です。真剣につとめさせていただく事で神様がほこりを払ってくださいます。

   せかいぢうむねのうちよりこのそふぢ 
   神がほふけやしかとみでいよ        3号 52

複数の人間が暮らしているのですから、それぞれ相手に思いやりを持って暮らしていても行き違い、思い違いなどがあり、知らぬ間に埃を積んでしまうものです。欠かさずつとめてほこりを払います。
   ほこりさいすきやかはろた事ならば
   あとハめづらしたすけするぞや       3号 98

 月次祭は御恩報じです。このおつとめは命切換えの大事なおつとめです。親の思し召しを覚らせて頂く大事なおつとめです。しっかりとご守護いただいたお礼を申し上げ、御教え通り命懸けでつとめさせていただきお宝を十分に戴きましょう。
   とのよふなむつかしくなるやまいでも
   つとめ一ぢよてみなたすかるで       10号  20

   つとめさいちがハんよふになあたなら
   天のあたゑもちがう事なし        10号 34

たすけ一条
 おたすけに出させていただくと、悪いんねんにまみれた自分を自覚させていただけます。そして今の自分が7分は神様が足してくださって一粒萬倍のご守護を下さっていることに気がつき、感謝の心が湧き出ます。
   わかるよふむねのうちよりしやんせよ
   人たすけたらわがみたすかる      3号 47

喜こび一条
 どんなまじゃくに合わないことと思われることでも、成ってくることは全て神様の深い親心によるものです。末代にわたって陽気ぐらしさせたい親心から節を与えてくださるのです。
   にち/\によふほくにてわていりする
   どこがあしきとさらにをもうな     3号 131
 さて、本来人間の最も深い元のいんねんは、〈よふきぐらし〉であります。人間に〈よふきぐらし〉をさせたい深い親心から、それぞれの立場に合わせて身上、事上にしるしをつけて、お引き寄せくださって、その元をお教え下されているのであります。
   しやんして心さためてついてこい
   すえハたのもしみちがあるぞや      5号 24

平和祈願祭・戦没者慰霊祭をつとめ終えて

稿本天理教教祖伝第八章 親心で 次のように記されている。

月日よりしんぢつをもう高山の たゝかいさいかをさめたるなら    第13号 50

 このもよふどふしたならばをさまろふ よふきづとめにでたる事なら  第13号 51

 この心たれがゆうとハをもうなよ 月日の心ばかりなるぞや      第13号 52

 このつとめ高山にてハむつかしい 神がしいかりひきうけをする    第13号 53

 このたびわどんな事でもしんちつに たしかうけやいはたらきをする  第13号 54

 親神は、心の底から戦いの治まりを望む。戦いは、おごり高ぶる人間心から起る。いかにもして、戦いをこの世から無くしたいとの思いから、親神、かんろだいのつとめを始める。かんろだいのつとめは、世界平和のつとめである。しかも子供たる人間は、親神のこの真実を知らずして、徒に差し止める。しかし迫害も干渉も少しも恐れることはない。親神は、確かに引き受けて自由自在の守護を現わす、と教えられた。」

 おぢばに於けるかんろだいつとめとおぢばの理を戴いてつとめられる世界中津々浦々の教会の月次祭がいかに大切なものであるか、月々のおつとめによって世界平和がくる事は間違いない事である事をも知ることが出来る。
 にもかかわらず8月に平和祈願祭と戦没者慰霊祭を提案し、つとめるに至ったのは、11年前に父城之助御霊、叔母愛子の御霊、更に妻の父渓一の御霊と戦没御霊様の50年祭を勤めることで、全てが終わってしまったように、勘違いしやすい、我が心を戒めるためで有りました。
 教祖120年祭に渕和分教会設立50周年が立て合い、しかも、個人の御霊様の年祭が終わったという11年目に当たることから、敢て、このおつとめを勤めさせていただいて、事改めて、戦争を起こさない誓いとしたいと思い提案させていただいた訳です。
 会長様始め役員先生が全員一致で賛成して下された事はこの上ない喜びであります。この平和祈願祭・戦没者慰霊祭は特別なお願いつとめとさせていただければ、と思わしていただきます。

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