| 第1回 躍動の泉 389号
この度、渕和分教会・真誠ウガンダ布教所の開設に当たり、会長と共に、東アフリカのウガンダ共和国にある、マサカ市の布教の土地へ行くことになりました。2月26日から3月8日まで、わずか10日間ではありましたが、教祖のひながたの一端を僅かではありますが、たどらせていただいたように思います。
多くのことを勉強させていただき、同じお道の若き人たちが世界でたすけ一条に通っている姿に、強く心打たれました。そして無事につとめさせていただいたのも親神様、教祖が世界へ駆け巡り、おまもりいただいたと思わせていただきました。
また、渕和分教会前会長さんご夫妻はじめ渕和分教会会長さん、布教所長の敬充さん、美江さんご夫妻、林 真代さん(天明)たちは遠い地で大変お世話になり、今でも一つ一つが心に残り感激でいっぱいです。この思いを少しづつ思い返しながら記してみました。
布教所開設までに私が行かせていただけると聞き、不安と驚きでした。それともったいないのとありがたいのと、複雑な気持ちで日が過ぎました。私にとっては初めての外国であり、気候や風土、言葉はもちろん、食事などが全て違う国ですから、信者さん、特に子供たちは「お母さん大丈夫?」としんぱいしてくれたのです。でも、教祖120年祭の仕上げの旬に、海を渡って病んでいる人のおさづけをさせていただけると思ったら、不思議に不安も薄らぎ、安心して神様にもたれてゆく気持ちになりました。
パスポートの申請、黄熱病の予防注射と、あわただしく準備をしていきました。その中で十日間教会を空けるということは、留守の人たちがいるからこそ、と感謝させていただき、皆様のおかげで行ける運びとなりました。 (つづく)
第2回 躍動の泉 390号
現地の人たちに何を持っていったら喜んでいただけるのか。なかなか思いつきません。そんなとき、渕和の会長さんより、お話しの中で「現地の人たちはマラリアの病気で苦しんでいる。特に小さな子供たちが次々と出直してしまう。薬も買えない」と聞かせていただきました。そのときにマラリアの薬代を少しでもいいからやらせていただこうと思いつきました。
子供を持つ親として婦人会の人たちにも声をかけさせていただき、2月8日の婦人会例会や21日の月次祭の会議の後にお願いさせていただきました。中でもある方は、ご自分のお財布の中を全部空にして役に立てて下さいと快く言って下さったときは、本当にうれしく思いました。婦人会の人たちの真実を戴いて、1人でもたすかって喜んでくださると思いながら、のし袋に入れました。
いよいよ26日という良き日に出発です。たくさんの荷物と柳島の母が縫ってくださったチャックの袋の中に御供さん、マラリアの薬代ののし袋等、大切なものを入れ、お腹に巻き付け、首にはお守りをぶら下げて、夕づとめ後、まだ寒さ厳しい夜、関空に向かいました。
関空で合流したのは、大人9人、子供1人です。ダンボール箱18個、スーツケース、それぞれの手荷物、そして「真誠ウガンダ布教所」と書かれている大事な看板。午後8時頃から搭乗手続きが始まり、重量検査で規定より全部の荷物が40キログラムもオーバーだったのです。1キログラムにつき七千円の追加料金がとられるのですが、不思議にも関空で勤務している方が敷島系統の信者さんで、手配してくださったお陰で全て負担無しないで飛行機に積むことが出来ました。 (つづく)
第3回 躍動の泉 391号
23時発、EK(エミレーツ航空)、関西空港より11時間かかってアラブのドバイ空港にやっと着きました。ドバイ空港は各国から人々が集まってくる世界一お金持ちの空港だそうです。空港内ではタクシーが走り抜け、お店も何でも揃って一つの町のようです。
イスラムのお祈りする場所が空港内の一室に用意されているのにびっくりしました。中を覗くとじゅうたんが敷かれ、自由に出入りできます。またトイレに入って気が付いたのは、トイレの紙の幅が日本で使っている紙の幅が日本で使っている紙の幅で、洗面所は全部日本語で「自動」と書かれていました。この場所でこれから先の生活を教えてくれたように感じました。8時間はあっという間に過ぎ、次のアフリカ行きの飛行機に乗り込みました。ウガンダエンテベ空港まで6時間の飛行です。
27日21時頃、エンテベ空港に着きました。入国手続きを済ませ、降り立ってみると夜だったせいか、とても爽やかな風で、想像していた熱い国のイメージとは違いました。
その夜首都カンパラで宿泊し、ゆっくり休ませていただきました。翌朝、石原さんご夫妻が尋ねてきてくださいました。腕のけがをされたと聞き、さっそく泉東の会長様よりおさづけを取次ぎ、カンパラを後にしました。
布教所のあるマサカ市まで150キロメートル。赤道を通過し、途中、昼食を取っていたところ、人々が集まってきました。そこで前会長さんは病人さんを見つけ、おさづけを取次ぎ始めました。食事もそこそこに全員が無我夢中で名前と年齢を、敬充さん美江さんに通訳をしていただきおさづけを取次ぎました。 (つづく)
第4回 躍動の泉 392号
ウガンダの地で初めてのおさづけでした。
メボ・マリン(25歳)女性、頭痛。
フランコ(18歳)男性、血液の病気。
セール(8歳)足のけが。
言葉もわからないのに、明るい笑顔で喜んでくださり通じ合えるものだと思いました。
再び車に乗り、だんだんと布教所に近づくとあちこちから人々が笑顔で手を振り「ムソケ!」とか「シンバ!」とか大声で近寄ってきます。はじめは何を言っているのかわからなかったのですが、ムソケとは敬充君、シンバとは前会長さんのことだったのです。どれほど現地の人たちに尊敬され、親しまれているかがよくわかりました。
(つづく)
第5回 躍動の泉 394号
私たちがウガンダに入る前日に待望の雨が降ったそうです。車中、「泉東の会長さんが雨を運んでくださった」と聞かせていただきました。そのせいか、赤茶けたでこぼこ道路、車は上下左右に大きく揺られてもお湿りのお陰で誇りも立たず、窓を全開しても爽やかな風を受け、自然の景色を楽しみながら布教所に到着しました。
標高1,200メートル、小高い所に正面に布教所の建物、少し下がった所に宿舎がありました。さっそく車から荷物を降ろし、最初にしたことは、真誠ウガンダ布教所の看板を神様の所へお納めさせていただき、全員揃って感激のお礼づとめです。
お部屋を案内していただき、6畳ほどの部屋で床はコンクリート、木のベッドが二つありました。荷物の整理をしていたところ、どこからともなく人々が集まってきて、ムソケ、シンバと言っていた子供たちも学校から直接走ってくるのです。村長さんたちへの挨拶も終え、布教所の廻りはあっという間に大勢の人達でいっぱいになりました。その子供たちは太鼓、すりがね、ちゃんぽんの練習を始め、口々に大きな声で「あしきおはろうて・・・」と口ずさみ、リズムを取って交代をしながら敬充君夫妻、前会長夫妻、林さんたちも見せずに教えている姿を見て、きっと教祖がご覧くださっていると感じました。
7時の夕づとめまで、だれ1人帰る人もなく賑やかに全員ハッピを着用して勇んで夕づとめをつとめさせていただきました。その後おさづけの取次ぎが始まりました。長イスにわれわれが座り、その前に子供、大人たちが並び、おさづけを待っています。急いでその中に入り、真剣につとめさせていただきました。中でも幼い子供たちが手を合わせて祈っている姿を見ると涙が出ます。医者も薬もない、ただおさづけを信じている子供たち。 (つづく)
第6回 躍動の泉 395号
私たちがウガンダに入る前日に、待望の雨が降ったそうです。車中「泉東の会長さんが雨を運んで下さった」と聞かせていただきました。そのせいか、赤茶けたでこぼこ道路、車は上下左右に大きく揺られてもお湿りのお陰で埃も立たず、窓を全開にしても爽やかな風を受け、自然の景色を楽しみながら布教所に到着しました。
標高1,200メートル、小高い所の正面に布教所の建物、少し下がった所に宿舎がありました。早速車から荷物を降ろし、最初にしたことは、真誠ウガンダ布教所の看板を神様の所へ納めさせていただき、全員揃って感激のおつとめです。お部屋を案内していただき、六畳ほどの部屋でコンクリート、木のベッドが二つありました。荷物の整理をしたところ、どこからともなく人々が集まってきて、ムソケ、シンバといっていた子供たちも学校から直接走ってくるのです。村長さんたちの挨拶も終え、布教所の周りはあっという間に大勢の人たちでいっぱいになりました。その子供たちは太鼓、すりがね、ちゃんぽんの練習を始め、口々に大きな声で「あしきおはろうて・・・」と口ずさみ、リズムを取って交代しながら敬充君夫妻、前会長夫妻、林さんたちも疲れを見せずに教えている姿を見て、きっと教祖がご覧くださっていちばんお喜びくださっていると感じました。(つづく)
第7回 躍動の泉 396号
ルイマ君(3歳)足のけが、ラルチェンダ君(11歳)頭痛、風邪。ウェバリセデンさん(65歳)肩から胸。ジョンバブリさん(60歳)足の甲けが。
メモを取るのが精一杯。取り次いだ後、笑顔で何かを言ってくれるのですが、私には少しも分かりません。たぶんお礼を言ってくれているように思いました。でも、お礼を言いたいのはこちらのほうだと心から思え、笑顔で「ありがとう」と言いました。皆さんを見送っていると奥の方から親奥さんの声がして「手を洗ってご飯にしましょう」と聞こえてきました。
お腹の空いたのも忘れていたのです。布教所について初めての夕食。手を洗い、丸いテーブルを13人が囲み、おいしい米で手巻き寿司をご馳走してくれました。楽しく食事が弾んでいたところ、急に電気が切れました。真っ暗!でも慌てることなくランプを用意して下さり、明るくなりました。薄明かりで頂く食事もなかなか良く、思い出になりました。電気が切れるのは良くあるそうで、まだ電気が通っている家は良い方であると聞かせていただいてびっくりしました。しばらくすると今度は雷が鳴り響き、どしゃぶりの雨が降り出しました。「水の貴重なところに泉東の会長さんが来てから不思議に良く雨が降る」と喜んでくださいました。
やがて雨も止み宿舎のほうへ行くため、外に出ると辺りは真っ暗で怖いくらいでした。頭に電灯を照らし部屋に戻りその日はすぐ休ませていただきました。
おやさま今日1日ありがとうございました。
第8回 躍動の泉 399号
3月1日、今日は朝からマサカ県知事表敬訪問のため、全員で県庁へ出発。訪問してみた都知事は緊急ができ、留守だったためにほかの人が対応してくださいました。応接間に案内され、ふと机の上を見ると、次のように書かれた紙がありました。"A MARARIA ROLL BACK MARARIA"(マラリア撲滅運動)とても印象深かったです。
次に病院を訪ね、婦人会の方々の真実を先生にお渡しさせていただきました。とても喜んで下さいました。マラリア撲滅運動に少しでもお役に立てたことがうれしかったです。又、小学校も見学しました。
昼過ぎに布教所へ戻ってから簡単な現地の言葉を勉強してからおたすけに廻らせていただきました。敬充さんが案内してくれて、沢山廻る所がありました。
やけどの女性、胸、手の痛みの女性、風邪の女性、声が出ない11才の女の子。医者にも薬も買えない人ばかり、祈ってくれるのを待っている人ばかりです。家の中に入ると薄暗い土間の上にゴザを敷いてくださり、その上でおさづけ取り次ぎをしました。
第9回 躍動の泉 400号
ある婦人の方は、熱があるからといって外の木陰で布を敷いて横たわり、風に当たり熱を下げています。そんな中、教祖を信じて布教に歩かれ、勇んで通られた先生方の姿を思い浮かべながら、おさづけに自然と力が入りました。
夕づとめ(7時)ぎりぎりまでおたすけに廻らせていただき、急いで布教所に戻ると、子供たちが元気でおつとめを練習していました。賑やかに夕づとめも済まし、その後のおさづけ取り次ぎも済ませてから、夕食を頂きました。
食事をしながら「今日はお風呂があるので会長さんから入って下さい」とのことでした。日本を出発してから初めてのお風呂に入れると思い、楽しみに皆と雑談をして待っていました。すると会長さんが出てこられ、私はつい「湯加減はいかがでしたか」と聞くと「う、うん」と会長さんは言うだけです。次に私が入らせていただくことになり、「お先です」と言いながら入ってみると、浴槽らしき物もなくドラム缶らしき物もなく、ポリ容器が二個置いてあるだけです。びっくりしました。湯船に入れることを想像していた自分は甘かったとそのとき気がつきました。水一滴を大事にしているウガンダで、貴重な水を井戸へ汲みに行って用意して下さったお風呂。有り難いやらもったいないやらで、たくさん使えません。洗面器2、3杯の水でも、身も心もさっぱりすっきりして出させていただきました。今日一日、いろんなことを勉強させていただいたな、と思いながら床に就きました。
第10回 躍動の泉 401号
寝静まった頃、夜中12時頃だったと思いますが、突然会長さんが下痢と高熱で苦しみだし、慌てて起き上がって電気をつけようと思ってスイッチを入れても電気がつきません。懐中電灯を照らし、部屋を明るくしました。ひどい悪寒で、すぐにあるだけの衣類を毛布の上にかけ、頻繁にトイレに行きます。一心におさづけを取り次ぎ御供さんを頂いてもらい、お腹に巻いてある袋の中のお守りに手を合わせ、夜の明けるのを待ちました。
3月2日早朝、渕和の会長さんに症状を伝え、びっくりしていましたが、さっそくおさづけを取り次いでくださいました。会長さんの目から涙が流れているのを見て私も涙が出てしまいました。渕和の会長さんの真実なおさづけと会長さんの真剣な姿で、たすかる、と確信しました。前会長さん夫妻、敬充君夫妻が飛んできてくださり、念のために採血をして病院に検査をしていただくことになりました。そのとき林さんが医療関係の仕事をしていたのでとてもたすかりました。その結果、前会長さんが部屋に入ってこられ「会長さん、おめでとうございます。マラリアです」と言われたのです。やっぱりと思いながら、さらに「今まで多数の人がアフリカへ来たけど、こんなに早くマラリアにかかった人はいません、会長さんが初めてです。マラリアの中でも一番軽く、奇跡ですよ」と励ましてくださいました。
皆さんの真実のお陰で、軽くしていただき回復に向かって行きました。教祖120年祭の仕上げの年、たすける旬、たすかる旬を実感させていただきました。
第11回 躍動の泉 405号
この日の(3月2日)朝づとめの後、泉東の会長さんのお願いづとめをしてくださいました。その後、渕和の会長さんは皆に、
「ウガンダへ来て一生懸命のにをいがけ、おたすけをしている半面、自分のつとめが(教会、上級等)できていない分お詫びをしながら心を低くして通らせていただきましょう。泉東の会長さんの身上を通して、こちらの心の低くなるよう、又こうまんをお詫びする節であると思います。しっかり通らしていただきましょう」
と言われました。さらに渕和の前会長さんは、
「私たちの代わりに泉東の会長さんが身上になって下さっている。この親心をしっかり思案させていただいて喜んでいただけるよう、勇んでつとめさせていただきましょう」
と涙ながらに言われたのです。
その言葉を聞かせていただき、これは私に言って下さっていると悟らせていただき、反省させていただきました。
この地でマラリアにかかり、目の当たりに見せていただくのも親神様を信じ、おやさまにおもたれして通らせていただいていれば間違いないことを教えてくださったのだと思いました。小難ですませいただき、会長さんは1日休ませていただいただけで不思議なくらい早く回復に向かいました。
泉東の会長さんのために用意してくださった食事は「白お粥と梅干し」。まさかウガンダへ来て食べられるとは思いませんでしたが会長さんは喜んで感激しながら食べていました。
実は渕和の会長さんたちが日本から持って行った荷物の中にレトルトの白お粥を沢山準備してくださっていたのです。
私たちの知らないところでの配慮を改めて勉強させていただきました。会長さんのご守護の裏には皆さんの真実があったのです。
いよいよ明日は真誠ウガンダ布教所の開所式。今日親神様、おやさま、お連れ通りいただきましてありがとうございます。
夜は大雨、雷雨。
第12回 躍動の泉 408号

三月三日、前夜に変わって澄みわたる青空。午後からいよいよ真誠ウガンダの開所式です。親神様、ご存命のおやさまがこの日のために会長さんの身上をご守護くださったのだと改めて感謝させていただきました。
朝づとめ後、三歳のいくえちゃんが会長さんに「今日はおひなさまだからこれを食べてください」と小さなあられを持ってきてくれました。懐かしく思いながら童心に帰って、全員でおひなさまの歌をうたいました。いくえちゃんは人気者で、いつも笑顔を絶やさず皆の心を和やかにしてくれます。会長さんは先々素晴らしい道を親子共々通られるだろうなあととても感心しておられました。午前中はそれぞれ手分けして準備のひのきしんを勇んでやらせていただきました。
私は炊事の方へ行ってみると親奥さんが「今日、来られる人のためにかわいいカレーを作ります」と言われました。すぐにピンときました。それはよく泉東の母から「昔はかわいいカレーをよく食べたんやで。それはなあ、肉のないカレー(憎ないカレー)。つまりかわいいカレーやで」と。そのことを思い出し、胸がいっぱいになってきました。
室内で炭をいこし、大きな鍋に地元の野菜を入れ、煮込み、かわいいカレーができあがり。ご飯の方も貴重なお水でたくさんのご飯を炊き上げました。使用した炭はいったん水につけて大切に次回に回します。
どのくらいの人が参拝に来るかわかりませんが、渕和の方々の精一杯の真実を出し尽くして喜んでいただこうという思いが感じられました。
ご神殿、鳴り物、準備万端整い、午後一時開所式が始まりました。
布教所長の感激の祭文。全員が感激の涙を流しました。おつとめが始まり、今まで練習してきた子供たちが交代で元気いっぱい鳴り物をつとめてくれました。
後半のおてふりに前会長夫妻と会長と共につとめさせていただき、今までにない感動でした。今日の日をおやさまはご覧くださってお喜びくださっているに違いありません。そしてここに泉東の前会長夫妻がおられたらどんなにか喜んでくださることでしょう。世界だすけ、世界だすけとよく言われていたので、ご安心いただけたと思い、涙が溢れました。ふと、外を見ると敷地内では溢れる人々。たくさんの人たちが来てくださっていたのです。
第13回 躍動の泉 409号
今まで多くの人たちがこの地でにをいがけ、おたすけに真剣につとめてくださっていたからこそ、言葉が違っても人々が寄り集まってくるのだと思いました。
おつとめ終了後、布教所長・敬充さん、泉東の会長さんのあいさつ(美江ちゃんの同時通訳)、そして地元の区長さんの挨拶も終わり、全員で記念撮影。
楽しみにしていた直会では全員にかわいいカレーが配られました。珍しそうに食べる子供たち。愛想がないほど、あっという間にお皿が空になりました。今度はお下がりの飴を一本づつ配りました。その飴もすぐになくなり、食べた後の棒が笛になるので、子供たちは大喜びでピーピーピーと遊び回っていました。
夕づとめまで誰一人帰る人はいませんでした。今日一日の感激が冷めやらぬこの日の夜、初めて空を見ました。真っ黒な空の中に満点の星。手を伸ばしたら星が手に届くような素晴らしい星空を見る事ができました。中でも天の川、北斗七星、南十字星。
この日は最高の日でした。親神様、おやさま、ありがとうございました。
最終回 躍動の泉 412号
翌日、朝から前日の後片付け。女性たちは使用したカレー皿をわずかな桶に入っている水で奇麗に洗い上げました。水の尊さを改めて勉強させていただきました。
午後に入って「実働推進の会」を実施させていただきました。泉東の会長より旬の思いを聞かせていただき、続いて布教所長より簡単な現地の言葉を教えていただいてから分かれてにをいがけに勇んで出発しました。
元気に大きな声でよろづよ八首を歌いながら夢中で歩きました。やっと着いた家では1才の赤ちゃんが風邪とのこと。すぐおさづけを取り次ぎました。不思議にその家の男の子(小学校一年生くらい)がずっと私たちを道案内してくれました。
4才女の子、風邪。60才女性、歯痛。70才女性、目、手の痛み。70才女性、身体の痛み。
おさづけに来るのを待っていてくださいました。また、ある家では「マラリアに罹っているから」といって外気に当てて「熱を下げている」と、赤ちゃんを抱いているお母さん。日本では考えられません。
廻っているうちに他の人たちとはぐれてしまい、帰る道すら分からなくなってしまう所を男の子がそばにいてくれました。
最後にその男の子が案内してくれた所は全身がガンに侵されている60才の女性でした。家の軒下にゴザを敷いて横たわっていました。すぐにおさづけを取り次ぎました。その婦人は苦しい中からも笑顔を見せてくださり、思わず涙が出ました。手を握り、言葉は分かりませんでしたが、喜んでくださっているのが分かりました。
その男の子が布教所まで送ってくれました。
しやんして心さためてついてこい
すえハたのもしみちがあるぞや (五 24)
遠いウガンダの地でわずか10日間の生活ではありましたが、無事につとめさせていただけました。親神様、教祖が世界隈無くお働きいただいているのだと目の当たりに感じさせていただきました。
このご恩にしっかりとお応えさせていただけるよう、人をたすける心になって、また、日々の生活態度を見直してつとめさせていただきたいと思います。改めてこの素晴らしい機会をお与えいただき、渕和につながる皆様方に感謝いたします。本当に有り難うございました。(おわり)
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