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参加者:中隈禎昌、中隈理栄子、中隈奈津江、岸本昇子、三浦琴江、緒方志奈子、緒方国治、吉良健太郎、重松美智子 |
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神様を頭では理解していても 体感していないというか 実感していないから… 以前から考えていたことなのですが、全教的に教勢の低下、布教力の低下が叫ばれ、今回の『諭達第二号』でも「にをいがけ・おたすけ」の実行を強調されておりますが、多くの教会で、なかなかその実が上がらない現状があるように思います。 私が思うに、その最大の原因は、親譲りの信仰である我々が頭では『神様』を信じているけれど、心では『神様』を信じ切れていないからではないかと思うのです。つまり、頭では理解していても、体感していないというか、実感していないからだと思うのです。自分自身が身上や事情で入信されたほとんどの初代の方々は、その身上事情の御守護の姿に『神様』を体感されたことが、ベースになって信仰の確立ができ、そして御恩報じの道として「おつくし」に「にをいがけ・おたすけ」へと向かって行かれたのだと思うのです。 今の我々も同じように、身上事情の御守護を元に、『神様』を体感することもできるでしょうが、よふぼくである我々にはもう一つの方法として、「おさづけ」の効能の理によって、『神様』を体感できると思います。そういう体験の場として、「布教の家」での1年間や日々のおたすけ活動が必要だと思います。しかし、現実問題としてはその機会を持てないまま、会長や会長夫人という立場になっている者が多く、私共の部内でも例外ではありません。そこで、どうすれば『神様』を体感できるのかとずっと考えていたところ、去年の2月末に奈良教区の友人(小崎浩司氏)からアフリカでのおたすけ活動に参加しないかとの誘いがありました。半年以上かけてその活動について友人から聞いたり、ビデオを見たりして判断したのは、アフリカおたすけ隊は「陽気」の記事の如く、「おさづけ」の効能の理の顕著な姿を見せて頂きやすい機会であり、それは、つまり『神様』を体感できる機会ではないかということでした。そして、その『神様』を体感した厚き心で、『諭達第2号』で「身近な人達に信仰の喜びを伝えることが肝要である。」「周囲に心を配り、機を逃さぬ親身のおたすけを心掛けたい」と、お示し頂くように身近なところから「にをいがけ・おたすけ」につとめさせて頂くことが、親神様、教祖、真柱様にお喜び頂ける道であり、また、高知大教会からお打ち出し頂いている「教祖120年祭への心定め」の達成にもつながってくると判断を致しました。 とにかく、参加者がにをいがけ・おさづけのお取り次ぎの中で、神様を体得し、帰国後、自信を持って身近な方々へにをいがけ・おたすけができるよう勇んで頂きたい。その思い一杯で行かせて頂こうと考えた訳であります。 当初は、山崎先生の計画された日程(1月26日から2月6日)での参加を考えて、大教会長様にも御相談をさせて頂きましたところ、1月26日から2月6日の日程では、参加者の中で、高知大教会の定例巡教にひっかかる者が出るので、日程を変更してつとめる方が良いというご意見を頂きましたので、参加者とも相談の上、2月18日から25日までの日程で「第3回アフリカおたすけ隊・宮ノ陣チーム」として、以下の9名がアフリカのケニアにあるボンド地区にての「おたすけ活動」に出させて頂きました。 1.中隈禎昌 (宮ノ陣:会長)47歳 2.中隈理栄子(宮ノ陣:会長夫人)44歳 3.中隈奈津江(宮ノ陣:宮阪布教所長夫人)51歳 4.緒方国治(久宮:会長)40歳 5.岸本昇子(宮曰佐:会長)60歳 6.三浦琴江(大野城:会長夫人)42歳 7.緒方志奈子(高弓削:会長夫人)44歳 8.重松美智子(福姪:愛宕布教所長夫人)67歳 9.吉良健太郎(若津:後継者)22歳 私の思いとしておつとめを通してお願いをし、そしてにをいがけ・おさづけのお取り次ぎをということで、関西空港で集合した時点から、各空港(関西・ドバイ・ナイロビ・キスム)でお願いづとめ、朝夕のおつとめをさせて頂き、また、ホテルでは十二下りのお願いづとめ、そしてボンド地区(にをいがけ地区)の市場周辺でのよろづよ八首等、 ある隊員曰く「ケニアでおつとめとにをいがけ・おさづけのお取り次ぎだけしていた」と言われるほど、神様にもたれてつとめさせて頂きました。 私自身のにをいがけ・おたすけ活動より、隊員の活動を優先してつとめさせて頂きましたが、参加者一同感激一杯のにをいがけ・おたすけの毎日でした。貴重な体験を通して、随分と変わってくれた隊員もおります。 当初は、現地の青年に引っ張られる感じでのにをいがけ・おたすけでしたが、2日目からは各自が率先して、現地の方々に英語やスワヒリ語でにをいがけをし、そして身上者があれば、早速おさづけのお取り次ぎと、がむしゃらなまでのつとめかたでした。 その姿に私は、初代の方々のにをいがけ・おたすけへの姿勢はこのような状態だったのではないかと想像したほどでした。常々はにをいがけをする前に、相手の出方や反応を勝手に想像をして、「言っても無理だろう、とうてい聞いてなんかくれない」と自分勝手に判断をして、声をかけれずにいることがどれほど多いことか、反省をさせられました。理屈の前に行動であると思います。声をかけないと相手は分からないのですから、断られても声をかけることであると改めて感じ取らせて頂きました。また、私自身原点に返ったというか、とにかくたすかって頂きたいという思い一杯で、にをいがけ・おさづけのお取り次ぎをさせて頂きましたが、お取り次ぎをしながら、涙が止まらないことも数回あり、おさづけの理を拝戴した頃の純粋な思いに返らせて頂くことが出来ました。 そんな中に、実際おさづけの効能の理を鮮やかにお見せ頂き、2回目のおさづけでむち打ち症がすっきり御守護頂いた方もおられ、隊員一同感激をさせて頂きました。また、道中の飛行機の中で隣り合わせになった方々へ私はにをいがけをさせて頂いたのですが、イラン、インド、タンザニア、シンガポールの方々との接点もでき、メールを頂いて繋がりができてきております。 特にイラン人の方は、神戸に大学時代に留学しに来られ、その後23年間日本におられ、現在は神戸に在住され建設会社を経営されておられます。彼のお父さんはイランで医者として活動をされていたのですが、困っておられる方々に、医学だけでなくいろんな面でずっと援助活動をされてきた方とのことですが、前日(17日)に亡くなられたため、急遽葬式のためイランに帰国される方だったのですが、私達の趣旨を聞いて下さり、とても感動してくれ「自分もお父さんの後を受けて、他人様に喜んで頂けるようつとめたい」と、日本に帰国したら協力をして下さる約束までさせて頂くことができました。 数え上げればきりがないほどの、感激の連続の中に、今回の全員によるにをいがけ件数は2000件を超え、おさづけのお取り次ぎ回数は430数回でした。 大教会長様が日本に帰国してからのつとめ方が大事であると仰有るように、隊員にもこの事を口を酸っぱく話をして、まずは月の内2日間を今回の参加者を中心に、にをいがけ・おたすけに回る日と定め、ケニアの活動に負けないような活動を計画し、今月から早速始めさせて頂きました。 お陰様で、このにをいがけ活動の中で、ケニアのようにおさづけのお取り次ぎが次々とできるということにはなりませんでしたが、それでも、新たに4名の方々におさづけのお取り次ぎをさせて頂け、その後も通わせて頂くことができるようになった部内の会長夫人もおります。 これは、家内のことですが、帰国後、信者さん方へのおさづけのお取り次ぎをさせて頂いたところ、その度毎に不思議な御守護を頂戴して下さるという姿も見せて頂きまして、有難い限りです。 このように、アフリカおたすけ隊の活動から、海外布教はもちろんのこと、身近なところへのにをいがけ・おたすけ活動への拡がりをも見せて頂いております。そしてこの活動を部内全体に広げていきたいと考えております まだまだ、届かぬ私達でございますが、教祖120年祭に向かって喜び勇んでつとめさせて頂きたいと思いますので、今後ともよろしくご指導下さいますようお願い申し上げます。 |
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自分で天理教の説明をするようにとやじってきます。 さて、様々な問題をこえ、アフリカに出発することになりました。全員が宮ノ陣の教会をそろって出発できなかったので、まず最初に関西空港でお願いのおつとめ、よろづよ八首をさせて頂きました。帰ってくるまでに五回のおつとめを色々な空港でつとめました。 現地では三日間朝早くから夕方おそくまでおたすけにまわらせて頂きました。毎日十二下りのお願いづとめもさせて頂きました。日本では教会の御用や、家庭の用事で、一日中にをいがけ、おたすけだけの生活はできませんから、とても貴重な体験でした。多くの人におさづけのお取り次ぎをさせて頂いたことも感動でしたが、私は何人かの人に、それぞれの家におたすけに来て欲しいと頼まれ、後々つながって下さる人に出会えたことが心に残っています。 病院でおさづけをさせて頂いた時、付添いの20才の女性がとても感激して下さり、自分の家のとなりにもっとひどい病人がいるのでおたすけに行ってほしいと頼まれ行きました。27才の男性で、結核でやせ細り、今にも息が途絶えそうでした。この方は主人にお願いしてもらい、3日間おたすけに行かせて頂く約束をさせて頂きました。すると、この女性が、自分は結婚して、妊娠したのだが流産してしまいそのあと赤ちゃんができないのでおさづけをしてもらいたいとのことで、この方も3日間の約束をしました。結局、二日めの朝と四日めの(帰る日)の朝、ホテルまで来て下さったので計五回のおさづけを彼女には取り次がせて頂きました。彼女から、何度も、何度も、「この次はいつ来るのか?」と尋ねられ、私は、「ケニアは日本から遠いし、費用もかかるので、わからないけど、又、とても来たい。」としか答えられないのがとても残念でした。 二日目は、大勢の人のいるマーケットでよろづよ八首をさせて頂きました。ボンド地区の四方八方に天理王命の神名を流し、この地区の人々に神様の御守護がありますようにとの思いでした。 私たちのまわりは黒山の人だかりです。海外部から頂いたパンフレットがアレヨ、アレヨのうちになくなってしまい、もっとホテルから持って来ておけばよかったと思いました。皆大切に持って帰って、誰一人捨てている人はいませんでした。その後にをいがけにまわった家には渡すことができなくなり、心残りです。 この日もマーケットに来ていた婦人に家までおたすけに来てほしいとたのまれ、少し遠かったので、なんと自転車タクシーに乗って、野越え山越え行かせて頂きました。この時の運転手のはからいで、タクシー乗り場で次から次におたすけをさせて頂きました。もちろん現地の青年さんが熱心に、にをいがけしてくれたおかげです。 この事が縁で次の日の最終日、この場所でよろづよ八首をつとめさせて頂きました。その後昨日、私を乗せてくれた運転手が自分の知り合いに重病の人がいるからおたすけに来てほしいとたのまれ、この日は旅行会社の車でおたすけに行きました。 50才の男性で1ヶ月程寝たきりになっているとのことです。彼らは、働き過ぎで体をくずしたと言いますが、病院に見せることもできないので原因はわかりません。痩せ衰えておられます。家は三畳程で土間の上に破れたマットレスがおいてあるだけでした。おさづけをさせて頂く中で日本から遠くはなれたケニアの地でおさづけをさせて頂く感激と、こんな遠くまで教祖がお働き下さると思うと、胸が一杯で涙が止まりませんでした。おさづけをさせて頂く間中、「教祖!お働き下さい」という思いで一杯でした。 その後、近くの集落をまわりました。3人の子供を持つ24才の女性がおられました。聞けばこの子たちには父親がいないとのことです。子供たちにおさづけを取り次ぐときは涙が出て止まりませんでした。 最後にアジトマーケットというところでよろづよ八首、おさづけの取り次ぎをさせて頂きました。体の具合の悪い人はおられませんか?と聞く中で、はじめて、私たちにに対する批判にあいました私たちはスワヒリ語ができません。それで現地の青年さんが熱心ににをいがけをしてくれます。私たちはただおさづけをするのみです。このマ−ケットは彼らの育ったところです。同級生や友人がいたらしく、彼らに、いやなことを言っているようです。 私たちにも、英語で、そして、自分で天理教の説明をするようにとやじってきます。とうとう、通訳の二人はいなくなってしまいました。そこに残されたのは私ともう1人だけです。ここで負けたら神様に申し訳ない、何とか親神様の思いを伝えたい! 私たちにはおさづけしかないのだと心を決め、昼休みの時間に習ったスワヒリ語で「病人の人はいませんか?」「どこか悪い人はいませんか?」と大きな声で聞いてみました。すると一人の女性が来てくれました。 私はすかさずここだと思い、一番私たちをなじっていた、ここのボスらしき人に彼女の名前と年令とどこが悪いか書いて下さいと頼みました。すると彼は私たちに協力しはじめました。私はここぞとばかり、たどたどしい英語でしかし威厳をもって「みなさんも一緒に祈ってください。」と大きな声で言いました。 そしてそれにもました大きな声でしかも、神々しく、ゆっくりと「あしきはらい、たすけたまえ〜。」とおさづけのお取り次ぎをさせて頂きました。 心の中では親神様、教祖何とか私に力をおかし下さいとの思いで一杯でした。おさづけがおわるころには身上者が並んでくれていました。そして反対していた彼らもみな、私たちに協力してくれました。 ああ、教祖がおはたらき下さったのだと胸が一杯になり、「教祖ありがとうございます」と何度も何度も、心の中でくり返していました。 私たちは三日間で、1人が50名前後の人におさづけのお取り次ぎをしました。でもまだたくさんの人が待っておられます。よふぼくがたりないのです。そして、病院でも町中でも「又来て下さい。」「今度いつ来ますか?」と聞かれます。「はい、また来ます。」と答えたいのですが、費用のこと、教会のこと、信者さんやまわりの人の反応を思うと、「はいまた来ます。」と答えられなかったのがとても残念でした。しかたなく、「私はとても来たいと思います。でも日本とケニアは遠いです。」としか答えられなかった自分がくやしくてたまりませんでした。私を待ってくれている人のことを思うと…。 私は春季大祭の真柱様のお言葉を聞かせて頂いてからとにかくスタートだと思い、毎日にをいがけ、毎日おたすけを心がけています。けれどもにをいがけに出れない日もあります。一日中何も考えないでにをいがけにまわれたらいいなあと思います。そんな体験をさせてもらえたのがケニアでの三日間でした。にをいがけ、おたすけだけを考えていました。すばらしい体験をありがとうございます。 日本では、ケニアのようにはいきません。いつもパンフレットを読んで下さっている方でも「おさづけさせて下さい。」とお願いしてもことわられます。パンフレットさえ受け取ってもらえないこともあります。「天理教の者ですが。」と言っただけで、うさんくさそうにことわられます。でもその中から、1件、2件とおさづけを受けて下さる方、パンフレットを待って下さる方が増えていきます。ケニアでの彼らの真剣なまなざしを思うと又、元気が出てきます。 通訳の彼らが1件、1件まわってくれたあの熱意を思うと頑張らずにはおれません。教祖がいつも私たちを見守って下さっているのですから。 (ここに記したおたすけ談はごく一部です。もっともっとたくさんの出会いがありました) 後日談 信者さんのおたすけ |
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このアフリカ行きは神様が望まれてるんだ 人間思案は全て捨て神様にもたれよう
何があろうと行かせてもらおう 今回、会長様よりアフリカ行きの誘いを受け参加させてもらい、一生忘れられない貴重な体験をさせてもらう事ができましたので、報告致します。 昨年11月19日、この日大教会に参拝する様に言われていたので行かせてもらい、大教会到着直後の朝づとめ終了後の神殿で、会長様よりアフリカ行きのパンフレットを渡されて誘いを受けました。 この時すぐに私の脳裏に浮かんだのが一昨年大教会創立110周年記念祭の翌日、大教会の月次祭祭典中に起きた我が家の大火事でした。しかし、この大節より布教所の名称をいただき、夫婦そろって道一条を通らせてもらう決心をする事が出来たことです。 「このアフリカ行きは神様が望まれてるんだ。人間思案は全て捨て神様にもたれよう。何があろうと行かせてもらおう」と決心させてもらい参加する事が出来たのです。 2月18日、関西空港で全員が揃い、会長様より出発の今日の日がくしくも教祖が現身をおかくしになった日だと聞かせていただき「この活動を教祖が喜んで下さり応援して下さっているんだ」と思いました。そして関西空港で全員でおつとめ、よろづよ八首をつとめさせていただき、今この場所で誰にも遠慮せずにおつとめが出来ることに対して、感無量で教祖にお礼申し上げ勇んでさせていただきました。 ボンドでのおたすけ活動の3日間は、日々感謝と感動の毎日で、アーッと言う間に過ぎてしまいました。「火、水、風」の神様の御守護や「人類はみな兄弟」との教えが何の抵抗もなくアフリカの大自然の中にいだかれ私の胸の中に自然に染みこむように伝わってきました。 第1日目の活動は、1日中足が棒のようになるまで、畑の中、草むら、道なき細道、赤土で小石がゴロゴロしている坂道を歩き廻りボンドの村々の家を個別訪問し、病人の方におさづけの取り次ぎをさせていただきましたが、殆どの方が布団の中で寝ておられるのではなく、中には畑仕事、水くみ、子供の守り等をされていました。又、どの家庭でも心よく家の中に入れて下さり、おさづけを受けて下さいました。夕方全員で、病院内でのおたすけに行かせてもらいましたが、日本との医療状況の違いを目の当たりにして驚きました。 病院に入るとすぐに消毒液のにおいがたちこめ、病室にはベッドだけが置いてあり、中には1台のベッドに2人の患者さんが臥床されたり、床にもマットだけが置いてあり,その上に臥床されている患者さんもおられました。入院中の患者さんの殆どの人たちが快くおさづけを、受けて下さいました。 2日目は、町中でよろづよ八首をつとめさせてもらい、その後、町中の家々を戸別訪問して、にをいがけ、おさづけのお取り次ぎをさせて頂きました。ほとんどの病人の方は、マラリア、呼吸器疾患、胃腸障害等を訴えられていました。 夕方、小学校にピアニカ寄贈と、折り紙教室の開催の為に訪問をさせて頂きました。私達が来ることを事前に知らされていた為か、遠くまで大勢の子供たちが出迎えに来てくれ、笑顔で手を振って歓迎してくれました。裸足の子供、破れた服を着た子供、でも、みんな生き生きとした表情で、どの顔も笑顔笑顔。大きな目に白い歯を見せながら、みんな元気一杯の笑顔が素晴らしくとても印象的でした。折り紙一枚を歓声を上げながら喜んで受け取ってくれる子供。先生の話では義務教育の小学校でも経済的な理由で行きたくても行けない子供が大勢いるとのことでした。目の前の明るく元気一杯の子供たちの顔を見ていると、日本での校内暴力、いじめ、登校拒否が嘘のように思いました。 3日目は、教祖に感謝感謝の一日でした。2日目同様に、町中でよろづよ八首をつとめた後、パンフレットを配布させて頂き、そのまま路上で次から次におさづけのお取り次ぎをさせてもらうことができました。私自身も「今日が最後だ」との思いもあり、自然に道を歩いている方々にスワヒリ語を訳したメモ用紙を見ながら、「病気の人はいませんか?」と大声を張り上げ叫んでいました。すると行列ができるほど、次々とおさづけを願う人が来て下さり、無我夢中でおさづけを取り次がせて頂きました。みかぐらうたの「やまとばかりやないほどにくに/\までへもたすけゆく」このお歌通り、日本より遠く離れたアフリカの地でも教祖のお働き、御守護を実感することができました。このような状況の中で、おさづけのお取り次ぎをさせて頂けたのも、初めての経験で、この時、心から「アフリカまで来た甲斐があった」と思い、感無量でした。私はおさづけの理を21才の時に拝戴し、今日までの30年間に、両手で数えるくらいしかお取り次ぎをさせてもらっていなかったのです。それが、活動最終日、約2時間の間に、30名近くの身上者におさづけのお取り次ぎをさせてもらうことができたのです。言葉では言い表すことのできない感動と感謝の気持ちで、胸が一杯になったことを今でもはっきりと思い出すことができます。 最後に、今回私達のおたすけ活動の手足となりサポートして下さった阪本先生はじめ、現地の方々に深く感謝します。彼らが通訳してくれたからこそ私達のおたすけ活動ができたのです。彼らは、「早く自分もおさづけのお取り次ぎをできるようになりたい。でも安定した仕事がないので渡航費が貯められない。早くおぢばに帰れるようになりたい」と、全員が口をそろえて言う言葉に、日本に住んで何不自由なくおさづけを拝戴した自分の立場に感謝すると共に「勿体ない、世の中にはおさづけを戴きたくても戴けない人がこんなにいるんだ」と実感し、おさづけの理の重さを改めて痛感しました。 このアフリカでの僅か3日間でしたが、一生忘れることのできない貴重な実体験を、今後日本でもしっかり活かし、夫婦揃って今この時旬によふぼくに委ねれれた使命を果たすことができるように、教祖120年祭に向けて心を一つにしてしっかりと通らせてもらいます。 このアフリカ行きの機会をお与え下さいまして、本当に有難うございました。 心より感謝いたします。 |
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アフリカ/ケニア私に勇気を有難う! 初めは息子をアフリカへやれたら・・・経験させたら・・・と思っていたのだが、ひょんな事で私に・・・ということになった。 それもこれも私が布教おたすけに対して、初めの一歩がなかなか踏み出せなくて悶々としていた時、上級の会長さんより第二回アフリカおたすけ隊のビデオを見せて頂いたと共に、会長さんよりアフリカ行きを勧められて気持ちは即イエスの思いがしたが、金銭面のことが頭をよぎった。 でも自分としては借金してでも行きたいという気持ちの方が先行した。自分自身の殻を破りたい何とか前に進みたいという思いが強かった。信者さん方や子供たちからカンパを頂き、現実のものとなった。心はアフリカへ・・・。 勇んで出発、関西空港でのおつとめ、よろづよ八首も、勇んだ気持ちが恥ずかしさをはね除けた。 23時20分、いざケニアに出発。約11時間30分でアラブ首長国連邦のドバイ着(現地時間5時45分)。出発までの時間、日の出と重なり東の方を向いて朝づとめ、よろづよ八首をつとめる。ここではさすがに人も多く注目を集めるが、知らない人ばかりで全く気にすることなくむしろ快感を覚えながらおつとめができた。 8時10分、ドバイ発でナイロビへ・・・。ナイロビでは、高安の信者のオキディさんが、空港内まで出迎えて下さり、ややこしい入国手続きをテキパキと教えて下さりスムーズにできた。なかなかこんな中まで入れないそうだが、ここまで入れる彼は相当な人物と感心させられた。 ドバイからナイロビまでは約5時間。ナイロビからキスムまで、ぐっと小型の飛行機で揺れに揺れて約1時間。キスムに着いたのが現地時間の15時。日本との時差―6時間。ナイロビに着いたとき、真夏の太陽を感じて日本の反対だと感じた。 着いたキスムには、ボンドでおたすけ活動をされている阪本先生が迎えに来られていた。 車2台はオキディさんの経営するツアー会社の運転手付きのワゴン車だった。しかし、ハプニングで我々の荷物が人間と一緒に着かずおまけに、2便も後の飛行機でしか着かないとのことで、その間にボンドの街へ、飲料水の調達と、両替に行った。 ドルをケニアのシリングに交換した。 時間が余ったので運転手さんがビクトリア湖に連れて行ってくれた。広さは九州と同じ大きさとのこと・・・。 その後、空港へ戻ったがまだ荷物が着いていないので、駐車場で夕づとめ、よろづよ八首をさせて頂いた。 雄大なアフリカの大地に沈む夕日を見ながらのおつとめは一寸した感激ものだった。 やっと荷物を受け取り目的地のボンドに向かったのはあたりが薄暗くなりかけ、ホテルに到着した時は8時を過ぎていて、真っ暗だった。 途中、明かりもない真っ暗な中を現地の人たちはいとも簡単に夜道を歩いているのにびっくりした。 ホテルは3階建てで、見た目はきれいなホテルだが、中に入ってみてびっくり、部屋は裸電球が1個、私達の部屋はトイレに電球が無くトイレに行く時は日本から持参したキャップライトを頭に着け用をたさなければならなっかた。シャワーの時は、トイレタンクの上に、ライトを置きシャワーが出なかったので蛇口からたらいに貯めて汗を拭いた。私も子供の頃経験したことのあった蚊帳の中で何十年ぶりかで寝た。もちろん持参の蚊取り線香を炊いて・・・。いつの間にか眠っていた。 朝6時起床。7時からホテルの横の庭で朝づとめと、前半のてをどり、おふでさき、諭達の拝読、まぶしい日の出を見ながらのおつとめを感動しながらつとめさせて頂いた。 朝食はパン、コーヒー、卵料理、ソーセージ、フルーツ、ジュース等、自分の好きなものを食べることができる。 さあ、いよいよ今日からアフリカでのおたすけ。心勇んで、でも不安も入り交じった気持ちで、2台の車に分乗して現地に出発。30分から40分走り、目的地に着き大野城の会長さんの作って下さった名札をそれぞれもらって胸に下げ、三班に分かれて村の家々をおたすけへ・・・。 私達の班(私、重松さん、健太郎君)に着いてくれたのは現地のエリックと、ピーターという2人。この青年達の後に付いていくが、一軒一軒、病人さんはいないかとスワヒリ語で尋ねてまわり、いれば私達がおさづけをさせて頂いた。 私がアフリカで最初のおさづけはマラリアという35才の女性、のど、胸の痛みとのことだった。 3人で順番にお取り次ぎさせて頂いたが、多かったのはのど、胸、肺の痛みを訴える人、アフリカの生活事情にもよるが乾いた土地柄と地面にござを敷いただけの上に寝る生活によって、埃を常にすっているから・・・との阪本先生の話。 53才のヘルペスの男性におさづけをさせて頂いた。御供さんの空の袋を水で浸して患部に貼らせていただいた。すると「明日も来てくれるか?」と聞かれた。相談の上あさってこさせてもらうと約束した。 集合時間の1時半までの3時間ちょっとで、3人で23人の方にお取り次ぎをさせて頂いた。 集落の所もあるが、ポツリポツリと家があるところを歩いて歩いて上り下りを繰り返してのおさづけ、おまけに真夏の太陽が容赦なく照りつける中での歩きは相当きつかった。 現地青年は私達に合わせてくれて相当ゆっくり歩いてくれた模様。ペットボトルの水を歩きながら水分補給をしての行程は、第1日目にしてはきつかったが、木陰は涼しく心地よくたくさんの方におさづけできて嬉しかった。 3班とも違う方角から集合場所へ・・・私達には同じような道(けもの道みたいなもの)を彼らの後から黙々とついていった。2時前丘の上の集合場所へ・・・ここは現地で布教されている阪本先生のホームステイ先(オキディさんの家)で、家に小さな神棚があった。6月頃にはすぐ近くに出張所を建築予定とのこと素晴らしいことだなと一人感心した。 昼食はボンドの街の食堂へ。主食はウガリ、チャパティ、魚、鶏、肉、のトマトソース煮込み、飲物は、コーラかファンタ、現地特有のビターレモンなど。 午後4時頃から病院へ。ここでもカルチャーショック。最初小児病棟へ、西日のガンガン入る暑い16畳くらいの部屋は日よけもない、ベッドが7つくらい置いてあり、多いところは1つのベッドに3人もいる。2ヶ月くらいの女の子に4ヶ月くらいの男の子など様々な病気の人に取り次がせて頂いた。母親は、私達にすがるような目を向けていた。 次に産婦人科病棟、産後の肥立ちが悪いのかグッタリしている18才の女性、上半身裸のまま横たわっているので若い健太郎君に代わってお取り次ぎさせて頂いた。 続いて普通の病棟へ、びっくりしたのは普通の病気の人と同じ部屋に結核の患者が並んで入っている。日本の病院とのギャップを思い心を痛めながら取り次がせて頂いた。 夕方ホテルに帰りおつとめと後半のおてふりをつとめさせて頂いた後食事。夕食はバイキング形式なので好きなものを食べる。サラダ、ウガリ、チャパティ、肉、魚、スープ、フルーツなど。 シャワーがないので希少な水は、たらい2杯でシャンプー、身体洗い、最後の水は取って置いてトイレに流すことにする。私も日本で断水の経験があるので、水のありがたさ、貴重さはよく分かる。 とにもかくにもアフリカの1日は終わりグッスリ眠りについた。 2日目。今朝は6時から12下りをさせて頂いた。その後、朝づとめをさせていただいた。今朝は途中で真ん前から朝日が昇る。おふでさき、諭達を拝読後、朝食をすませ、 第2日目の活動へ。今日は近くの市場の広場へ行きよろづよ八首のてをどりをした。物珍しさにギャラリーに囲まれてのおてふり、現地青年のてをどりのできる2人も入ってつとめさせて頂いた。 終わってパンフレットを手渡そうと出したら次から次と手が伸びてきてあっという間にパンフレットはなくなってしまった。 色々と質問されるが片言の英語、それも単語を並べただけの会話にもどかしさを覚え、もう少し話せたらと思った。 それから3班に分かれてそれぞれの方向へおたすけへ。山羊の市場の横を通り抜け現地青年の案内でまた一軒一軒訪問。 昨日まわったところと違って家は続いてあり女性と子どもが多かった。ケニアは一夫多妻もあると聞いていたが、長屋みたいな家に女性がそれぞれ子ども連れでいたので、ここがそうかなと思えるところが何カ所かあった。子供へのお取り次ぎが多かったがマラリアの子が目立った。 私達がお取り次ぎさせて頂いているところへ男性が来て是非来てくれとのこと、近くだからとのことで付いて行ったがこれがまた結構距離があり4〜500m先へ、その家でご主人、子供2人、奥さんの4人へおさづけをさせて頂いた。家を出ると外に干してあったサトウキビを私達に下さった。ひょっとしてお与え?・・・大切な食料であるのに・・・アフリカで初めてお与えを頂いた。3人でかじりながら食べた。甘かったがすごく固かった。食べきれず途中で子供たちにあげた。そのことを後で阪本先生に話すと、ものをくれることなんてないですよと言われて私たちは感激した。 案内してくれたエリック青年が熱心で集合時間が近いというのに、「ラストワンおたすけ」「ラストワンおたすけ」・・・と2〜3回続き、最後の人は二手にわかれてさせていただき、心残りながら集合場所へ歩いて帰ったが、やはり私たちが最後だった。2時まで32件のお取り次ぎをさせて頂いた。 午後4時、ピアニカの贈呈式へ。200人くらいの小学生が集まっていた。子供たちが代表してピアニカの演奏や歌を披露してくれた。私たちも即興で宮ノ陣の奥さんのピアニカで「大きな古時計」を合唱した。 それから折り紙を一緒におりながら教えるはずだったが皆初めてのことで折ることができず子供たちに取り囲まれて折ってやらなければならない羽目になり身動きできず。人いきれの中必死に折ったが次から次へと差し出されパニック状態。 20分の予定が大幅に遅れ1時間近く取り囲まれていたがようやく人垣から解放されホッとした。 ケニアの子供たちは自分でするという意識が弱く、してもらうことを選ぶそうで一人折ってやったら自分も自分もと差し出した。そうなるとどんなに教えても自分でしなさいと言ってもやらず、私の目の前に折り紙を出して折ってくれと言うのが後を絶たず折ってやらなくてはならない状態。でも中には途中までおれる子がいて、私の説明を熱心に聞いて一生懸命折っている子がいた。何かに飢えているのを垣間見た気がした。 夕暮れ近くなり小学校を後にホテルへ帰ったが一日があっと言う間に終わった。 ホテルへ帰り、お礼のおつとめをしているとホテルの外に住んでいる子供たちが垣根の外でおつとめを見ているようで 「あしきをはろうてたすけたまえ天理王命」 と合唱しているのが聞こえた。毎回おたすけ隊が来るたび泊まり、おつとめを見聞きしているのでいつの間にか覚えているのだろうとのことだったがまたまた感心した。こどもっておぼえるのがはやいなあ・・・と。 3日目、おたすけ最終日。今朝も12下りのてをどりと朝づとめで1日が始まる。ボンドの広場の先の四つ角でよろづよ八首をつとめそれからパンフレット配り、この国の人はパンフレットが珍しいとのことで我も我もと貰いに来る。 遠くを歩いている人もわざわざ近寄ってきて手を出す。そして、「何か?」とたずねられるが「TENRIKYO」と言うより言葉ができない。この日は覚えたてのスワヒリ語で「イコナ ムツ ムゴンジュワ?」(病人さんはいませんか?)「マハリガニ バーヤ?」(どこが病気なのですか?)そして、「ナタカ クオンバ ナ ウエウエ」(あなたのために祈りたい)。結構通じたようで嬉しかった。 エリック青年の案内で、またまた家々を訪問して、お取り次ぎをさせて頂いた。 この日もたくさんの人にお取り次ぎができた。 1時半頃まで回り集合場所へ・・・。昼食後はまた、それぞれの方向へおたすけへ・・・。 私たちは、一昨日行った地域に、行く約束をしていたのでその方向に向かう。 途中阪本先生が通われているおたすけ先に連れて行ってもらって、お取り次ぎをさせて頂いた。一人は70才の女性で、以前は椅子に座っていたそうだが、この日は奥の部屋に寝たきり状態になっておられた。真っ暗な中に横たわっておられ気力も失せた感じでしたので、無我夢中でお取り次ぎをさせて頂いた。前回より大分悪くなっておられるとのことだった。 次に行かせて頂いた方も、阪本先生が通われている方だが、足の傷の状態を見たとたんショックを受けた。あんな傷の状態は日本では考えられない。お取り次ぎをさせて頂いたが左膝から下がパックリ、肉が見えている。42才の女性だが、9年前ちょっとした傷がばい菌の影響だろうか、化膿して、医者は切断するしかないと言っているが、手術する費用が無く、そのままの状態で痛みと戦いながら生活されているとのこと。涙が出て仕方がなかった。 一昨日取り次いだ左足首の傷の男性もひどい状態だったが、この女性を見たらこの世のものとは思えないくらいの傷の状態で、改めて日本の有り難さが身にしみた。 その後、一昨日に約束をしていたヘルペスの男性の家に行った。一昨日は痛みがあると言っていたが、この日は無いとのこと。神様の御守護を感じ、嬉しかった。 夕方4時、また違う市場でよろづよ八首をさせて頂き、パンフレット配り。それから私たちのチームは軒並み病人さんを捜し、おさづけのお取り次ぎをさせて頂いた。 三日間合計で私たちのチームは127人の方におさづけのお取り次ぎをさせて頂いた。他のチームより人数的には少なかったが、足でかせいだ127人のお取り次ぎに感謝感謝。 あっという間の3日間の活動、ショックを受けたり、感動したり、身につまされたり・・・、改めてアフリカの医療の遅れを痛感すると共に、だからこそ余計に神様の御守護を必要と感じた。 この日午後から回った時に、阪本先生のところの出張所建設の場所を見せて頂きましたが、そこは、診療所が建築中に頓挫していた場所で今回出張所建設に当たり同時に診療所も完成させてくれとのことで、完成後は国から医師も派遣されるとのことに、信仰と医学の両面でおたすけができていくことを思い、完成を祈らずにはおられなかった。 夕づとめ後の、夕食には私たちをサポートしてくれた現地の青年たちと会食をし、記念写真なども撮り、なごやかにボンドの3日間は終わった。 不安と期待の入り交じった気持ちで来たケニアは、私に偉大なものをくれた。もう一度行ってみたいと思う。それだけケニアは私にとって大きな勇気をくれた。日本に帰って、その勇気が同じように発揮できるかどうか、不安もあるが、確かに気持ちを変えてくれたのは間違いがない。「心の散歩道」を手ににをいがけ、おたすけに回らせて頂こう。一人でも多くの方に声をかけよう。アフリカ、ケニア私に勇気を有難う。そして教祖120年祭に向かってしっかりがんばろう・・・ |
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どんな生活の中からでも喜ぶ心を学びました 上級(宮ノ陣)の会長様、奥様より、おもいもかけないアフリカ行きのお話を頂き、とても驚きました。「陽気」で?Tアフリカおたすけ隊?Uの話を読んでいてとても興味はあったのですが、まさか自分が行くことになるなんて思ってもいませんでした。でも行くまでが大変で、当初の予定では1月26日〜2月6日だったので、大教会の御巡教があったり、娘の受験と重なったり、又、母が骨折したりなど、どうやってその問題を解決したらいいのかをいろいろ悩みましたが?T定めたら定まる?Uとお聞かせ頂きますが、会長(主人)の?Tなんとかなるから行って来い?Uのひとことで心が決まりました。そうするといろんな事が良い方向へ進んでいって、日程が2月18日〜25日になり、御巡教も受験もすませて行くことができ、又、母のギブスもとれて安心して行かせて頂くことができました。 初めての海外で何もわからない、言葉もわからないのわからないづくしで何か出来るのかと、とても心配でしたが、?T国が違っても、肌の色が違っても言葉がわからなくても、おさづけは取り次げる?Uそれだけをたよりに、一軒でも多く、一人でも多くの人におさづけを取り次がせて頂きたいという思いで出発しました。 空港や飛行機の中でも、宮ノ陣の会長様や奥様はどんどんにをいがけをされるので、なんとか私もさせて頂きたいと思っていたら、飛行機の中で隣になった人が?Tジャパニーズ??Uと声をかけてくれたので、それをきっかけに話すことができました。 なかなか言ってることが通じずはがゆい思いをしましたが、宮ノ陣の会長様のたすけ舟でなんとか話が通じました。初めての外人さんへのにをいがけ、これからが始まりだと思うとワクワクしました。 活動できたのはたった3日間の短い間でしたが、一日が?Tあっ?Uという間に終わってしまうような感じでとても充実した毎日でした。 1日目、2日目は個別訪問をしておさづけをさせて頂きました。病院へも行かせて頂いておさづけを取り次ぎました。日本とは違う環境に驚くばかりでした。 3日目はスワヒリ語を使い道で声をかけながら、おさづけをさせて頂きました。2時間位の間に40〜50人させて頂いたのではないかと思います。次から次へと…。感動感動で胸がいっぱいになりました。そして多くの人におさづけを取り次げた喜びとともに、親神様教祖への感謝の気持ちで一杯でした。 何もかもが初めての経験でしたが、今回、勇み心でたくさんの人におさづけを取り次ぎました。 どんな生活の中からでも喜ぶ心を学びました。日頃の生活に感謝の心で一杯になりました。 上級の会長様、奥様から親心を学びました。三年千日のこの旬に本当に有意義な体験をさせて頂きました。 このことを台として親神様教祖に喜んで頂けるような道を通って行きたいと思っています。 |
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今まで近所の方に 現地では、家を探すのに道がちゃんとある所は良いけれど、本当にこれが道なのという所も歩いて、家を訪ね歩きました。 途中で畑仕事をしている人に声をかけては、おさづけを取り次がせてもらったり、家に行けば必ずと言っていい程、具合の悪い人、寝ている人、子供はマラリアにかかっている、でもお金がないので病院にも行けないなんて、日本ではとても考える事の出来ない状況だと思います。 そんな中でおさづけを取り次がせてもらうと、自然と涙が出て真剣にお願いをして、たすかってもらいたい、少しでも元気になってほしい、ただそれだけでした。それを受けてくれる方も、素直に受け取っていると感じさせてもらえる事が、本当に有難いと思いました。 私は何か一つでも、人に「おたすけ隊」での体験話しが出来ればと思っておりました。それは、一日目に廻った村で、偶然お友達の家に来られていた方で、その家におたすけに行き、おさづけを取り次がせて頂くと、明日夕方6時頃自分の家に言葉のわかる人を連れて、また来てほしいと言われたので、坂本先生と宮ノ陣の会長さん、同じグループの私たち3人と案内をしてくれた現地の子、7人でその方の家に行き、色んな話をして、宮ノ陣の会長さんにおさづけを取り次いで頂きました。 次の日もその方は、朝、ホテルまで見えられ、会長さんにおさづけを取り次いでもらいましたが、体がとても楽になったと、すごく喜んで下さいました。最初に会った表情と全然違い、別人のように見えました。縁あっておさづけを取り次がせて頂いた方が、御守護頂いて良かった。このことは一生忘れられない事と思います。またこの思いを忘れないようにしたいと思います。 帰ってからも、ケニアの話を聞きたいと言って教会に8人位の方が見えたので、ケニアの話をしたり、ちょうど宮ノ陣の教会から、ビデオテープが届いたので、ビデオを見てもらったりして、皆さん涙を流して感激したと、言って頂き本当に良かったと思いました。 今まで近所の方に、おたすけの話などしたことなかったのに、帰って来た早々に聞いてもらえて、会長をはじめとして家中で喜んで頂いて、心配しながらも「おたすけ隊」に参加させて頂いて、本当に良かったと思います。 ありがとうございました。 |
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三日間のおたすけで 私は教会長という立場であり、おさづけの取り次ぎはさせて頂いておりましたが、初めて現地の方におさづけを取り次がせて頂いたときは、なんともいえない感動に包まれました。 現地でのおたすけで驚いたことはケニアは貧富の差が激しく、私たちがおたすけに廻ったボンド地区は貧しい人が多く、まわる家まわる家、どこか身体の具合の悪い人がおり、具合が悪くても病院に行くことができず、それこそおたすけを必要としている人達で溢れているということでした。おたすけをさせて頂いているそんな中、ふと思った事は、今、自分が目にしている光景は、昔の日本も同じような状況だったのではないかということでした。教祖に、たすけ導かれた先輩先生方が、身上に苦しむ人々の家々を昼夜を問わず、おたすけに奔走されたその時の心情を、微々ではありますが感じさせて頂くことができたように思います。 三日間のおたすけで五十人ほどの人におさづけを取り次がせて頂きました。 日本でおさづけを取り次がせて頂いていた時は、なかなか御守護を頂くことができず、又、必要とされず、言葉は悪いですが、おさづけの理の重さを感じる事はなかったように思います。 今回のおたすけ隊で得た一番の収穫は、教祖がどのような思いからおさづけの理を渡され、今も渡し続けられているのか、そして、私たちはおさづけを取り次ぐことで、今も教祖が存命でお働きになっていることを,体感させて頂くことが出来るのだということでした。 日本に帰って、見た目には大きな変化はないように周りの人は思うかもしれませんが、よふぼくとしての誇りとおさづけの理の重さを胸に、日々おさづけの取り次ぎをさせて頂いております。貴重な体験をさせて頂く機会をお与え頂きありがとうございました。今は現地の方が早くたすかって頂き、現地の方がよふぼくとなり、おたすけに廻る日が一日も早く来ること願っております。 |
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参加して 私は、このアフリカおたすけ隊の話を頂いた時、正直どうやってお断りをしようかと思っていました。卒業論文の真っ最中であり、いきなりそのような話を頂いたところで急には決められずにいました。そして何より海外に行くのは初めてであり、しかもよりによって、アフリカなんて行きたくないと思い、お断りをしようと思いました。 しかし周りの先生方や友人達、そして家族の勧めもあり、良い経験にもなるかなと思い少々軽い気持ちでこの話を受けることになりました。 出発するまでは「やっぱり止めておけば良かった」等と思うことも多々ありましたが、段々と出発が近くなっていくにつれて、気分が落ち着き、少しだけ良い方向に考えられるようになりました。 そして、出発日を迎え、空港に向かいロビーで、参加しているみんなに荷物の注意を受け、へこんだまま飛行機に乗り、そしてアフリカに着きました。 着いてホテルまでの道中、車窓から見る景色や民家の様子など、私はとんでもないところに来てしまったんだなあと思いました。しかし、ホテルは思った以上にきれいで、シャワーもあり、結構良いなあと思いました。でも、やはり日本と比べるとずっと汚いし、日本がすごく豊かな国であることを再認識し、そして、私たちがどれだけ不足が多いのかを知りました。そして、それ以上に驚いたのが、おさづけを必要とする人達の数です。どの人を見ても何かしらケガや病気を持っている人達ばかりでした。そしてその人達におさづけを取り次ぐわけですが、私はおさづけの理を拝戴してから指で数えられるほどしか取り次いだことがなかったので、すごく緊張し、私が取り次いでも効かないのではないだろうかと思っていました。 しかしそう思っている間にも次々とおさづけを必要とする人達がいて、私の思いも、自分がおさづけのお取り次ぎをさせてもらって少しでも良くなるのだったら、一人でも多く取り次がせてもらおうという気持ちになりました。 たくさんの病人やけが人がいて、そしておさづけを取り次ぐ。日本にいてはなかなか経験のできることではないものでした。病人やけが人が一人でも多くたすかって欲しい、その一心で参加した方々もおさづけを取り次がれたことと思います。 おさづけを必要とする人が少なければ少ないほど良いことなのですが、現実は厳しく、アフリカの人達が良くなることを帰国してからも、日々お願いさせて頂いています。 そしてもしアフリカにまた行くことができるなら、参加して一人でも多くの人達におさづけを取り次ぎたいと思います。 最後に、このアフリカおたすけ隊に参加してなかなか経験できないことを経験させてもらい、とても感謝しています。 参加された方々や、宮ノ陣の会長さん、奥さんに本当にお世話になりました。この経験を今後の人生に活かし、頑張っていきたいと思います。 |
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全身でにをいがけ・おたすけに邁進しよう その一つ、ケニアに20時間以上かけて飛行機の旅をしました。 昨年教祖120年祭に向かって三年千日のお打ち出しを頂きました。諭達第二号により、よふぼくの心の定め方の指針を懇切にお教え頂き、頭では、においがけおたすけの旬を与えて頂いたのだと理解出来ました。ところがなかなか行動が伴わない。一週間のうち、1日か2日パンフレットを配り、見かけた人に手渡す所からもう一歩が出ない。その自分が歯がゆくて仕方がない。何か自分自身の起爆剤がほしくてたまらない時に、ケニア行きのお話を聞き、是非参加させて頂きたく同行をお願いした次第です。 パスポートは手許にありましたので、予防接種(黄熱病、破傷風)等をしたり、荷物の準備をして行くうちに、次第に親神様、教祖にお喜び頂ける、においがけ・おたすけとは、どうしたら通れるのだろうか、今から行こうとしている事が、本当に今やらなければならないことなのか…とさまざまに考えました。 しかし現在の自分はぬるま湯につかった状態で動けない、動かないから、まわりの景色は変わらない。動くことによって、違ったものが見え、違ったものを見ることによって、考えや気持ちに変化をもたらし、動きを触発してくれるのでは…と思いアフリカ行きに反対された方が居られたやに伺いましたが、今はただ一すじにおたすけだけを考えて、出発しました。 初めての長旅でしたが、皆元気に朝づとめ、夕づとめを勤めさせて頂き、食物もまずまずおいしく頂くことが出来ました。 翌朝から、ボンドに常駐されている阪本先生と、現地の若い信者さんの案内で(3班に分れて、各々現地の信者が同行)一軒一軒尋ねて回りました。 土壁に草葺きの屋根(トタン屋根の家は少し良い方らしい)入口には長い布ののれん(?)をさげ、床は壁と同じ土で踏み固めて、中は二つに仕切られて、奥は寝室と隅にかまどらしきものがある様子、表の間は椅子とテーブル(テーブルのない所もあった)が置かれている。 案内の若い人がスワヒリ語で用件を話し、OKが取れると中に招じ入れてもらえます。名前・年令・どこが悪いかを聞いて、阪本先生に話し、阪本先生が日本語で私達に教えてくれます。ノド・せき・頭痛・腰痛・胸からお腹など循環器系の患いが多い様でした。 水が悪く、埃にまみれた生活で、食べ物もトウモロコシが殆どで、肉や魚は滅多に食べれない状況らしく、明らかに栄養失調と思われる子供を随所に見かけました。 またマラリヤで体調が悪くても、大人は働いているし、子供達には飲ませる薬もない状態で病院に行くには金がないし遠いのでとても無理とのこと。その故か、一軒の家でおたすけをさせて頂いていると、必ず2〜3人集って下さる。 『教祖、どうか私にもお力を添えて下さい、お願いします』 と、だんだん声が大きくなってしまいます。 2日目の午後、学校を訪問しましたが、学校に通える子供はまだマシな方で、授業料(4ヶ月300円=日本円)が払えなくて休ませ、支払える様になると通学させるので、大きな小学生もいる由(小学校8年・中学3年)。 折り紙を始めたのですが、自分で折ろうと努力する子供が少ないのには閉口しました。前回贈られたピアニカは上手に演奏していたのに−。近所の人のおたすけも計画していた様ですが、時間がなくなり、取り止めてホテルに帰り着いたのは7時、すぐ夕づとめでした。 広場や四辻、市のたつ場所でのよろづよ八首は、別に違和感はありませんし、おたすけに回りながら、石ころの道を4キロ・5キロ歩くことも、赤道直下で乾季という条件も何とかクリア出来ました。唯一つ、車(乗合バスや、たまに自家用車)が通った後のもうもうたる埃には参りました。急いで首にまいたタオルで、口と鼻をふさぎましたが、現地の人にはどう見えたでしょうか。 次の日から、同行の現地の人にもポカリスエットの入ったペットボトルを渡して一緒に歩きました。 一軒また一軒、子供達にも病人のいる家を、教えてもらいながら、棟つづきの家や、2〜300m離れた(直ぐ、そこの)家へ急ぎます。“ラスト・ワンおたすけ”集合時間がせまって来て、大丈夫かなと思いながら、おたすけだから皆許して下さるだろうと一生懸命お取り次ぎをさせて頂きました。砂糖キビのお与えを頂きながら・・・。 とはいえ、案内の現地の人が“どうしようか”と迷っている人にねばり強く話を取り次いでくださる姿が何と頼もしく思えたことでしょう。 翻って、自分は未信者の方にこんなに熱心にお話が出来ただろうか、否である、恥ずかしい。社会環境が異なるとはいえ、神様のお働きに国境はあり得ない、とするならば“親心にお応えする道は、人をたすける心の涵養と実践を措いて無い”この言葉に言い盡されていると思います。 この旬を生き節にすべく、全身でにをいがけ・おたすけに邁進しようという気持ちを持たして下さった、今回のアフリカ行きをお忙しい中、計画し実践して下さった、宮ノ陣分教会の会長様はじめ携わってくださった方々にお礼申し上げたいと思います。 |
| 世界へ飛び出せ |