贈呈行事を実施して1 「感激の内に無事帰国」

 第二回スリランカ(第一回インド)視察団は6月15日から24日、10日間の日程で行かしていただきました。視察団の事については、AAAニュースレター「地球家族のたすけあい」で記します。ここでは親神様・教祖の鮮やかなご守護をご報告させていただきます。

 6月に入った頃から、食事をして1、2時間すると非常に腹が張って凭れた感じがするのです。前々から、そんな時には息子達に背筋をのばしてもらうと3分も経たない内にスッキリしてしまったのですが、この度は如何にしてもスッキリしないのです。食事を減らしてみたり、柔らかいものを食べてみたり、家内が色々と心づかいをしてくれるのですが、思うようにスッキリしない状態が続いていました。いよいよ11日の月次祭を迎えて、高安大教会のご巡教をいただき、心も新たに邁進する覚悟をさせていただく事が出来、無事勤めさせていただく事が出来ました。が、心は勇んでいるのですが、イマイチ腹の調子は良くない状態でした。智子さんにおじやを作ってもらい、ご飯茶碗に半分くらいいただきました。しかし相変わらずの状態でしたので、その12日の夕食からは食を断ちました。
 15日からは、スリランカ、インドの旅が始まりますから、早く元に戻る事を心に念じつつ…御供さんとお下がりの水をいただき始めました。誠に申し訳ない事でしたが、教祖のお社の脇に置かしていただいていた唐櫃の中の御供さんを開けてみましたらみんな黄色く滲んでいるのです。如何にお助けに御供さんを使わないで通って来たかを深く反省致しました。
 この御供さんが私を救ってくれたのです。
 結局出発まで腹の具合は良くならないままでした。家内は、梅干し、お粥、粉末ポカリと持っていった事もない食料を私の為に用意してくれたのですが、私自身は御供さんとお水で過ごす覚悟を内心決めていたのでした。
 全くありがたい事に1日3食の食事時に御供さんを一服づついただきました。御供さんをいただく度に、いつもと変わらぬ力が沸いてくるのです。10日間の旅は終始ほぼ断食状態で過ごしました。そういう訳で、恙無く初期の目的を達成する事ができました。
 今回の旅で御供さんの効能を魂の底からありがたく感受する事ができました。
 さて、24日は特別の計らいで、修養科生の栄慈さんが関空へ出迎えに、急きょ乗る人が増え、寺田一家が応援、揃って車2台での盛大な出迎えを受けました。
 詰所に着くと泉東分教会の別席団参、他の教会も高安の6月別席月間の理をいただいて次から次へと大変なにぎわいです。そのにぎわいの中にありながら、私はホッとしたのでしょうか、どっと疲れが出てきました。駆け込むようにトイレに行ったら真っ黒な水のような便がシューッとでて便器一杯になりました。
 私達は詰所の宿泊申込をし忘れておりましたので、1時間も部屋入りを待つ事になりました。教養係の田中先生のお世話で修養科の空室を一時お借りする事が出来て、眠れなかった機内の疲れを休める事ができました。
 上級島渕の会長様も別席団参に来られていると聞き、おさづけを戴きたいと思って探しましたがお会いする事が出来ませんでした。
 25日夕勤めに重い足を引きづりながら歩いていますと南浦の会長様とお会いする事ができました。歩きながら事情を説明しお諭しをお願いしました「あんたは良くやっているから、でも、身上を戴くのは何か足りないからじゃないですか」と。夕づとめが終わって、詰所への帰り、又お会いしました。「山崎さんの事が気になって、おつとめ中ズーッと考えていたんだが、やっぱりどんな事があっても自教会の月次祭を外してはいけないね」とのお諭しを戴きました。(その時はすっかり忘れていたのですが、2月はウガンダの一時避難の為に、月次祭を勤める事が出来なかった事を後日上級島渕の会長様から御指摘頂いたのでした。「深く反省するように」と。)
 翌日26日朝づとめが済んで部屋で休んでいる所へ教養係の田中先生が明るく訪ねて来られ、北海道の美味しい野菜缶ジュースを御持参下さって、おさづけを取次いで下さいました。何かすーっと腹がおさまりました。気分爽快、かんろうだいづとめを勇んで勤めさせていただいている内に、南浦の会長様、教養係の田中先生、お風呂でお諭しいただいた宮坂先生のお言葉がしみじみと思い起こされ、おぢばの月次祭を最後までしっかりと勤めさせていただく心を定めたのでした。その日12時には奈良新聞で取材の約束がされていたのですが、心定めた事ですので、最後までしっかりと勤めさせていただいてから、一緒に団参に来られた部内の皆様にお詫びを言って待っていただく事にして、私とヘンリーと家内とで奈良新聞へ行きました。遅れる事を承知でしたが、なんと1分前に到着したのです。そして、その日のお昼からおにぎりや鮪丼等を少しづつ食べてみたのですが、何ともなく納まるようになったのでした。
 田中先生には、一応返ったら医者に見てもらうようにとのお諭しを付け加えていただきました。おさづけがこんなに鮮やかな事を事改めて感動させていただいたのです。
 帰会すると、郵便箱に肺癌、胃癌、大腸癌(女性の場合は乳癌、子宮癌も)の定期検査を受ける受診票が届いていました。さいたま市になった事に寄る市民サービスの一環のようです。浦和時代は、市報に載っていただけでしたが…。信者さんの紹介もあって近くの医院に行く事にしました。先ずはレントゲンをとって、「胃ですね、潰瘍が有ります。ハガキが来ていませんでしたか?当院は指定医になっていますから、全て検査しましょう、月曜日(7月2日)朝8時に来て下さい」  合掌
                                   この項つづく

贈呈行事を実施して2 「感激の内に無事帰国」

 断食の旅から引き続き、鮮やかなご守護が連続して…今日まで全く何事も無くお連れ通り頂いております。有難うございます。鮮やかなご守護、御供さん、御神水、お諭し、おさづけそして、陰で神様にお願いしてくれた方々のご真実のお陰です。

 7月2日朝8時、先生がお一人でレントゲン検査の準備をして待っていて下さいました。縦、横、斜、色々な角度から沢山の写真を撮りました。それを並べて、
「潰瘍ですね、十二脂腸潰瘍の痕が有ります。」
「神経性胃炎と言うところですか?」
「いいえ立派な胃潰瘍です」
「では十二脂腸に近い所ですね」
「胃の真ん中です。親指の爪よりやや小さい潰瘍です。よく噛んでゆっくり食べるようにして下さい」
「癌は無いのですか」
「胃カメラを飲んでもらいます。その時に細胞を検査します。それから検便が血便ですから腸の方も検査します。」
「胃潰瘍のせいで血便になるのですか?」
「それは関係有りません。腸までは影響しませんから、大腸に何かが有るのです」
という事で、後日、胃カメラを呑んで検査、引き続き、日を追って肛門から管を入れての大腸癌検査を…この時も40枚位のレントゲン写真を撮ってくれました。1時間程待って写真を見ながらの説明、
「きれいな腸ですね。血便でしたのでこの検査をしたのですが何も有りません。」
「小さなポリープのようなものが有るんじゃ無いですか?」
「全然有りません。こんなきれいな腸は見た事ないですよ。血便が出たと言う事は悪い所が有るはずなんですけどね。実にきれいだ何でも有りません」
「はあ?!!!」
結果は肺、胃、大腸何れも癌は全く見られない。血液もきれい、一寸貧血ぎみ(これは13日間の断食のせいでお医者さんも納得)、糖尿病無し、血圧良し、最後に胃潰瘍の2週間分の飲み薬を戴きました。今日まで全く何事も無くお連れ通り頂いております。有難うございます。
 御供さん、御神水、お諭し、おさづけ、そして、陰で神様にお願いしてくれた方々のご真実のお陰です。有難うございました。合掌

続いて、渕和分教会でマイクロバスを御守護頂きました。
 4月にはコンテナを2度にわたって出荷、6月にはスリランカ/インドへの出張、お陰様で世界だすけに拍車がかかって喜びの悲鳴をあげて日々を通らして頂いておりましたので、誠に申し訳ない事でございましたが、子供おぢばがえりの車の手配が怠っておりました。そんな矢先にマイクロバスの話が舞い込んで来て、緊急にお集りいただいた役員皆様のご真実で購入が決まり、皆様から特別のまごころの御供えをしていただきました。
 お陰様で渕和隊第四回こどもおぢばがえり、8月3、4、5日と昨年より20%増の参加者をご守護戴き、無事勤め終えさせていただきました。
「来年はお友達一人誘って」をお誓いしながらの快い解散でした。しかも、このマイクロバスはまっ先に上級島渕分教会こどもおぢばがえり(7月29、30、31日)で役立たせていただきました。
 首都圏は排気ガス規制が有るので、ディーゼル車は年代の古いものは、30万円とか50万円とかのお金をかけないと車検が通らないような事も聞いていましたので、このバスの名義を圏外の方に頼むべく、アチコチお願いしていましたら、どうも思うようには行かない事になりました。結局それがきっかけで、当該陸運事務所に話を聞きに行きましたら、整備責任者、安全運転管理者をおいて、又、運行予定表なども出してもらうということでした。第10回井戸掘り隊に参加した駒ヶ根市の下平さんから来た話ですので、その旨連絡しますと再度必要な手続きを調べて教えてくれるとのことでした。私としては渕和分教会として購入するのが一番よい訳です。早速調べた結果が参りました。排気ガスについては対策は10万円位でできるとのことでした。先ず長野陸運局で車検をして、埼玉にて名義書替を行なう事になりました。必要書類のご指導をいただいて、それを揃えて、埼玉陸運局に…、8月10日代書屋さんで書類を書いてもらっている内に、排気ガス対策の会社の方が予定の待ち合わせ時間に見えました。とんとん拍子に車検が通ってしまいました。「これで良いんですか?」あまり簡単なものですから聞きました「車検が出たのだから良いんでしょう。OKです。気をつけてお帰り下さい」と言う訳です。予定よりも出費は多くなりましたが、無事8月10日、天理教渕和分教会名義に名実共に手続きを済まさせていただきました。有難うございました。不思議なご守護に感謝  合掌

「おぢばは鏡屋敷」 婦人会長中山まさ様のお身上

 今!親神様の待切れない残念を悟りとり、全よふぼくが!

「貧に落ちきれ、との思し召しのままに、貧しい者への施しにその家財を傾けて、赤貧のどん底へ落ち切る道を急がれた。」                教典 第五章「ひながた」

そして教祖伝、第三章「みちすがら」の一言一言が今「教祖のひながた通りに」実動を急き込まれている旬である事を痛感するのです。

 ご本部から8月5日子供おぢばがえりお礼勤め終了後に婦人会長様お身上(昏睡状態になられる)三日三夜のお願い勤めが打ち出されました。

 この事は修養科中の和南布教所長から携帯に連絡が入りました。

 子供おぢばがえり中の渕和は5日夜遅くに帰会となりますので、6、7、8の三日三夜のお願い勤めをさせていただきました。

 お願いづとめにあたって、昨年7月24日親里ぢばに於いて、かんろうだい据え替えのおつとめが厳かに勤められました。

 7月の月次祭で真柱様は、「この度の事情についてしっかりと心を建て替え、その証として、形の上にもかんろうだいを新たに据え替えました。」

 真柱様の真摯なご決意を目の当たりにさせて頂き、感動の内に心定めも新たにさせて頂きました。早、一年経ったこの度、婦人会長中山まさ奥様の身上をお見せ頂き、直属を通して世界全教にお願い勤めのお声がかかり、全教よふぼくが一丸となって三日三夜のお願いづとめを勤めさせていただき御守護をお願い致しました。

 おぢばは鏡屋敷とお教え頂きます。

 おふでさきの締めくくりの項、17号57番〜75番のおうたを事改めて噛み締めました。

 このみちハどふゆう事にをもうかな   月日ざんねんいちじよの事

 このざねんなにの事やとをもうかな   かんろふ大が一のざんねん 

 このざねん一寸の事でハないほどに   どんなかやしを月日するやら

 どのような事がありてもうらみなよ   みなめゑめゑにしておいたのや

 このさきハせかいぢううハとこまでも  高山にてもたにそこまでも  

 これからハせかい一れつたんたんと   むねのそふちをするとをもへよ 

 このそふぢなんとをもうぞみなのもの  神の心をたれもしろまい    

 月日にハどんなざねんがあるとても   いまゝでぢとみゆるしていた 

 さあけふハ日もぢうふんにつんできた  なんてもかやしせずにいられん 

 このかやしなにの事やとをもている   神のさんねんばかりなるぞや 

 このざねん一寸の事とハをもうなよ   つもりかさなりゆへの事やで 

 月日にハせかいぢううハみなハが子   かハいゝぱいをもていれども 

 それしらすみな一れつハめへめへに   ほこりばかりをしやんしている 

 この心神のざんねんをもてくれ     どうむなんともゆうにゆハれん 

 いまゝでのよふなる事ハゆハんでな   これからさきハさとりばかりや 

 このさきハなにをゆうやらしれんでな  どふぞしかりしやんしてくれ  

 さとさとたをとたをとびよさまびよさま

 このはなしあいづたてやいてたならば  なにについてもみなこのとおり 

 これをはな一れつ心しやんたのむで

 親神様、おやさまの親心、こども可愛い故の切なる思し召し、親の思いに気づかないこどもたちへの残念な事がおふでさきに切々とお示し頂いております、このご神言を我が事として実動しなければならない事を痛感するのです。

 諭達第一号で示された真柱様の思い、それを受けて、お示し頂いた婦人会の成人目標
「ひながたをたどり陽気ぐらしの台となりましょう」

活動方針 

一、原典にをやの思いを求め 日々におたすけの喜びを味わいましょう。

一、次代を担うよふぼくを育てましょう。

活動方針の実践に勤める事をお誓いして命懸真剣に勤めさせていただきました。

 不思議にも8日の晩には小康状態が続き、お粥をお召し上がられたとの情報をお聞きして、一同感激、11日は月次祭が入りますので、夕方のお願い勤めにさせていただき、更に11日夜には、小康状態だが意識が回復された、ご本部では9、10、11と追い願いを勤め、その後は、朝夕のおつとめでお願いとの情報が入り、更なる感激!心定めの実践をお誓いしたのでした。

 三日三夜の初日の6日に部内巡回(和北布教所)でのにをいがけデーが立てあった事は、理を戴いた有難く勿体無いタイミングでした。

天保9年と私の見た世界

 度々ご報告させていただいておりますが、20年に渡って体感したアフリカ、そしてこの度初めて遭遇したスリランカ、インドの実情。私はそこで「日本の否、先進諸国の物質的豊かさは犯罪である!」とまで強く心に感じました。

 日本で捨てられているような物資が町中に溢れ、色々な角度で役立ち、厳然として生活を支えているのです。

 ゴミの山に這いつくばって食を漁る子供や大人たちの姿。

 教育を受ける機会も無く、無教育が故に蔓延する病気による死者の続出、字の読めない母親が病む子供に農薬を飲まして死にいたらしめたという事件もアチコチで聞かれる。

 洪水や旱魃が有れば瞬く間に破壊されてしまうであろう生活基盤の軟弱さ、未熟さ、死ぬために産まれて来たとさえ思える餓えた赤子、しなびた乳房に口を寄せてもそれを吸う力さえ無いのです。

 先進国と発展途上国との貧富の劇差を痛感します。

 先進諸国の心の貧困が巻き起こす温暖化等の地球の変化。

 教祖伝を拝読させていただく度に、この場面が目に映ってまいります。天保9年頃と全く同じように思えてならないのです。

「貧に落ちきれ、との思し召しのままに、貧しい者への施しにその家財を傾けて、赤貧のどん底へ落ち切る道を急がれた。」              教典 第五章 「ひながた」

 無限に有る資源を有限かのように唱えて、節約を呼び掛けてはいますが、教祖のひながたはたすけの実動、先ず手始めは、あらゆる資源を「必要なだけ慎ましく使う」心を定め、「我が身忘れて人をたすける」ことに他なら無いと思うのです。

そう!教祖伝第三章みちすがらの一言一言が今「教祖のひながた通りに」実動を急き込まれている旬である事を痛感するのです。

いまゝでも今がこのよのはじまりと ゆうてあれどもなんの事やら      7号35番

世界へ向かって出発!

 出発を前にして15日婦人会長様のお出直しの報が入りました。4月の婦人会総会に於ける婦人会長様のお言葉が蘇って来ました。

婦人会長様の思いを胸に第16回東アフリカ視察団と共にウガンダ、ケニア両国を視察、不思議な御守護の数々を体感させていただきました。

「こうのうの理を積み 勇みの渦を」

『前略… 教会の中でも、家庭にあっても、日常において女の役割が非常に大きいと言う事を改めて思い直していただきたいのでございます。例えば、いろんなことが起こって来ても、その都度心を切り替えて、にこにこと晴れやかに通っているならば、その教会は自然に明るくなってくるのでございます。また、訪ねて来られる方も、その温かい雰囲気に迎えられて、教会に行けば、神様のお話を聞かしていただける、また、自分の気持も聞いていただける。そして、一回、二回と自分から教会へ運んでいけるように、神様が導いてくださるのでございます。道中には、いろいろとお見せいただきますが、どのようなことがございましても、母親が台となって、たんのうの心を忘れずおやさまにお凭れして、それぞれが誠真実に談じ合いを重ねさせていただくならば、内々の心を一つに治めて、勇んで通らせていただくこともできてまいります。くずおれそうになりましたならば、そのときは、おやさまにおすがりさせていただきましょう。
ひながたの道で、おやさまは、どんなことも喜びにかえることのできる心遣いをお教えくださったのでございます。『おふでさき』を繙き、稿本教祖伝を手にとって、をやの思いをしっかりと身につけさせていただきましょう。中略

真柱様はそれぞれの教会の歩み出しから、本来のあり方まに及ぶまで、懇ろにお諭しを下さいました。…中略…

婦人会の会員と致しましては、道の台と自負するの上からも、今まで心にかかっていながら実動できなかったことを、何からでも、この旬に、実働へと踏み切っていただきたいのでございます。動かなければ何も分かりません。動きも出てまいりません。しっかり動かせていただきましょう。…後略』     (第83回婦人会総会にて)

 今回の視察団は、初めて南アフリカ航空を使って成田から機上の人となりました。参加者は私達夫婦とAAA理事の中里睦子さん、3回目の高校生小林君、2回目六年ぶりの内田秀子さん、社会人の女性が1名、大学生が4名、専門学校生が2名、そしてウガンダを担当する山崎敬充さんの総勢13名。
 ウガンダでは拓殖大学国際科、鈴木ゼミの皆さん総勢18名のスタディーワークショップ(第2回目)の受入が視察団と入れ違いに始まります。私はその準備のため敬充さんと共に、ナイロビに着いてすぐ、団員の皆様と別れてウガンダ入りしました。

 オキディーさんが弟のトムさんをウガンダに派遣してくれました。これが素晴らしい働きをして下さったお陰で、合流した私達と共にすっかり受入準備ができたのです。

 現場でトムさんが腹痛を訴えます。薬の持ち合わせは無いしトムさんは、ヘンリーオミールさんからお道の話を聞いていましたので、私が「おさづけ」と言うと喜んで受けてくれました。即座に腹痛は消えてしまったというのです。

 神様のお働きに感動するトムさんにおやさまのお言葉を伝えました「助かって嬉しいと思ったら、神様に助けていただいたことを人に伝えなさい」。彼は建設の職人さんや近所の大人や子供達に一生懸命話していました。その勇み心が建設現場でのひのきしんとなって、思いもよらなかった地均しまで進んでしまったのです。さて、あとは現場の片づけをして拓大生を迎えると言うところへ視察団の皆さんが到着しました。

 最初の予定では、現場の準備が間に合わない予定でしたから、建設が出来上がっているテクニカルセンターで泊まって自炊をしながら進めることにしていたのです、お陰様でマサカのホテルから通いながら推進することが出来たのです。視察団の若い人達は2キロ離れた井戸へ水汲み体験をしたのですが、2時間もかかる大仕事でした。もし自炊だったら如何とも仕様の無いことになっていたと思うと全く有難い事でした。

 片づけ作業中に小林君が10mの便所用に掘った穴に落ちました。これがかすり傷だけですんだのです。おそらく下は酸欠状態になっていたようです。綱で引き上げられた小林君の顔色は真っ青!うつ伏せにして首、背骨、腰とおさづけを取り次がしていただきました。彼の顔に赤みがさしてきました。彼はおさづけいただいた直ぐあとに人心地がついたと喜んでくれました。その後、首都カンパラまでトムさんと純子代表とで救急処置をしに医者にかかりましたが、かすり傷だけと言うことになったのです。

 拓大受入が順調に進んでいることから私も視察団と共にケニアに行くことにして、まだ見ぬケニアのガリッサ、イジャラ、そして、ウガンダから500km ハイラックスでケニア入りした敬充さんとキスムで合流して、そこから60km 奥地のカニケラを視察することになりました。

 ガリッサでは阪本ご夫妻のお部屋に泊まらせていただきました。ご夫婦が揃っておつとめを勤めている姿に接して、ほのぼのとした感動を覚えました。

 さて私ごとで恐縮ですが、胃潰瘍の医者からの薬はとうに無くなっていましたが、時差ぼけと走行3,000km を超える車の移動が続いた結果の疲れであったと思います。翌日胃に変調を感じておりましたところ阪本さんからの申し出でおさづけをお取り次ぎいただきました。すっきりとご守護いただいたのです。そして智恵さんの全身マッサージですっかりほぐしてもらい大変助かりました。

 ガリッサから180km のイジャラに行く事を回りの人達が心配してくれましたが、何が何でもと頼んで心勇んでやらせていただきました。着いてその晩にマラリアの薬はないかと訪ねて来た人がいました。その話を聞いてあとから宿舎を訪ねましたらいませんでした。阪本邸にいるからおさづけをいただきに来るように、言葉の通じないワーカーの人達と手まねで話しました。通じるか?とも思いましたが、夜遅くやって来ました。(あんな手まねでわかったと思うと不思議な気がすると共に、常日頃おさづけの取り次ぎをしているご夫婦であったことが後から分かりました)マラリアで熱が有り、鼻がおかしいようなことを言っていました。が、おさづけが終わると即座に良くなったと喜んで鼻をなぜ、嬉しそうに帰っていきました。

 翌日はいよいよ現場視察、現地の総監督が右足に大怪我をしていたのです。早速おさづけを取り次がしていただきました。毎日阪本さんが取次いでいたとのことでした。作業は出来ないのですが、総監督らしく杖をついて、ワーカーに指示を与えていました。帰る頃には随分順調に良くなっている様子でした。たった2日でしたが、次の準備を整えて総監督にすべてをお願いして、イジャラから900km 先のボンド地区カニケラへ移動。

 オキディー家へ到着!トムさんが手配してくれていた村の人々とオミールさんのお母さんが庭に出て両手を挙げて迎えてくれました。と同時におさづけをお取り次ぎ致しました。2月にお邪魔した時よりはよほど良くなっておりました。村の人々の案内で、水脈調査をしたと言う井戸掘り現場、お金がなくて建設が中断されている診療所、PTAのお母さん方が1、5km に渡って、歓迎の歌を踊りながら先導してくれて小学校に到着、400人の生徒にしては少ない校舎、2つしかないトイレ、色々な問題が山積みしています。PTA会長さんや校長先生から聞かしていただいた後、私が挨拶させていただきました。

 私達夫婦は戦争で父親をなくしたこと、子供の頃には戦後の貧しさで食べることもままなら無かったこと、そうした中でおやさまの教えを元に不思議な助けをいただき、家族や親戚が一つになって頑張って来たことなどを話しました。トムさんが通訳してくれました。村の代表が、「天理教の事は良く聞いております。今日は折角会長さんが来て下さったのだから、みんなにお祈りをして下さい」とのことでした。天理教にはおつとめが有ることを伝え、阪本さんご夫妻が持参してくれた天理教のリーフレットを有るだけ配り、しっかりと読んでもらって教えを実行するようにお願いしました。そして来年の第2回お助け隊が来ることを伝え、その時には身上の方々に集まっていただいて、おつとめ、おさづけを取次ぐことを約束して、トムさんの家(オキディーさんやオミールさんのお母さんの)に戻りました。 身上であるはずのお母さんの手作りのウガリと鶏の煮込みを用意して待っていました。

 昼食をすまして350km の道のりをナイロビに向かいました。テッコーツアーズ(オキディーさんの経営する旅行会社)によって精算を済ませて、トゥフェンのお父さんから妹のTLIの申込書とお父さんの修養科申込書を預かり、一日ゆっくりと休んで、翌8日午前5時起床、10時の飛行機で帰路についたのです。途中ヨハネスブルグの空港でよろづよ八首を踊りました。言葉は分からなくても振りを見て感動する方もいるかな?とちらっと心に浮かびました。不思議にも白人の婦人が英語はしゃべれるか?と声をかけて来ました。さっき運動していたのは何か意味が有るのか?と言うようなことでした。敬充さんが通訳してくれたのですが、残念ながら、パンフレットはもう既に無いし、天理教について詳しく伝えることは出来ませんでしたが神名だけは流させて頂けたと喜ばしていただいております。成田到着前は台風のために機体が揺れ乗客はとても不安な状態でしたが無事着陸。「教祖ありがとうございます」 合掌

第1回アフリカお助け隊

 「諭達第一号」で真柱様は

……立教の本旨は、『このたび、世界一れつをたすけるために天降った』と仰せられるように、世界中の人間を余すことなくたすけあげることにある。その思し召しを体して世界たすけに向かうことこそ、この道を信ずる者の第一の務めである。
……今こそ人々に元なるをやを知らしめ、親心の真実と人間生活の目標を示し、慎みとたすけ合いの精神を広めて、世の立て替えを図るべき時である。……

と仰せられているのであります。

 親の理を受けて実現された、第1回アフリカお助け隊は日本から7名と現地1名(天理大学の助教授は別席運び中で参加)計8名。結果参加者7名のよふぼくは全員高安、内泉東が4名でした。

 ケニアの、オキディ講(柳島)、ヘンリー講(渕和)にて春季大祭をつとめさせていただきました。

 ナイロビから約300キロ奥地のボンド地区にて初めてのお助け活動を実施。キリスト教カソリックが経営する、広い病院を案内されたところ、入院患者は5人でした。おさづけを取り次がしていただきました。

 入院・治療費が有料なので入院患者が少ないことが分かりました。

 その晩は、ボンドホテルで1泊したのですが、朝食の際、食堂にて1人の身上者におさづけを取り次ぎましたところ、次から次へと希望者が現れ、食堂内は「南無天理王命」の声があちこちで起こりました。参加隊員の感動の時でした。

 ナイロビでつとめた講社の方々の実家がボンドです。2つの講社から修養科生が…、今、手続きを進めているところです。

 ウガンダ共和国マサカ県の奥地の村に医療巡回を実施、私達お助け隊員はその医療班と共に現地に向かいました。丘を越え谷を越えて着いた奥地の村には、沢山の患者が待っていました。医師の診察が終わった患者は、次から次へと私達おさづけ人の待つ長椅子の前に座ります。名前を聞いて、年を聞いて、病名を聞いて、有難い事に、英語の分かる村人が現地の人の通訳を勤めてくれました。総計75人の方々におさづけをお取次ぎする事が出来ました。

 マラリアの高熱は、人を苦しめます。その患者さんがおさづけをいただいてから、石原藤彦(南浦分)隊員の空手の練習に参加して二時間も頑張っていました。

 廣田好美(南品分)隊員の取り次いだマラリアの子供達は、ハーモニカを吹く、隊員と共に楽しく歌い出しました。

 赤阪繁一(東紀恵分会長)隊員の取り次いだ老婆は這うようにして杖をついて来たのですが、軽やかに村へ帰っていきました。

 不思議なご守護の連続を目の当たりに見て、私達は教祖のお供をしている実感と感動に…!

 ウガンダのチャートー講にて大祭をつとめさせていただきました。お取次ぎした人々の平癒を祈っての真剣なおつとめでした。

 第1回アフリカおたすけ隊報告ビデオが完成しました。お入り用の方はどうぞお申し出下さい。

 泉東の初代様が播州布教をされた頃に比べたら楽々の道に思えて申し訳なく思いますと共に、苦難道を拓いて下さってあるからこそ、今私たちが通りきれると悟らせて頂き、邁進させて頂きます。                 合掌

会長就任まで 「節から芽がふく」

 4月29日恒例の浦和支部おつとめ学び総会が予定通り渕和分教会で開催され教祖110年祭に相応しく昨年よりも大勢の人々が集まり、盛大な総会となりました。この総会は、私が浦和支部少年会委員長の頃、婦人会青年会にお願いして「三会合同おつとめ学び総会」として始められました。教祖百年祭を迎える頃と思いますから、十年にわたって続けられている行事です。

 日取りが4月29日に決まったのは3年前で「おつとめ学び総会は山崎さんの誕生祝い」と言って、嬉しい冗談で皆さんは私を喜ばしてくれます。この頃から浦和支部全体の方々の参加できる総会になってきました。

 この総会が終わり皆さんを玄関先でお見送りしている時に、渕和の会長さんが「城之さん、私の後を頼みますよ」突然のことでしたが素直に、「はい」と、返事をしてしまいました。良く考えてみると、私が受けるということはいろいろな問題を抱えているような気がしました。案の定、その後、5月8日の和南布教所の月次祭のときに「上級に相談したら『上級が考えているからあなたが騒がないように』と上級に言われたからこの話は無かったことにして欲しい」と、前会長から撤回の要請があって、話が白紙に戻されました。

 6月11日渕和分教会の月次祭の祭典講話、恒例の通り島淵の会長様の後、柳島の会長様が演壇に立って5月26日柳島関係登殿参拝の感動のお話の後、渕和の後継者問題に触れ「親に心配かけるような信仰でなく、親に安心してもらえる信仰をしなければいけない。みんなで良く談じ合いをして、結論を上級へ報告するように」とのお話がありました。主だった人々は、この話にはまじゃくに合わない疑問がわきました。実は、渕和の後継問題は上級預けになっていたからです。早速事の成り行きを知るために、それぞれが動き出しました。誌面ではお伝えできないような複雑な問題が山積みしていました。その中の一つの理に、伝達ゲームのような間違いが発見されたのです。私たちの知らないことが、誠しなやかに、しかも、3つの上級がそれぞれ違う見解を待たざるを得ないような事が現実にありました。
 7月7日いみじくも真柱様のお誕生日に井口会長様主催の臨時会議が召集されました。その席で全員一致で私が継承することに決まりました。早速上級に相談して手続きを始めることになりました。が、私としては、青天の霹靂でした。
 私は教祖110年祭までの心定めの実現のために命懸真剣の精神でつとめていた矢先の事でしたので、誠に申し訳ないこととは思いましたが、私なりの条件を付けさせていただきました。

 8月17日から31日まで第11回東アフリカ視察団の主催者として皆さんをお連れすることになっていること。
 幾つかの講演を依頼されているので、断れないこと。

 お運びの書類作りを自分自身で出来ないこと。

 等でしたが、上級の会長様はその全てを快く受諾してくださいました。その上、「留守中は任せてください。きちっととりまとめて、しておきます」と、力強く言ってくれました。私は私なりにケニア出発まで出来るだけのことはやらせていただいたつもりですが、ほとんどは島渕の会長様にお願いして出発させていただきました。

 ケニアでは外務省の民間援助資金の交付を受けた事業である。「炭焼き技術の指導伝達活動」を作業に参加・視察を済ませ、ウガンダへは船便で送った衣料と手持ちで持ち込んだ車椅子の贈呈を行って予定通り8月31日無事帰国しました。

 お運びの準備はすっかり出来ておりまして、9月4日に教区長視察、この日主だった方々が14人も集まってくれました。教区からは前川教区長様、書記様、支部長様、そして、柳島の会長様、島渕の会長様がお忙しい中立ち会ってくださいました。そして、10日から14日までは任命講習会、教会長としての心得、自覚を促され、教会長資格検定以来の本部講習で、厳しい中にも親心溢れる講習でした。お世話係の担当が泉東の御分家の長女のさっちゃんが居られて、とても明るくはつらつとしていて家庭的な雰囲気で心が本当になごみした。

 班の方々は海外に布教されるような方が多く、私もケニア等に関わっていることで、話も弾み、今後の事でも良き相談相手になってくれそうな方々が多く、良き理解者に恵まれて感動でした。

 後は、お運びを待つだけ、本当に私が教会長として神様からお許しが出るのだろうか?

会長就任まで 「母の真実」

 「おばあちゃん幾つになったの」「私かい、そうね八十八歳」「本当八十六歳でしょう」「本当かい、じゃまだ若いんじゃないか明治四十三年の生まれは解っているけど」母の物忘れがひどくなって久しい今日このごろです。普通に話していたら、なんの障りもないのですが、時々歳の質問をすると、母が老いたことが確認できるような気がします。悪いような気もしますが、実態を知っていることが大切な場合も有ります。そんな母にお役に立つ仕事をしていただこうと思っておりました。若い頃から料理屋として、働きづくめに働いてきた方ですから、お勝手仕事は好きだし能くできます。但し、刃物を使い、火を使う事が主になる仕事ですから、留守のときに何かあっても困る。人間思案と言われればそれまでなのですけれども、火災を経験した教会としては今一思いきれないことでした。そこで思いついたのが、おぢばの神殿掃除に使われる雑巾縫いのひのきしんでした。晒を買って、糸を買って 、年金の有効利用。縫い上げて、この雑巾を通して、多くの方々が助かっていくことを思ったら。そして、手先を使う事で脳に刺激が有り、ぼけ防止にもなる一石二鳥のひのきしん。そんなことからはっぱを掛けて、勇んでやってもらっていました。「おばあちゃん!百十年祭だから、百十枚、ちょっと少ないかな、三年千日だから一日一枚として千枚、一日五枚は行けそうだね。でも取り敢えず、千枚頑張ろう。」と言うわけで始めた雑巾縫いでした。そして毎月おぢばがえりを心定めして、月々に雑巾を教祖殿にお届けしてきました。その都度「御供」が一袋(五服入っている袋)下付されました。その雑巾を十月の大祭の前日二十五日にお届けしたときのことです。この月は五十二枚仕上がっていました。前に百枚くらいのときもありましたが、下付される「御供」の数はいつも一緒でした。婦人会の方が「ちょっと待って下さい、これを」と言って十袋も下付してくださったのだそうです。この話は家内に後から聞いたことなのです。が、このことから就任奉告祭の皆様のお土産の一つとして、「御供」を戴いてもらうことにしました。「御供」に就いて知っている方も少なくなったように思われましたので、任命講習会で戴いた「御供」のお話を添付して用意させていただいたのです。
 この一服の「御供」を通して不思議な話が伝わってくるのが楽しみです。

会長就任まで 「神様から戴いた物種」

 おつとめ中に役員さんにお願いする方が、ふっと浮かばせていただき、お願に上がりました。お二人とも心から喜んで引き受けてくださいました。一人は榎本輝好さんで、奥さんの話では受けてくれそうもない話でしたが、二つ返事で受けてくれました。

 ちょうどお運びの前日だったと思います。詰所の部屋にお祝いに来て下さった三本先生のいらっしゃるときでした。榎本輝好さんが「出来る範囲で協力させて頂きますよ」と力を込めて言ってくれたのです。私は有り難く勿体ないことで感激しておりました。その時三本先生が「範囲があってはだめですよ。範囲を取って精一杯させてもらわなければ」と言うようなことを話されましたら、「分かりました範囲は取りましょう。出来る範囲改め精一杯させて頂きましょう」と、固く誓ってくださったのです。私は元々その様に受け取っていましたけれど、改めて、力を込めて言ってくださったことに、更なる感激が込み上げてまいりました。人のこと、物のこと、お金のこと、日程のこと、全てにおいて自分のことのように、又、全責任を背負って微々細々にわたるまで心込めての真心を尽くしてくれました。ご主人がそんな訳ですから、和大布教所長である日佐子奥さんも、夫婦揃ってひのきしんに真心を尽くし切ってくださいました。

 奉告祭の済んだ後、榎本輝好さんが倒れてしまい。医者にかけ込みました。肝臓に黒いものがある。癌かもしれないので、とにかく入院と言う事になりました。この電話にはびっくりしました。が、今、点滴を通いでしています。再検査の結果黒いものは消えていたそうです。

和幸布教所が開設されました。

 もう一人は柳生泰子さんです。役員になってもらうためのお願いに自宅を訪ねました。「私のような者で良かったらつとめさせていただきます。実は布教所にならせて頂きたいと思っておりました。三代会長就任のお祝いという事にもなると思いますが。私が役員を仰せつかったのでしたら、尚樹に所長ということで又、尚樹は今おぢばで働いているわけですから日々のおつとめ、月々のおつとめは、私が代理で勤めさせていただくことでよろしいでしょうか」「それで結構だと思います。何処にいても布教活動は出来るわけですから、本当に素晴らしいことで有り難うございます。」

 私が道一条にならせていただいてから、座右の銘として、実践させていただいてきた「徳積みを実践」の書を皆様に貰ってもらいたいとの思いから、お兄さんの柳生萬年先生に書いていただき、記念品として御来賓のお客様に戴いてもらいたい旨をお願いしました。この書は内容の詳細は別紙に印刷することにはなりましたが、そのタイトルである「徳積みを実践」を芸術作品として全勢力を傾けて書いてくれたのです。その数200枚、途中腱鞘炎を起こしてしまったと言います。萬年先生は、おそらく作品として仕上げるということで200枚が出来るまでに5倍も6倍も書かれたはずです。

 柳生萬年先生は、17歳のときに柳島分教会へ住み込み青年としてお世話になり、その間に前会長様の御真実で書道を学んだように思います。当時の柳島は毎日の食事も大変なときだったと思います。そんな中にも関わらず、芸術に懸ける青年の夢を育ててくださったことを思うと、全く有り難い限りです。

 聞き及ぶところでは、日展で、毎日賞を受賞。その後もめきめきと腕を上げ、青年づとめを終えてからは、書道教室を開き、直弟子を通して、千人を超える生徒を擁するまでに活躍していました。芸術の道を学ぶ内に山岡鉄舟、良寛などの書風に書の心髄を見いだし、全てを投げ打って、芸術家としての道を、財産の全てを紙に替え、文字通りのどん底へと落ち切って書き続けているのです。書道教室の方は、成人した萬年先生の二人の娘の内、妹の千青さんが生徒指導と経営を任されしっかりとつとめています。

 兄である芸術家を裏から支えてきた柳生泰子さんが私の思いを全て快く引き受けてくれました。

会長就任まで 神様から戴いた物種

 和東布教所

 この機会に所長の交代を行うことになりました。初代の所長は山崎とも(母)さん、渕和分教会の筆頭布教所です。正直屋で専務を務めていた山崎末子さんは長男寛(正直屋に勤務)さんと共に、相談に来てくれました。会社で大きな事情を抱えていました。全てを捨て、道一条を心定めされて、夫の利郎さんを所長にしたいと申し出ました。利郎さんは病弱で、またお道一条で通ってきたとは言え、頭が軽いこともあって、ちょっと心配をしましたが、末子さんは「今回の事情もそうですが、立て違いのいんねんで、分かっていながらいんねんを通してしまうところがあるので、せめて和東は理の筋道を立てさせていただきたい。どんなことがあっても廻りの者が成人させていただくようにしますので、お願いします」「解りました。それでは、家族全員集まってください。談じ合いを致しましょう」と言うことで、利郎夫妻と長男夫婦、長女夫婦と家族全員に集まってもらう事をお願いしました。しかし、家族の都合で、談じ合いの日取りは、なかなか決まらぬまま日だけが過ぎていきました。そんなある日、「末子さんの様子がおかしい」と長女さんと共に教会へ来ました。「頭の後ろに嫌なことが詰まって重くのしかかり、その事ばかりで頭が一杯、夜も眠れない。動悸が高まって苦しい、食べる物が食べる気になれない」、軽いノイローゼ状態になっています。本人は「おさづけを取り次いで欲しい」と哀願するように願ってきます。おさづけを取り次がせて頂くと一時は休まるようですが、時間が経つと戻ってしまうというのです。3日と区切って取り次がせていただきました。具合の悪い中、毎日12キロの道のりを通ってこられました。が、目を見張るようなご守護は戴けませんでした。

 事ここに至っては、至急で談じ合いをしなければなりませんので、何さておいても集まってもらう旨を伝えて、家族全員に教会に集まっていただきました。

 結局末子さんは具合が悪いということで、出席できず、松本夫妻と山崎寛夫妻の4人が集まって話を始めようとしたところへ、参拝に来られた利郎さんが部屋に入ってきました。一瞬でしたが、みんな「まずい」と言うような空気が流れました。「会長さん構いませんか」「いてもらった方がよいですよ。全てあからさまに真実が一番ですから。どうぞこちらへ」と言うことで、談じ合いが始まりました。

 冒頭に私は、三つのことを話し、お願いしました。

 1、このお道は、談じ合い練り合いをして、みんなで相談して心定めて、定めたその真実を見定めて神様からのお許しが戴けること。「ききたくばたづねくるならゆてきかす」だから誰かに言われてやるのでなく、自分自身が進んでお願いしている、自身の心定めであること。

 1、所長の言うことはどんなことでも「はい」と素直に受けさせていただくこと。但し、人間だから間違いを起こす場合もあるので、「はい」と言った後、教祖のひながたに照らして「おかしいな」と思ったときは会長の私のところへ来て下さい。そこでしっかりと談じ合って得心のいくまで相談しましょう。それでもだめなら上級があります。渕和の場合は有り難いことに渕和→島淵→柳島→泉東→高安→おぢばとあります。教祖は33個所のうちわけ場所を参ってきたらどんなことでも助かるとおっしゃったというようなことを聞いています。

 1、教祖ひながたの道を真剣に通ってください。出ないと、何が間違いなのかさえも解らなくなります。最近ではカルト集団が宗教法人を利用して国内外に蔓延っているのが現状ですから、その様な集団に惑わされないためにも、しっかりと布教所・教会に伏せ込んでひながたの道を学んでください。ひながたの道を歩んでください。教祖ひながたの三信条はつとめ一条、たすけ一条、喜び一条です。

 全員が得心してくださって、利郎さんを新所長として推戴することになりました。私はもう一言付け加えました。「今度の新所長さんは頭が軽いのです。先日頭を怪我したときにCTで検査をしたところ脳がすかすかになっていると言われました。そこのところも良く承知をして決めてください。」すると、利郎さんは「本当なんだ私は頭が軽いからみんなで補って宜しく頼みます」と、明るく言って、子供たちに両手をついてお願いしているのでした。

 私は内心、もし怒り出してはどうしようかと戸惑いもしましたが、真実を話させていただこうと、思い切って口にした言葉でした。それだけに子供たちも感激しましたが、私の感激は一入でした。この瞬間、和東布教所は一つ心にまとまりました。後は、心定めの実行あるのみ、末子さんの身上も薄紙をはくように良くなっていくことでしょう。

会長就任まで 神様から戴いた物種

 和南布教所

 所長夫妻が教会長夫妻となり、子供たちは教会長家族と言うことになります。本来布教所からの新設教会ならば、今までのまま、更に成人を定めて懸からしていただくということなのでしょうが、布教所が不在になってしまうのです。和南布教所の継承者をどうするか。私は後継者の栄慈にと思いました。が、本人の意思が大切であります。

 彼は朝日ソーラー浦和支店工事部に勤務し、複数の班を管理する副長という立場で、来年早々には次への昇格、昇級が決まっているというのです。しかし、朝日ソーラーでは、豊田ハウスとの合併問題で、工事部全員を月1万円の減俸、他に営業活動実習の後営業としてしか残れないような政策が発表され、実際に給料だけは、発表のその月から工事部全員減俸になったというのです。その前に全社員持ち株制が打ち出され、新株価格で社員割当株分の購入申込をするように案内が来たのはついこの間のことでした。社内報では人を大切にし、人によって会社が成り立っていることを強調する内容の社長の理念である事がうたってあります。にもかかわらず、一連の会社の政策を息子から聞かされて、人を使い捨てにする会社の姿勢に対して一抹の疑問を感じておりました。この度の減俸政策は経営者には有るまじき政策であることを感じ、社長に会わせるように、息子に迫りましたが、会ってもらうことは出来ないということで、退職のやむなき事と判断していました。

 アフリカ救援活動を通して、知り合ったアルミサッシ会社の社長から新しい仕事の話が有りました。三人がグループになって仕事をこなしていくもので、休みが自分の工程管理で自由に取れる。賃金も働き次第、という請負仕事でしたので、栄慈はその話の具体化のために動き出しているところでした。

 彼は、道一条は定めていますが、事業活動も若い内に色々と経験して、勉強しておきたいと言うのです。現在22歳の息子が考えていることですから、親の押しつけにならぬよう本人の思うままに通らせたいと思っていたのです。しかし、今回の場合には、いよいよ布教所長として、自覚するように、相談をかけてみました。快く所長を受けてくれました。ちょうど仕事もとぎれたところでも有るので、修養科を進めてみましたが、今、お助けの途中で、どうなるかは解らないが、場合によっては、先行き修養科も行ってくれそうだから自分が今行くのは待って欲しい。と言います。私たちの知らないところでしっかりと自覚して通っていてくれたことに感激しました。

会長就任まで 神様から戴いた物種

 和北布教所

 これまでに正直屋を退職した人や古くからの信者さんでとぎれている方、親戚の方々の丹精をしていました。この関係で沢山の人が参拝してくれました。又、大宮支部内は支部長先生が菅先生に代わってからは布教活動に力を入れており、各組の人々も布教活動を通して結束しているようです。その深いおつきあいからでしょう。お米を一袋(30キロ)お供えしてくれました。

会長就任まで 神様から戴いた物種

 中川布教所

 親の跡を継いで商売を継承しようという長男さんが現在神奈川県の同業者で修業のために働いています。来年4月頃には、帰ってくる様子です。そのためにご両親は仕出し料理部門を新設して、新規開拓に東奔西走しています。身体でのひのきしんは出来ませんが、と言いつつも、奉告祭の御料理は80%は仕込んでくれ、又、恒例のお魚のお供えは70cm、7kgというものすごく大きな鯛をお供えしてくれました。市場の買い付けの業者にとにかくその日の一番大きい鯛を用意するように頼んでおいたそうですが、その日に限って大鯛が上がったそうです。「世界一でかい鯛をお供えします。不思議な神様のご守護なんですよ」と、嬉しそうに届けてくれました。息子が上手に糸を掛けてくれましたので、生きているようにピンと跳ね上がった鯛は見事でした。

会長就任まで 神様から戴いた物種

 和大布教所

 榎本食品(酒屋と食料品の店)を営んでおります。秋で一番忙しい日とぶつかり、榎本真治社長は店を閉めるか否かで、充分に練って練っておつとめ時間に休む決意をしたそうです。「会長さん申し訳有りませんが、夕方から商売をはじめさせてください。おつとめはしっかりとつとめますから」謙虚な心の持ち方に感動しました。私が代わりに神様にお詫びさせていただこうと心から思いました。

 この布教所が担当してくれている恒例の野菜のお供えは、役員の榎本さんが用意してくれています。市場の都合で全て前日に用意する事になりました、しかし、前日は手作りの御料理で大忙し、3時起きして、仕込みをして、一番で市場に行って、買い出し、午前6時には全てのお供えが教会に届きました。
 新鮮で充分たっぷりのお供え物を前に、調饌にかかりました。品物を見ていてこんなに感動したのも初めてです。感激の涙で何度も何度もお供え物が二重になりました。

 西風は強く、凧が飛ぶように、視界から遠ざかっていきます。真実で辿る糸が切れそうです。凧に心を奪われたら糸が切れてしまいます。糸の手を放さずにしっかりと親神様に凭れ切っていなければと、一手一つ、おつとめにおたすけに命懸真剣に掛からせていただくことをお誓いする今日この頃です。 ご守護話はまだまだ続きます。