〜世界勇ませ・世界へ飛び出せ〜 おたすけ隊ネット

      

第2回アフリカおたすけ隊B班

廣田好美

石原藤彦

山崎栄慈

山崎敬充

高野美江

中西こと

高安・南品 会長子弟 廣 田 好 美

おさずけを取次がせて戴く喜び 
1、ケニアからウガンダへ
 私は、義兄(石原隊員)の勧めで第一回に引き続き、第二回も参加させて戴きました。第一回おたすけ隊で初めて何十人もの人々におさずけを取り次がせて戴いて、たいへん感動して、おさずけを取り次がせて戴く喜びを感じました。今回もありがたいおさずけによってアフリカの人々を助けたいという気持ちでのぞみました。 


 一ヶ月近く滞在したのでいろいろな事があり、自分自身の未熟さをつくずく感じたのとともに、アフリカの人々の素晴らしい心根に感動し、心が救われました。ケニアのボンドの町に五日間滞在しました。その時にホテルから歩いて道を行く人に「ウコナ ムツムゴンジュワ」どこか具合の悪い人いませんか?と声をかけて回りました。道端で一人おさずけをさせて戴くとあっという間に人だかりが出来て次から次へとおさずけをしてほしい人が集まって来ました。行く所々で素晴らしい歓迎を受け、喜んで下さる姿をみて感激し、心がどんどん勇んでいきました。
 そしてボンドからウガンダのカンパラの町に移動中に大事故に巻き込まれそうになりました。大型バスが中央分離帯を越えて車体をぐらんぐらん揺さぶりこちらに向かって来ました、ドライバーさんは急ブレーキをかけバスをすれすれでよけて、車はそのまま止まっていたタクシーにぶつかり土手から半分落ちかけて止まりました。バスも坂の途中で無事に止まり、私たちも無傷で車も故障はなくそのままマサカに向かいました。このときは、本当に死ぬかと思いました、生きていた!助かった!とわかったとき、親神様の存在を強く感じさせていただきました。
 そしてカンパラからマサカの事務所に移り二週間ほど滞在しました。そこでは、土間にゴザを敷き、寝袋で寝る、水は井戸にくみに行き、夜はランプで過ごすサバイバル生活でした。仲間たちと協力して過ごす日々はとても楽しいものでした。
 近所の子供たちとお勤めをしたり、遊んだり、病気の子にはおさずけを取り次ぎ、現地の人々とのふれ合いが本当にたのしい思い出をたくさんつくってくれました。貧しくて学校に行けない子供達も、そこぬけに明るく、毎日勇みきって家のお手伝いをして笑顔で生活しています。そんな姿を見て、ごく当たり前に、日本で、のほほんと生活させていただいている事がとてももったいなくありがたいことだと感じました。
 なんの不自由もなく物がありふれているありがたさを本当にわかっていなかったと申し訳ない気持ちになりました。今回もおたすけ隊の参加を導いてくれた義兄と姉に本当に感謝しています。こんな素晴らしい体験をさせていただきありがとうございました。
 今回参加させていただくにあたり、たくさんの人たちの協力を得て行ってくることができました。山崎先生ご夫妻はじめ義兄姉、家族やメンバーのみなさん本当にありがとうございました。これからも、この素晴らしい体験をいかし、教祖につかっていただきやすい用木に成人させていただけるように努力して行きたいと思います。

おさづけの取り次ぎ
カタナウバウ50肺、アンドロ−ティ6マラリア、ジェン35マラリア、ジョノジャンボ20マラリア、ムリスオマヤ50耳、レビルアセキ13マラリア、ジャフリオティアノ9肺、ダニエルオティアノ25マラリア、グレス23マラリア、ウィルソン30体がだるい、バイオレット16頭が痛い、アティキン15目が痛い、アフィルノオクーム15目が痛い、ビビアン14喉が痛い、カルナナアチェン15おなかが痛い、グレサコ−ツ13頭が痛い、ロナティエヌ14目、リスパンアチェン12マラリア、ジャックアモディ22肺、ヘレニュンゴル40肺、デビルモ−ン40肺、ロ−ズナバウェズ45足、フォ−レンス16マラリア、チブ−レ一8けが、ジョ−ニ18けが、サリジョゼフ18左手けが、ナカナオジ9頭が痛い、ナマリ70胃 耳、ナントゴ27下痢 書き留めていたのは以上です。

 2、ピアニカの指導
 私は、ウガンダのチャトー村の中学校で一日ピアニカ指導をさせていただきました。私は、小学生の時から天理教の教会で鼓笛隊をしており、高校生になるとスタッフとして隊員にピアニカや鍵盤楽器を教えていました。その様な経験もあったので楽しんでやってみようとがんばりました。初めて言葉の違う方々に教えるということで受け入れてくれるか不安もありましたが、英語のできる仲間も一緒でしたので楽しくやることが出来ました。
 思ったよりも上手にひけている子たちが多いので驚きました。始めは楽譜を声に出して歌いました。最初はばらばらだった声が次第にみんな大きな声で揃って唄ってくれる姿をみて、受け入れてもらえたんだととても嬉しい気持ちになりました。
 一日限りの授業でしたが楽しい思い出になり、よい経験をさせていただきました。ありがとうございました

ページトップへ戻る

高安・南浦 石 原 藤 彦

二度目の参加 
 今回二度目の参加となったアフリカおたすけ隊。今回はそれとは別に私の主宰する若木塾のプロジェクトも組んで頂いた。空手のセミナー&道着贈呈。空手を始めた頃、喧嘩に強くなるんだと心に決めて、町中で喧嘩ばかりをしていた学生時代。何でも殴れば片が付くと思っていたあの頃。ところがアフリカに来て、沢庵和尚が宮本武蔵に諭した如く、殺人拳が活人拳に生まれ変わったのであった。私の空手でも人を助けることが出来るんだ

 昨年、シンバ先生に無理言ってデモンストレーションを今回の会場となったマランダハイスクールで披露した。終了後オキディさんから今度は、空手着をプレゼントして下さいねと言われ、その時は笑って返事をするだけであった。ところが、今年も参加することになり急遽知り合いに当たって道着を30着程集めた。セミナー終了後の空手部顧問の先生が昨年の約束を守って頂いて…。という言葉には、自分自身実現するとは思っていなかったので、不思議な感じがした。
 空手は、Karateとなりアフリカの隅々まで広わたっているのには驚かされた。しかし、今回訪れたボンドーにはまともな指導者がおらず、ちょっと町でかじった、映画等で見よう見まねで覚えた程度の者が先生と称して教えているのが現状であった。
 セミナーを開催するという噂を聞きつけた人々がマランダハイスクールに沢山集まって来た。セミナー初日、163cmと小さい私を20cm上から見下ろす受講者の面々。明らかになめているという態度。準備運動の後、いきなり受講者全員相手のスパーリングを敢行。2、30cmも小さい日本人に技が当てられない!全部がガードされる!と驚いていた。そして、一発で倒されてしまう!
 初日終了後、「空手は技を通じて精神を学ぶものだ!空手道、剣道、柔道と道がつく日本の武道は、技だけでなく生き方を教えてくれる。」との話しに一同納得。2日目、本当に真剣に受講している姿には、感動すら覚えた。出来れば、長期滞在をして、指導者を育てたい。或いは、素質のある者を日本に呼びたいと思った。
 町に出るとストリートチルドレンばかり。その中で私の3男(3歳)と同じくらいの子供が裸で物乞いをする姿には、胸が締めつけられて涙が出てきた。同じ親神様の子供なのに!
 水を汲むのは女性や子供の仕事。その水は、溜まり水で牛や馬もその中で糞・尿をしながら飲んでいる。病気になると分かりながらもそのまま飲んでしまう。なぜなら、煮沸する燃料がないのである。貧しいから買えない。中には、衛生の指導すら受けていないので、煮沸することも知らない人々がいる。
 今後は、空手だけでなく、衛生指導、医療巡回、井戸掘り、学校建設等の活動にも力を入れていきたいと思う。また、集めて送る衣類、道着、ピアニカ、ハーモニカ、リコーダー、メガネの贈呈等の若木グローバル・リサイクル活動もより一層力を入れていきたいと思う。
 それから、おたすけリストですが本当に分かる範囲です。クリスティン・オディアンボ女41ヘルペス/ネルソン 男13 眼病/アンブルソ・ラン 男50眼病/アンジェレーナ 女50心臓病/ノークイチュ・オミール 男74左右肘、腰/モリス 46男 眼病、腰痛/フランシス・オワノ40男 打ち身 右背中 眼病/ノルカキニ21女 マラリア/ダニエルオモロ22男 マラリア/アンタナンス・オティアーノ43男 頭痛、胃痛/バイオレット・アティアーノ16女 左目皮膚病/ウィンスキー・オティアーノ35男 腸/オスカー25男 胃痛/プリスカ・アモノ6女 頭部やけど/エゼロン・オディアンボ42男 眼病/ジョージュ32男 エイズ/エミー6女 マラリア/ジョセフ・アユアティーノ28男 マラリア/アンナ・アユアティーノ22女 マラリア/エリザベッタ・アキニー8女 マラリア/サンクリン・フランク2男 マラリア/アンジェリーナ・マティエーノ38女 マラリア/アロイス・オデノ46男 関節痛/カレナ・アディアンボ32女 静脈瘤 以上、ノートに記録してある分です。書いてない分が結構あると思います。総数で100人位いったのではないでしょうか?正確な人数は分かりません。すみません。

ページトップへ戻る

高安・渕和 山 崎 栄 慈

 今回のおたすけ隊はとにかく凄いです。おさづけが効いて、効いて、村中で引っ張りだこでした。おたすけ隊全体でこの1ヶ月に500名以上の方におさづけを取り次いだ事になります。
 お蔭様でアフリカだけでなく、多少他の国々を体験させて頂いておりますが、まだまだ、世界中には天理王命の神名を知らない人が多く、もっともっと世界に向けて布教活動する事が必要だなぁと実感しました。

 今回の渡アフリカは今までになく感じるところが多くありました。一番感じられたことは、教祖が身近に感じられた。ということです。具体的には、この教祖の教えが、相手が人間であれば、時代を越え、土地を越え、文化を越え、言葉を越えて通用すると言うことを実感しました。
 おさづけを取り次ぐと言うことは、教祖がお入り込み下さると言うことですが、もう一方、御教理を心に修め、人に伝えると言うことも教祖そのものの教えであるわけですから、その事自体が教祖であり、自分は教祖に代わって御教理をお取次ぎしているんだと思えました。そうすると、まだまだ、未熟であることの反省と、今までに教えて頂いたことをできるだけ多くの方に自信を持って伝えねばならないと言うことを自覚させて頂けたと思います。
 今回のおたすけ隊で感じたもう一つがそれでした。私の手記に率直にその時感じたことを書きました。
 「新鮮な驚き。
  湧きあがる好奇心。
  興味しんしんに聞き入る彼ら。
にをいがけって、なんて楽しいんだろう!」
 「次から次へとおさづけを頼まれて、
  取り次がれた人がみんな喜ぶ。
  おたすけって、こんなに楽しいんだね。
  昔の人達もおたすけ楽しんでたんだろうね!」
 今回私はおたすけのイメージを覆されました。確かに、おたすけにかかると、本当に助かって貰いたいから苦しいし、時によってはつらい事があるんですが、目の前でおさづけがバンバン効いて、喜んでる姿を見たら、こちらも嬉しくてしょうがないでしょう。そして、その喜びがおたすけ人の醍醐味であって、先人先生方は、それが日常茶飯事にあった訳ですから、おたすけ中の苦しい道中を忘れるほどの喜び、楽しさがきっとあったんだろうなぁとつくづく思いました。それが一生に一度か二度だけの人もいれば、毎日毎日体験する人もいるわけです。
 僕の大好きな教祖伝逸話篇は 168 「舟遊び」 です。
 教祖は舟遊びと言う言葉を使っておりますが、船で海外へ出てみたいなぁと、仰いました。そして、
「わしが舟遊びしたら、2、3年は帰られぬやろうなぁ」
と、助けて頂きたい人が大勢海外に待っている事を言っていると僕は思うのですが、そう仰られているんです。舟遊びしてみたいなぁ・・・。と言う事は、やりたいけど、できなかったんです。
 おたすけ隊だけでなく、多くの海外で活躍されているようぼくの方々は教祖の夢をかなえているようぼくだと僕は勝手に解釈してます。非常に極端な言い方ですが、そう思えたんです。地域の活動も大切ですから、それぞれに意義があるのですが、もし、実働と言われても何をして良いか分からないよーー!と言う方はどうでしょう?
 教祖の夢である海外布教を目指して見ませんか?
 道端や訪問の際のおさづけは記録しておりません。ボンド病院での三日間のおさづけのみ記録しました。
オケロ・マオール43才男 、ニモニャ 取次ぎ3回(1日1回)、アムス35才男、チェスト 取次ぎ1回、アイザック・オクンボ36才男、腸 取次ぎ3回(1日1回)、エマニエル40才男 あげくだし 取次ぎ1回、パトリック・オコッタ25才男 胃・熱 取次ぎ1回、ジョーン・オニャンゴ30才 男 チェスト 取次ぎ1回、サムソン・オムロ25才 男不明 取次ぎ1回、フレドリック24才 男 胃痛 取次ぎ1回、アイリーン45才 女左半身不随 取次ぎ1回、エリ・オティアノ生後3週間 男 呼吸困難、 アステ・アチェン3ヶ月 女呼吸困難、ジョセフ6ヶ月 男呼吸、アビサオル・アオーロ83才男 男性器、アスター19才 女、14名18回のお取次ぎ記録していないとこではガリッサで1名、学校から訪問した家で5名、ウガンダでは全く記録を取りませんでしたが、30名はさせて頂いているはずです。複数の方がおりますので、約40〜50回お取次ぎしております。ケニアと足すと約70回のお取次ぎです。
 私は撮影係でもありましたので、回数が少ないのですが、撮影をしていると、地元の人たちから、袖を捕まれ、おさづけを頼まれましたのにはびっくりしました。

ページトップへ戻る

高安・渕和 山 崎 敬 充
 今回のおたすけ隊では、ボンドに迎えに行くはずが、胃潰瘍になってしまって結局カンパラで皆さんを待つことになってしまい、いきなり躓いた感じ。しかもみんなが来る途中事故に遭い。まあ怪我も無く無事に着いたのでご守護ですが。カンパラに着いたら中西ことちゃんがマラリアになったりでどうなってしまうのかと不安になった。
 そんな訳で予定を変更して、カンパラに1泊多く泊まり8日に村(マサカ県カルング郡ナブトングァ)へ。


 簡単に掃除と寝場所確保(家の床はまだ仕上げをしておらず、最初に打っただけで、所々コンクリの砂利が出ていて、また工事をしたそのままだったので、砂やコンクリの粉が大量にあった)。水汲み(水汲みは家から1〜2キロの所にある井戸。20リットルポリタンク1本入れるのに80〜100回漕ぐ。子供たちは歩いて水を汲みに行く。ウガンダは丘ばかりで、普通家は丘の中腹にあり、坂を下って水を汲みに行き、帰りは水が入ったポリタンクを持って坂を登っていく)、洗濯(全て手洗い)、椅子やスノコ作り、炊事(調理器具はあるが、設備は全く無し。台もシンクも無し。)などとおさづけ。
 みなさん散歩に出かけておさづけをしたり、マトブ(隣のにいちゃん)やムティアバ(飯のおばちゃんの子供)、またおさづけをした人に、家に来るように言ってから、少しずつおさづけをしてもらいに来るようになった。僕が知る限り、3人が天理教を勉強したいと言っていた。(一人は酔っていたけど)今度来るときにはもっと詳しい本を持ってくること、自分ももっと勉強して教えられるようになってくる。と言っておいた。一人は教典をあげて、彼は天理教になると宣言していた。(ビデオに撮ってあります)
 去年まで長期滞在中、自分だけのときは、話の中で病気だと聞いたら、じゃあおさづけさせてくれとか、続けてしている人にするくらいだったが、今回のお助け隊では、皆さん病人を探しておさづけをして、その勢い が今回、大勢(自分だけでも40〜50)におさづけができた。ある時は夕食の準備が出来て食べる所なのに5〜6人が訪ねて来ておさづけを取り次がせてもらっていてなかなか夕食を食べられなかったり、また天理教のことをもっと知りたいと言う人が出てきたりで・・・。
 朝夕のおつとめには、近所の子供たち(5〜6人。多いときは10人以上)がだんだんと集まってきて、大人も何人か来るようになり、マトブはハッピをきて参加したり、子供たちは、第一節の歌を覚えたり、すごいにおいがけが出来ているなと思った。
 衛生指導はカヨンド君(カルングヘルスセンターの所長)が思った以上に頑張ってくれて、思っていた以上に成功で、自分自身こんなに集まるの?って感じで感動した。当日、2時から始める予定でいたら、午前中曇り、雲行きが怪しく昼頃雨が降って、今日は人が来るのか?アンビュランス(AAAで贈呈した救急車)はたどり着けるのかと不安になった。が、雨がやみ、3時前にはカヨンド君達も来て衛生指導が始まった。マサカからも衛生指導のチームが来て、それぞれに専門の分野のことを講義した。センターで始めたが、だんだんと人が増え、入りきれないようになり、急遽外ですることになった。6時くらいまで続いた。その後病気の人はセンター屋内でおさづけ。これも多かった(40〜50人いやそれ以上)。

ページトップへ戻る

八木・三澤高泉 高 野 美 江

ありがたいと思える心
 『就職活動するべきかな?でも行きたい会社もないしなぁ…。』と悩んでいた昨年12月、第二回おたすけ隊の話が舞い込んできました。「私、今度ケニア行くんやけど…。」と、東京学生会の中西ことさんが話し掛けてきてくれたのです。小学生の頃から『ケニアに行ってみたいな。』という漠然とした思いがあったので、その場でシンバ先生こと山崎城之先生に電話してもらい、アフリカ行きが決定しました。


 こんな軽い気持ちで参加させて頂いたおたすけ隊だったのですが、1ヶ月で様々なことを経験し、少しは成人できたんじゃないかなと思っています。伝えたいことは山ほどあるのですが、ここではウガンダでの生活から学んだことを書きたいと思います。ウガンダではナブトングァ村というところに滞在していました。この村は、水道はもちろん、電気もガスも通っていないところです。なので、水は現地の人たち同様、家から何キロも離れた井戸へ水を汲みに行き、それを大切に大切に使わなければなりません。
 シャワー(水浴び?)は、桶に一杯分の水しか使えなかったし、食器を洗うにもお米のとぎ汁を再利用していました。好きなだけ水を使える日本に比べ、水の使い方にまで気を使わなければならないこの村は、なんて不便なところなんだろうと思いました。
 日が暮れれば真っ暗だし、寝袋の近くからトカゲは出てくるし、正直、村に着いて初めの3日間ぐらいは、首都カンパラに戻りたくて仕方なかったです。しかし、住めば都とはいうものですね。確かに苦労は多いものの、バナナの木が生い茂る自然豊かな環境、陽気な村の人たち、そして、クリクリとしたかわいい目の子どもたちを見ていると、心が癒されてくるのです。
 つい最近、日本で水を出しっぱなしにしたまま歯を磨いている女の子を見かけました。その姿を見て、なんてかわいそうな人なんだろうと思いました。なぜなら、その人は水のありがたさが分かっていないから…。当たり前のように水を手に入れることができ、その大切さに気づいていないのです。
 便利なことは良いことだけれど、その便利さに慣れてしまうほど怖いことはありません。簡単に物が手に入る・使える。そんな小さな幸せより、どんな中にも物の尊さを見つけ出せる心を持つ方がずっと幸せだと思います。物がありふれる中で不足をし、そのありがたさに気づけない我々日本人。
 不便な生活をしながらも毎日を楽しく生きているウガンダ人。どちらが本当の陽気ぐらしをしていると思いますか?
 ウガンダで生活をして、『当たり前のことをありがたいと思える心』の大切さを知ることができました。私は、こんな豊かな心をもったウガンダの人々のように、何事にも楽しさ、嬉しさを見出せる人になっていきたいです。
 最後になりましたが、こんなに素晴らしい経験を与えて下さった親神様、おやさまAAAの皆様、そして一緒に旅をしてくれた方々、本当にありがとうございました。

ページトップへ戻る

南海・宮濱 中 西 こ と

 「えっ?アフリカ!?」アフリカ行きを家族はじめ、多くの知人に知らせると驚きの表情が伺えました。しかし、私は多くの心配の声をよそに心はすっかりアフリカに向かっていました。アフリカ行きがふと頭に浮かんできたのは去年の春。今までにない胸の痛み、身体のだるさがあり内科の先生に相談したところ、自律神経失調ねと言われました。胸の痛みを感じつつ毎日の生活を送らせて頂いていたある日ふと思ったのです。世界には私よりももっともっと辛く、苦しんでいる方が大勢いる。こんな元気な身体なのだから何かさせてもらわねば、と。

1・アフリカへ向けて
 そして至る所で「アフリカに行きたいのです」としゃべっていたら支部の青年さんにアフリカでおたすけ活動してらっしゃる方がいると聞き早速連絡させて頂きました。そしてその先生のお教会に伺わせて頂き、私は教会長さんであるシンバ先生からお話を聞かせていただき、すっかり気持ちはアフリカに跳んでしまっていました。
 しかし先生のお話が素晴らしくて、行きたいと思っていても費用の事、語学力の事、特別な知識がないことなど不安材料は山ほどありました、その事を全て先生に相談すると、「本気で行くっと心に定めたら、おたすけに行くのだから費用は神様がご守護下さります」「教祖は英語をお話になりませんでしたよ」「知識よりもおさづけさせて頂く事が一番です」と励まして頂いた瞬間、今まで重くのしかかっていた不安が姿を変えて背中を押してくれている気がしました。こうしてアフリカ行きを決意し、真剣に費用を貯めていったのですがやはりどうしてもこのままじゃ足りない、やっぱり今回は諦めよう・・・。と悩んでいた時、新しく始めた介護の仕事場の方から「ことちゃんお金とりにきてね」と言われ、最初は何の事だかさっぱり分からなかったのですが、話を詳しく聞いてみると戴いていると思い込んでいたお給料を何ヶ月分も受け取っていなかったという事だったのです。今までこの様な事を忘れたりしたことなどなかったので、その時、驚きと感激で体が宙に浮くような気がしたのを今でもはっきりと覚えています。そしてようやくアフリカ行きをしっかりと実感できる様になりました。

2・アフリカの大地に到着
 ご本部の春季大祭を参拝させていただいた翌朝、飛立ちました。オランダで乗り継ぎ、飛行機がケニアの地を踏んだ時、飛行機の中は拍手で包まれました。そして、いよいよ目的であるおたすけ活動がスタートしました。一人でも多くの方にお道のお話をさせて頂き、おさづけを取り次がせて頂こうともの凄く心が熱くなっていました。
 約一ヶ月間滞在させて頂き、本当に多くの方々におさづけを取り次がせていただく事ができました。「病気の方はいませんか?」「神様のお祈りがしたいのです」と教えてもらったスワヒリ語やウガンダ語で街の中を歩くと、多くの人々が「私も私も」「こっちこっち」と呼び止めて下さいます。病院に行くお金もなければ薬を買うお金もない。薬自体ちゃんとしたものがないという方々の姿を目の当たりにした私はとにかく必死でおさづけをお取次ぎさせて頂きました。すると、辛そうにしていた赤ちゃんがおさづけのあとニッコリ笑ってくれるようになったり、昨日声を出すのも苦しそうだった女性が今日ははっきりと自分の名前をしゃべったり、乳癌でパンパンに腫れたお乳が次の日は少し腫れがひいていたりと本当に驚くばかりの鮮やかな御守護を見せて頂き、そしてその不思議なお祈りを私にも私にも、と次から次へとおさづけを求めて来て下さり、あっと言う間に列になって待っている状態でした。そのような事が滞在中幾度とあり、その時はひたすらおさづけのお取次ぎをさせていただいておりましたが、後になって色々な事を考えました。
 もっと多くのよふぼくがあの時あの場にいたらもっと多くの方におさづけさせてもらい、たすかっていただけたのでは、と思いました。日本でも世界でもお道の御教えを知らない人々がまだまだ沢山います。お道の御教えを待っている人、よふぼくを待っている人が世界中に大勢いる、ということを目で見、肌で感じ、心に刻み込まれました。期間中、色々な場所で「お金下さい」「私たちのスポンサーになって下さい」と言われました。どうすればいいの考え込んでしまったりもしましたが、その様に言って来た人一人一人に片言の言葉で私は「お金や沢山の物は本当に重要なものではありません。本当に重要なのは何物にも代えられないあなたの心。あなたの心、笑顔がまわりの人々を幸せにし、そしてその事が世界をもたすけるのです。」と言わせて頂くと同時に強く自分自身に言い聞かせました。そして最後に「私が日本に帰っても日本からみなさんが元気でいるようにと神様にお祈りするから」と約束しました。
 日本人を見てお金を求める事は生活水準に物凄い差があるのですから仕方ありません。自分の日本での日常生活に反省すべき事が沢山あることを痛感しました。同じ地球上で貧富の差が開き過ぎている今の世界です。先進国の環境破壊の影響がアフリカなどの発展途上国の大自然にまで悪影響を及ぼしていると現地に住む日本人の方が言っていました。
 このような今、お道のこの素晴らしい御教えが世界中で求められていると確信致しました。そして、その教えを知っている私たちがそれぞれの立場で少しずつでも心を尽させて頂かなくてはと感じます。日本だから世界だからとかではありません。言葉や習慣、宗教などは違っても一緒に笑い合え、助け合えるという人類はみんなきょうだいという教えを強く実感できました。ウガンダで朝夕のおつとめをつとめさせて頂いてる時、村の子供達が集まり、人数も日増しに増えていきました。そして、私たちが帰る頃には子供達同志でああでもないこうでもないと言って教え合う程になっていました。
 私は今、直ぐにおぢばに帰らせていただく事が出来ます。でも、アフリカの方々が日本に来ること、おぢばがえりをする事は、私たちが海外へ行く事の何十倍、何百倍も大変なことなのだと今回、おたすけ隊に参加させていただいて気付きました。おさづけでご守護いただいた多くの方がおぢばに行きたいと切に願っても実現させることは本当に難しい現状です。
 今回、参加させて頂くに当たり、周囲の心配もあり高い費用もかかりましたが、観光に行くためでもなければ、留学したわけでもありません。おたすけ活動をさせて頂いたのです。その分本当に命がけでありました。でも何の心配もいりませんでした。いつもおやさまが私たちを導いて下さっているのです。
 ケニアからウガンダへ向かう二月六日の朝、ひどい腹痛に襲われました。朝食も喉を通らない状態で、ウガンダへ向けて車に乗り込みました。激しい車の揺れを感じながら、お腹の痛みはひどくなるばかりでした。この様な痛みは生まれて初めてで心臓の音より遥かに大きいドクンドクンという音がお腹から聞こえてきました。平坦な道に入ると痛みも治まり横になって眠っていたときの事でした。頭上で「危ない危ない!!」という物凄い大きな声が聞こえ、気付いたときには前を走っていたタクシーにおもいきり突っ込んで行き、車は完全に斜めに傾き、狭い窓からなんとか脱出したのです。たすかったのです。大型バスが中央分離帯を飛び越えて私達の乗っていた車とぶつかりそうになったのです。もし、こちらに向かって来ていたバスと衝突していたなら今のこの元気な体はなかったのではないでしょうか。そして、栄慈さんにこう言われました「今日はことちゃん誕生日だよね。今の事故で生れ変ってアフリカは第二の故郷だね」と。とても嬉しくなりました。
 その夜、再び腹痛が激しさを増し、三〇分に一度のペースで這うようにしてトイレに駆け込みました。次の日、病院に連れて行って頂くと、お医者さんが一言「マラリア」と言いました。腹痛に加え薬の副作用で気分まで悪くなっていったのですが、おさづけを取り次いで頂くと体が楽になりました。神様から交通事故とマラリアという一生忘れられない誕生日プレゼントを戴きました。大切にします。
 この様にして、ご守護を感じさせて頂きました。だから本当に何も心配はいりませんでした。

3・これから・・・
 日本の生活に戻ると、電気が勿体無い程ついています。水も水道ですぐに出ます。この様に与えて頂いている物を使う感謝の気持ちを忘れることの無い様に、そして世界には電気も水道もない生活をおくっている人が大勢いるということをしっかり心におさめ、日本でも楽しんでお道の素晴らしさを伝えさせて頂かなくてはなりません。まだまだ反省が多く、未熟者でこの様にして文章にする事は恐れ多いのですが、おたすけ隊で経験させていただいた事を少しでも伝えさせて頂かなくてはと思います。本当に成人には程遠い私ではありますが喜びの心を常に持てるよう今の立場で行動させていただきたいと思います。そして、第三回のアフリカおたすけ隊参加を目指して頑張っていきたいです。
 最後になりましたが、今回参加させて頂くに当たり、お世話になった渕和分教会の方々はじめ一緒に活動させていただいたメンバーの方に御礼申し上げます。ありがとうございました。そして、期間中多くの心配をお掛けした、教会の方々、親戚、家族、先生、友達 全ての方々に感謝いたしております。本当に有難うございました。

4・ピアニカ指導
 ウガンダ・マサカ県のチャトー小学校でピアニカの指導をさせて頂く.男女合わせて五〇人以上の生徒がいたと思います.ピアニカを一人一人に配り始めた途端、教室は生徒達の興奮に包まれ、熱気が満ち満ちていました.生徒達はみんな一人一人個性があり、体の大きい子もいれば、とってもきゃしゃな子もいますし、ピアニカの演奏も、とっても上手に弾ける子もいれば、何がなんだかわからずでも真剣に弾こうとする子もいて「こっちこっち」と手招きで呼ばれ、「これでいいのか」と何度も何度も繰り返し練習する子もいます.
 人数とピアニカの個数が合わず、二人で一台を使っている子達も何組かいました.その子達は一人が息を吹き込む役、もう一人の子が鍵盤を弾く役で、役割を決めて演奏するのですが、息を吹き込むタイミングと演奏するタイミングがどうしてもずれてしまうので、私は一人一人交代で演奏するように促してみたのですが、その子ども達はこうして弾くのが楽しいのだからほっといてくれという感じでした。私はそっかそっか数がない分、弾けないで退屈して待っているよりも、せっかくのピアニカの練習なのだから仲間同士でああでもないこうでもないといいながら演奏していくのもピアニカの面白さの一つだと、そんな方法もあるのだとひとつ子供達に教えてもらいました。ピアニカの数が揃っているのが当たり前なのではなくて、与えられている物からどのようにして面白さを引き出せるか。小学校の頃の事を思い出してみると、音楽室には溢れるようにピアニカが積んであったように思います。一人に一つどころか、きっと余分にあったな。だから私には一つのピアニカを二人で練習することはなかなか音も出ないし、やりにくいのじゃないかなんて思ってしまったけどそんな心配いは余計なものでした。子ども達はみんな楽しそうに、そして必死になって演奏しているのがしっかりと伝わってくるので、私達もその元気一杯の演奏に負けないように大声を張り上げ指導させて頂いたのでした。こっちからの声はピアニカの音とみんなのお喋りの声でなかなか聞いてもらえない事もありましたが、「きらきら光る」と「チューリップの花」をみんなで合わせて弾く時には、弾く音はばらばらになっても真剣さはみんな同じでした。少しの時間でしたが、チャトー小学校で子供達とピアニカを通じて一緒に笑い合え、演奏できた喜びはしっかりと心に残っています。今回のような一緒になって楽しめる事をまた是非できればと思います。

ページトップへ戻る