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高安・渕和分教会(前会長)山崎城之
| アルバムと動画はCANON image GATEWAY にて作成してリンクしました。お礼の挨拶マサカ県知事とポキノ氏 |
ウガンダへ出発 出発までの事…
昨14日の3男毅史の結婚式が執り行われた。熊本県白水村出身の大塚正美さん、彼と彼女との出会いは、AAA第15回記念アフリカ視察団参加者と引率係の関係、それが結婚にまで繋がった。ちょうど天理教渕和分教会の4代会長就任奉告祭が11月3日と立て合った。二人はお互いに遠いと言う事もあったが、理の御用との立て合いに心を使ったように伺える。自分たちの結婚式は「式を挙げていただくだけでよい」と言う事で披露宴は家族のみの夕食会だった。
式は天理教渕和分教会で山崎栄慈会長主礼の元に厳かに、慎ましやかに進められた。4代会長初の大仕事である。にもかかわらず前日深夜にリハーサルする位に毎日が忙しかった。
11月までは別にして、12月1日上々級柳島連絡会、2日渕和移動にをいがけ日、3日部内和北布教所収めの月次祭、4日コンテナ出荷のための倉庫整理、5日部内和幸布教所収めの月次祭、6日スリランカ向けコンテナ出荷、7日支部例会、8日和南布教所収めの月次祭山崎毅史4代所長初のおつとめ!、9日衣類整理箱詰ボランティア恒例日、部内片山講社収めの月次祭、10日渕和月次祭上級ご挨拶、準備ひのきしん、11日渕和収めの月次祭(先月に続いて上級会長様は高熱のために奥様が代理参拝)、教会では恒例の年末記念特別講演を高安直轄の神立分教会の田中宏幸先生にお願いした。暫くぶりに目から鱗がとれるような素晴らしいおたすけ話しに参拝者は、大喜び、直会は先生のお手製のキムチ鍋で舌鼓を打つ、めづらしく帰る人もなくゆっくりと和気あいあい話しのはずむ直会であった。
午後6時ワゴン車にてAAA代表と事務局長、顧問、田中宏幸先生にもご無理をお願いして同行していただいた。カンボジア側は蓮の会代表の木村えみ子さんとミッシェルさんを田中親男先生ご夫妻が連れて来て下さった。大学ベンチャービジネスフォーラムが有楽町の国際フォーラムで開催され、そこに比嘉照夫教授が基調講演する事になっていた。僅かの休憩時間にアポイントメントを取り快諾いただいた。海外ではウガンダの事、ドミニカの事、カンボジアの事、そして国内において今実験農場を申し出てくれた栃木県芳賀町、AAA本部前の小川さんの事等今後の推進について報告。具体的進め方を指示されバックアップを約束して下さった。全員揃って記念写真を撮って会場を後にした。
12日は田中宏幸先生に朝席をしていただき、これ又、参拝者が感動!朝食を渕和家族と共に食堂でしていただいた。京浜東北線浦和駅までお見送りさせていただいた。夜遅くに寺田一家と阪本一家がワゴン車で到着。久々に家族全員が揃う、とは言うものの敬充は既にアフリカへ、これには深い訳が…別記する。
13日上級収めの月次祭、明日が結婚式と言う訳で毅史は必死、いままで留守状態になっていた和南に大塚家族に泊まってもらおうと必死で片づけ、改装をしていたが障子張りが追い付かず、こちらからも心掛けてはいるが応援にもいけずで焦っていた。そこへ寺田、阪本両家が到着と言う事で早速ひのきしんに…一方私はせめてもの親心との思いから二人の紹介状の作成に手間取っていた。
14日毅史はエステマで羽田空港へ大塚家族をお出迎え、和南で荷物をおいて昼頃渕和に到着。鯛の塩焼きとお赤飯でお昼をいただいていただく。午後1時から結婚式、素晴らしい出来だった。午後4時から毅史の親友のイタリアンレストランで会食、新郎自らの司会で進められた。
12月15日(月)午前五時起床 5時30分阪本夫婦に声をかけると既に起きていた。
5時55分出発、途中エニオス佐藤興産栄和給油所にて給油…首都高〜7号線にて成田に向う。第一ターミナルと第二ターミナルを間違える。で、第一ターミナルへ移動。
キャセイパシフィックHカウンター(JALマイル)にてチェックイン重量オーバーキャセイとしてはOKだがガルフとしては、オーバーになるので払わなければならない時は払って下さいと言われる。
その後朝食に阪本夫妻といくえと和食定食、日本最後の生ビールを飲む。ここのナプキンはバレリーナづくりに最高、2つ作って贈呈、店員さんに喜ばれる。ナプキンを10枚程いただく。
出国したら時間ギリギリであった。イミグレーションでキャセイの係が私達を探していた最後から三人のうちに入った。私達が機乗して即出発となった。
香港空港はガルフのブッキング事務カウンターを探すのに手間取った。E1まで行ってボーディングカードを漸く手にする。
ゲート22番で待機、タンザニア人と出会う。手作りバレリーナを差し上げる。
機内でバレリーナづくりに励む、喜ばれた。同席の人々も喜んでくれた。やっぱりバレリーナが華麗に踊る姿をきちっとするために銅線を用意する必要がある。カンボジアの旅で田中親男先生に教えていただいた折紙、紙一条の精神のお陰でオリガミコミニュケーションの素晴らしさを目の当たりにした。
アブダビ空港にサンタクロースが飾ってある。イスラムの国なのにクリスマスがあるのか?成田も香港もクリスマス飾りはあった。キリスト教は凄い!教えが文明になっている。
ナイロビ空港にて12下りを勤める。
ケニア航空は、アブダビから来た荷物を計ってオーバー分を徴集する。なんと?
8時45分発のフライトをスルーして12時45分にすると言うのだ。ここでケニア空港カウンターで荷物のオーバー分1キロ当たり3ドルを支払う、私達の荷物のオーバー分は23、66キロで71ドルと言われたが70ドルしか無い、そうしたら23キロオーバーで69ドルと言う事になった。これは香港で荷物が大きすぎるから機内預けにしないさいと強制的に預けられた手荷物のケース分に相当する。これは良くある事でこちらとしては上手く言ったと喜ぶケースなのだが、まさか途中で飛行機まで遅らされて支払うとは驚きであった。「ケニア航空は二度と使うな」が実感。他の航空会社ならチエックインの時にOKなら最後までOKなのだ……!
空港でのトラブルで日本語の分かる人がいて様子を説明してもらったから本当に助かった。時間がたっぷりあった事で友達になれた。一人はガーナ人でEMをガーナで実践したいと言っている。日本語でメールくれたら対応すると約束した。一人はウガンダ人(フランシス、マクーガさん)で日本の女性と結婚している。福井ウガンダ友好協会(ババ大使も福井まで訪問している)に属して、ブルーワーカーとして働きながらこのNGOのウガンダ側の受入に努力している。この人は協会が彼の田舎を支援しているがどのようにするのが良いかを夫婦で考えていたとの事で、農業発展のためにEMに興味を持った。メールをくれる事になっている。マサカから更に奥へ行った所にあるとの事で、一度ナブトングァのAAAセンターで会う事を約束した。
ウガンダに到着 石原邸でお世話に
12月16日(火)
エンテベ着!ビザを取得してイミグレーションを通過、空港を出るとムソケ(敬充)と美江さんの明るい笑顔の出迎えにホッとする。フジさん(石原藤彦)邸に直行…。
キリッとしまった精悍なフジさんの出迎えを受け、更にホッとした。
南浦ウガンダ出張所の神様を参拝して、渕和ウガンダ出張所の神様を同居させていただく。有り難うございます。
一休みして、5時夕づとめ、留守中のご守護の御礼とこれからのご守護のお願いを申し上げる。
フジさんに、6時から留守御礼の夕食会を「上海」にて開催をお願いして、留守中の事皆様に篤く御礼を申し上げた。石原藤彦、鈴木敏央、津久井徹、菅間善昭、山崎敬充、高野美江、山崎夫婦の8名、みんな大喜びで久しぶりのご馳走に舌鼓を打ってくれた。9時(日本時間は午前3時)私がどうしようもなく眠くて解散宣言。リージェンシーホテルに宿泊、AAA視察団のための下見と言う事で泊まらしてもらった。各部屋にシャワーとトイレがあるので共同トイレ共同シャワーのヨバニホテルよりちょっと高いが良いかも…
17日(水)
午前3時(日本時間午前9時)に目覚めて、シャワーを浴びて、5時に起きて又寝て、飲料水が無かったので、純子が買いにいってくれた。水を飲んで6時半まで寝て…熟睡は出来なかったようなきがしたが、傍からみるといびきをかいてぐっすり寝ていたらしい。
10時にムソケがピックアップに来てくれて、石原さんのお家で荷物を整理して此処に宿泊させていただく。
ムソケ・美江さんはナブトングァへ3時頃出発、AAAーウガンダの再申請の為のRDCのサインを貰いにいく、P・O・BOXの確認、セルテル請求書など、ナブトングァセンターの工事の確認などで行った。
事務的仕事をしているうちに睡魔に襲われ、現地時間9時半頃目覚める。石原、菅間、純子、私で話をする。
フジさん邸は今後敬充たちが沢山利用させていただく事になるので、ベッドを二人分お供えすることにした。やはりコンクリートの直寝は疲れる。船橋君(城一船分教会)が都南の青年づとめを終えて来年3月頃石原さんのところへ来る事になるようだ。
親の声は有り難い!都南の会長様が直々に南浦ウガンダ出張所まで神実様をご奉侍なされ、鎮座祭を!近くのスラム街でのお助けにも励まれ、感動されて、「都南の海外布教研修所として都南として若きよふぼくの育成場にしたい。」と勇んでお帰りになったと聞かしていただいた。やはり都南と言う部内70ケ所を持つ大きな屋台骨の責任を預る方は、その将来の事までを視野にいれた素晴らしい判断をされると感動し感謝する私だった。
上級の理を戴いて結果を出しましょう!とフジさんに言ったら全く合意!たんのうに優る心無し。本気!やる気!勇気!根気!元気!朝起き!正直!働き!の八つの心の苗木を仕切り根性、仕切り力、仕切り智恵、で植え続ける。これがお道の精神だ!
18日(木)
今日も早くから目覚めてコンピューター関係の勉強をした。日本から持参した携帯も改めて勉強中、面白い事に気付いたキャノンを使って報告の映像が作れそうだ。
今回は年(老い)を感じる。時差ぼけがなかなか取れそうも無い、急に決まった事で色々遣り残して来てしまった仕事の事が気掛かりで、時差惚けとの狭間の心のゆれが……。
午後2時頃から買い物、新しくカンパラ市内に出来たガーデンシティにて食糧を購入フジさんのお世話になった。
18時よりカンパラ郊外の繁華街ガバラガラの安い中華料理屋にて鈴木敏央先生から留守中の出来事を聞くための夕食会を開いた。
到着したその場で、髪結いをしている3人の女性がいたので写真を撮らしてもらった。コピーをあげる約束をする。
食事会では意外な事を沢山聞かしていただいた。参加者、鈴木敏央、石原藤彦、津久井徹、菅間善昭のみなさん、そして私達夫婦。9時頃まで鈴木敏央先生のお話を聞かしていただく。
19日(金)
純子さんが外のお掃除を終わり中の掃除にかかってほんの15分間くらいの間に靴を盗まれた。サンダルは盗まず全部靴、5足!クリスマス間近でもあったので、プレゼントだと思って諦めた。
フジさんの持参したDVDによる映画鑑賞「12人の怒れる男」これは素晴らしかった。考え方、とらえ方、関連性等、叉これまで生きて来た人生のバックボーンが如何に大切かを知る事も出来た。あらゆる角度からの見方の大切さも思慮深さの必要性も感じた。この映画は渕和保存盤としてマイクロバス観賞用の必需品だ。
20日(土)
フジさんに案内してもらう、先ずは、英語の個人指導の先生宅、ジェファ23歳女性、1回で5、000シルを支払う。生きるために売春婦をしていたが、フジさんの説得で、個人英語教師として雇うことになり、お陰で売春はやめた。素晴らしいお助けである。又それがフジさンの英語力をアップしている。助け合いの実例。
彼女が冷蔵庫を買いたいとの事で、運び屋として援助。私達の市内での仕事があるので同行。両替えする。1弗1、940シル大量の札束をバックに市内を歩く。
買い物、封筒(会報発送用)200枚、靴購入ナイキの素晴らしい靴を購入した。
午後注文してあったベットの搬入。二段ベット(フジさん希望)を寄付する。出来たベッドが入らずベッド職人を呼んでベッドの足をカッテイングして漸くおさまる。なるほどこういう国なのか?
AAAメンバー宛名手書き完成、ホッとする。ホッとして睡魔に襲われベッドに横になり熟睡した。とにかく腰が痛くて座っている事もできない。時差惚けの寝不足で歩き続けたからだろうか?この先が思いやられる。
21日(日)
ウガンダに到着して始めて神実様の前でよろづよ八首から12下りをつとめさせていただいた。うっすらと汗し心地よい充実感がみなぎる。ムソケ・美江さん4時頃到着、フジさんは、日本語学校のボランティアでお出かけ。
5時の夕づとめは私が芯でさせていただいた。
18時鈴木敏央先生と食事を共にした。ヨバニへ宿泊、腰の痛みがとれ、左足も痛みが無くなっている。床の中で腹筋運動を始めてみたらできるでは無いか!両足を挙げて1、2、3、4、5、6、続かない。更に挑戦1、2、3、4、5、6、7、更に1、2、3、4、5、6、7、8、9、10やった!息がきれる程辛かった。が腰も足も痛みは無かった。目をつぶってみかぐら歌を寝ながら唱えて3下りも行かないうちに寝てしまう。何故ってそこまでしか覚えていないから分かる。この方法では毎日12下り達成は続いていた。
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ナブトングァへ
22日(月)
5時30分起床、シャワーを浴びる。これから先、たっぷりと水をかぶる事はできなくなる。念入りに身体を洗い清めた。足も腰も痛く無い!ちょっと重く感じる程度なのだ。不思議なご守護である。
7時朝食のためにレストランに向うがまだ始まっていない。バーカウンターに行くとワーカーが何やら仕事をしている。私達がこのホテルを毎年使っている事から私を知っているらしかった。ムソケの父親だと言うと物凄い笑顔で手を差し伸べて来た。棚にタスカルビールを発見!ケニアからの輸入で無くウガンダ製であると言う。で、一本飲んだ。旨い!
外にでるとジョギング姿の鈴木敏央先生がいい汗をかいて戻って来た。その汗と笑顔に元気が出た。
7時30分朝食、津久井君も起きて来る。今日は日本語学校のボランティアで呼ばれている。石原藤彦さんも行く事になっている。菅間善昭君も一緒だそうだ。
一度フジさん邸に戻って、(途中でフジさンとすれ違った。)ナブトングァへの引っ越し準備を終わらせ15時頃出発。
赤道を通過、マサカに入って最初の町ルカヤを通過、ここは通行者用の炭焼き屋の集まり、遠くからも炭焼きの煙りが見える。道中の車めがけて半身の鶏の串焼き、牛の切り身串焼き、砂肝の串焼き、牛レバーの串焼き、焼きバナナ、焼きとうもろこし、コーラ、ジュース、ミネラルウオーターなどを高々と掲げて販売員が群がる。鶏、牛レバー、砂肝各2本づつ夕食のおかずとして購入、焼きバナナはすぐに食べた。ここの炭焼きはとても美味しい。
ナブトングァ到着17時頃。仕上げ工事を進めているムゼーと久々の対面、挨拶を交わす。1日も早く完成させるようにお願いした。とにかくワーカーと共に車庫に宿泊して進めてくれている。有り難い事だ!
明るい内に夕食の用意、温かいご飯が炊けた。炭焼きの鶏も牛レバーも砂肝も固い事、冷めてしまったら…旨いけど堅い!
フジさん邸から一変して、仮の宿舎(衛生センター)ここも完成していないのでホコリと屋根裏からはコウモリの糞が降って来る。その下で4人で雑魚寝。何日もつか?ケニアのマサラニを思いだす。
23日(火)
朝のトイレがしゃがんで出来た!足が痛み里子達もお風呂へ入れられなくなってどの位になるだろう?
会長交替の節に大きな心定めとしてふしんを提唱した。
一、おつとめの充実を計るための音響設備の全面改善。
一、全員おつとめ参加のための神殿の椅子席化、これは自分の足の身上を台として神殿上段も椅子方式に改革した。(お年寄りは座れなくなっていた)
一、教祖120年祭の旬の理、世界に元を知らす世界だすけ推進。「辞任は引退にあらず」会長を辞任し、一よふぼくとして自らが世界へ飛び出す。大教会長様面接の際にもお約束させていただいた。具体的にはウガンダ渕和出張所の充実を計る。
三つの心定めを一つ一つ実践して、ついつい忙しさに追われていたが、全ての人間思案を断ち切ってウガンダ出発の決意の元、赴任した。
これが教祖の御心にぴったりと当てはまっていた事を証明することになった。足の痛みのご守護を戴いた。
ポキノ氏との面接、そしてメール接続を第一の用事として、マサカへ出た。ポキノ氏は学校へ用事で出かけているとのことで2、3分で帰って来るからと、奥様のおもてなしに甘えてソーダ、カッサバのフライをご馳走になった。あまりにも遅いので学校まで行く事にして家を出たところでポキノ氏とばったり出会う。彼の母親の処から出て来たところで、母上92歳が肺炎らしい、純子さんがおさづけを取次いだ。
EM関連の打ち合わせに喜び私達と全面的に協力体制で実動する事を堅く約束した。後日副大統領とも会う機会を作ると張り切っていた。バクテリア関係なので製造販売等には、その認可等慎重にすすめる必要があるので有り難い事だ。
ポキノ氏の息子の案内でマサカにたった一軒あるインターネットカフェに、Mac、ウインドウズ共に上手く繋がらなかった。残念!
事務所に帰って、気を取り直して、草駆りを少しした。夕食は純子さん美江さんが腕を奮ってくれたお陰でとても美味しく話しもはずんだ。
夕食後今宿舎に使っている衛生センター表入口に座って村を眺めていたら、1人の青年がやって来て腰が痛いと言うのでおさづけを取次ぐ、すると子供達もきたので2人に取次ぐ。子供達はムソケの父親だと知ると急に親しげになって、陽が落ちて顔が見えなくなるまで歌や踊りを披露してくれた。
夕食が出来たとの声がかかった。
寡黙なムソケが一杯はいって、その夢を語りだした。ナブトングァの将来を大きな夢を……。彼は、教祖のひながたに近づく事がこの村の、この国の人々のためになる事、それには自分自身が成人する事が一番である事、村人たちや子供たちと接する事で彼らを活かし喜んでもらう事が大切である事を語る。欲の心を捨て切っている息子の話しに心の内で感動する。8下り目のお歌が脳裏を流れた。
EMぼかしづくり
24日(水)
早朝汚れた作業服の男と会った。左手の人指し指の付根をパンバーで打ち切ってしまったという、骨が見えていた。おさづけを取り次がしていただいた。その彼が村のチェアーマンである事を純子から聞いた。昨日青いシャツを着ていた人、何と汚いシャツ姿であったので気がつかずにいた。
彼がセンターに挨拶に来た。傷口がとても具合が良いと感謝してくれた。
EMのパンフレットを読んでもらった。目が輝き始めた。ムソケがチェアーマンの畑を調査畑(実験農場)にしようと提案すると心から賛成してくれた。EM開発はさい先よし!
午後はナブトングァの事務所裏(上の方)を散歩がてら歩いた。丘の上に向って歩くのだが息がきれる。休み休みゆっくりと30分程行くと子供たちに会う。その家を訪問。帰りはその子供に案内してもらって戻った。
午後、町(下の方)の方を散歩、明日のクリスマスのために町は活気づいていた。特に牛や山羊、豚が屠殺され切り売りされている所は人だかりがしていた。次から次へと鉈のような包丁で斬られて、売れて行く。
町の突き当りの揚げ物やのおばちゃんに手招きして呼ばれた。行ってみると、頭が痛くて喉も肺も腰も痛いので拝んでくれ とのこと、純子さんにおさづけを取次いでもらった。
この店の処から道が三本に分かれている右へ行けばカルング方面、真ん中がチャトー方面、左へ行けばルワサンデク方面。チャトーへ行こうと歩き始めた。が、結構遠いので止そうと帰りかけたら、15歳くらいの女の子が「腹が痛いので」と呼び止められおさづけを取次ぐ。
初夏の軽井沢のような気候ではあるがさすがに赤道直下陽射しは厳しい、汗をたっぷり滲ませて帰る。
一休憩している所なのに、純子さんの勢いにのって再び丘を上がる。岩切美子さんのお働きで拓大生がホームステイしたと言う家の日本語がちょっと分かるプリンスが遊びに来ていたのが切っ掛け、朝行った丘の峠を越えてもまだつかない。丘の全く反対側の家だった。眼下に広がるバナナ畑、向こうの丘もミドリのおっぱいを被せたように二つ三つと広がる。心が休まる、母なる大地に抱かれている実感である。
そんな丘の中にプリンスの家が在った。母親にホームステイの挨拶を言った。すぐにおいとまする事を告げたが、2分待てと言う事で待った。母親の声に従ってプリンスが産みたての卵を持って帰って来た。御礼のご挨拶に行っていただきものをしてしまった。
夕勤めには沢山の子供たちが集まって来た。男子2名におさづけを取次ぐ。
西の空は下弦の月と金星、あれっ?中国の国旗だ。周りが黒いのと赤いのの違いであった。
25日(木)
5時30分純子さんに起こされトイレに、戸を開けると空一面は輝く星、草むらでは螢がぴか!ぴか!っと。この時間は、久々の赤道直下南半球の星空。北にセブンスター、南にサザンクロスが鮮やかに輝いている。サザンクロスのすぐ右は銀河か天の川のようにも見える。雲がかかったように星屑が寄っている。トイレを忘れて見とれてしまう。老夫婦のロマンチックな一時。これが毎日の楽しみになった。これは毎日のお役目「トイレ付き添い係」
トイレに行く時は必ずEM希釈液を持参し、トイレ内等に振り掛ける。又自分自身にも振り掛ける。これがお風呂代わりである。
今日がクリスマス、それぞれの家からいっちょうらいに着飾った人々が教会へ教会へと歩く、特に女性は着飾っている。聞いてみると11時から式が始まるとのこと。村の中で何処にも行かずにいるのは私達とモスリムの子供たち。のんびりとした一日であった。
教会の行事が済んだ頃、こちらでは2時〜4時位が昼食。子供たちが写真を撮ってくれとやって来た。いつも汚れたぼろシャツを着ている子供たちが今日は違う。新しいシャツを着てひときわ良い子になりきってやって来た。特に女の子は可愛い洋服で着飾っていた。次々と写真を撮る。仲間と、一人で、兄弟で、と注文はうるさい。が喜ぶ子供たちの姿に私も嬉しくなって撮りまくった。
夕方からバナナのボカシづくり実験のために近所でもらって来たバナナの皮を細かく切る作業を行なう。これを乾燥させてボカシづくりをする。たらい一杯になるまで切って残りはそのまま乾燥させる事にする。
シャワー室を予定していたコンクリートの処にゴザを敷いて切ったバナナと切らないバナナを乾燥しやすいように敷いた。
26日(金)
AAAーU敷地内の芝刈り、留守が多かったために庭は草ぼうぼう、ウガンダ式草刈りを実施結構きれいになる。いつもの子供たちも見物していたが最後には手伝い始めた。
今日はお風呂の日ジェリカン半分づつを使って交替で身体洗濯。私はまだ23日にしっかりシャワーを浴びたばかりなので辞退した。
荒畑起し始まる
27日(土)
午前中敷地上の方に在る空き地を畑にしようと、畑起こし、これが又老人には重労働である。とにかくEMでたわわに実る農作物を頭に描きながら鍬を突っ込んだ15分でダウン、自分では1時間もやったつもりだが、どうしてどうして中々体力が持たない。汗が目に入って痛いし充分に働いた気分である。若者の姿をうらやましげに見ながら美味しい水(雨水)をがぶ飲みした。見に来ていた子供たちも手伝い始めた。
午後からは、1キロ先にある井戸へ水汲み。続いてマサカへ町にてニュースレターのコピーA41枚50シル、しかし停電のためゼネレーター使用代があるから100シルと言う。又くると言うのも大変なので倍のお金を払う事にした。108枚の処で電気が来た。109枚目からは50シルである。後から来た客がA3をコピーすると言う。A3があるならその方が良いと交渉したら、A3は1枚400シル両面で800シルになると言う。ならばA4で両面にしょうと言う事になった。カンパラでもA3は無いかも知れないと言っていたので、有って喜んだが高くて驚いた。停電にならない内に200部を作成する事が出来た。今日は土曜日で郵便局はお休み。先ずは帰って封筒詰めをしよう!
28日(日)
朝食後、AAAニュースレターの封筒詰め作業。
午後はゼネレーターを入れてくれる。パソコン作業がはかどる。連日の作業で身体は筋肉痛ぎみ、ムソケの心使いが嬉しい。
カンパラ日帰り
29日(月)
カンパラへAAAーウガンダ更新登録全書類を提出受理された。3月に確認に来るようにとのこと。継続活動だから問題は無さそうだ。ムソケのビザもスペシャルで1月6日におりる。美江さんの応援(英語力)が功績。二人共々に嬉しそうで足取りが軽そうである。
インターネットカフェ(シティーウエーブ)に行くと繋がった。感動!今日は何から何まで上手く行く。
シンバのメールは200を超える数が溜まっている。これを全部受けて削除し、関係ないものはインターネットをつないでメール否定の処理を行なった。日本でしてこなければならない作業であったが、なんとも時間がとれなかった。時間にして4時間つなげた費用は600円。
この間に暇を持て余した純子さんが日本人と会話。その方が海外青年協力隊の方でODAでマサカ地区の井戸掘りが始まる情報を手に入れた。来年早々にジャイカを訪問する事にしよう!
カンパラ宿泊のつもりで出たが出発間際に建設のムゼーから電話が入り、今日中に戻る事にした。フジさんも時間的に会えそうも無かったが、たまたまガーデンシテイで帰ろうとしたらフジさンのワゴン車があった、で、会う事が出来た。
鈴木敏央先生にも村行きのご挨拶ヨバニホテルへ寄る事にした。
フジさんの情報では、明日からは樋口さんの案内でフジさん、鈴木敏央先生、津久井徹さん、菅間善昭君の5人で二泊三日?三泊四日?のお正月休みの観光。
この日マサカに着くのは真っ暗闇、危険を感じてニエンドに新しく出来たホテル(DENBE LYO INTERNATIONAL HOTEL)に泊まる。おたすけ隊の下見宿泊にもなる。部屋の机も無いので申し出るとちょっとした台とプラスチックの椅子を持って来てくれた。今工事中で湯が出ないと言う5リットルのジェリカンに湯を入れて部屋の前に置いてくれた。ロビーにて4人でNGOボード提出を喜びあい、又ODAのマサカ井戸掘りのこと等、今後の事も真剣に話し合った。
不思議な出会い
30日(火)
ムソケと美江さんは朝食後すぐにセンターへ色々準備してホテルへ戻る事になったので私達夫婦はホテルで待機、電気があるのでロビーをお借りしてパソコン作業を行なう。
ムソケが嬉しそうな顔で入って来た。
「朝から良い事があったんだよ」
「どうしたの?」
「ODAで井戸を調査していると言う人がセンターの処で会えたんだ、村の井戸を調査しにきたんだって、明日の晩お食事を一緒にしてくれる事になった」
何と不思議な出来事だ!来年ジャイカを訪問しようと勇んでいた矢先の事で、実際に調査をし井戸を掘る方がセンターの前を通ったのだ。
美江さんをセンターの留守にして、ムソケとムゼーと電気職人が迎えに来た。一人乗れなくなるのでムゼーと電気職人がすぐに車から降りようとしたが、私が止めて後ろの荷台へ乗った。道中現地の人々が凄く挨拶が良い、きっと現地人が座席に座って外人である私が後ろの荷台に乗った事で絶対にヨーロッパ人には無い行為にちょっとした喜びのようなものがあったようだ。
トラックを取りに町へ行った所が、パンクを直している。直り次第に、資材屋へ続いて電気工事用の全てを買い入れるとのことで資材屋で待機していたが何時まで経っても終わらない。その内昼になった。ムソケから電話が入り、適当な店を探して食事をするように言われ、二人で探した。町の一番低い所から一番高い所まで歩き(山登りをしているよう)やっと一件のレストランを見つけた。ちょうど昼時沢山の客で賑わっている。店の隅の方に二人がけの席を見つけ落ち着いた。鶏とじゃがいも、純子さんはポテトチップを注文した。ビタレモンとスクリプトを飲みながら空腹の身にとても美味しい現地食だった。久しぶりにゆっくり食事をしたがムソケの方はまだ終わらない。で、純子の提案でヌカを買う事にした。が、米ぬかは無かった。メイヅブラン(メイズのヌカ)を5キロ購入1キロ200シル。先ずは、一番低い所にある資材屋まで運び、車に積んだ、待つ事久し、暫く資材屋で従業員たちと話していたが、なかなか来ないので、再び町の散歩に出た。で、更にメイズブランを10キロ購入ここでは1キロ150シルだった。
帰りに電器屋の前を通る所でムソケを見つけた。ムゼーと電気職人が事細かにチェックをしながら配線工事用の電気器具を購入していた。それはそれは時間のかかることだった。やっとの事で野菜市場へここで塩と炭を買うと言う。これが地下アース用であると言う。ついでに我が家の食糧も購入しセンターに戻ったのは午後3時頃になっていた。
夜ムゼーから御招待を受けた豚肉を買ったからと言う事で、せっかくだからご相伴に応じることにした。いつもの隣のおばちゃんに夕食は頼んであるらしいが、今日は特別に魚と豚を買って手料理をしていた。魚はいまいちだったが、豚は美味しかった。ムゼー有難う!
メイズぼかしづくり
31日(水)
12下りをつとめて明るくなる頃から、今日は電気工事が始まる。ムゼーは衛生センターの電気を引くための工事をし始めた。そこで朝食は抜きで部屋を片付けた。併せて宿舎棟の工事も続けられる。
昼食はアボガトのねぎとろとキャベツの塩漬け、今年最後のご馳走、晦日そばの案も出たが、今晩はマサカへ出て例の方と夕食の約束がある。
午後からメイズブランでボカシづくり、うまく熟成してくれる事を祈って…
終了後、お食事会で夜遅くなる事も考え昼寝をさしてもらった。熟睡する。
ムソケはムゼーと窓枠購入にマサカへ、水汲みもして来てくれた。何のお土産が良いかと二人の婦人が考えキャベツのキムチを作った。5時頃出発、マサカの焼き鳥屋で一杯飲んだ。
色々のアドバイスをいただいた。既に井戸を掘る所は決まったいるので、新たに掘るのは難しい、出来たら今ある井戸の水量を調査したのでその結果によっては、貯水槽に汲み上げて配管するのが一番よいと思う予算も井戸掘りよりも安く着く。とのことであった。この後も色々とご指導をお願いした。12月15日のエミレツでエンテベへ、来年2月末帰国予定であると言う。全く私たちと同じ日程であった。来年は8月から作業が始まる予定とのこと。1940年1月9日誕生日学年で2年先輩、年は一つ上。昔の思い出話しにはずんだ。26歳から海外で水関係の仕事をこなしていると言う。素晴らしいお働きをされた方である。家族親戚は千葉でお医者様が多いそうだ。千葉市一番の病院と聞いた。
不思議な出会いを教祖がまたまた作って下さった。「石も立ち木も見ておいた」全くお言葉通りである。心地よい眠りについた。
虹の謹賀新年 ムソケ/ナムソケ
2004年1月1日
午前2時頃純子さんに起こされトイレのお伴、戻って床に入ったがうつらうつらであった。3時頃だろうか大きな雷の音と共に雨の音が強くなったり弱かったり聞こえなくなったり、4人で早起きしてセンターのある丘の頂上で新年のご来光を拝みに行く事になっていたが、その頃までに雨はやむのだろうかウトウトとして考えていた。突然目覚まし時計の越天楽が鳴る。5時29分外は雨音が大きかった。外に出て見たら、軒下は雨には関係なかった。トタン板の屋根だから大袈裟な音がするのだ。少しの雨を凌ぎながら軒下で12下りを始める。
・・・「だいくのにんもそろいきた」・・・・・
「シンバさん虹です!」
と呼びながら、ムソケと美江さんは並んで上の方へ駈け登る、私達夫婦も追った。西の空を見上げたら鮮やかな虹が左右の丘の掛け橋になって半円を描いている!しばらくしたら虹が二重になった。
ムソケの村にムソケが出た。
村人たちは二重のムソケを見て「ムソケ!ナムソケ!」と輝く目で叫んでいた。
敬充は村の人々から「ムソケ」と呼ばれている。この国の言葉で「虹」を意味する。そして、「ムソケ」の奥さんは「ナムソケ」という。
出発前に敬充と美江さんとが婚約し、ウガンダに生涯をかける心を定めてやって来て、初めて迎える元旦。二人の喜び輝く瞳を見た親としての喜び、赤道直下の熱いお正月と思っていたこの日は、誠に雨上がりの涼しい爽やかな元旦でした。
立教167年/平成16年/西暦2004年ご来光を拝む事はできなかったが最高の元旦であった。
教祖有難うございます!
朝勤めの元旦祭の後の朝食は純子さんが持参してくれたお供え餅を焼いて、泉東からいただいた高級にしん昆布巻、金粉キラリ梅小町のお茶、ムソケとナムソケの嬉しそうな顔は生涯忘れる事はできない。
工事用の水汲み作業、毎日夕勤めに来る子供たちが大勢手伝いに、車に乗れる楽しみなのだと思うが、大はしゃぎでひのきしん。2キロ程離れた沼地に流れる水を汲みに行くのだ。午後は私も参加した。子供たちが本当に嬉々として働いてくれた。午前に4回、午後2回工事用に作られた水タンクは3分の2になった。
その後飲み水を汲みにムソケとナムソケと子供たちが行く。ちょうど水汲み時間が重なって、随分遅くに帰って来た。
夕食時に囲いを作る事で話し合い。ムソケは開放的な方が地元の人々と打ち解けあうと言う。後ろは囲っても前の方は開けっ放しが良いと言う。私達夫婦は、今後美江さんもすむようになればプライベートエリアはきちんと囲いもし扉をつける事を提案したが、ムソケとすると今日の隣近所との良い関係を苦労して作って来た事でなかなか納得せず、自分の意見を主張する。お互い相容れない時間が続いたが、一応年の功で押し切った。衛生センターのある低い部分は開放的で行こうと言う事に落ち着いた。時間は11時を過ぎていた。
明日の予定はなるべく早くマサカへ出て電気の申請、ついでに町での仕事をと言う事で就寝。
2日(金)
昨夕方から黒雲がわき雷が鳴り響いていたが、深夜の2時頃から大雨になった。この度は純子を私が起こしてトイレへ、隣の牛が泣き叫ぶ声に布団の中で寝られないと思いながら夢を見ていた。目覚めたのは7時であった。12下りは間に合わない、7時30分朝勤め。空全体に雲が広がって雨は止みそうも無い。マサカ行きは雨の上がり次第と言う事になる。しかしこの雨では道が…、朝食時いつもなら子供たちがのぞきに来るが今日は誰も来なかった。静かな朝餉を楽しんだ。
今日はバナナのボカシの出来上がり予定日、メイズブランのボカシも次々と出来て来る。有り難い事に乾季と言われているこの時期に元旦から毎日夜中から朝方にかけて大雨が降ってくれている。今日は10時頃まで降り続いた。先日行なった荒らた起こしの畑に愈々畑作りが始まる。
雨だから読む気になったと言える。「EM環境革命」著者は比嘉照夫教授、久しぶりにじっくりと読ましてもらった。こと改めてEMの素晴らしさに感動、そしてこの本の中に畑づくりが詳しく書かれていた。今日の雨はしっかり元を知るようにとこの本を読む機会を神様が与えて下さった。教祖有難うございます。雨が上がり自動車を整備して、結局みんなで昼食を済ましてから、ムソケと美江さんとがムゼーを乗せてマサカへ向った。電気の申請、AAAニュースレターの追加コピー、出来上がったレターを郵便局へ、食糧の買い出し、帰りには水汲み。雨が上がると道路の乾きも結構早い、坂が多いから水はけが良いのだろうか?
残った私はパソコン作業、純子さんは洗濯。試験的に作ったバナナの皮のボカシは、ほんの少しなので、少し用の畑の荒田起こしをした。一平米程度の畑を起こした。
こちらの国のお正月は1日だけがお休みで2日からは仕事である。12月のクリスマスは盛大であったから、そちらが中心なのであろう。
私達はいまだに日本人をしているので2日目はお寿司を作ってくれた。手巻寿司ネタは、アブガトのねぎとろ巻、ツナ(缶詰め)巻、オクラを梅入り納豆巻に、カッパ巻 いや〜〜!良いお正月である。ついブランデーを飲み過ぎた。話しもはずんだ。
3日(土)
すっかり寝過ごした。朝勤めギリギリの起床、有り難い今日も雨10時頃まで降り続く全員パソコン業務、ゼネレターがうるさいが仕事は進む。
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