〜世界勇ませ・世界へ飛び出せ〜 おたすけ隊ネット

      

第4回アフリカおたすけ隊(ウガンダ)

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新たなる旅立ち

 キッカケはおたすけ隊系統を超えて参加した方々の中から、真柱様の仰せになる「胸から胸へ」のおたすけが系統として現地に根付き始めた。
 現地に根付いた活動は世界へ飛び出せおたすけマンへリンクします。

 陽気の掲載記事を読んで参加して下さった方、大矢さんの感動を伝わって視覚障ガイの方が3人参加された。道の教職者の集いで講演を聴いて下さった渡辺さんと桐野さんが参加して下さった。系統を超えての参加者が増えて来た。

 さてウガンダ/ナブトングァの正月元旦に二重の虹が出た。現地の命を懸ける敬充さんと美江さんとの婚約が整って初めて迎える正月だった。現地の信者さんたちが心から祝ってくれた。この話は電子メールを通して日本に伝わり、カルガモ母さんこと川上美也子さんの書【虹】が二つ届いた。後藤さんが川上さんのメッセージを感激で震える声で伝えてくれた。虹の贈呈式、忘れられない思い出が隊員全員の胸に残った。

川上さんから「虹」を書をいただいて出発

天理教視覚障ガイ者布教連盟夏期研修会にて

 おやさまのお伴でやらせていただくアフリカおたすけ隊も今回で4度目となりました。おたすけにやらせていただけばやらせていただく程、現地の人が助かることは当然のこと、私自身がずいぶん成長させていただけているように思われてなりません。ありがたいことです。また、参加隊員の中からも神実様を御祀りし、教会あげて本気で現地に入り込みおたすけにかかられる方も出てきました。このおたすけ隊を足がかりとして、よふぼくの足りないこの地に大勢のおたすけ人を送り込めたらと思います。全文読む

おたすけ隊への参加の声をかけていただいたのは、昨年の4月。上級である男能富分教会の後継者、五十嵐仁さんからでした。その時は、あたしが海外なんて!しかも、おたすけ?・・・ムリムリ。って心境でした。でも、その年の10月にシンバさんに紹介していただいて“心が決まれば、教祖さまが連れていってくださる”の一言であたしの心は決まりました。そうしたら、不思議と2週間も絶対休めない職場で、とんとん拍子にお休みを頂き、アフリカへ・・・。 全文を読む

今村 博行  日本の中では僕は日本一の貧乏だとはいえても、地球規模でいえば恵まれた生活をしている事になるんですね。でも現地の人たちはそれがあたり前、だからそれなりに毎日の暮らしを楽しんでいるのか気さくで明るくよく笑う。全文を読む
松戸 良夫 「おや」はもとより、私にすばらしい体験をさせてくださった方々、おたすけ隊を受け入れるためにご苦労された方々に感謝申し上げ、私の感想文とさせて頂きます。全文を読む
小池智恵子 おさづけの鮮やかな御守護を目の当たりにし、私もマラリアにかかった人の熱の変化(神様のお働き)を手のひらに感じさせていただき、日本では味わえない喜びを味わわせていただきました・・・。」全文を読む
桐野 利子 計71名の方々におさづけを取次がせて頂き、教祖のおつかいを嬉しく病気の方々が一日も早く全快を・・・と祈る毎日です。全文を読む
渡辺  茂  日本に帰ってからも、「おさづけ」を以前よりどんどん取次がせて頂くようになり教会にも参拝させて頂いています。「道の教職員の集い」の例会でも、桐野さんとアフリカのおたすけ隊の話しをさせてもらい会員に、どんどん「おさづけ」をさせてもらうように話しました。全文を読む
田口 帰一 おやさまの道は世界だすけの道
「さあさあたすけ一条というは天然自然の道、天然自然の道は我が内、我が身 のことをいうのやないで」と仰せいただく。
 この言葉を心に刻み「グローバルTHINK」「ローカルACT」
 先人の道に比べたら、何をしているんだ、と言われる。
 おたすけは、もし我が子だったら、我が兄弟だったら、との心で実践。
 教祖120年祭活動2年目に加速をとの真柱様のお言葉を胸に実践あるのみ! 全文を読む
五十嵐 仁  3月14日に無事帰国させて頂きました。今回も本当にお世話になり、ありがとうございました。心より感謝申し上げます。アフリカおたすけ隊でのイメージがあまりにも強く、キグングに入った当初はとまどいが大きかったのですが、そのお陰で、今まで見えてなかったことが、見えてきたような、ありがたいことです。とにかく、先人の苦労のほんのかけらを味合うことが出来たと思います。ナプトングワやボンドなども最初は大変だったのでは...
dojyo会員に当てた帰国報告ですが、送らせて頂きます。本当にありがとうございました。
北海道は今大吹雪です。マイナス15度はあるのでは。とても寒いです。 全文を読む
戎居 冴美 素晴らしい、皆さんとの 出会いを、頂きました。家に帰って、主人に、神様から、お金では買えれない、大きなお徳を、頂きましたよ!と・・・全文を読む
寺島  貴 やはりこうしてアフリカの現実を体感しないと、なかなかそういう気持ちにはなれず「なぜわざわざアフリカなんかに…」という思いから抜け出せずにいたと思います。前文を読む
大矢 邦一
後藤 陽子
佐津川守道

 高安・渕和(会長) 山崎栄慈

 第4回おたすけ隊、本隊13名帰国。3月までの長期滞在者1名、現地受け入れスタッフ6名は引き続き活動中です。又ケニアで活動された宮の陣隊も隊員6名、宇龍の阪本さんの受け入れのもと、おたすけ活動を展開され無事帰国されました。

 第1回からおたすけ隊に参加されている石原さんは丸3年を終え、4年目の今回は自分の家を設け神様を祀り、空手の生徒がうじゃうじゃいました。もちろんお道も伝えています。3月末には奥様と子供達を呼び寄せられそうだと言うことです。石原さんの大きな決断力と実行力には改めて見習わなければならないと肝に銘じました。

 教祖120年祭の時旬は実働するとすぐに教祖から喜びを与えて頂けることも分かりました。やったらやっただけ自分のものですね!尽くした理は末代と聞かせて頂きます。日々もそうですが、特にこの年祭の旬は尽くし切りたいと思います。

 今回、目のご不自由な方3名が参加して下さいました。

日程中、一番のハードスケジュール。2月2日だったでしょうか、AAAーU事務所前(渕和ウガンダ出張所)の研修庭にて医療巡回が行われました。炎天下(30度以上)の中、我を忘れておさづけの取り次ぎをさせて頂く隊員の皆さんの熱意は凄いものです。多い人はその時だけで約60人にお取り次ぎされていました。それぞれ、体調もありますから、研修棟の中に入って休み休みやられる方もおりました。屋内は22、3度と非常に快適なのです。

五十嵐さんはあまりにも外に出過ぎて熱中症にかかりました。

 さて、その晩のことです。村での夕づとめを終えバスでマサカの町に戻り、屋外でビールを傾け、名物の炭火やきとりで夕食をしようとしている時に、小池さんがお月様の明かりが見えると言い出しました。隣の戎居さんも私も見えるというのです。大矢さんがお誘いした目の不自由なお二人がお二人とも声を揃えて。僕は信じませんでした。去年のおたすけ隊から大矢さんも見えると言って喜んでいましたが、大矢さんに引き続き、この度のお二人までもが。先人の偉い先生でも一生のうちで自分の目の前で目の悪い方が3名も揃って見えるようになるなんて経験されていないはずです。教祖かおたすけ名人と言われる数人の先生ぐらいでしょう・・・。そんなに都合よくみんな揃って見える訳ないと決めつけていました。だから信じていませんでした。でも本人達が言うのですから間違いないことだと思います。でもこの後のコメントに僕は頭をガツンと殴られました。

「こんな見えるなんて申し訳ない。そんなこと元々願ってもいないことでありがたいけど勿体ない。でもそんな自分が見えたことよりもこうしてアフリカにお連れ頂いて大勢の方におたすけさせて頂ける事の方が感動で感動で・・・。」終止、そのことを仰り、お礼を言われるのです。

 我が身忘れて人をたすける誠真実の姿だと思いました。

 この誠真実を受け取られて教祖はその人の願い通りでなく心通りのご守護を下されることをまざまざと見せて頂きました。だから、お二人は見えても見えなくてもそんなことはどうでも良いという感じでした。それよりもおたすけさせて頂ける喜びに溢れているのです。そしてガンガンおさづけを取り次がれておりました。

僕の大好きな逸話編の中でも1番大好きな168番「船遊び」の1つ前、非常に偶然なのですが167番「人救けたら」と言うお話がありました。このお話は読めば読む程非常に味わい深く、2考も3考もさせられるお話ですが、そのままでは長くなりますので多少省略させて頂きますが、今回の経験がそのまま逸話編になっている感じでした。

 加見兵四郎先生が娘さん共々目が見えなくなり教祖からおたすけ頂くのですが、最初は奥さんに代参させました。その時教祖は「この目はなあ、難しい目ではあらせん。神様は一寸指で抑えているのやで。そのなあ、抑えているというのは、ためしと手引きにかかりているのやほどに」と仰せになり、つづいて、「人言伝ては人言伝て。人頼みは、人頼み。人の口一人くぐれば一人、二人くぐれば二人。人の口くぐるだけ、話が狂う。狂うた話した分にゃ、世界で過ちが出来るで。過ち出来た分にゃ、どうもならん。よって、本人が出て来るがよい。その上、しっかり諭してやるで。」と言われ、兵四郎も「なるほどその通りや」と翌々日にはおぢばに帰った。すると教祖から「さあさあ」と2時間にわたって、元初まりのお話をお聞かせ下された。その時の教祖のお声の大きさは、あたりの建具がピリピリと振動した程であった。そのお言葉がすむや否や、ハッと思うと目はいつとなく、何となしに鮮やかとなり、帰宅してみると、娘の目も鮮やかに御守護頂いていた。しかし、その後、兵四郎の目は毎朝8時まではボーーッとして遠目がきかず、再びおぢばで教祖にお伺いすると教祖は「それはなぁ、手引きがすんで、ためしがすまんのやで。ためしというは、人救けたら我が救かる、という。我が身思うてはならん。どうでも、人を救けたい、救かってもらいたい、という一心に取り直すなら、身上は鮮やかやで。」とのお諭しを頂いた。その後熱心におたすけするうちに自分の身上もすっきりおたすけ頂いた。

 今回の経験が逸話編になっている感じと申しましたが、よくよく思案するならば、現代の私自身に教祖が50年のひながたで既に先回りして御示し下されていたのであることがはっきりとしたと言うことではないでしょうか。そう考えると教祖の偉大さを改めて感じ入ることが出来る素晴らしい体験です。教祖はそのおひながたで時代を超えて、国境を越えて、年齢を超えて、やる気を出してにをいがけ、おたすけに邁進させて頂く中にその存在をありありと浮かばせて頂くんだなぁ。やっているよふぼくの側には常においでになるんだなぁと感じる次第です。

 

しんじつにたすけ一じょの心なら なにゆハいでもしかとうけとる  三号38

わかるよふむねのうちよりしやんせよ 人たすけたらわがみたすかる 三号47

 

 おさづけの効能を目の当たりにさせていただくことが当然となってしまって、本当に申し訳ないことですが、記録係としてビデオを撮らせていただいているのですが、ついついこの場面は撮っといた方が良いのだろうか?このぐらいのご守護は当たり前だからもう撮らなくても良いかなぁ?テープが無駄かな?と言うことを考えてしまうようになっていました。そのぐらいおたすけがあがることあがること、毎回、お現身を御隠しになられた教祖が働いて下さっているのだと実感せざるおえない旅になっております。

 おやさまのお伴でやらせていただくアフリカおたすけ隊も今回で4度目となりました。おたすけにやらせていただけばやらせていただく程、現地の人が助かることは当然のこと、私自身がずいぶん成長させていただけているように思われてなりません。ありがたいことです。また、参加隊員の中からも神実様を御祀りし、教会あげて本気で現地に入り込みおたすけにかかられる方も出てきました。このおたすけ隊を足がかりとして、よふぼくの足りないこの地に大勢のおたすけ人を送り込めたらと思います。

逡巡を去り胸を張って、をやの声を伝え、自らも勇み、世界を勇ませて、神人和楽の陽気世界の建設に力を尽くそう。                      諭達第1号

をやの思いは、陽気ぐらしを楽しみにこの世人間をお創り下された元初まりの思召に始まり、世界一れつをたすけるために天降られた立教の元一日に続く。     諭達第2号

 諭達に示された真柱様の熱き思いにお応えさせていただく為、ご存命の教祖に喜んでいただく為、まだまだやらせていただきます。
 立教169年1月26日の教祖120年祭には胸張って教祖に年祭活動のご報告が出来る自分でありたいと思います。

 愛知・枇杷島(よふぼく) 今村博行

 ほとんど初めての海外旅行がアフリカだった事は幸か不幸かわかりませんが、飛行機 の18時間ぶっ通しは少し参ってしまいました。なにせタバコがすえないのです。それから運動不足の上に短い間隔で食事が出るので食べてばかりで、今流行の鶏になっ た気分でした。
 さて、アフリカ体験ですが、その前に今回の山崎さんを中心に14名の方が参加しました。皆さん個性が強く、移動中のバスの中やレストランの食事などは、おなかが痛い程笑わせて頂きました。ほんとに皆さん芸達者!!おかげでリラックスした気分でおさづけも現地の人たちとの交流も出来た様に思います。おもにおさづけを取り次いだ地区は、山崎さんの出張所があるマサカ(県)のナブトングァ周辺です。印象は、とにかく道路というか道が少ない。その数少ない道に沿って民家がポツポツと続いている。お店といえば、ほとんど同じ様な形の建物で、コカコーラの看板だけがやたら目についたのは僕だけ?
 とにかく土が赤い。バナナの木ばかり。かなり貧しい地区とい うのは誰でもわかる。子供たちはあたり前のようにボロをまとっている。ほとんど裸足である。普段着はとことんかまわない!贅沢は許されないのである。働く場も少なければ、お金を稼ぐこともままにならない…ほとんどが自給自足なのでしょうか?
 日本の中では僕は日本一の貧乏だとはいえても、地球規模でいえば恵まれた生活をし ている事になるんですね。でも現地の人たちはそれがあたり前、だからそれなりに毎 日の暮らしを楽しんでいるのか気さくで明るくよく笑う。逆に自然と共に人間らしい暮らしを満喫しているかの様にも感じられる。そんな人達にわずか10日間の期間、お さづけを取り次ぐ事が何程になるのかとも考えさせられると同時に現地の人達と同じ様な生活の中で暮らし合いの中から、おさづけを取り次がせて頂かないといけないなとつくづく思いました。シンバさんと純子さんはもちろん、山崎敬充さんと美江さんの若い力と情熱が大きな実を結ぶ事と思います。いつか協力できる日が来る事 を楽しみにしています。

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 古市・四街道(会長) 松戸良夫

 昨年12月25日のことでした。大教会長様の送迎のため、本部駐車場で待機していると、同じような立場で待機していた方がいて、時間をもてあましていた私は思いきって話しかけてみました。話の中で何気なく、「1月の末からアフリカに行くことになっているんですよ」と話をすると、「えっ、私も行くんですよ」という反応。その時は名前もしらない方だったのですが、佐津川さんとの最初の出会いでした。その後、佐津川さんは古市の大教会長様とはいとこだということを知り、二度びっくり。

おたすけ隊への参加には不安もあった私のために、親神様が先回りして下さったものと確信しました。

ウガンダの地では言葉が理解できずにとまどいはありました。しかし、目で、指で、体で表現し、とにかくおさづけの手を振らせて頂くことだけを考えました。日本では頭を下げても取り次ぐことが難しいのに、ウガンダでは向こうからやって来るという180度の違い。本当に驚くことの連続でした。

ただ、滞在中に感じたことは「はたして、アフリカと日本ではどちらがたすかっていない姿なのだろうか」ということです。確かに現地の生活は水・医療など、さまざまな面で苦労はあると思います。その点では、日本では親神様のご守護は言うまでもないのですが、先人の方々のおかげでまったく比べものにならないほど便利になっています。

けれども、便利にはなりましたが、残酷で目を覆いたくなるようなニュースが後を絶ちません。「どっちがたすかっていないのだろうか」、本当に不思議な問いを自らに投げかけていることに気づきました。

いま、とにかく、自分の出来ることをまず勇んでさせて頂こう。そう感じています。

「おや」はもとより、私にすばらしい体験をさせてくださった方々、おたすけ隊を受け入れるためにご苦労された方々に感謝申し上げ、私の感想文とさせて頂きます。
ありがとうございました。

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 中河・大東開/開徳布教所 小池 千恵子

 「ウガンダの大地でシンバ先生の寛大なお心に感銘いたしました。そして皆さんの真心で今日まで楽しく元気に通らせていただきました。おさづけの鮮やかな御守護を目の当たりにし、私もマラリアにかかった人の熱の変化(神様のお働き)を手のひらに感じさせていただき、日本では味わえない喜びを味わわせていただきました・・・。」
 朝夕のおつとめでは皆んなが順番に数取りと真をつとめ、真をつとめた者がその後、一言はなしをしなければなりません。私は2月3日の朝づとめに数取りを、夕づとめに真をつとめさせていただき、このようなことを話しました。
 前日の2月2日に、医療器具と眼鏡の贈呈式が行われたのですが、眼鏡の贈呈の時、「あんた達、3人出ておいで。」とシンバ先生からお声がかかり、視覚に障害がある私たちに贈呈させて下さったのです。 また、1月29日、赤道直下を観光したのですが、ここには東西南北と中心に大きなじょうごが置かれてありました。そこに水を入れると、北と南のじょうごの水は渦を巻きながら落ちるのですが、右回りと左回りと渦巻きが違うのです。ここでも「ふたつひとつが天の理」を見せていただきました。ちなみに中心のじょうごの水はそのまますっと落ちたそうです。
私の手引きをして下さった皆さん、おたすけの時に通訳をし、おさづけの取り次ぎがしやすいようにお世話取り下さった皆さん、本当にありがとうございました。
 雅楽あり、ハーモニカあり、歌あり、踊りあり・・・スタッフの皆さんご苦労様でした。
 シンバ先生の親心に感謝しています。  

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 玉江・玉埼/玉安布教所長 桐野利子

 1月27日出発式に参加した。教職員の集いで顔見知りの渡辺さんの外は、初対面ばかり、またはるかアフリカの地に行く事に良い返事をしなかった夫、そんな不安を抱いて出発。
 長い飛行時間(ドバイ、ナイロビと乗り継ぎ)の末、エンテベに到着の頃は不安も吹き飛び、先発隊の出迎えのバスにゆられホテル、石原邸へと・・・、そこで現地の人の歓迎を受け、共におつとめをつとめ、おさづけをさせていただく。
 気温30度のなか「健康で過ごせるよう、一人でも多くの方におさづけを取次がせていただけるよう」祈り、初めての夜を過ごした。
 次の日からは、赤道を見学したり知事表敬訪問したり、国立ヘルスセンターナブトングァの渕和ウガンダ出張所やチャートー小学校やカルケロ小学校訪問おさづけ取次ぎと時は流れた。
 中でも印象に残ったのは、ヘルスセンターの入院者用のベッドに使われていた毛布が都大教会からの寄贈と言う事で、同郷の毛布を懐かしく握りしめ“あなたも異郷の地で他人のためになっているのね”と話しかけたこと、そこの重病の入院患者さんに友がおさづけを取次ぎ、私が会長さんよりいただいていった、教祖直々の『はったい粉』を口に含んであげ、荒い息の中笑顔が見られたこと。
 子供達との交流は、それはそれは楽しく、瞳の美しさ、笑顔は忘れられません。
そして、水の大切さ、現地の人の物を大切にする心を忘れず、私も心掛けて行こうと実施しています。
 また、ホテルの近くを朝、散歩した折、一軒の家から“あしきをはらうてたすけたまえてんりおうのみこと”と、おうたが聞こえて来たことに驚いたり喜んだり。
 皆様に親切にしていただき、ナショナルパークの動物観察やナイル川源流、ブジャガリ滝観光、ジンジャでの夕陽も忘れられないし、フルーツの美味しさ、真っ赤なハイビスカス、ブーゲンビリア、名も知らぬ花々の美しさも良い思い出になり、アフリカは私にとって忘れ難い地になりました。
 計71名の方々におさづけを取次がせて頂き、教祖のおつかいを嬉しく病気の方々が一日も早く全快を・・・と祈る毎日です。    ウエバレ ニョ (有り難う)  

 那美岐・音威子府(会長) 寺島 貴

 上級教会の後継者である五十嵐 仁氏の誘いで、私はこのおたすけ隊に参加しました。参加前の正直な気持ちとしては、まだ見ぬウガンダへの不安でいっぱいと言ったところでしたが、何より五十嵐氏より、今後の海外布教活動の与力にと指名された事と、私自身が教祖年祭へ向かう上での理作り、心作りをさせて頂けると信じて、気持を奮い立たせて参加しました。
 百聞は一見に如かず、見る物、会う人、全てがリアルな現実として私の心に飛び込んできます。そして感じた事は、ウガンダは全くの異国という存在ではなく、便利すぎる環境で暮らしている我々が忘れている事を思い出させてくれる場所なんだろうという事です。電気が通ってなくても、水道がなくても、自家用車を持てなくても、毎日同じ服を着ていても、小洒落た料理が食べられなくても、病院が近くになくても、ウガンダの人たちはとても生き生きとしているように見えました。そしてそういう生き生きとした雰囲気はそう遠くない昔の日本人も持っていた筈なのです。勿論そういう環境に暮らす為に、家業や家事に一日の殆どを費やし、普通教育を受けられない子供がいたり、病に倒れる人が多くいたりする現実はあります。
 それらを改善するお手伝いする事と、真実の親の存在を伝える事の必要性を学ぶのが、この「アフリカおたすけ隊」に参加する意義なんだろうと私は理解しました。やはりこうしてアフリカの現実を体感しないと、なかなかそういう気持ちにはなれず「なぜわざわざアフリカなんかに…」という思いから抜け出せずにいたと思います。
 ウガンダで一番勉強になった事は、とにかくいつどんな時でもおさづけを取り次がせて頂く、という事です。今までの私は正直に言って、おさづけの経験は何度も重ねていても、どこか体裁を気にしていたと言いますか、少々遠慮がちだったり、何が何でもという気持ちを持てていなかったと思います。ところがここでは、初めて会う人だとか、場所がどうとかそんな事はあまり関係ありません。とにかく少しでも悪い所がありそうだと思ったら即、おさづけを取り次ぐのです。「わざわざウガンダまで行ってそんな事か」と思われるのかもしれません。しかし私はこのウガンダの地で、諭達第二号に仰せ頂く「人をたすける心の涵養と実践」という事を分からせて頂いたような気がします。
 そう何度も行ける所ではないと思いますが、今後もウガンダには関わっていきたいと思います。親神様・教祖・祖霊様は勿論、帰国直後に出直した会長、そして参加するチャンスを与えて下さった全ての方に感謝します。ありがとうございました。      ページトップへ戻る

 高知・三崎 戎居冴美

 昨年1月私は、主人に「お父さん!来年は、私が信仰してから丁度50年に、なります。何か、親神様、教祖に喜んで頂きたいと、思っているのですが」と言うと、さりげなく一言「何か、あるでしょう。」との返事でした。主人は、信仰は、しておりません。その内に、三月が来ました。3月25日、26日おぢばで、視力障ガイ者連盟の、役員研修会があり、いつも、副委員長の山崎先生に、誘われ、今回も出席しました。福祉課の田中課長様から、「障ガイ者は、障ガイ者の気持ちが、よく解る。障ガイ者布教を、しなさい。」とのお話でした。又、委員長の内藤先生からの、素晴らしいお話の後、会員の大矢さんから、第3回アフリカおたすけ隊に、行かれたお話があり、私は、あまり、このおたすけ隊のことは、知りませんでしたが、とても、素晴らしいと思って、聞かせて頂きました。その後、大矢さんに「私も、10年若いと、行きたいです。10年前に、目の治療で中国へ行きました。」と言うと、「行きましょう!私も、あなたと、そんなに年は、違いません。」との事で,あくる日、ご本部の松の木の下で、アフリカおたすけ隊隊長シンバ先生と、川上美也子さんに,出会うことになりました。シンバ先生の、あの迫力ある声で、「行きましょう!」と言われ、私は、只、笑っておりましたら、いつも、本部に行くと、私のお世話を,してくれる、明石の後藤さんが,「戎居さんが、行くようになったら私もいっしょに行って、お世話します。」と、言い出され、私は、びっくりしました。この後、甘露台で、二人で親神様、教祖に、お願いし、結果は、親神様が出すでしょう。と、帰りました。その後、八月に再び、シンバ先生達に、お会いし、10年前中国へ、5ヶ月目の治療で、言った時のことを、お話し、20人位のメンバーで、行かせてもらい、そっとにおいがけを、していたところ、皆に知れてしまい、ある晩、代表の人から「あなた、そんな事をしてくれたら、困りますよ!中国政府に知れたら、私達は、目の治療どころではなく、すぐに、日本へ帰されますよ!」と詰め寄られ、断念した思い出が、あります。 もし、行けたら、夢のようですね!このたびは、誰にも、憚らずに、おたすけが、出来ますね。教祖の、お供が、出来ますね。と、言いながら、夢のような気持ちで、家に帰りました。主人に話すと、「行ったら、いいでしょう。」と、いうことで、段段と準備は、進み、10月に、なりました。 大祭に、おぢばに帰り、又、シンバ先生達に、お会いして、話を聞いて帰った後、急に自信を失い、「行けるかな?もう、この歳で。」と、思うと、段々と体がおかしくなり病院の先生より、「こうしていると、大変な事になりますよ。」と言われ、あれこれと考えました。」教祖120年祭の、この旬です。この度、会長様から、「においがけ、おたすけをしなさい。月末に、おたすけした人数を、知らせて下さい。」と言われ30人を、目標にしていたのですが、ああそうだ!みかぐら歌  九下り2つに   ふじうなきよに してやろう   神のこころにもたれつけ  のお歌を思い出し、私は目が見えないから、もたれつく位では、いけない。おすがりしようと、目標を50人にし、励みました。12月の初めには病院の検査でも、どこも悪くない、との事でした。 1月24日に、おぢばに帰り、27日アフリカに向けて、とうとう出発いたしました。 関空から22時間、ドバイ、ナイロビを経由して、ウガンダに着きました。 アフリカでは、素晴らしい出会いが、ありました。参加者全員、ニックネームをつけて 子供のような気持ちになって、呼び合い、隊の拠点である、ナブトングァ村への、においが けに、山崎栄慈会長である、エイチャンに、手引きされ、おたすけに歩いた中、村の人より バナナの傘を、突如、頭に載せられた時の、おどろきや、村の学校での触れ合い、診療所に 来られた人達への、おさづけなど、又、自然公園に、連れて行ってもらった時の、体験、又 政府から派遣された、女性の副知事さんとの、出会い。この知事さんとは、この後、何度か 随分、お話をさせていただきました。おぢばにも、お誘いし、何時の日か、私の孫達とも 相互交流できたらと、願っています。おやさまは、世界中は  みな兄弟!と、お教え下さい ました。本当に  言葉も、肌の色も異なるけれども、今回、涙が出るほど、兄弟と言う言葉を 実感させていただきました。若い時に聞いた話に、井戸の中にばかりいては、世界はわから ない。一度、井戸から這い上がって、世界を見なさい。そして、今まで、住んでいた井戸を 覗いて見なさい。今回、この事を感じさせていただきました。素晴らしい、皆さんとの 出会いを、頂きました。家に帰って、主人に、神様から、お金では買えれない、大きなお徳を、頂きましたよ!と、伝えました。 これまで、いろいろな節を、いただいた道中、親神様、教祖に手を取り、足を取り、お連れ 通り頂いた事を、思うと、ありがたさに、胸が一杯になります。教祖120年祭まで、後、2年 です。悔いの残らないように、皆さん、120年祭を迎えましょう。一人でも多くの人に においがけ、おたすけ、おさづけのお取次ぎを、させて頂こうと、思っております。 ありがとうございました。

 深川・峡月(峡峰) 渡辺 茂

 立教167年、平成16年1月26日から2月7日まで、すばらしい経験をさせてもらいました。おぢばの春季大祭参拝の後、目の不自由な大矢邦一さんのお供で東本大教会の詰所にいらした川上美也子さんの所へ行き「虹」と書かれた四枚の半紙をもらいに行きました。川上美也子さんから、おたすけ隊の参加者に、親神様のご用をしっかりやらせて頂くように言われ感激しました。
 おたすけ隊を結成し、続けておられる、山崎城之先生とそのご家族には、大変お世話になり、その企画力、実行力、心使いに対して感謝の言葉がいくつあっても足りません。東京にもどってからも、できるだけの協力をさせて頂きたいと思いました。
 今回参加された方々も個性豊かな、すばらしいメンバーで、毎日が楽しく、愉快で、徳のある方々の集まりだと思いました。そのお仲間に私も入れて頂いてとてもありがたく思いました。
 大矢邦一さんは二度目の参加で、今回は。小池千恵子さん、戎居冴美さんも誘って来られました。おたすけ隊では、毎日必ず朝勤め、夕勤めを行い、心を一つにしてウガンダでの生活を送りました。大矢さんが朝のお勤めの番の時、御不自由であった目がだんだん見えるようになり、ルーペを持たれて、親神様の教えを一字一字読まれる尊い姿に大変感動して、目頭が熱くなり、感激の涙が思わずあふれ出しました。「目は、見て楽しみ、耳は聞いて楽しみ…」と読まれるのを聞きながら、まさに親神様は人間を、よふきぐらしが見たいから造られたと感じました。また目が不自由でも年をとっても、人助けがしたいという姿に、自分のように五体満足で健康にも恵まれている者がこのままでは申し訳ないという思いが頭の中を駆け巡りました。
 2月2日(月)、ニェンドの町で夕食のやきとりを食べている時、小池千恵子さんが、「きょうは教会の月次祭で、月の明りが見える。」と言われた。大矢さんも看板のアルファベットの文字が読めると言われた。すると戎居さんも月の明りが分かるといわれ、全員がありがたいことだと自分のことのように喜び、感動しました。自分が目が不自由でも人を助けたいと言う思いでアフリカに来られている。まさに「人助けたら、我が身助かる」目の不自由な方々に、目のご守護があり、私のように健康な者は、更に健康で、若返った気がしました。
 ホテルで同室の佐津川守道さんも大きな体にやさしい心で接して下さり、よく気のつくすばらしい方でした。蚊帳をつるのにベッドの下まで届くようにひもを足して下さり、おかげで一度も蚊にさされずに済みました。
 ウガンダの地で、おさづけも、1歳の赤ん坊から70歳の人までさせて頂きました。マラリヤ、皮膚病、頭痛、腹痛等いろいろな身上の方がいました。ただただ「おさずけの理」を取次がせて頂きたすかってもらいたいという思いで取次がせて頂きました。取次がせて頂く内に、自分自身が助かっていき、心が軽く、柔らかになり、晴れやかな気分になっていきました。
 桐野利子さんの「おさづけ」でマラリヤの5歳くらいの男の子と若いガードマンに、すぐにご守護がありました。
 ウガンダのかわいい子供達、心の素直な人々に接して、これから教祖の教えが広まっていけば、本当に助かっていけると思いました。自然も豊かで、あまねく親神様のご守護があると感じました。
 日本に帰ってからも、「おさづけ」を以前よりどんどん取次がせて頂くようになり、教会にも参拝させて頂いています。「道の教職員の集い」の例会でも、桐野さんとアフリカのおたすけ隊の話しをさせてもらい、会員に、どんどん「おさづけ」をさせてもらうように話しました。教会や支部でもアフリカおたすけ隊の話しをして下さいと言われ喜んでいます。
 「よふぼく」としての自覚も深まった感があります。山崎城之先生はじめお世話になった方々に感謝しています。
 親神様、教祖、御霊様、ありがとうございました。   平成16年4月11日

 堺・勇実(会長)  田口帰一

 昭和59年からアフリカ救援活動として動きだし、最初から行動を共にして 来ました。
天理時報一面の「旬を撮る」でアフリカに井戸を掘り当てた写真入りで大きく 報道されたのは嬉しい思い出です。
 私どもはそうした活動の後方支援活動として、その時の思いは、現地の子供 達の話しを聞いて「我が子が泥水を飲んでいたら」との思いで、夕づとめの後に子供を連れて、 浦和駅前で毎日募金活動を展開していました。
 私自身では、戸別訪問にをいがけでアフリカ募金を1口1,000円のお願いに歩きました。5年で50万円程集まりました。タバコ1本、ジュース1本を節約してお願いしますと声かけさせて頂きました。
 そういう活動をしながら1度もアフリカに行っていない。話し、ビデオでは 良く見たり、聞きました。
 山崎城之先生に声をかけて頂きながらいつも検討していました。参加する当 初は、費用は、身体は、と、心配し第2回おたすけ隊参加の段取りをしながら1ヶ月前に体調が異常事態になり(心臓、腰を平成2年手術)がとてもしんどくなりお断りし怒られました。と言う訳で今回もキャンセルするのではないかと山崎先生たちに信用してもらえませんでした。
 「百聞は一見に如かず」今回初めて参加することができ貴重な体験をさせて いただきました。
 谷底で喘ぐ人々に「命懸真剣」を合い言葉におさづけの取り次ぎをつとめ て、全く感激の実践をさせていただきました。今回第4回おたすけ隊で驚いたことの1つとして、視覚障ガイ者3人の方が全く見えないままに参加したことでした。それは私達に喝を入れていただきました。
 今、健常者が勝手気侭な、自己中心になり、心の使い方が天理に添わない時代の中にあって、我が身我が家を顧みず世界だすけに家族一丸になって実践している山崎先生には、これ又驚きです。
 私達も縦の伝導には真剣です。深きいんねんを思案、今素晴らしい命をお与 えいただけたことを思えば思う程、おやさまの道は世界だすけの道
「さあさあたすけ一条というは天然自然の道、天然自然の道は我が内、我が身 のことをいうのやないで」
と仰せいただく。この言葉を心に刻み「グローバルTHINK」「ローカルACT」先人の道に比べたら、何をしているんだ、と言われる。

 おたすけは、もし我が子だったら、我が兄弟だったら、との心で実践。

 教祖120年祭活動2年目に加速をとの真柱様のお言葉を胸に実践あるのみ!

 那美岐・男能富(後継者)   五十嵐 仁 

 私は、3月14日にウガンダより無事に帰国致しました。今回は、1ヶ月半に亘り、単独で空港の町エンテベに宿をとり、そこから約10キロほど離れたビクトリア湖に沿った小さな漁師町キグング村に、NGO活動の調査を兼ね、天理教の布教に入りました。
 日本人を全く見たことがない人ばかりで、初めの約一週間は私を見るなり泣いて逃げ出す子供、ドアや窓を閉めてしまうご婦人、そして男性には強烈なガンを飛ばされ、大変な思いをしてしまいました。しかし、そのおかげで、現地の言葉や文化を学ぶことの大切さを痛感し、僅かながらも努力することができました。(ウガンダの公用語は英語。しかし、肌の色の違う見知らぬ外国人が英語で話しかけてもこの村では相手にされない)
 約一ヶ月後、NGO DOJYO独自の救援活動として、エイズ孤児の学費援助を目的とた"DOJYOSCHOLARSHIP FUND(DOJYO奨学基金)"を現地スタッフ10名と共に設立することができました。 今年度は16名の小中学生(両親は全員エイズで死亡)に学費援助を行います。
 キグング村では、エイズやマラリアで苦しむ人々が非常に多く、彼らの苦しみを少しでも分かち合わせてもらいたい、そして回復してもらいたい、その上から取り継ぐ「おさづけの理」も、2週目より徐々に増え、768回を数えるに至りました。
 その中、2月末にウガンダ北部(カンパラから約200キロ北)の難民キャンプが反政府ゲリラ(LRA)によって襲撃され、約300人が虐殺されるという悲劇が起こってしまいました。その後、政府軍との戦闘状態が未だに続いています
 首都のカンパラを中心に戦闘地域から逃れてきた難民(主に子連れの女性)が物乞いをする姿が数多く見られます。その場にいながら何もしてやれない自分に苛立ちを感じずにはいられませんでした。しかし、一人でも多くの子供達に教育の機会を与えることによって、将来きっとこの国の平和に役立つという事を信じ、帰国させて頂きました。

 私たちの新しいプロジェクト"DOJYO SCHOLARSHIP FUND"

  今後ともご協力、御指導の程、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

 那美岐・北角田 佐藤奈美子

 初めての海外旅行、おさづけもろくろく・・・というあたしは不安でいっぱいでした。でも、ずーずーしくもあたしは、移動のバスの中で、初めての海外の景色をぼんやり眺めながら‘きっと、あたしはまたここに来るんじゃないかな・・・’なんて妙な確信をもって過ごしました。2週間滞在して、たくさんのおさづけのお取り次ぎはとても無理でしたが、あたしのペースで何人かの人にお取り次ぎさせていただきました。その中で一番うれしかったのが、腹痛を訴えた60歳の女性のおさづけを取り次がせていただいた時のことです。終わってから、苦痛の表情はかわりませんでしたが、違う人のおさづけが終わってから、ふと見るとその女性があきらかにあたしの方を見て、ニッコリ笑って「thank you・・・」と言ってくれているではありませんか!教祖さまのお働きをひしひしと感じられ、そして一番感動したときでした。なんだか、泣いたり、泣いたり、泣いたり・・・(泣いてばっかりかい・・・)の2週間でした。でも、あたしでも、誰かの役にたてるのかな・・・とちょっと元気をもらいました。そして、たくさんの人がいる中で今回一緒に参加したみなさんに出会えたこと、いっぱい力と勇気をいただいたこと、今回の参加に背中を押してくれた教祖さまに深く深く感謝して・・・・。ありがとうございました。 

世界へ飛び出せ