|
|||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||
|
159.9 三代会長任命
立教159年9月26日渕和分教会教会長任命願い並びに就任奉告祭願いのお運び =天理教渕和分教会教会長山崎城之 ねがひどうりすみやかゆるす= =就任奉告祭十一月三日 ねがひどうりすみやかゆるす= 9月26日眞柱様を通して理のお許しを戴きました。三代会長就任奉告祭は11月3日でお許しいただきました。届きません者でございますが、精一杯つとめさせていただきますので、ご指導ご鞭撻の程伏してお願い申し上げます。 9月10日〜14日まで本部講習課のご指導で教会長任命講習を受けさせていただきました。特におつとめについては祭儀式・鳴り物・地方・てをどりなどの扱い方、基本の手振り、音程などを具体的にご指導いただきました。 自分が大分違っているところがあり深く反省させていただき、更に練習、訓練を続けさせていただく心を定めてまいりました。忘れない内にできるだけ早い機会に皆様にお伝えし、共に勉強させていただきたいと存じます。 ご多忙のこととは存じますが、日程が決まりましたらお知らせいたしますので万障繰り合わせてご参加下さい。尚、当日止むおえずご参加いただけない方には随時お伝えさせていただきますので、ご都合をご連絡下さい。 この「つとめ」について教祖は、「これは、理の歌や。理に合わせて踊るのやで。ただ踊るのではない、理を振るのや。」と、仰せられ、また、「つとめに、手がぐにゃぐにゃするのは、心がぐにゃぐにゃしているからや。一つ手の振り方間違うても、よろしくない。このつとめで命の切換えするのや。大切なつとめやで。」と、理を諭されています。おつとめの完修に真実でつとめさせていただきましょう。 合 掌 「我は元の神・実の神である。この屋敷にいんねんあり。このたび、世界一れつをたすけるために天降った。みきを神のやしろに貰い受けたい。」 立教の元一日については教典の第1章を拝読してください。これは私が会長になって、始めての皆様への宿題です。 元一日をたずねる。元を知った時に本真実にふれることが出来るわけです。お互い様に立教の元をしっかりと心に治めて通らせていただきましょう。
今日は私自身の信仰の元一日について、体験をお話しいたします。
左の耳が痛くて、このときはおばあちゃんに柳島へ連れられて、三代会長様(坂口冨作先生)がおさづけを取り次いでくださいまして、ぴたっと痛みが治まったのを覚えています。このように、おさづけを通して、神様を身体で感じては居りました。が、自分自身がお道の信心を自覚させて頂きましたのは、私が27歳の時であります。以下の重大人身事故を機に、井口光枝二代会長様がお願いづとめをして下さり、更に心定めとして修養科行きを勧めて下さいました。親々の信仰からこの道につかせていただきました。幼い頃にひどい霜焼けで、布団に入ると足が暖まって、痒くなり、布団の中で口惜しくて泣いていました。こんな時に渕和の初代であるおばあちゃんが足もとの布団をめくっておさづけを取り次いでくれました。目が覚める何時の時でも朝でした。おさづけの終わったことは記憶にありません。そのくらいに鮮やかなご守護を戴いていたのです。 私の信心はこの修養科へ行かしていただいたところから始まります。二代会長様のご恩は生涯忘れず私の信心の元始まりとして、末代に語り続けさせていただきます。 昭和44年12月10日浦和市内の六間道路を走行中に一人の少年をはねてしまいました。定速走行中に10メートル程先に少年が飛び込んできました。とっさにブレーキをかけましたが、間に合わず、その少年は車のボンネットの真ん中の角に当たって、宙を飛び、5メートル先の方へ落ち、転がって、道路と塀の角に当たってうずくまり動かなくなりました。 ブレーキをかけたのに、車が止まらず、少年をはねていたのです。はっと我に返り、車を飛び降りて、少年の安否を確かめました。少年は生きていたのです。 「ごめんなさい。」大丈夫でないことが分かりながらも私は「大丈夫か!」と声をかけました。「大丈夫です。」力ない声が返ってきました。 私は、大声で「おかあさんはいませんか!」と叫びながら、赤電話に飛びつき、救急車をそして警察に、会社に電話をしました。 現場にはお母さんが「いつも言っているでしょ!なぜとびだしたの!」と狂ったように子供をしかりつけていました。 子供を思う純真な母心だったと思います。「お母さん近くの病院へ行きましょう」と、長島外科病院へお母さんも車に乗せてかけ込みました。 緊急治療室には、私は入れませんでしたので、警察には、直接病院へ来たことを連絡しました。 医師は私に死の宣告をしました。レントゲンの結果、腰骨骨折、恥骨ひび割れ、レントゲンでは内臓は見えないが、これだけの骨折からして99%は破裂していると言う以外にないだろう。手の打ちようがない。と言うことでした。 「但し、奇跡が起これば、助かるかもしれない。何れにしてもこんばんが峠」とのことです。 私は教会に走り会長様に「子供を助けてください」とお願いしました。 いよいよ運転者としての賠償問題に入るわけですが、実は任意保険が3日前の7日で切れていたのです。大変なことになりました。 私は再度教会を訪ね、神前に額ずいて、神様のおはたらきを疑った事をお詫びしました。そして、今度こそ神様の話を信じきることを心から約束して、更に任意保険の日取りを変えてくれように頼みました。 一方私は毎日病院へお見舞いに行かせていただきました。病院内を駆け走るほどに日に日に良くなっていくのが分かりました。不思議に回復は早く1カ月で退院できるようになったのです。 保険証の数字は変えてくれませんでしたが、子供の回復、裁判の判定などの結果が良く出て、結局強制保険の範囲内で双方円満に示談まですっきりとかたずいたのです。 その後、3〜5月の修養科時期は会社の方で新たに始めた新規事業が漸く実を結び、成果が上がり始め、忙しくなってきましたので、会長様に 私は修養科に行かせていただいて神様の不思議のおはたらきを目の当たりにしました。おやさとぢばで元を教えていただき感動したのでした。 私自身の信仰の元一日は以上のようなわけであります。会長様のご指導があったからこその今日の私があるのです さて、本来人間の最も深い元一日のいんねんは親神様の思し召しである 成人次第に神様が見えてきます。そして、それぞれの成人の程度を見て、神様が寸分狂わぬお仕込みをして下さいます。それがその人の節です。 節から芽が出るようにしっかりとした信仰信念を基に日々を暮らさせていただきましょう。親神様の思し召し通りに歩みましょう。教祖のひながたをまっ正直に歩ましていただきましょう。教祖ひながたの三信条はつとめ一条、助け一条、喜び一条の実行であります。それが親神様の思し召しを覚らせていただく一番の近道です。 「部長アッ君が救急車で、奥さんも乗って行かれました。中央病院です。直ぐに行ってください!」 11月11日は初代会長の祥月命日と立て合う月次祭です。その様な意味から渕和の初代のお話しをさせていただきます。 「私が今日まで生きている間で、泉東部内で知っているたんのうの人という方は、二人います。その一人が渕和の初代さんです。今一人は日置荘の初代さんです。」 と、前置きしてお話下されたのは、北野田の駅から歩いて泉東に来る頃のことです。その頃には、門を入ると井戸があって、やれやれと言いながら、 「こんな遠い大変な中を会長さんは東京までお話に来て下さる本当に有り難い勿体ない」 と、つぶやきながら井戸水を美味しそうに飲んでいたそうです。自分が苦しい思いをしたときに、人の苦労に感謝できる精神こそたんのうの極意ではないでしょうか。 このように物事の受け取り方の素晴らしい方でした。私たちは初代と共に生活させていただいておりましたが、夕食時にお下がりのお神酒をコップに一杯ちびりちびりと飲みながら半分ぐらいになると話が始まりました。「おれは胃弱で食べ物屋をしているのに食べることも出来なかった。着る物はしょっちゅう質屋に入って、店の家賃だってなかなか思うようには払えなかった。今は本当に有り難い、こうして女だてらに毎晩晩酌が出来るようになった。有り難いことだ。それからおれは先案じが強くて何時でも先のことを心配ばかりしていたが、今は度胸が良くなった。教祖のお供をしているのでなんの心配もいらなくなった。本当に有り難い。神様は本当に有り難いんだぞ。」そして、話はきまっておぢばがえりの事や上級参拝のことでした。が、特に次のお話が記憶に残っています。増井おりん先生が教祖から柿をいただいて食べたお話です。「口でもぐもぐした柿を掌に載せて『さあ、お食べ』と手を差し出したそうです。皆さんはていよく断ったのですが、おりん先生の前に教祖が手を出されると、おりん先生は『はい』と言って頂いたそうです。その時におりん先生は息のさづけを戴いた」と言う話です。たんのう、そのもの、受ける心の真実、神様にもたれ切っていればこそ、理を素直に受け取る事が出来たのだと思います。 秋の大祭の団参では、必ず大和柿をお土産に買ってきてくれました。私は柿を見る度食べる度に初代を思いださせて頂いております。 初代の信仰の始まりは布教師岡部と言うお婆さんに「胃弱で困っているようだけど、天理教を信仰したら必ず助かるよ。近くの教会へ行ってお話を聞いてごらん」と教えられ、初代は近くの島渕分教会を尋ね、かしものかりもの、つくし、はこび、ひのきしん、の話を聞かしていただき、日参するようになったそうです。そして、お初お供えと盃一杯のお米のお供えが始まったのです。 関東大震災、大東亜戦争、東京空襲。頼りの婿殿(私の父、城之助)が戦病死、嫁入り前の娘愛子は銃後の守りに就いていたが肺結核で出直し、と次から次へと大きな節にぶち当たり、その節を生き節として、その都度成人を重ねてまいったのです。 詳細が「創立百周年記念出版泉東分教会史 第29章280頁」、「柳島百年史 第7章145頁」に掲載されておりますので是非お読みください。 初代が助かるまでにおぢばからの理が流れてきているわけです。 高安の初代はおぢばへの血肉の信仰、命懸真剣を心に誠真実で尽くされました。10月の高安の大祭で大教会長様は初代の信仰に返り「程ほどでなく、程を越すはたらき」を提唱されました。 泉東の大祭には世話人の上野主税先生が自分の信仰の元一日を見直すことを説かれました。 泉東の初代が教祖直々に「たすかるで、たすかるで、たすかる身やもの」と不治の病、座骨神経痛を半年で全治のご守護を戴き、ご恩返しの方法をお伺いしたら、教祖は「金や物でないで、救けてもらい嬉しいと思うなら、その喜びで、救けて欲しいと願う人を救けに行くことが、一番の御恩返しやから、しっかりおたすけするように。」と、仰せられた。 このお話は稿本天理教教祖伝逸話篇72、125頁に掲載されています。柳島の三代冨作会長様は、「小学校五年生の頃に学校から帰ってくるときまって教祖伝を読んでいた」「教祖伝から伝わる教祖を慕って天理教が好きになった」とおっしゃっておられました。三代会長様は、いみじくも教祖と同じ日の2月18日に出直されました。おつとめを大切にし、おつとめに厳しいつとめ一条の会長様でした。 渕和分教会の元一日は40年前の今日です。今日は教会設立40周年になります。10年毎に、おぢばの理と立てあって前進しています。その110年祭もあと1カ月、来年は立教160年、再来年は教祖200歳の誕生日と、有り難いことに、旬の御用が次々と吹き出るように続きます。旬に種をまき根に肥をやれば、必ず収穫を得ることが出来ます。教祖120年祭までにはおぢばから打ち出して下さる。旬が続きます。種を蒔くチャンスが多いということは実りも多いということです。教祖120年祭は、渕和の50周年です。旬の御用を精一杯勤めさせていただいて、成人させていただきましょう。現在布教所の所は新設の教会をご守護いただけるように、集団所の所は布教所に、講社を祭っている所は集団所にと、成人に拍車を懸けましょう。渕和は50周年に向けて3回の三年千日を打ち出させていただきます。3回の三年千日を仕切って、おやさま120年祭前年の1年は、おやさま120年祭三年千日の仕上げであり、渕和の50周年の仕上げでもあります。教会になると言うことは神様のご守護ですから、ご守護を戴くためのはたらきが必要です。そのはたらきを心定めするのが大切です。心次第のご守護があるわけですから。誠真実で御恩報じを実践させていただかなければなりませんが、これは、非常に難しいと言えば難しい、易しいと言えば易しいと思いますが、それぞれの悟り方ということになると思います。そこで、私なりに思いますことをお話しさせていただきます。 数字が全てではありませんが、参考まで新設教会になるための数字的な基準を調べてみました。 新設教会の最低条件は 教人5名、よふぼく15名、信者若干名内[会長(代表役員)1名、教人(責任役員)2名。] 敷地50坪以上で自己所有であること(借地借家はだめです。)建物はおつとめの出来ること。 となっています。これらのご守護をいただくためには、心定めと、その実行が肝心です。実行が決め手になります。数字で表せることを記してみますと、おぢばへの伏せ込み、教会への伏せ込み、おつとめ回数、おさづけ取り次ぎ回数、にをいがけ人数又は訪問軒数だと思います。ではどのくらいの数字を実行したらよいかのでしょう。大変参考になる資料があります。この数字は埼玉布教の家の寮生の10年間の数字です。 埼玉布教の家10年間の累計 卒寮生 50名 初席者総数 135名 中席者総数 123名 帰参者総数 609名 内(子供おぢばがえり帰参者 274名) 内(お節会帰参者8、9期のみ 32名) 修養科生 5名 おさづけの理拝戴者 5名 総訪問件数 208,998軒 おさづけの理取り次ぎ総数 41,434回 一人当たりのそれぞれの訪問数を出してみました 初席者1人当たり 1,548軒 中席者1人当たり 1,699軒 帰参者1人当たり 343軒 修養科生一人当たり 41,800軒 おさづけの理拝戴者 41,800軒 一人当たりのおさづけ取次回数 初席者 307回で1人 中席者 337回で1人 帰参者 68回で1人 修養科生 8,286回で1人 おさづけの理拝戴者 8,286回で1人 教人・よふぼくが合わせて20名は必要なわけですから 836,000軒の訪問=41,800軒×20名 165,720回のおさづけのお取り次ぎです。=8,286回×20名 因みに訪問件数を10年で割ってみると 1年に83、600軒 1カ月6、970軒、 1日232軒です。 五人家族なら1人1日六60軒。 おさづけ回数を計算してみます。 10年で割れば 1年16,572回 1カ月に1,381回 1日46回 五人家族なら1人9、2回となります。参考にしてみてください。 次のようなお話もあります。 新潟県に教会のある会長さんの話ですが東京にある上級に10年間日参したら、神殿ふしんが出来た。と言います。 渕和の二代会長様(井口光枝先生)は30年間全上級の月次祭を毎月欠かさずつとめられて、縦の伝道のご守護を戴いています。就任当初おつとめの手が全く揃わなかった頃と比べて素晴らしいご守護の現在です。 神様は伏せ込んだ理は、末代の理として全て受け取って下さると申します。 教会をご守護戴けるような心を定めて、渕和設立50周年の記念の11月11日には成人の姿を見ていただきましょう。 さて、どの様ににをいがけ、お助けをしたらよいのかと申しますと、教祖のお教え下さいました通りです。自分が助けられたことを真剣に伝えさせていただくことなのです。「金や物でないで、救けてもらい嬉しいと思うなら、その喜びで、救けて欲しいと願う人を救けに行くことが、一番の御恩返しやから、しっかりおたすけするように。」 五つ いついつまでもこのことは はなしのたねになるほどに とみかぐら歌でも教えていただいております通りです。 ここで今月も宿題を出させていただきます。110年祭の終わりまでに、と言うことは12月31日までに皆様の信仰の元一日を記して提出してください。お話しで聞かしていただいても結構です。よろしくお願い致します。 誠真実の願いをお受けくだされて教祖は必ずお働き下さいます! ウガンダ共和国チャートー村の事。 昨年秋から心定めしていた山崎敬充さんの修養科は2月末の入学で3、4、5月末修了、その間は智恵さんにいてもらう予定にしていましたが、突然ケニアの阪本明さんとの結婚話しが浮上して来たのです。阪本さんは、イジャラ未開発地域で病院建設が急かされています。敬充さんも神様とお約束した修養科を遅らせる訳には行きません、智恵さんの結婚も早いとは言えない、否、遅いくらいです。そうした中で立て合って来た事情(エボラ出血熱発生)でした。しかも、ウガンダ/マサカ地区の近くで患者が発見されるというショッキングなニュースが流れました。 合図立て合い。これはとても不思議なタイミングです。神様の思し召しと、受け取らせて頂いてチャートー村からの一時避難を決意したのです。 立教164年2月3日、第一回お助け隊有志の皆様をウガンダエンテベ空港でお見送りして、私と和南布教所の山崎栄慈所長は一時避難の後始末の為に残りました。 ウガンダチャートーにある機械などは、ケニアのガリッサに預けることにしました。国内のことでしたら移動だけで済むのですが、ウガンダ共和国からケニア共和国へ国境を越えるには、税関を通ることになります。ユニック車、ハイラックス、コンプレッサー、溶接器機、そしてコンテナ等輸出入と言うことになれば課税の対象になる物資が沢山あり500万円位が予想されます。両国の大蔵省に申し出て免税処置を申請しても早くて半年はかかってしまいます。しかし一時避難の為の移動ですから、輸出入ではないのです。言い換えれば一時的にウガンダからケニアに出稼ぎに行くようなものです。そこを税関の係に理解してもらえるか否かが今回の移動のポイントなのです。そこで、現地人であるオキディさんとヘンリーさんに頼みました。アフリカで使える運転免許証は私たちにはないのですから阪本さんにもお願いしました。 ケニア側が一番問題なので、オキディーさんの知り合いにも頼んでもらいました。彼の言うには、「大丈夫とは思うが係官の気持一つで、事態は変わる。コンテナさえ開けないで通過出来れば、ベスト、もしコンテナを開けられるようになったら、係にあげるものを手前に積んでおいて、没収覚悟でかかろう、但しコンテナの中身を全部出すようなことになれば課税は免れないと思う。」と言うのです。 私は「なんとしても神様によろこんで頂こう」との思いから、病気らしい人を見つけてはおさづけをお取り次ぎ致しました。 象皮病の婦人が私に物乞いをします。地べたに跪いておさづけをお取り次ぎ致しました。 耳に紙を詰めた子供がいましたので、しかし子供は逃げてしまうのです。静かに追い掛けました。すばやい子供をとらえる事は出来なかったのですが、それを見ていた青年が何をしているかと声をかけて来ました。手まねでおさづけの事を言うと、彼は「だったら俺の友達にしてくれ」と言うのです。その彼は、マラリアで高熱の為苦しんでいました。三度の手ぶりが終わらない内に青年は元気が出始めました神様は鮮やかな効能をお見せ下さいました。青年は私の手をしっかりと握って、「有り難う、有り難う」と言って離しませんでした。 一方、コンテナを積んだユニックを見て、ウガンダ側の国境税関担当者は、どうしても開けろと言うことになったようです。数人の係官たちが、コンテナを開け荷物を出し始めました。次から次へと荷物は運びだされていきます。私は遠目で見て手を拱いているだけ、どうしようもありません。結果は神様が決めて下さる、そう思うといても立っても居られない気持でしたが、少し落ち着きました。自然な気持でよろづよ八首を勤め始めました。ボーダにいた人達が物珍しそうに一斉に私の方を見ています。南無天理王命よーしよーしー、ふとコンテナの方を見ますと、何と!運び出している荷物を逆にしまい始めたのです。あげる予定にしていた物資も全部中に入りました。教祖ありがとうございます。 このことで一番感動してくれたのはオキディ兄弟でした。「何故荷物を戻し始めたか分からない、不思議なことだ」としきりに言うものですから、今おつとめを勤めさせて頂いたから教祖が働いてくれたんだよ。おつとめの不思議さ素晴らしさに一同大感激。無事国境を通過したのでした。「つとめ」と「さづけ」 実働の旬!教祖は間違いなく、世界中隈無くお働きくだされていることを実感しました。体感しました。 一れつにはやくたすけをいそぐから せかいのこゝろもいさめかけ (よろづよ 8)とのお急き込みに応え、逡巡を去り胸を張って、をやの声を伝え、自らも勇み、世界を勇ませて、神人和楽の陽気世界の建設に力を尽そう。つい先日3月30日の事です。アフリカケニアに送ります旋盤の機械を船積みに行った時の事です。相模原の職業能力開発大学から横浜の昭和船舶資材と言う梱包会社迄、その間は、立中央分教会(萩原工務店)の会長様にお願いして、ユニックトラックを手配して頂きましたので車の助手席に便乗させていただきました。京王線橋本駅迄は電車を利用したのです。 朝6時に教会を出て、埼京線で新宿について降りようとしたら乗客が騒いでいます。若い女性が真っ青になって、椅子の上に倒れていました。ほとんどの乗客は、忙しそうに降りて行きました。 私はおさづけを取り次がして頂きました。三度三度三度、ポンポンと終わりの柏手を打ちました。頬にかすかな赤みがさして来て、そこへ公安が来ました。「なにしてんです!」まるで痴漢扱いでした。間違えるのも無理はありません。ジーンズを着て、はいて、髭だらけのおやじが女性を摩っているのですから…。 彼女、最初の一歩はふらついていましたが、公安の方や駅員に支えられて歩いて駅員室へ…。ラッシュ時の新宿は電車もホームも人々々々…、何事もなかったように大勢の人々が、それぞれの目的に向かって歩いていました。 そんな中私一人が「教祖ありがとうございます」と大声で叫び、感動の!お礼の!おつとめを唱えながら、京王線に向かったのでした……。四下り目のお歌がことのほか私の心に響き、残りました。1ツ ひとがなにごといはうとも かみがみているきをしずめ10ド このたびむねのうち すみきりましたがありがたい 何も気にかけないで、助けたいとの一条で、実動できた喜びは私のかけがいのないお道人生をより確かなものにしたのでした。教祖有り難うございございます。 合 掌先ずは、交通事故を起こしましたことに、深くお詫びを致します。回りの人の申しますには「会長の運転は恐い」との思いがあったようでございまして、誠に申し訳なく深く反省を致します。今後は更に安全運転する事を心からお誓いしてお詫び致します。 5月21日泉東分教会の月次祭、毎月は恒例ボランティアを終了して、午後出発なのですが、当日は「埼玉県里親会浦和支部」総会と親子懇談会、「さいたま国際青年を育てる会」総会が重なり、前者は初めての事なので夫婦で出席を頼まれ、又、後者は理事と言う立場から欠席することも出来ず、そして、今月は日曜日と重なって恒例ボランティア日は終日実施(31名の方が参加して下さった)と言う事で、あちこちとやりくり、出席をさせて頂いたのでした。 そのような訳で翌21日午前4時出発と決めて、東名阪は集中工事との事でしたので、名神を使って吹田ジャンクションー近畿道ー西名阪ー松原から泉東へ向かう予定でしたが、1時間遅れ(寝坊)の出発になりました。吹田ジャンクションを入る時点は11時30分頃でした。 突然1台の車が割り込んで来て3台の玉突き事故が発生しました。最後の3台目が私です。急ブレーキをかけましたが間に合わず、ドン!ドアーは開かない前の方から蒸気が吹き出している、繭ちゃん(委託の里子)は椅子の下に転げ落ちて吃驚して泣き出す、「大丈夫」妻の声にほっとして、ドアーをこじ開けて、表にでる。急ブレーキをかけたので車が沈んで前車の後ろバンバーに当たった為にこちらの車は惨めにも、使い物になら無くなった。割り込み車の運転手さんが、真っ青な顔して降りてくる、真ん中の運転手さんは首を押さえながら降りてくる。 よかった!お互いに怪我はなかった。それが先ず良かった割込みの運転手さんの言うには新婚旅行へ送って行く為にレンタカーを借りて岐阜からやって来た、空港へ行く時間がないので今警察には連絡したが、事故処理が終わったら、早く行きたいと言う、私は、それは大変だ、皆怪我がないのだから、行っても良いけど、最後の車は一番悲劇ですよ!あなたが割り込んだ事をきちんと警察や保険屋さんに言って下さい。そんなお願いをしたら快く引き受けてくれた。 真ん中の車を覗いてみたら若い奥さんが大きなお腹をしている。「大丈夫ですか」「大丈夫です」「よかった、本当に大丈夫?だったら大当たり、必ず良い子が産まれますよ」「有り難うございます」 そして一番前の車の中で顔色変えている人々を覗き込んで「新婚さんはどなたですか?」二人が手をあげた「御芽出度うございます、大当たり素晴らしい結婚です先行き幸せになりますよ、新婚旅行も楽しく行って来て下さい!」 車の中のみんなが「有り難うございます!」と嬉しそうでした。 取り調べにあたった警察官は与野高校出身の与野市に住んでいた方、なんと和やかな交通事故現場でした。 皆で笑って別れて、私達だけが動けなくて、ジャフの来るのをぽつんと待っていました。吹田から天理市の天理興業までレッカーで牽引してもらう事になりました。後で聞いた話ですが7、8万円はかかる所だったそうですが、3万円におまけしてくれたのでした。それからこちらがもしバンバーに当たっていたら前車は大きなショックできっと産婦は大変な事になったと思う。物損は大きかったが、それが人身事故から救われている事を知った時、「教祖有り難うございます」と合掌した私でした。割り込みした運転者さんやレンタカー屋さんから、喜びとお詫びの電話が次々と入って来ました。後日戴いたお礼のお手紙『先日は高速道路での暖かい対応に心からお礼申しあげます。おかげさまで、新郎新婦も無事に関西空港から新婚旅行に飛び立つ事が出来ました。ほんとうにありがとうございました。つまらないものですがお礼のしるしです。かさねがさねありがとうございました。ありがとうございました。岐阜県大垣市林町三の一三八 井上秀夫』 御心配をお掛けしましたが、警察官、道路パトロール、JAF、天理興業、保険の調査員等々皆様良い人に恵まれて、お陰で全てが解決しました。車も元気に活躍しております。 =「我は元の神・実の神である。この屋敷にいんねんあり。このたび、世界一れつをたすけるために天降った。みきを神の社に貰い受けたい。」とは、親神天理王命が、教祖中山みきの口を通して仰せになった最初の言葉である。 家人は、この思いがけぬお啓示にうち驚き、再三言葉を尽くして辞退したが、親神は厳として退かれぬにより、遂に、あらゆる人間思案を断ち、一家の都合を捨てて、仰せのままに順う旨を対した。 時に、天保9年10月26日、天理教は、ここに始まる。= 私達の信仰は、教祖のひながたに添って神様の思し召し通り、順々と成ってまいります。誰でもが身上、事情からお手引きをいただき、本真実を知り、真の道を歩ましていただけるようになって来た訳であります。「何も別段大層の事は要らん。もとにひながた通り/\、変わったことは要らん。……一手ひながた道あれば一手ひながた、振り変えばひながたと言わん。あちらこちら心のひながた出して、ひながた/\変えて、いかなる理も治まりあろうまい。……これまでふあ/\というもので心という。この道一つ変わったことすればひながたとは言わん。」 (明治24年1月7日) 信仰している一人一人の心通りに成って来ます。天保9年以前から生き続けた魂に使った心遣い、心のホコリが払い足りないことから、神様の思し召しがわかっていながら、行動にうつせないのが、実情であるように思います。 しっかりと心を決めてかからないと、なかなか実働が出来ないのであります。教典の最初にお示し下さっております通り、なかなか人間思案を断ち切ることは、並み大抵ではないのです。が、それを思い切ってやらないといつまでも運命を立て替えることが出来ません。私は、形の上からでもとの思いから、御教えを実行し始めてみました。先ず、一、朝夕のおつとめは必ずさせて頂く一、教会の月次祭は必ず勤めさせて頂く一、「有難い」この言葉を一日何回も言わせて頂く一、成ってくる事を素直にハイと受けさせて頂く 朝目覚めた時から、自分を無くして、起こってくる事を神様の御用と悟らしていただいて成るがままに合わせて日々を通っております。我が身の事は何一つやらない、否、やれる間がない程次から次へと事が起きて来ます。 修養科を出させていただいて28年、道一条通らせていただいて18年。 神様のお言葉通り「20年30年経ったらなるほどと言う日がある程に」 毎日が「なるほど」「なるほど」と喜べるようになりました。心通りに成ってくるのです。 その一つですが、この度、里親制度に登録しました。申し込むと浦和市役所から調査の方が見えました。その書類に基づいて、県管轄の児童相談所の方が調査に見えました。そして、連絡が入りました。収入が少ない事が理由で断られました。 教会は蜂の巣を突いたような忙しさですからちょうどよいと思って感謝していました。 この事を埼玉教区の厚生部長さんに報告しますと、「私から話してみます」とのこと、一度断ったものが復活するとも思いませんでしたが、暫くすると、電話があり、そして、登録になった書類が郵送されて来ました。登録者の研修会に出さして頂きました。色々難しい事もあるようです。又、専門家の方々のご苦労に感銘致しました。養子として貰い受けるものと、委託養子と言う一時預かるものと色々あるようです。特筆すべき事は全国何所の児童相談所でも、親の虐待による被虐待児が昨年の倍以上に膨れ上がっていると言う事でした。 浦和児童相談所から連絡が入ります。「今日夕方にお願いしたい」とのことです。「はい、お待ちしています」教会内は受け入れられるような状態でない時でも、私は必ず「はい」と受けさせていただくのです。「会長さん受けられる訳ないでしょ」奥さんの言う通りです。しかしその電話に丁度私が出たのですから「はい」と受けるのです。 夕方再度電話が入ります「今朝の事ですが、親のほうが見る事になりました。申し訳ありません」と、来ない連絡が入るのです。良く考えてみれば受けられる状態でないのですから、ホッとします。神様は決して悪いようになさらず、丁度良いように成ってくるのです。神様見抜き見通しです。こんな事が何回も繰り替えされるうちに、誰でも受けた者が「はい」と受けるようになって来ました。現在17才の少年?を預かっています。児童相談所の方のお話では長期になりそうです。そこで「初席のお誓い」の特訓が始まりました。丁度1ヵ月、ものを覚えるのは得意でないようです。気長に丹精さしていただく覚悟です。 合掌 泉東分教会創立110周年成人目標一、おつとめを充実させて頂こう。 一、にをいがけに励み、用木一人一人がおさづけの取り次ぎをさせて頂こう。 一、たすけの実をお見せ頂こう。(別席者、おさづけ拝戴、修養科生、おつくし) 一、信仰の喜びを子供や孫に伝え、家族ぐるみの信仰をさせて頂こう。 10月の大祭の理を受けて迎える11月の月次祭は、初代山崎タメ会長様の祥月命日にあたる月次祭です。 幼い頃、朝夕のおつとめは初代様から数取りの仕方、チャンポン、スリ鉦、太鼓を教えていただきました。霜焼けで泣いている時おさづけで助けて下さいました。栃木県の真岡ににをいがけに連れられて行った事、島渕や柳島に連れて行ってくれました。 ______________________________ お手紙頂きまして有難う御座います。
過日 会長様のお陰によりまして親会長様にお会いさして頂き、本当に嬉しく思いました。未だに写真に向かってはお話をしています。永い間の夫婦でしたが、今つくづくと思いますと短いように思います。毎日お粥を食べて頂いております。
渕和分教会の初代様のお年祭との由、ご参拝さして頂きたく思いますが、なんだか身体がだるくて未だに何も手につかづに毎日をブラブラしております。実は50日祭が24日に勤めていただきますので、済まして間がないので、今少し身体の調子をつけましてから参拝さして頂きたいと思っております。悪しからずお許し下さいませ。 初代様はとてもやさしい人でした。私は今でも思い出します。泉東へご参拝に来ていただいたとき教会へ着くなり「ああ、やれやれ着いた」と言われ、まっすぐに「会長さん奥さん申し訳ありません」の言葉にびっくりした私は「何故と思う瞬間に初代様は「この遠い所をわざわざ東京まで来ていただくことがもったいなくてもったいなくてとても嬉ことや」と、申されました。その言葉を聞かしていただいた時に、なんと思いやりの深い人やなとつくづく感心致しました。人間は暖かみと優しさ、思いやりを深くせねばいけないと教祖より教えて頂いています。初代様はその通りの人でした。教会にならない内は毎日お魚を売りに歩いていたそうです。村の氏神様をお祭りするのに金持ちの人が3000円の寄付をなされたそうです。初代様は、私は5000円さして頂きますと、云われたそうです。皆がびっくりしてあの貧乏な人が出来るのかと皆で云われたそうです。それが皆と同じように3000円出来た時に上の人からもう結構です。と喜ばれたそうです。又一つには、朝づとめが終わると梅干茶を皆に出して下さいました。一つ一つその時の事を思いますと優しいおばあちゃんやなと感無量に思います。初代様のお顔ほんとうに可愛らしい優しいお顔目の前に浮かんできます。 どうぞいつまでもいつまでも渕和の教会をお見守りくださいますようお願いいたします。 菊枝 渕和会長様 ______________________________ 親奥様のお手紙を拝させていただきますと、
真柱様は諭達第一号で、前略…その日常は巧まずして傍々を照らし、土地所になるほどの理を映す。…後略更に諭達第2号で、前略…身近な人たちに信仰の喜びを伝える事が肝要である。…後略と仰せられています。 164.12 教区の女子青年会主催の焼肉パーティーに部内の青年会員、女子青年をマイクロバスで送らせていただいてご相伴させていただいた時のことです。彼の有名な布教の家埼玉寮出身のある若者に 「第二回アフリカお助け隊に参加しませんか?」 と問うと 「私は教会後継者なので、土地所の近くのお助けを通して教会を守らなければならないから遠いアフリカへ行っている間がありません」 と返ってきました。 私は 「教会の近くというのは、何処から何処迄ですか?例えば何丁目から何丁目ですか、もし近くに別の教会があったら、その境界線は何処で区分するのですか?」 と問うと 彼「………」 しばし沈黙しました。 更に私は 「電車の中で隣り合わせた人ににをいがけする時に、教会の近くかどうかを確認してからにをいがけしますか?」 彼 「いいえ、だれかれかまわず声をかけさせていただきます」 そして更に私 「新幹線の中で隣り合わせた人が急病でその方におさづけを取次ぎ、鮮やかなご守護をいただいて…、もし、その方があなたの言う教会の近くの人でなかったら丹精しないのですか?」 彼 「いや丹精します。」 そんな問答があって、私は彼に土地所の成るほどの人になると言う真柱様のお言葉の意味を深く悟らせていただくことの大切さなど色々とお話しさせていただきました。近くの人といえば、距離が近いも一つの理、血縁関係が近いのも一つの理、いんねんが近いのも一つの理、このいんねんの理によって全てのことがなってくるのです。成って来る理は順序の理であります。見るもいんねん、聞くもいんねん、成ってくる理をしっかりと見つめる事が大切だと思います。成って来る理は親神様の思し召しによって成って来るのですから、この成ってきた順序に実践する、実動していく事が神一条に通ずる事だと思うのです。 君が私の話を聞いたと言うことも神様の深い思惑があって君との出会いをつくって下さったとも考えられませんか?「成ってくる理」その人のいんねんにあった通り、神様がつくって下さった人と人との出会いを、我が身思案で、私は縁が無いなどと断ったり、我が身思案の垣根で囲ってふさいだり、我が身思案で止めたり、隔てたりしてはせっかくの神様の思し召しを、理を跳ね返してしまうようなものです。誠に申し訳ないことだと思うのです。 それから、最近は海外の人たちが日本国内の国々所々に住んでいます。こうした人々をお助けするのもよふぼくの使命ではないでしょうか?それが「身近なところから」に繋がるお助けでもあると思います。その一人の海外の方へのお助けが、その家族の方々のお助けへと繋がり、その家族の方々のお助けのためには自らも海外へ出かけて行く。 そうすることがお助けした人が助けられた喜びを知り、その人自身が、人を助ける喜びを味わえる。そこまで丹精させていただく事こそが国々所々になるほどの理を映すことになるのだと思うのです。 おやさまは「谷底せり上げ」と仰せになりました。そして「世界だすけ」と仰せになりました。世界だすけこそようぼくの使命なのであります。 みな世界から 一般社会でも、 「世界」を地球とかグローバルと表現して。 「せかいじゅういちれつはみなきょうだいや」を地球市民、あるいは国境無き奉仕団(医師団)と表現して色々な活動を展開しています。 一例ですが、11月18日(日曜日)埼玉中央青年会議所の社会開発委員会で地球市民運動推進の一貫として「地域に先生をつくろう」という試みを実施しました。 7地域でそれぞれの講師を依頼して、同時開催を、各地域毎に班編成して、講師を探したり、参加者動員に奔走したそうです。 私はさいたま市大宮別所地区での講師を頼まれました。 《アフリカからライオン先生がやって来る「アフリカの現状を知り、物の大切さを学ぼう」》 とのタイトルでした。 私が顧問をしている民間国際ボランティア団体【AAAアジア&アフリカ】の活動現場でのドキュメンタリービデオ[緊急救援1『水と食料の供給活動』]を20分上映して、それに伴ったお話を…命は命を食べて生きている事、命は出世してだんだんと人間になる事、だから地球上の世界中の人間はみんな兄弟姉妹である事。 限りある資源と言うけど本当は資源は無限にある事、人間の限り無い欲望が資源を有限にしてしまう事、大切なのは、必要な物を必要なだけ慎ましく使う事、そして資源を未来に残していく事が人間としての大切な心遣いである事、世界中の人間が親心の愛で助け合って生きる事などを話しました。 質疑応答の際に、 「アフリカの人々の大変な事は分かるが、何故そんな遠くのことに私たちが関わらなければならないのか?」 「こんなよい話をもっと沢山の方に聞いてもらいたいと思う」 「すばらしい活動をしているのに知らなかった。どうしたら教えてもらえるのか?」 「お話は良かったけれど、ライオン先生が来ると言うので、もっと動物のことを話してくれるかと思った」 「これからは美味しい美味しいと言って食べます」 「いままで好き嫌いがあって、良く残していたけど、これからは好き嫌いを言わないで残さないで食べるようにします」 「安い物を見ると買っていたけど、これからは必要な物だけを買うようにします」 「家にも勿体無いと思って仕舞ってある衣類があるのですが、どうしたら良いですか?」 「使い捨てする事が美徳のように思っていたけれど間違いだと思った」 「もっと水を大切に使う事にします」 「またやってほしい」等々 主催した委員の方々は、大感激でした。こうしたみなさんの反響をその場で聞かしていただいて、私も本当に嬉しく有り難く、聞いて下さった方が本当に素直に受け入れてくれた事が更に喜びでした。今の時旬、実動を通しておやさまがお働き下さっている事、そしてそれが更なる実動へと繋がり、国々所々になるほどの理を映す事になる事を体感させていただきました。 ジャクリン・ドロシー・アジャンボさん(女)23才、ケニア共和国カニケラー村出身、ヘンリー・オミール・オジュワンさんの妹、ヘンリーさんは修養科修了後、おやさまのひながたを体して、ケニアと日本の掛け橋となるために日本語を学びたい。と、天理教語学院入学を志し、渡航費、学費等の費用獲得のために帰国後ケニアを訪れる日本人観光客ガイドとして、東奔西走していた。願書を提出はしたものの忙しさの為に、一枚の書類を期日まで送る事が適わず、天理教語学院不合格と言う結果に終わった。 この事情から彼は一層奮起し、親族、友人、知人へとにをいがけの傍ら、自らの日本語の未熟さからくる行き違いや間違いを痛感し、カイ日本語スクール(東京新宿)受験に取り組み合格。二年間の日本滞在学生ビザを取得、私の所へのホームステイを依頼してきた。 私は彼の熱意に感動し二つ返事で了承した。 この話は、2001年1月27日からの「第1回アフリカお助け隊」でケニアを訪問した時に、ヘンリーさんのナイロビ講での大祭の際に聞かしてもらったのである。 私たちは、ヘンリーさんの出所である、カニケラー村も視察。 村について、ヘンリーさんの母親が身上である所から、おさづけを取り次がしていただいた。鮮やかなご守護に感激。半年後の8月第16回東アフリカ視察団も再度訪問、庭に出て私たちを出迎えてくれた。 5人の方々が今年4月からの修養科入学を目指して、観光ビザで日本入国を試みたが、在ケニア日本大使館で審査の結果却下された。航空チケットまで購入しての手続きであったので、そのショックは以下ばかりであったか、日本側としても多くの方に特別のご真実を寄せていただいたのでした。誌上をお借りして厚く深くお礼を申し上げます。私自身は結果的に理を軽くしてしまった事を神様にお詫び致しました ヘンリーさんのお母さん、奥さんと子供、妹(ドロシー)さん、トゥフェンさんのお父さんの4人が今年は海外部アフリカ課のお世話で6ヶ月ビザの手続きを申請中。これが通れば、来年4月から修養科、講習(英語コース)と受講する事ができるので、祈るような気持ちで書類を作成しました。 ヘンリーさんは、日本語の全く分からない4人のために、せめて妹(ドロシー)にはおさづけをいただいて、他の人の世話取りをしてもらおうとの思いから、この度、短期で日本語学校を学ぶ為に妹を日本に招聘して、その間におさづけの理を拝戴する事になったのでした。連休を利用して別席を毎日2度づつ運んで明日が9席目と言う11月24日の夕勤め後、詰所にて、彼女は突然頭が痛いと騒ぎだした。この月は大教会世話人先生のお入り込み特別団参できて下さっていた役員さん布教所長さんの添い願いのもとに、団体責任者、山崎敬充さんがおさづけをお取り次ぎしのです。終わったと同時に彼女が手まねで頭に手をやって頭が飛んでいくような仕種をする。そこへ手引きの親であるヘンリーさんが戻って来る。通訳してもらうと、「もうすっかり痛く無い」と言っている。一同揃って大喜び感激させていただいた。神様の有り難いご守護を団参参加者全員が感受したのです。 自らおさづけの効能を体感してから受けた9席目は本当に素晴らしいお話として彼女の心を捉えた様でした。 私は彼女のおさづけ拝戴までの経緯を、理の子が出て来るのを回廊で待つ方々に話し続けました。喜び心で待つ身に寒さは吹っ飛びました。 11月26日おさづけ拝戴! 感激!感動!感謝!よふぼくの使命達成感であり、今後の丹精を自覚する瞬間! 私は、同じ思いの手引きの親や関わった方々に次々と電話を繋いであげました。電話口で頭を下げ感動している彼女を見て陽気ぐらしの神髄に触れ、共に感動する自分をずしっと感じるのでした。おやさま有難うございます。 合掌 165.1 母の出直し「『カラスの子』『ぞうさん』『もしもし亀よ』三曲歌って気持ちよく眠りはじめました。お湯を投げに行って戻ると息づかいがおかしかったので、とても慌てました。」と介護の方が語ってくれました。
|