|
立教169年1月
ページトップへ
立教169年2月
ページトップへ
立教169年3月
15日 ひのきしんしても何も上げない。小さい身体で汗びっしょりになって、草刈りしたり、土掘りしたり、レンガ運びしたり、水汲みしたり、私は何かをお礼に上げたいと思ってしまう。ムソケのやり方が有ると思うから提案すると「徳積みにならないから、こちらではただで人のためにやる風習が無いのです」此所に赴任して、5年土地所の風習をよく知って彼が考えだしたやり方。(simba)16日 イスラムの子 ある時、せイカが体中傷だらけにしてやって来た。自転車で転んだとの事、腕、膝、脇腹、臑、と擦過傷だが結構傷は深い、夢中でおさづけをお取り次ぎした。4日後にはすっかりよくなっていた。上からセイカ、アリ、チーマ、ジュマ、まだまだ女の子もいる。この兄妹は良く怪我をする。すると、「おさづけ」と言ってやってくる。どの子もおさづけの効能を肌で感じている。父親や母親がマラリアで苦しんでいる時は迎えにくる。飛んで行っておさづけをお取り次ぎする。所要で家の前を通ると、「シンバウエバレー」と家の中から声がかかる。「つまり「シンバ、有り難う!」という事、知っている名前は必ず言ってありがとうを言ってくれる。
セイカは笛を吹きたがっていたが1本しか無い笛はプリンスが練習中、セイカの番まで回ってこない。セイカは何処で拾ったかパイプに穴をあけて笛を作って来た。音が合わないが、その熱意に感動、笛の数を増やすことにした。
そんなセイカが来なくなった。良く聞いてみると、親父が「行っては行けない」という、それでも来ていたら「行ったら殴る」と殴られた。というのだ。
それ以来セイカ兄妹は来なくなった。遠くの方から挨拶するだけになった。
一番可愛い盛りの末娘が自転車にはねられ大けがをした。足の複雑骨折で入院。ムソケは病院に着いては行き先を聞き、探し、(というのはあまりにもひどい怪我なので、病院をたらい回しにされていたのだ。)一生懸命おさづけに通った。それでも兄妹たちは来なくなったままだった。
立教169年3月15日にナブトングァに着いた。ムソケの愛車ハイラックスのエンジン音を聞いて子供たちが大勢で出迎えてくれた。競って鉄の扉を開け、真誠ウガンダガーデンは子供たちの喜びの声で溢れた。その中にチーマもジュマもいた。
セイカは小学校を卒業して、カルングにあるモータバイクのエンジニアとして就職した。アリは小学校7年生、チーマは今は学校に行っていない、お金がないからだと言う。だから毎日布教所にやってくる。草刈りをしたり、雨季の雨でなくなってしまった通路の補修をしたり、根性の有る仕事をしてくれる。
そういえばこのモスリムの子たちはこないはずではなかったのか?ムソケに聞いてみた。「今回戻ってから不思議と来てるんだよ。この間父親にも会ったが機嫌良く挨拶していた」との返事、敢えて理由は聞かなかった。
そういえば毎朝決まってスピーカで流がされていたコーランの音が無い!
むりにこいとはいわんでないづれだんだんつきくるで
きっとよい時に神様が・・・こちらの成人を待って!18日 ムソケは朝夕のおつとめを拍子木を1回おきに叩いている。足を見ると太鼓のリズムを指先で、たった一人でおつとめを教えるムソケの工夫が体全体に、向かい合ってオテフリを教えているとき、天理王命を左手から呼び込んでいる。子供たちはどうしても見た通りにやってしまう。言葉の問題か?1人だからか?
私たち夫婦がウガンダ入りするととても喜ぶのは、先ずはムソケ、「しっかりおつとめを教えたいから」という。
21日 ナブトングァの音 鶏の時の声、続いてコーランの響きは正確に6時、一番タクシーが通り抜ける、空が白みかけてくると鳥たちが囀、この丘は西垂れ側に在るので朝日が遅い、朝もやが真っ赤の時、雲がピンクの時、雲がもっと深ければほのかな明るさの時もある。そういえば3月赴任以降コーランの音が聞こえていない。(simba)
ページトップへ
立教169年4月
11日 左足小指がヂガに食われた。一回手入れすればよくなるはずのこの指が腫れに腫れて左足の半分にまで広がった。教理書を読み、おたすけに奔走し、心をすます。しかし腫れが引く事はなかった。が、ムソケが悟った、腑に落ちた。シンバも悟った「みちのだい」、「身上諭し」を読んだ。その二人の悟りが的中して、見る見るうちに腫れが引き、痛みがとれた。心次第のご守護を肌身に感じた。(simba)21日 チョベの傷 左足膝に1センチくらいの切り傷、深さは肉が見える程度、おさづけを求めてやって来た。朝づとめ後1回、夕勤めの時にも求めて来た。よく見るともう薄くピンク色にはなっているが、治った状態、全治3日〜5日間くらいの傷と見たが、ナンと素晴しいご守護!こうして子供たちはおさづけで育って行く。(simba)29日 65歳の誕生日を迎えた。野ネズミ出現で驚かされて、早朝より豪雨がトタンを打つ音で再度の目覚め、人生の残りをしっかりと記す様にとの神様の声なのか、珍しく電気が有る。パソコンをひろげてお記し開始!
今日は全教一斉ひのきしんデー、しかしこの雨では中止か?それともこの雨で草引きがやりやすくなるのか?朝9時からひのきしん開始。
大勢の人たちの作業後の身体洗濯の水は充分補われた。有り難い(simba)
会長さんに全教一斉ひのきしんのご報告 トタンを打つ豪雨音を聞き乍ら身体は眠っていた、雨音が静かになったなと・・深い眠りに入ったとたん、「ガチャ」何にも無い、何にも居ないはずの我が部屋の中の音にさすがに飛び起きた。猛毒蛇以来神経が尖っているせいもある。懐中電灯をつけ、電気のスイッチを入れた。とたんに飛び出したのは小ネズミであった!此所にはネズミもいたんだ!その姿を見て原因が分かりホッとした。毛布にくるまり熟睡した。昨日昼寝したのによく眠れる。 目覚めたのは再び屋根のトタンを打つ豪雨音だった。午前5時30分電気がまだあるので仕事に入った。 今日は真誠ウガンダ布教所始まって以来の全教一斉ひのきしんデー、1ヶ月前から信者さんたちにお話しして、「私たちをお創造り下された親神様に報恩感謝の喜びの心を身体で表す行いがひのきしん、ひのきしんの心で毎日通らしていただく事が大切です。全教一斉ひのきしんは、1日、日を定めて世界中に教友が一斉に行動する日という訳です。」所長さんのお話しを聞いた信者さんは、青年会員のプリンスさん「そしたら、カブカ道路が草がいっぱい生えているから、その草刈りをしましょう」よふぼくのビアンスィさん「布教所も定期的に整備しないといけないからその日を切っ掛けにひのきしんの日を決めて実行しましょう」村長のムテビさんは「それは素晴しい事です。家族で出させていただきます」と矢継ぎ早に意見が出ました。 所長さんは、「その日までは、時間があるから検討して場所は決めましょう。とにかく4月29日は全教一斉ひのきしんデーですから皆さん声掛け合って参加して下さい。」 ひのきしん実行の場所は布教所の草刈り・整備と言うことになりました。 教祖120年祭でおぢばに帰らせていただき、昨年12月11日教会の月次祭〜2月3日の布教所の月次祭まで留守でしたので、草もぼうぼうでしたから、草を刈ったり、雨水も所かまわず流れている様な状態でしたから、溝堀をしたり、所内の通路を整備したり、毎日少しづつひのきしんが始まりました。 そして迎えた今日でしたが、いつもなら明け方には止む雨も、強くなったり、弱くなったり、集合時間9時を過ぎても続いていました。10時を過ぎた頃小降りになったので、所内の私たちは出来る所から作業を始めました。隣の村長の息子二人がやってきました。雨が止んだのは、10時50分頃でした。所長が開始のかけ声をかけようと思ったと同時に、1、3キロ離れた所に住んでいるプリンスの姿が見えました。その姿に感動して、全員揃って拝殿に集まり、ひのきしん開始の参拝をしました。この時は日本人の私たち三人と青年会員プリンス一人、少年会員チョベ、セカタワの二人でした。人数は少なかったのですが、勇んでひのきしん開始の参拝をしました。 所内にあるクワ3本、レイキ1本、スタッシャー2本、パンガー1本、スコップ5本で作業が開始されました。いつもなら作業が終れば「ウエバレ(有り難う)」で終わるのですが、今日は特別おぢばの理をいただいて実践するひのきしんですから、女子青年林さんは、終了後のお疲れさん会の用意に当たりました。 パンガー持参で村長が来ました。ジュンジュが産まれたての弟を背負ってきました。ジュンジュの弟、次々と少年会員がやって来て、道具の取り合いが始まるほどでした。ジュンジュはひのきしんする他の子供たちを羨ましそうに見ていました。背中の子供を一生懸命あやしてていました。猫の鳴き声を真似たりしてようやく赤ちゃんが眠ると家におきに行って、駈けて帰って来て、ひのきしんに参加しました。その姿にほのぼのとしました。 作業は、13時まで続きました。すっかり見違えるようにきれいになりました。お礼の参拝には、17人(シンバは撮影、林さんは家で準備)に増えていたのです。所長さんの嬉しそうな顔、猛毒蛇にも遭遇しないで、怪我一つしないで、やり切った参加者の満足そうな顔が印象的でした。林さんが用意してくれた甘い紅茶とビスケット三枚がこんなに美味しく嬉しく戴けたのも、ひのきしんのお陰と、感激・感謝・感動がこみ上げてきました。豪雨だったからいつもに無い長雨だったから尚そう感じられた事と神様の粋な計らいにお礼を申し上げました。
ページトップへ
立教169年5月
立教169年5月27日〜6月7日(ウガンダ滞在分)、第6回アフリカおたすけ隊の受け入れをさせて頂きました。
今回の参加は引率、受入れ含めて大人18人、子供1人という大勢の方の参加を頂きました。特に昨年布教所開設の時の泉東の会長様に続き、高安大教会から加藤先生、村上先生(泉東若先生)がお越し下さったことは、本当に有難く、今後の励みになりました。
おたすけ隊受け入れの2週間ほど前に、突然布教所の前の道路(ナブトングヮ⇔カリロ)にグレーダーが来て道路整備がされました。マサカタウン、ニェンドに出るときに通る道であり、カリロにおさづけに行かせて貰うときに通る道です。おたすけ隊の最中は毎日ニェンドと布教所を往復することになるのですが、その道を整備してくれたのでした。マサカから来る場合、最初は舗装道路があり、舗装道路が終わって整備された地道、さらに整備されていない地道を通って布教所に着きますが、この整備されていない地道が今回整備されたので、布教所からマサカに出るのに30分かからないようになりました。(前は40〜50分) 大教会から先生が来られることになった理で道も整備されたのかなぁ、さすが大教会だなぁと勝手に思わせて頂いています。
今回のおたすけ隊受け入れにあたり、プリンスにはマサカ滞在中はおたすけ隊の受け入れを手伝ってもらう意味で一緒に行動するように頼みました。プリンスとは修養科に行かせて貰うように頑張ろうということで、先ずはパスポートを取ったところでした。今までおたすけ隊などの受け入れは私や美江、前会長夫妻、林さんと日本人だけでしていたのですが、こちらの信者さんにもお客さんを受け入れるという感覚を養ってもらいたいという思いで先ずは一番熱心なプリンスにという思いと、プリンスがおたすけ隊と行動を共にすることで更に修養科行きが近づいてくると思ったので、プリンスに話したのですが、快く受けてくれたのでした。
カルングヘルスセンター所長のカヨンドの婚約者(同棲中)のドーラも何日か一緒におたすけ隊に同行してくれました。彼女は林さんの日本語教室の生徒ですが、今回のおたすけ隊受け入れを期に前会長さんから修養科を進められて興味を持ち、修養科に行くと言っています。
赤道で、マサカの街中で、ナショナルパークで、カンパラで、ジンジャ観光ブジャガリ滝でと、どこへ行っても皆さんがおさづけの取り次ぎを積極的にされているのを見て、また朝席夕席で皆さんの話を聞かせてもらって、やはり皆さん軽い気持ちで来ているのではないな、皆さんそれぞれの苦労や思いがあって来ているからこれだけ積極的におさづけの取り次ぎをされるんだなと思うと、私自身も改めて身が引き締まる思いでした。
5月29日、ムブロN.Pからの帰り、きれいに整備されたばかりの布教所前の道で路面がまだ固まっていないところに雨が降ったので、布教所を目前にしてバスが道路脇のぬかるみにはまってしまうというハプニングがあり、その時バスを道に戻してくれたブセケ村の住人とも一悶着あるなど、田舎ならではの出来事もありました。
ページトップへ
立教169年6月
今回のおたすけ隊では、ビヤンスィの家に神実様を祀らせて頂くというとても嬉しいご守護が頂けました。ビヤンスィは120年祭の今年におぢばに帰りよふぼくにならせて頂き、それだけでもありがたいことでしたが、前会長さんの声を頂いて講社として新たにスタートしたことは旬の理をふんだんに頂いているような気がします。
名前はチタビヤマ講、毎月5日に講社祭をつとめさせて頂くことになりました。私とするとおさづけの取り次ぎに歩かせて頂くだけでなく、講社祭りにも行かせて頂く御用が出来たので、また更に頑張らねばと思っています。
これからビヤンスィ一人から家族での信仰、そしてチタビヤマ講を新しい拠点として道が広まっていくことを願っています。最近私の足の身上や忙しさからご無沙汰してしまっているチタビヤマ、ガヤザ、ムウェルカ方面に一つ神様が祀られたことは、今後もまたしっかりとおたすけに行かせて頂かなければと気を引き締め直すとても良い機会になったのと同時に、こっち方面の人には朝夕のおつとめ参拝は近場のチタビヤマ講へ参拝にという話もしてあげられるし、ありがたいことです。
そして、今ウガンダで私がいろいろと素晴らしいご守護、お与えを頂けるのは、初代からお道を通ってきて下さっている親々の理を頂いていること、代々渕和の会長さんが上級におぢばに尽くし運んできている理を頂いての今があることを思うと、その上に更に前会長夫妻がウガンダへの道をつけてくれ、今も親心をかけて下さっていること、それを受けて会長夫妻もウガンダに親心をかけで下さり、親々への運び、御用をして下さっている理作りをして下さっているから今のウガンダの結構な姿があると思うと、さてこれからビヤンスィやプリンスたちが頑張っていく上で今度は私が彼らが頑張れる理作りをしなければと気を引き締めています。そしてゆくゆく彼らがおたすけに出た時にはなかなかご守護頂けないというようなことも出てくるとも思いますが、そんな時にはうちに連れてくればたすかるという拠所を、しんどくて続かなくなりそうな時に踏ん張ってあげられる拠所を作っておけるように、これから私自身がもっと頑張らねばと思わせて頂いております。
3日の朝づとめ後みんなでお茶飲んでるときにユダが「信者になりたい」と、言い出してくれました。その後にセーチャも。セーチャは前々から確認してみようかと思ってはいたのですが、ユダが言い出してくれたことでセーチャにも良い機会が出来た感じで、倍の喜びでした。ということで二人に信者さんの証としてハッピをあげました。
通常はどうなったところで信者さんとなるのでしょうか?その辺の境目が私自身未だによく分かっていないのですが、とりあえずこれでうちには6人は確実に信者さんができたことになりました。これも教祖120年祭の旬とおたすけ隊の風が吹いたお陰だなぁとありがたく思っています。
6月3日午後2時より、立教169年6月の月次祭をつとめさせて頂きました。
月次祭の後プリンスが加藤先生の話は分かりやすくて良かった。井上先生やシンバさんもそうだけど、いつか私にもああいう分かりやすい話をして欲しいと言われました。話の苦手な私にはなかなか難しいところではありますが、プリンスがそう言って私に期待してくれたことがありがたく、また俺ももっともっと頑張ろうという気持ちを持たせてくれました。
今回のおたすけ隊でも、受け入れの不手際が多く自分自身の反省も多くあったのですが、それ以上に嬉しい出来事がいくつも飛び出して来て、勿体ないくらいありがたいことでした。
今後もまだまた頑張らせて頂こうと堅くお誓いして、第6回アフリカおたすけ隊受け入れの報告とさせて頂きます。
真誠ウガンダ布教所 山崎敬充
ページトップへ
立教169年7月
19日午後2時より、チタビヤマ講の講社祭をつとめさせて頂きました。
5日に私と家族とで講社祭をつとめさせて頂きましたが、ビヤンスィが14日に帰ってきて、仕切り直しでつとめさせて頂くことになったのでした。
ビヤンスィの要望で、今後チタビヤマ講の講社祭は毎月19日午後2時からということになりました。
開扉、献饌 祭典 おつとめ・・・三座、よろづ、7下り目(私とビヤンスィ) おさづけ取り次ぎ 一言お話 直会
参拝者:私、ビヤンスィ講元、大人3人、子供8人。
ビヤンスィ一家の他にビヤンスィ家の裏の方からおばあちゃんと子供も来てくれました。
ビヤンスィ君、最近タンザニアで魚を仕入れてコンゴ(旧ザイールの方)に売りに行く仕事をしていて、しょっちゅう留守にしています。19日も講社祭の後慌ただしく出かけて行きました。なかなか上手く行っているようです。しかし、チタビヤマ講の月次祭はちゃんとつとめさせて貰おうと頑張ってくれています。 ビヤンスィ一家もちょっとづつおつとめを覚えようとしてくれています。 たかみつ
ページトップへ
立教169年8月
ページトップへ
立教169年9月
9月11日 10:00より遥拝づとめ。座りづとめ、よろづ、9下り目、ちょっとお話。プリンスと近所のちびっ子達15人くらいが参拝に来てくれました。
木に例えて、根っこと幹がおぢば、最初に分かれる枝が高安、次に分かれる枝が泉東、その次が柳島、そして島渕、渕和と来て真誠ウガンダの枝がある。この分かれてくる枝を通って栄養が来るから私達の今がある。うちは渕和にくっつく枝だから11日の今日遥拝づとめをします。本当は教会の月次祭に参拝に行きたいところだけど、ウガンダからでは遠すぎるので・・・というような話をしました。
夕づとめ後のプリンスとの話。私が日本へ行っているときに、カンパラで靴を売る仕事をしないか?と誘われた事があるそうですが、そのときは布教所の留守を守ってるから断ったとのこと。
プリンスは最近畑を耕すと胸が痛く、右の手首辺りも痛くてあまり力が入らないとのこと。胸は前に木から落ちたことがあって、それで痛むのだと思われ、手は牛に体当たりされたことが原因だと思われるそうです。そんなことから農家としてはやっていけないのでは?という不安があるようでした。
プリンスはナブトングヮに居たいという気持ちで、前にお父さんが出てくる夢を見て、村から出て働くようなことになっていたけど、お父さんが出て行くなというようなことを言ったとかなんとかで、結局村にいるという夢を見たことが気になるそうです。
自分としては村から出たいとは思わないけど、自分の身体が痛んだりして農家を続けていくことに不安があり、村を出れば仕事をするという話もあり、自分の今後についてどうしようか悩んでいるということでした。
何を言ってあげれば良いのか分からなかったのですが、それなら神様の仕事をしない?ちょっと考えてみて。とだけが私の口から出ました。
9月12日 ハイラックスのバッテリーがダメになっていて、ジョフリーがとりあえず持っているバッテリーを付けてくれていたので、バッテリーを買うためと、その他諸々の用事をしにカンパラへ。携帯、メール接続の支払い。今の土地のことの同意書の清書のためキラガ氏に会いに行く。訂正部分(スペルの間違い)を直して弁護士にサインとはんこを押して貰って、来週には正式に同意書が出来上がることになりました。カワンダはDr.カイージ不在のため次回。
カンパラへの道中プリンスの事が気になって気になって、プリンスは今後の人生どうしていくかを悩んでいて、私は神様のことをしないかと言った。そうは言ったけど私は何をしてあげられるのだろうか?プリンスの人生にとっては大きな分岐点なのではないか?など、あれやこれやと考えていました。
9月13日 プリンスのことが気になり他のことがイマイチ手につかず・・・
カリロに帰ってきたことを言いに行き、金曜日におさづけに行くとに。
夕づとめの後またプリンスと話。
昨日から色々考えていたんだけど、一緒に神様のことをしよう。もし食べるのに困ったなら私の食べる分を分ければ良いし、着るものに困ったら私のを分ければいい、住むのに困ったら一緒に住んだらいい。プリンスは私にとって、真誠ウガンダにとって大切な存在だから。そのことも踏まえて考えて、返事をちょうだいと、昨日からあれやこれやと考えてて思い至ったことで、なんだか結局思い余ってこんな事を言ってしまいました。今までの私とプリンスやムテビ、ビヤンスィたちとの関係は基本的にそれぞれの生活がある中で天理教の信仰というところで繋がっているというところで、それはこれからも変らないのかも知れませんが、今までのプリンスのお道の教えを求める気持ちなどから、も一つ踏み込んで一緒にお道を通ろう、もしこれでプリンスが生活の心配をせずにお道を通れるんなら良いかな?と思い。高井猶吉先生が秀司先生に猶さん、もうそんな遠い所へ帰らんとき。わしの食べるごはん半分ずつでもして食べたらええがな。と言われてそれからおぢばずっと入り込んだという話が頭にこびりついて離れず、こう言わずにおれなかったのでした。
プリンスがどんな答えを出すかは分かりませんが・・・
9月14日 プリンスは私の話から、これまでもそうだったと言ってくれ、これからもこれまでと同じように頑張るということで良いと言ってくれました。
ということでプリンスは今までのように村に留まるということに心が決まったようです。
プリンスは自分の友達とかに天理教のパンフレットを渡したりして、においがけしてくれています。
9月15日 火曜日からずっと停電が続いたままで、コンピュータの電源もなくなったので充電も兼ねてマサカのインターネットカフェへ。
今日はカリロへおさづけに。
ルチャームズ一家といつも来てくれるおばちゃん(バビリエと)が集まってくれました。
おさづけ取り次ぎ後おつとめ練習。このときに最近仕入れた、第一節は自分の心の汚れを払い、心を低く、誠の心をつくる。第二節は神様がこの世、人間を創めて下されたことを話して下さっていて、地と天をかたどって、夫婦が最初、つまり二つを一つにすることを教えて下さっている。第三節はおぢばにあるかんろだい(世界の中心)があって他がある、つまり世の中の全てが中心とまわりがあって成り立っているというような説明をさせて頂きました。
9月16日 ムテビの建設中の家がとりあえず住めるだけになってきたということで、ムテビ一家は新居へ移動。住めるといってもドアや窓はまだ入っていなくてトタンなどでふたをしている状態、床も仕上がっていませんが、ござなどを敷いての新居ですが。
明日はささやかな引っ越し祝いに昼ごはんを振る舞うということで、それに招待されました。
今日はマサカのソルジャーのサッカーチームとナブトングヮパリッシュ合同チームとムチソーニのグランド(AAAカップをしたところ)で試合があるということで、夕づとめに間に合う時間まで見に行きました。結果は1−0でナブトングヮチームが勝ったそうです。プリンスいわく、ナブトングヮパリッシュチームを作って練習も始めたそうですが、試合に出たのは練習した人よりもその時に来た人でサッカーできる人を適当に試合に出してしまって、せっかくチームつくったのにそれじゃ意味ないよ・・・と。
9月17日 今日はムテビ引っ越し祝いに行って来ました。ムテビ一家と近所の人だいたい20人くらいに昼ごはんを振る舞っていました。ささやかながらアットホームな感じで良かったと思います。
ナムとジェームスがマタンガ(ムテビのお母さんのところから学校に通っている)から帰っていました。
9月18日 今日は夕づとめにプリンスが、久々にヘンリー(プリンスの近所の青年)を連れてきてくれました。ヘンリーは私の留守中にプリンスと一緒に布教所内の草刈をしてくれたそうです。
ヘンリーが来てくれたこともあり、私自身の勉強のためもあり、夕づとめ後におつとめの説明をさせて頂きました。第一節、心の埃を払い、誠の心を作るというような話。
ヘンリーは前に何回か月次祭にプリンスと一緒に参拝に来てくれていたのでしたが、ご無沙汰になったいたので、ちょっと嬉しかったです。彼のお父さんが飲んだくれでろくに働かないという事情の持ち主なので、お道の信仰でヘンリー自身が変ってくれたらと勝手に期待している次第です。
9月19日 今日はビヤンスィのとこチタビヤマ講の講社祭をつとめさせて頂きました。2時より。
前日と当日の夕づとめ、朝づとめでチタビヤマ講の講社祭があるという話をしたら、プリンスとセーチャが一緒に参拝に行ってくれました。ナカイマ(プリンスの妹)は後から自転車で来てくれました。ムテビも行くと言っていたのですが、時間に遅れ、残念ながら行けませんでした。
午後1時過ぎから待望の雨が降ってくれて、出足が遅れ、2時ちょっと過ぎにチタビヤマ講に着きました。
開扉、献饌、三座、よろづ、9下り目をつとめさせて頂き、ビヤンスィの挨拶、私の講話、その後おさづけの取り次ぎ、撤饌、直会、閉扉でつとめさせて頂きました。
講話では第一節の説明をさせて頂きました。中台先生のみかぐらうたの本、この間埼玉教務支庁での教理講座で仕入れた心の掃除をして、誠の心を作ること。これが一番最初というような話です。
プラキセーダ ナチイーンジ(ビヤンスィの家の裏手のおばあちゃん)は今日も来てくれました。このおばあちゃんの旦那(ヤコボ サーロンゴ)は前回私が日本へ出発前のチタビヤマ講の講社祭の時にビラマリア病院に入院してるということでおさづけに行かせて頂いたのですが、その一週間後くらいに出直されたそうです。
直会の後、6月に生まれたビヤンスィの赤ちゃんにおさづけをして欲しいと。どこか調子悪いのか聞きましたが、どこも悪くないけど健康の為にと。なので、おさづけは身上(病気や怪我)に取り次ぐもので、健康や幸運は本人(この場合は両親)の普段の心遣いと行いが肝心で、その心を神様が受け取ってご守護下さることだから、健康の為にや幸運の為には取り次がない事、それよりもビヤンスィと奥さんがしっかりつとめるかどうかだよと話しました。
ビヤンスィには今回海外部で、いただいてきた、祭文の書き方の、講社祭の祭文の例文を紙に書いて、今度からはこれを祭文として読むようにと渡しました。
実は前に(6月10日朝づとめ後にお茶を飲んでいるとき)にプリンスからも
「センピジャの家を訪問した時に、おたすけ隊の人は幸運のためにというおさづけを取り次いでいたけどどうして?」
という質問がありました。この質問を受けた時、一瞬戸惑ったのですが、その時は、本来おさづけというものは、身上で苦しいところをさすってでも楽にしてあげたいという教祖の親心と、親神様のご守護でかりものの身体を使わせて貰っている身体に鮮やかなご守護を頂けるようにおさづけの理を頂いているものだから、健康や幸運の為にはおさづけは取り次がないし、私自身、健康や幸運の為におさづけを取り次いでくれと言われたら、それはあなた自身の心遣い、行いによるものだから、おつとめに参拝に来なさいと話しておさづけは取り次いでいません。
だけれども、おたすけ隊で来られた方々は日本でなかなか取り次ぐ事ができないおさづけを取り次ぐことが目的で来てるというのもあるけど、おたすけ隊の皆さんは、おつとめに参拝に来なさいという話もできないし、実際取り次ぐ人の教会なり布教所は日本にあるからそうも言えない・・・そこでおさづけを取り次ぐことで理が流れることは確かで、天理教の教えを学ぼうとするきっかけになるはずだから、それを信じてその場はとりあえずおさづけを取り次いでいるんだよ。と話をしたことがあります。つまり特別な状況なんだよ。だから普段はそこでおさづけを取り次いだりするのではなく、本人がおつとめに参拝に来るように話してあげて。と話したことがあるのでした。
9月20日
今日は午後から大雨になり、急いでガレージからドラム缶を引っ張り出してきて水確保。 激しい雨で、下の家は床上浸水しました・・・前に前会長さんが掘ってくれた溝も大分埋まってきていて、また溝堀しないといけません。
9月21日
今日は藤さんご一行様がご来訪下さいました。藤さん、悦子さん、南浦会長様御夫妻、都南奥様、南鴻分教会星山会長さん、日良分教会真館会長さんの日本人7名、その他藤さんところの信者さん(ウガンダ人)6人でした。
何もおもてなし出来ませんでしたが、参拝の後、お茶だけ飲んで頂きました。
星山先生は言葉にならないと言っていました。
皆さんはこれからクィーンエリザベス国立公園に観光へ行き、27日にエンテベ発で日本に帰るそうです。
私はこの後お母さん、林さん出迎えのため、プリンスと一緒にカンパラに出ました。プリンスはお兄ちゃんの所に今度植える豆の種を買うお金を取りにいくという事でした。
9月22日
お母さん、林さん出迎え前に、カンパラで用事。
五十嵐さんが今日エンテベ発ということで、早めに空港へ行き、五十嵐さんを見送ってから二人を出迎えました。
鉄本さんのところへちょいと寄って村へ。8時前頃に到着。
9月23日
お二人の寝床準備、荷物整理などで一日が過ぎました。
今日は3度転びました。転ぶということじたい久々な気がしているのですが、しかも3回も。どんな理があるのかなぁと考え中。そしたら昨日美江が階段から落ちたとメールが来ていたのです。出血も破水もなく無事らしいとのことでしたが、その分が私が転ぶというところに出ているのなら良いなぁ〜なぞと思いつつ・・・。
9月24日
今日は昼前から雨。激しい雨でした。雨どいからドラム缶に落ちる水が風で飛ばされ、あまり水が溜まりませんでした。
移転先の土地を見にムチソーニへ行きました。まずムテビの新居を訪ね、お茶を頂いてから、その裏手の土地を見てもらいました。うちにある巻尺を持って行き、75m×54m(約1エーカー)を測ってみました。大体こんな感じの広さになるということで。
ここから斜面を登っていくと(頂上はすぐ近く)ナブトングヮのヘルスセンター(建設中)の近くだそうです。
9月25日
本日は午前中からマサカへ。
お母さんの案で、植村さん滞在中に下の家を使ってカヨンド君に薬の贈呈でもしたら良いのでは、と言うことで、マサカで薬の購入。おたすけ隊の時に精神障害の人のグループとカルングで会いましたが、そっち関連の薬も買う事が出来て、また結構でした。
マサカに出たのでドーラと会い、修養科行きの書類を書きました。後はフライトの日程、日本滞在中の日程を考えることです。3日の大祭に身分証明のコピーなどを持って来てくれます。
今日はカリロへおさづけに。カリロに行くからマサカに出たのですが。カリロではおつとめ練習に合わせて、おつとめの説明などからお話をするようになって来ました。私自身にもいい勉強をさせて貰っています。私は英語で話し、それを家主のルチャームズがルガンダでみんなに説明してくれます。
夕づとめにあまり見かけない子が来ていました。終わってから聞いてみるとブワサンデク(チタビヤマ講へ行く途中の地域)に住んでいるそうで、ビヤンスィにうちに行くように言われて来たそうです。10歳くらいの男の子。カボゴヮ・ヘンリー。ビヤンスィも意外なところでにおいがけしてくれてるんだなぁと感心した次第です。
9月26日
本日はおぢばの月次祭ということで、10時より遥拝づとめ。三座、よろづ、9下り目、おつとめ練習。12人くらいが参拝に来てくれました。子供のみです。
ビヤンスィのところから息子のユダと孤児のルクワーゴが参拝に来てくれました。
ビヤンスィも来る予定でしたが、朝ビヤンスィの畑にマトケ泥棒が入ったらしく、それでマサカへ行ったりなんだりで、11時半頃遅れて参拝に来ました。泥棒は捕まらなかったそうです。泥棒をしたことは悪い事をしたということを教えるのは大切だけれど、ビヤンスィ個人としては、泥棒がマトケと一緒にビヤンスィの悪いんねんも持って行ってくれたことになるから、怒らないようにとだけ話をしました。
9月27日
本日は植村さん出迎え。朝のうちカンパラで用事をするため朝づとめ後に出発。和田さんのとこでチケットの受け取りなど。思ったより用が早く済んだので、セルテルへ(阪本さんからケニアではGPRSというシステムでインターネットに繋げるのがあると聞いていたので)。行ってみるとウガンダでもそのシステムがあるそうです。しかしアウトルックのメールが送受信できるかどうかは試してみないと分からないということで、今度コンピュータを持って行って見て貰うことにしました。日程的に日本から戻ってからになりますが。
植村さん出迎えてからカンパラでちょろっと買い物をして村へ向かい、日暮れ頃に着きました。
9月28日
今回のNGOウガンダからの支援プロジェクトは、孤児を預かる里親支援制度のようなものを確立すること。今年は確立のためのテスト期間ということで、2人の孤児を決めてスタート。
今日はうちに集まってもらって支援家庭との面接、決定式のようなことをしました。そのうちの一つはビヤンスィのところです。
これに合わせてカルングヘルスセンターに薬の贈呈(これはAAAから)をさせて頂きました。カヨンド君と連絡を取って来てもらったのですが、カヨンド君はおたすけ隊の時の感じだと思って村人に診察すると言ったそうです。しかし今回は孤児の里親のプロジェクトがメインだったので、診察は別の場所でして貰いました。
植村さんは最近五十肩で右肩が上がらないと言っていたのでおさづけを取り次がせて頂きました。植村さんとは7年くらい関係が続いていて、お道ではなくNGOの方での関係だったので、おさづけの取り次ぎを申し出るのもちょっと気が引けてしまうというのが現実だったのですが、思い切って言ってみたら快く受けてくれました。
夕づとめにはカヨンド君とドーラも参拝してくれました。カヨンド君は診察を終えて、ドーラはうちで修養科の話をしたりしていました。
この夕づとめの後に、ドーラが私も信者なんだからハッピが欲しいと言ってくれたので、それではとドーラにもハッピをあげました。7人目。
9月29日
本日は決定した支援里親家庭先を訪問しました。ビヤンスィのところでは昼を用意してくれると張り切ってくれました。
夕づとめの後のおさづけの時に、また植村さんに申し出ておさづけを取り次がせて頂きました。
9月30日
今朝の朝づとめの後、最初にプリンスにおさづけを取り次いだのですが、今日は植村さんの方から進んでおさづけを受けに来てくれました。
本日は植村さん出発のため、昼前に家を出てカンパラで買い物など。買い物を終えて荷造りをしている時に植村さんから、いつもは五十肩で方の筋が引きつるというか張る感じがあったんだけど、ウガンダにいる間はそういうのが無かった。敬充のおさづけのお陰かな?なんてことを言ってくれました。照れくさくというか恐縮してというかいやいや僕じゃないですけど・・・としか返事できませんでしたが、そう感じて頂けて良かったなと思いました。
ページトップへ
立教169年10月
10月1日
植村さんのフライトが夜だったので、昨夜はカンパラ泊。で、本日帰村。
5日にお母さんと林さんをブシア国境まで送るのに、4日に村を出てジンジャ辺りで一泊することになったので、帰国準備をもうしておかなければということで、帰国準備。
10月2日
朝づとめの後にユダから、ユダの姉ちゃんが土曜日にビラマリア病院に入院したということでした。なのでマサカに出た帰りに寄らせて貰おうと思って、そのためにユダと一緒にマサカに行こうかなどと考えていたら、後からセーチャが来て、ユダの姉ちゃんが出直した、と。せめて昨日のうちに聞けてて、行ってあげれたらとも思いながら、ユダは英語が話せないのもありなんとも言葉はでずでした・・・
本日はプリンスの修養科書類用の写真、IDになる物のコピー、インターネットなどのためマサカへ。これでプリンス、ドーラ共に今回用意する分の書類が揃いました。
昼に家に戻ってから、プリンスに昼ごはん食べて行きなということで用意できるのを待っているときに、プリンスがちょっと頭痛がするということでおさづけを取り次ぎました。取り次いだあとにお下がりの金平糖をあげて、私はトイレに行って帰ってくるとプリンスがピースサインをして、頭痛が無くなった、と。こんな短時間でえらい鮮やかにご守護頂いたなぁと自分でもビックリしました。プリンスにも今までいろいろなことでおさづけは取り次いでいましたが、プリンス自身もこんなにすぐに鮮やかなご守護は初めてじゃないかなと思われます。修養科行きに向けても良い感じなご守護を頂いたなぁと嬉しいところです。
明日は大祭。夕づとめに久々にアンジェロ、カサウリ、ミロが来ました。この子達は、ご無沙汰していても月次祭の頃になるとちゃんと来てくれるような気がします。
ページトップへ
立教169年11月
ページトップへ
立教169年12月
ページトップへ
立教170年1月
1月8日
本日は米など少々の買い物をして村へ。
1月9日
今日はコンテナを置く場所の整地。プリンス、ムテビ、チョベ、ジェームスがひのきしんしてくれました。ムテビの兄弟のチョベさんも最後の方でちょこっと手伝ってくれました。
プリンスとマラリアとか病気の話になり、病気になって病院で治療を受けるのは良いのだけれど、病気にも根っこがあって、病院での治療は地面から生えてきたところだけの治療であって、根っこをなくす努力が大切だよ。天理教ではそれを教えてくれてるんだ。医者では治るのが難しいときなんか、例えば医者にかかる分を神様にお供えして、神様の御用をするようにしたら良くなったという例も多くあるよ。俺もそれを意識するようになってから、マラリアに罹る回数が減ってきてるよ。俺の場合は神様の御用をすること、おさづけを取り次ぐことを頑張るようにしてると話をしたら、実はプリンスも前はよくマラリアに罹っていて、 病院で治療して貰うことにばっかりお金を使ってたんだけ
ど、最近はマラリアとかも軽く済んで病院に行くことはなくなって来た。とのこと。最近は私がいない時の月次祭で子供たちにあげる飴が無くなったら、プリンスが自分で何か用意してあげたりもしたし、病院以外のことにお金を使えるようになってきたと言っていました。
天理教の凄い先生達は皆さん自分のことを忘れて人を助けることをして通ってきて、今は結構にして貰ってる。大きい教会を作った人は皆そうだよ。
天理教の教えで人を助けることで頑張ってると知らないうちに自分が助かってる。それでもっと頑張って徳積みしてると、人がどんどん助かるようになっていくはず。俺もそれを目指してるんだ。などといった話をしました。
ムテビの兄弟がルカヤでダンプの運転かなんかの仕事をしていて、その会社でコンテナを運べるブレイクダウンという車があるということで、そこに頼んで貰うことにし、ムテビが連絡を取ってくれました。
最初は450,000シリングかかると言っていたのですが、それでは厳しいから30万シリングにしてくれないか?と交渉の結果350,000シリングになりましたが、ブカカタ(ビクトリア湖の方)で事故があり、そっちに行っているから2日くらい待ってもらうようになるとのこと。コンテナ移動、カンパラへハイラックスの整備に出しに行くのが少し遅れ、来週になりそうです。
1月10日
今日はコンテナの通り道を作るための草刈りと進入路入り口を広げる作業のひのきしん。
ビヤンスィは今までちょっと用があって来れなかったけど、今日からは大丈夫といって朝づとめからひのきしんに来てくれました。
現場に着くとムテビから、トラックが帰ってきたから今日1時に来ると連絡があったとのこと。急いで草刈り、進入路入り口を広げる作業をしました。
今日はビヤンスィ、プリンス、アンジェロ、ムグラ、チョベがひのきしんしてくれました。アンジェロ、ムグラは朝づとめからそのままひのきしんに一緒に来てくれました。
昼頃トラックが到着。無事コンテナを移動できました。コンテナの下四つ角に置くコンクリートはハイラックスで運んだのですが、ビヤンスィがいてくれて人手が多くなり持ち上げられて助かりました。タイミングの良い時から来てくれたなぁと思います。
ムテビは今日はカルングでミーティングがあるということで朝からカルングに行っていたのですが、トラックが来たときには一度抜け出して来てくれ、コンテナ移動が終わってからまたカルングに戻って行きました。
ビヤンスィのとこの裏のおばあちゃんプラキセーダがマラリアでビラマリアに入院していると聞いたので、コンテナ移動の後ビラマリアへ。作業中ビヤンスィに連絡があって、今日退院することになったそうで、結局病院に迎えに行くことになり、ビラマリアからうちまで乗せて帰って来て、参拝してからビヤンスィが連れて行きました。マラリアは治ったところなので特におさづけはしませんでしたが、うちには初参拝でした。いつもビヤンスィのとこの講社祭には来てくれますが。
ビラマリアから帰ってから、道具をコンテナに移動。これでハイラックスが整備でなくなっても作業は続けられます。コンテナ移動2日ほど遅れることになりそうでしたが、予定通り今日できて良かったです。
1月11日
カンパラへ。カワンダへ行きました。土質検査の結果は出たのですが、出たばっかりでまだレポートが仕上がっていないとのこと。ハイラックスの整備が終わったらまたカンパラに出てくるので、そのとき(多分来週以降)までに仕上げてくれるそうです。
1月12日
本日ハイラックスを整備の為トヨタウガンダへ。タイミングベルトはジョフリーが11月に換えてくれてくれていたのですが、こちらは確認してもらって、部品が良い物でなければ持って行った部品と交換してもらいます。その他おかしいところがあれば連絡を貰って直してもらうようになっています。来週の火曜日に終わる予定です。
久しぶりにカンパラからうちまでタクシーとボーダーボーダーで帰ってきました。カンパラのタクシーパークで人数が集まるのに1時間待ち。ケツが痛くなりました。2時過ぎにカンパラから帰り足になったのですが、着いたのは7時。自分で車で帰ってくるのの倍かかってしまいました。
1月13日
本日は家を出る頃ムテビがこちらに来ていたので、自転車の後ろに乗せて行ってくれました。朝からどんよりとした空模様だったので雨降るかねぇ、でも今は乾季だからどうかねぇといった話をしながら現場へ。
道普請するところの草刈をしていたら雨がポツポツと降ってきて、ちょっとの雨だからそのまま作業を続けていたらだんだんと降りが強くなってきて、結構な良い雨になりました。それでコンテナの中に非難して雨が上がるのを待つこと2〜3時間ほど。家で水確保出来ないのが勿体ないくらいの久々の雨でした。お陰でコンテナの中を少し整理できて、杭などを作っておくことができました。
そんなことで今日は作業は進まず。草刈のみの作業をしましたがやっと土地に辿り着きました。今日は土地の東と北の辺を草刈してみました。草刈して端から端まで見えてみると広いものです。
1月14日
本日は教理勉強会の日。10時からの予定でしたが10時半頃ムテビとビヤンスィが来てくれたのでそれで始めました。
とりあえず基礎講座のテキストに添って進めることにして、テキストを読みながら、ちょこっと説明をしながら、質問を受けながらの勉強会で2時間弱。テキストは3,4ページしか進みませんでしたが、じっくりと勉強させてもらいました。
12時過ぎに終わってお茶を飲んでいたらドーラが到着。寝坊したそうです。
なので1時からもう一度、今度はドーラと勉強会。午前にやったのと同じように基礎講座のテキストにそって。質問の内容で話すことも少し変わっていましたが、大体同じような感じで進みました。ドーラは最後にお手直し。今日は第一節。
私は一応教える立場ではありますが、色々話をすること、英語であることなどから色々勉強させて貰っています。また今は気心の知れた人が相手ですが、初めて来たような人にも初めて来たように話が出来るようになっていければ良いなぁと思う今日この頃。
教えるということで色々気をつかうので、ちょいと疲れました。頭が。
1月22日
ハイラックスの登録が今日まで。これもしないとと思っていながら忘れてしまっていました。ので、今日は登録更新の為マサカへ。プリンスもマサカに用があるというので一緒に行きました。マサカでの登録更新、前は書類を出して銀行に支払いをした後何日かかかっていたのですが、今回はなんと明日の午後には出来るとのこと。午前中には作業も出来るし良かったです。
帰りにハーバードの実家に寄っておさづけを。向かいの家の子は先週出直したということでした。おさづけを取り次がせて貰っていながら、その人が出直すというのは辛いですね。これも神様の御守護に変わりは無いのですが、やはりねぇ・・・
1月23日
道普請ひのきしん。今日はムグラがひのきしんに一緒に行ってくれました。
ムテビはマラリアからの病み上がりで力が出ないので様子見にだけ来てくれました。最近結構雨が降りましたので、皆は畑の草刈など家の仕事があるようです。プリンスが昼頃、今日は畑の草刈をしていたと様子見に来てくれました。作りの弱い、工事には使えない緑の1輪車をあげました。
午後マサカへ車の登録更新。無事更新完了しました。
1月24日
本日も道普請ひのきしん。今日はジュンジュが一緒にひのきしんに行ってくれました。
今日はプリンスとヘンリー、アンジェロとミロがひのきしんしてくれました。
久しぶりに大人手が3人あり、結構進みました。明日には道普請は一段落で終了できそうです。そうなるといよいよ建築に入れます。先に予定地の草刈、整地がありますが。
1月25日
本日も道普請ひのきしん。ムテビは今日はNAADSとTASOのミーティングがあるので作業は出来ず、プリンスもナブトングヮでミーティングがあるそうで来れず。一人でしたが何とか今日中に道普請の方は終わらそうと作業を始めたら、ナブトングヮLC2チーフのワスワがバイクで登場して来て小一時間程手伝ってくれました。
意外な助っ人にちょいとビックリしました。参拝に来たことがある訳でもないのですが、張り切ってしてくれました。去り際にはこういう作業がある時はまた呼んでくれと言って風のように去って行きました。こういった作業を手伝ってくれる気持ちがあることが嬉しかったです。
その後今日はヘンリーとミロがひのきしんしてくれました。
お陰で今日で道普請はひとまず終了致しました。次は建設予定地の整地です。
午後は3時から教理勉強会。ドーラ、プリンス、ビヤンスィが来てくれました。
今日は三原点と一れつ兄弟のところ。神様が直接のこしてくれた物だから物凄く大切なもの。そして神様じきじきというのは天理教にしかないよ。この三つの原点から親神様の思いを悟って実行していくことが大切。自分の子供同士が争い殺しあったりすることが親としてどんなに悲しいことか。親神様から見たら世界で争っているのはその親の思いと同じようなこと。それでは申し訳ないね。というような話をさせて頂きました。おつとめ練習は第三節。
1月26日
本日は遥拝づとめ。今日はおぢばの春の大祭だからということを説明して、座りづとめ、よろづ、一下り目をつとめた後、今日はよろづよ八首で鳴り物の練習をさせて頂きました。ビヤンスィが張り切ってくれています。今後も26日は鳴り物練習を中心にやっていこうと思います。ちょこっと講話のようなことが出来ると良いのですが、それは大分先になりそうですね。もっとルガンダ語喋れないと・・・
12時15分前からなかなか激しい雨が降り、遥拝づとめ、おつとめ練習の間降って、終わった頃には止みました。お陰でまた水が溜まりました。
1月27日
今日はノーラ(ムテビの奥さん)の実家のオルンベにお呼ばれしてカリスィゾへ。カリスィゾはマサカタウンから30kmくらい、タンザニア国境に向かう道の途中の町です。(タンザニア国境までは約80km)
タンザニア国境への道は地道だとばかり思っていたのですが、しっかりと舗装されていました。良い道でした。聞くところではタンザニア国境まで舗装道路だそうです。だとすると2時間弱でタンザニア国境まで行けると思われます。なかなか近いです。カンパラよりも。
オルンベのセレモニーは終わった後に到着。私は着いてからセレモニーがあるものだと思い込んでいたので、これでは食べに来たようなもんじゃないかと思ったのですが、この場合(嫁さんの旦那の親族)はセレモニーには特に出席するのではなく、遅れて行って親族の人と挨拶をしたりして、こちらからの贈り物(マトケやトント)を渡し、食事を頂いて帰るのがマナーだそうです。久々のルウォンボ(バナナの葉っぱで包んで作ったスープ)が美味しかったです。鶏のスープだったのですが、やっぱり地鶏の方が美味いかなと思いました。運転があるのでトントは飲みませんでしたが、2リットル程お土産に頂き、帰ってから飲ませて頂きました。
ところで、外国人が自分達と同じものを同じように食べていることが、驚きでもあり嬉しいことでもあると話しているとムテビが教えてくれました。ここでも外国人(白人)は自分達が食べる物(マトケとか)は食べないものだと思っていたそうです。他の国や地域に行った場合、そこで出されたものを一緒に食べるということ、何でもないことのようですが大切なことなんだなぁと改めて思いました。
1月28日
本日は教理勉強会の日。今日はドーラ、プリンス、ビヤンスィとも遅刻でした。お陰で待ち時間に生い茂った雑草の草刈をすることが出来ました。今日は十全の守護とかしもの・かりものの勉強。十全の守護は修養科でも試験の項目になるくらい大切この御守護が一つ欠けても人間は生きて行けないし、物事成り立たない。詳しくはまた学んでいくことだけれど、まずはここにある基本のご守護をしっかりと覚えるようにと話をし、何回か繰り返して一緒に読ませて貰いました。
おつとめ練習はおてふりの基本の動作前編、そしてよろづの一首目だけで練習致しました。
2時からはドーラの英語教室。今日は生徒5人でした。
夕方ヘンリーがマラリアで重いと聞いたので、夕づとめの後おさづけに行かせて頂きました。弱ってはいましたが寝込むほどではなかったので良かったです。
ページトップへ
1月29日
カンパラへ。
1月末までにレポートを仕上げるという約束だったのでカワンダへ行くと、Dr.カイーズィが申し訳なさそうに、ごめん実はまだ出来ていないんだと。先々週に1週間の予定でいた仕事が2週間かかってしまったとのこと。とにかく仕上がったらメールで送ってくれることになりました。また今後の手続きはどのように動いたら良いのかも知りたいのだけれどと聞いたら、それはダイレクターと話をして聞いてみないと私には何とも言えないから、それもダイレクターと話をしてから教えてくれるということになりました。
セルテルに行ってGPRSの無制限使用の契約に変えて貰いました。その後ムシシ君のところへ行って2月からはストップに。アウトルックエキスプレスのメール送受信もちゃんと出来ることを確認しました。これでセルテルの電波があるところであれば、いつでもどこでもインターネットに接続することが出来るようになりました。ただコンピュータと電話の電気の消耗も多いのですが。コンピュータとの接続は赤外線です。
1月30日
本日は神殿の位置決め。プリンスとムテビが手伝ってくれました。土地の斜面上の方にある大きな木と斜面の下の方にあるマンゴーの木を結ぶ線がちょうどおぢばの方向を向くことを発見しました。その線に沿って建物を建てればおぢばの方向を向けることになります。ちょうど良い目印があって良かったのと同時に不思議な気もします。プリンス、ムテビと話して、2月5日に地鎮祭をすることに決めました。
午後はカリロへ。
ルチャームズはまだカンパラにいるとのことでした。おさづけの取次ぎが終わってから、英語を話せる人がいないので、おつとめ練習にするか御礼のおつとめにするか迷ったのですが、御礼のおつとめをすることに決め、皆でおぢばの方を向いて御礼のおつとめをさせて頂きました。終わった後、今日もまたご飯(マトケとグランドナッツのソース)を出してくれました。断れずに美味しく頂いたのですが、食べながらナチエッジェ(おたすけ隊の時に出迎えてくれたおばあちゃん)とつたないルガンダ語で話していると、おさづけのお陰で、前は杖をついてあるいていたのが、杖なしで歩けるようになってきたとのこと。正直申しまして、80のおばあちゃんだから両足が不自由なのはしょうがないかなと思っていたのですが、そんな変化があったとは。嬉しいことです。やっぱり神様は働いて下すっているのだな、と。
前回おさづけを取り次ぎに行った妊婦の子はどうした?と聞いたら、生まれたとのことだったので、ルチャームズ家の後赤ちゃんを見に訪ねてみました。
母子共に元気そうでした。安産だったかと聞くと、ニョ、とても安産だったと。前回おさづけを取り次いだその翌朝に生まれたそうです。おさづけを取り次いだ直後でもあり、しかもとっても安産だったということでとても喜んでくれていました。こんなに喜んでくれる程安産だったのかと、私も安心致した次第ですございます。赤ちゃんには新生児ということでおさづけを取り次がせて頂きました。またここからお道に繋がって来てくれると良いなぁと思いつつ。
ナブトングヮの方では普請、教理勉強のクラスの方が主な動きになっていて、今のところはあまりおたすけとまで出来ていないのが現状なのですが、また一方カリロの方ではおさづけの取り次ぎからの御守護の話を聞かせて頂きありがたいところです。
1月31日
本日は神殿予定地の整地など。一応地鎮祭が出来るスペースは整地できました。整地する部分はまだまだありますので、
プリンスは畑の草刈でひのきしんは出来ませんでしたが、昼前におつとめの第一節をルガンダに訳したのを紙に書いて持ってきてくれました。草刈をしていたらそのことが頭に浮かんできたそうです。これからおつとめ練習をするときに、第一節はルガンダで説明しながら出来ます。プリンスは皆がおつとめを訳分からずやっていること、私が英語では何とか説明しながらやったりしますが、それでは分かる人が少ないので、そのことを思って訳してくれたのでした。嬉しいところです。
ページトップへ
立教170年2月1日
本日も建築予定地の整地など。
午後は教理勉強会の予定でしたが、昼ごろから空がどんよりと雲に厚みが出てきて、4時過ぎまで本格的な雨が降り出しました。この雨ではさすがに皆来れずでしたが、雨が上がった後にプリンスが来てくれたので、基礎講座のテキストとは違った話をさせて貰いました。主に教祖の話でした。教祖は誰もが通れるひながたを残して下さったことなど。そしてこのお道の話は誰にでも分かる教えだけど、底の深い教えだから、同じ話でも何遍でも繰り返し聞くこと、それが10歳のときならば10歳なりの理解、50歳ならば50歳なりの理解が出来る。といった話をさせて頂きました。
2月2日
今日は月次祭の前日ひのきしんで色々掃除をしようと思っていたのですが、朝食後に一息のつもりで横になったら昼過ぎまで寝てしまいました・・・
午後から急いで神殿掃除など。
今週はずっと停電が続いていたのですが、夜になって電気復活。祭文などコンピュータに入れてあってプリントアウトしているので、月次祭に間に合って良かったです。
2月3日
本日は月次祭。別メール月次祭報告に。
2月4日
本日は11時より教理勉強会。ドーラ、ムテビが参加してくれました。
前に地鎮祭を4日日曜日にするか、5日月曜日にするか話をしている時に、最初は4日日曜日にしようか、そうなると教理勉強会はなしになるけどといった話をしていて、地鎮祭は結局5日になったので今日は教理勉強会をしたのですが、プリンスはその話から今日は教理勉強会は無いものと思ってしまったそうです。
ビヤンスィは朝づとめにも来てくれて、また教理勉強会でと言って帰ったのですが、来客があって来れなかったそうです。
今日は八つの埃と出直しの話。そしておつとめ練習は基本の手振り第二弾。そしてよろづよ八首の2首目までで練習をしました。
2時からはドーラの英語教室。今日は2時前から始まったのですが、4時半過ぎまでと頑張ってくれました。今日からユダも英語を習うことに。
ページトップへ
|